フールのサブブログ

PFCS 用のサブブログです。黒髪ロング成分はあまり含まれておりません。

夢見る機械 セレアとスミレ ss1

 この街は妙だ。昼とか夜とか関係なしに、緑がかった霧が漂っている。その霧が都市全体をドームで覆っている。
 彼女は教室の端で窓の外を見ながらボーッと考え事をしていた。
 銀色の長髪を弄りながらあくびする。ふと、クラスメイトの話し声が耳に入った。


 「昨日も俺の住む地域、計画エネルギー停止だったんだ。だいたい二時間くらい? 呪詛製品使えないとかマジ勘弁」

 「最近多いよな。停電ならまだしも停呪はなぁ……」


 この街は巨大な水晶、ワースシンボルから産み出されるエネルギーに依存している。例えるなら線を繋げなくてもいい電気。夢のようなエネルギーだ。お陰でこの国、カルマポリス普段は緑色の霧として目に見える。その証拠に本来雪のように白い彼女の肌も薄緑に染まっている。
 ただ、このエネルギーは霧が行き届く狭い地域でしか効果を発揮できない。だからワースシンボルの働く狭い敷地に出来る限り建物を作ろうとした結果、高層建築が立ち並ぶ無機質な街並みになった。
 それがこの町カルマポリスだ。

 「……セレア」

 「スミレか。なんじゃ?」


 注意しないと聞き取れなさそうなか細い声が聞こえてきた。セレアは窓から視線をはずし振り向いた。
 セレアの席の横に立っていたのはこの学校特有の黒い制服に身を包んだ少女だ。目が大きく整った顔立ちに反して露骨な無表情。そして目を引く猫耳のような第三、第四の耳。


 「……珍しい」

 「わらわが一人でいることが、か?」


 こくりとスミレは頷いた。
 セレアはスミレに微笑むと、ピクピク動いている猫耳をゆっくりと撫であげた。スミレは目をつむりされるがままにする。


 「……これ」


 スミレは唐突に手に持った本をセレアに突きつけた。
 ページの右半分に、ジーパンに袖が長すぎる白衣を羽織った奇抜すぎるスタイルの男の写真が描かれていた。


 「『ライン・N・スペクター』? なんじゃこいつ? 頭の右半分ってこれ機械か? ……お主、まさかこれが好みとか」

 「……違う」


 ほんの数ミリ、スミレの口元が歪んだ。


 「冗談じゃよ。んで、こいつがなんじゃ?」

 「……会ったことがある」


 撫でられて満更でもない様子でスミレは首を横にふった。濃い紫色のショートカットがさらさらと揺れる。


 「……ただの変態半裸ロン毛だった」

 「おっ……お主、ズバッと言うのぉ。妖怪から抽出した呪詛を加工してつくるスイーツやドリンクを開発って……、購買で売ってるあれの原型か! へぇこんな奴が創始者とはのぉ」

 「……信じられない」

 「そんなにヤバい奴じゃったのか。わらわはこっちも気になるんじゃが」


 セレアは左のページに描かれたギターを握りマイクに語りかけている青年を指差した。公園で見かけたら間違いなく逃げ出したくなるような顔である。


 「……極道?」

 「カサキヤマっていうアーティストじゃよ。強面なのに繊細な歌詞と歌声でわらわも好きだったんじゃ。早死にしてしまいおったがのぉ」


 読み進めていた所で、教室のざわめきが急に椅子を動かす音に変わった。チャイムが鳴っている。
 名残惜しいのか、自席に戻りたがらないスミレを無理やり席につかせて、セレアは教科書を開いた。


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キスビットに行く3ヶ月前

 この街は妙だ。まず最初に昼とか夜とか関係なしに、緑色の怪しい霧が漂っている。しかも、都市全体をドームで覆うかのように。みんなはこの緑の霧がワースシンボルの加護だと言うけれど、私からしたら呪いか何かにしか見えない。実際に外から来た人もそういっていた。
 私は高層ビルの窓から外の景色を拝んだ。太陽の下なのに、建物の輪郭が緑色に縁取りされている。窓から漏れる光も緑黄色に着色されていた。
 この街は巨大な水晶、ワースシンボルから産み出されるエネルギーに依存している。例えるなら線を繋げなくてもいい電気。夢のようなエネルギーだ。普段は緑色の霧として目に見える。
 ただ、このエネルギーは霧が行き届く狭い地域でしか効果を発揮できない。だからワースシンボルの働く敷地に出来る限り建物を作ろうとした結果、高層建築が立ち並ぶ無機質な街並みになった、と教授がいっていた。
 私は窓を閉め、部屋に戻った。橙色の優しい照明にピンク色のベッドの上のぬいぐるみ達が照らされている。


 「やっぱりみんなもカラフルなほうがいいよね」


 私はふわふわのベッドに腰かけて、その中でもお気に入りの、お姫さま人形をなでなでする。ほらほら、かわいいかわいい。


 「……あれ?やばっ、遅刻!」


 私は慌てて靴を履くと、窓の縁を蹴って空へと飛び出した。そのまま夜の町をゆっくりと滑空して数分ほどで学校にたどり着いた。



ーー



  10人くらいが一度に通っても大丈夫そうな広い廊下を私たちは歩いていた。一枚一枚が人の体ほどの大きさがある窓から、緑色の光が溢れている。
 そんななか、私はいい感じに老けてきた教授と話をしていた。ほっそりとしているのに、大胸筋がしっかりとついているのが服の上からもわかる。


 「君のペンを操る呪詛、本当に便利だな……」

 「へっ?」


 タニカワ教授は私の目の前に浮いているものを興味深いといった顔で見つめていた。
 ボールペンがメモ帳の左右のページの端をペン先のクリップで挟んで留めてたまま浮遊している。そして、もう一本のボールペンがひとりでに今の会話の要約を超高速で書き留めていた。
 これは呪詛と呼ばれる能力で私たち妖怪特有の技能だった。妖怪は一人につき一系統の呪詛を持ち、超能力まがいの力を発揮することができる。


 「ああ、これですか。まあ、便利ですけど器用貧乏っていうか」

 「今日も靴底にボールペンを仕込んで跳んできただろ。空を見上げたとき見えたぞ。校則違反だ」


 困った子だ、という顔でタニカワ教授は私の頭を軽く撫でた。くすぐったい。


 「さて、ここからは研究の話になるが」

 「ええ」

 「本来、カルマポリス出身の妖怪はワースシンボルの加護の下でしか呪詛を使えない。これはこの国特有の特性だ」

 「カルマポリスの妖怪はワースシンボルの加護を受けないと呪詛の力を制御できず力を発揮できないんですよね」


 他国の妖怪は体力の続く限り無制限に呪詛の力を発揮できる。が、カルマポリスの妖怪が他国で呪詛を発動するにはワースシンボルのエネルギーが必要。アトマイザー等の容器にワースシンボルのエネルギー入れて持ち運び呪詛を使うタイミングで体内に取り込む。
 一息ついてタニカワ教授は言った。


 「実はキスビット国にカルマポリス出身にも関わらず呪詛を使える妖怪がいた、という記録が見つかった。君にはその調査に行ってもらいたいんだ」

 「えっ!? えええ!!」

 「国からもそろそろ海外へルビネルを送って欲しいという要望も出ている。手配はしてあげるから行ってこないか?」


 この国では近年、学生にホームステイや海外留学が推奨されている。
 理由としては、この国が長年国交にて遅れをとっていた過去にある。国民である妖怪たちは日常的に呪詛に頼りきっている。そのため、呪詛の使えない海外には行きたがらないのだ。その問題を先伸ばしにした結果、鎖国に近い状態になってしまった。
 その対策として、まずは国際社会で優位に動ける人材を少しでも増やしたい、という国の思惑があるのだ。そこで、国は補償金制度を作り、国際学生を推進した。この補償金制度を利用すれば、学費をほぼ免除できる。
 私はこの制度を利用しているために、海外留学の申し出は断れない。


 「わかりました。まあ、ドレスタニアやチュリグにも行ってますし大丈夫ですよ……ね?」

 「ああ。君が行くことになっているのはキスビットの中でも差別意識が少なく落ち着いているタミューサ村。私も旅行で行ったことがあるし、ルビネルなら問題ないと思う」


 電気とシンボルエネルギーにどっぷりと使った私が、電気も通っているかわからないような村に対応できるかいささか不安だった。でもタニカワ教授がついてきてくれるなら……。


 「一人だけど頑張ってね。ルビネル」


 その瞬間、私は凍りついた。

Self sacrifice after birthday まとめ

1



 ルビネルが約束の時間になってもこない。因みにデートではない。診療時刻だ。
 腕を組ながら寡黙に待つが、いっこうに来る気配がない。彼女は一度だって私との待ち合わせに遅れたことはなかった。
 ペストマスクが私の眠気に合わせてコクンッ、コクンッと揺れる。これ以上は待つだけ無駄か。
 私は不気味に思い、彼女の学校に行き、とある人物を待ち伏せした。

 私が待ち伏せしていた人物はあっさりと姿を表した。単なる教師と生徒という関係を越えて、ルビネルと恋愛関係にあると噂されている。

 ペストマスクをコツコツと叩き、私が会釈する。タニカワ教授は「あなたがルビネルのドクターですか?」と聞いてきた。ルビネルが時間に間に合わなかった時の連絡先として、本人から聞かされていたのだ。

 タニカワ教授にルビネルの所在を聞いてみる。
 知的な顔をした教授は眉間にシワを寄せた。彼が言うにはルビネルは二十歳の誕生日を迎えた頃から行方不明、とのことだった。国の捜索も入っているが発見されていない。
 一応、長期間出掛ける旨が書かれている手紙が彼女の家から発見されたらしいが、肝心の行き先がかかれていなかったそうだ。
 ……厄介なことになった。捜索に協力すると伝えると、そういえばとタニカワ教授は呟いた。

 「タミューサ村に社会科見学に行かせてからルビネルの様子がおかしかった。感情を見せなくなったんです。何かよほどショックなことがあったらしい」

 「ショックなことか……」

 私はコホンと咳払いをすると、タニカワ教授に聞いた。

 「あなたは?あなたには何かありませんでしたか」

 タニカワ教授は、「いや……何も」とだけ答えた。

 手紙と聞いて、ふと思い出した。ルビネルはインクの入ったペン━━確か一ミリリットル以上だったか━━をサイコキネシスが如く自在に操れる能力を持っていた。
 その手紙も能力を使って書かれたのだろうか。それとも直筆で丁寧に買いたものなのか。どうでもいい疑問が私の頭をよぎった。


 私はひとまず隠れ家に帰り、翌日に商売仲間に会いに行った。
 「老人」と呼ばれている、焦げ茶色のスーツに身を包んだ精霊は、闇社会の中でも相当の強者だと聞く。裏の世界を知り尽くしている彼は、ニヤリと笑うと意外なことにこう答えた。

 「金さえ払えば教えてあげますぜ?旦那」

 私はなけなしの金を老人に手渡した。
 彼女は私の体の秘密を呪詛に関する知識で推理していた。その情報が漏れると大変不味い。もっともそれ以上に私が彼女のことを気に入っている、というのもあるが。

 老人は焦げ茶色のスーツを整え、帽子を深く被ると「ついてきな」と、指図してきた。

 外に留まっていた、黒い高級車に案内される。やたらと座り心地のいいイスにデカイ体をどうにか押し込めると、隣の席で「かわいいですぜ、旦那」と老人が笑った。

 運転席の黒スーツの男がアクセルを踏むと、車は発進する。

 数十分後、車からおりると、極端に高級そうな建物が目の前にそびえ立っていた。ガラスの扉の中は金色とそれに近い色で装飾された、さながら王宮のようだった。外から見ただけでも、恐ろしく高そうな花瓶だとか、あからさまに綺麗すぎる絵とかが置かれている。
 明らかに私の黒いコートと茶色いペストマスクに不釣り合いだ。

 「さあ、行きましょう」

 竜人でも優々と通れるくらいばかでかいガラス張りの自動ドアを潜り抜け、ガードマンに加え、やたらと着飾ったお姉さんの間を通る。どうやら建物のエントランスらしい。

 受付らしきところを顔パスで通り、老人は突き当たりのエレベーターに入った。

 「この建物は……?」

 私が呟くと老人は渋い笑顔を私に向けた。

 「そう、高級キャバクラですぜ」
 「なぜこんな建物に案内した?」

 老人は答えずに最上階のボタンを押した。

 「…お代は?」
 「俺がオーナーですから」

 美しすぎる夜景と、キャバクラとは思えぬくらい高級感溢れるテーブル。明らかに年収数百ドレスタニアドルを越している男達が、美女をはべらせていた。
 老人はサービスと称して各テーブルに高級ワインをおごると、私をつれて一番奥の扉へと向かった。

 VIPルームが連なる廊下に出た。ただでさえ私の全財産をはたいても出られなそうにないこの店のなかの、さらに特等席である。人生でこんなところに入れる日が来るとは……
 それにしてもなぜこんなところに老人は案内したんだ?

 「さあ、つきましたぜ。指名はもうしてありやす」

 扉を恐る恐る開けると、白いガウンをまとった少女が窓の外を向いていた。顔はこちらからではよく見えない。ガウンに滴る黒髪は絹に負けぬほど美しく輝いていた。
 二人用とは思えない部屋に私は一本足を踏み入れる。絨毯の踏み心地が半端ではない快適さだ。

 「いらっしゃい?お客様」

 表情があどけない。ここに存在する意味がわからない。ガラスのテーブルにおかれたワインに対して、彼女は明らかに不釣り合いだった。

 「ルビネル!なぜこんなところにいる?!」

 疑問は恐ろしいほど浮かんできたが、何から質問すればいいのかわからない。妖艶に微笑む少女になんと声をかければいいのやら。

 「フッ……フッ……フッ!」

 椅子に座る少女、ガラスのテーブル、数メートル離れて私と老人。それがこの部屋の全てだった。
 さりげなく老人が退路を塞いでいるのが気になる。

 「お金が欲しかったのよ。短期間に、大量に、ね」

 「どうしてそんなに金を欲した?」

 「私には救わなければならない人がいるの。手遅れになる前に。そのためには武器が必要でね……」

 私は声を荒くして言った。

 「ばかな。そんなに友達が大変な状況であれば国や冒険者に頼めば……」

 「国の兵士じゃ役に立たない。無駄死によ。それに私の個人的な問題でもあるわ。どうしても私が決着をつけなくちゃならないの。だからドクター、貴方にも力を貸してほしい。私をあなたの能力を使って、強くしてほしいの」

 「断る」

 そういった瞬間、老人がライフル銃を取り出した。

 「旦那、それじゃあ困るんです。ね、患者さんの要望に出来るかぎり沿うのも医者の仕事でしょう?」

 こいつら!グルか!

 「私の肉体を強化手術してほしい。今のままじゃ、……勝てない」

 部屋のなかに黒い服の男がなだれ込んだ。

 将来私が老人に払う金のことを考慮すると、とてもじゃないかぎり老人は私を裏切らないはずだ。つまり、老人がルビネルを助けると、私の生涯払う金以上の損失を防げるか、または利益を被るのだ。

 「二十歳に成り立ての健全な少女の肉体を人体改造しろと?ふざけるな!私のメスはそんなことに使うものではない」

 「すいやせん、これも商売なんで」

 にかっとはにかむ老人の後ろで、数十人のガードマンが銃を向けてきた。

 ひとまず逃げないとまずい。
 フラッシュバンを起動させようとしたとき気づいた。黒い服の男は全員遮光グラスと高級耳栓をつけていることに。老人もいつの間にかそれをつけている。

 「逃げようとしても無駄ですぜ、旦那」

 仕方なく煙幕を起動させ、ワイヤーを天井に突き刺した。体を勢いよく引き上げると、その間下を大量のゴム弾が通り抜ける。さらに壁を突き破って隣の部屋からも銃弾が飛んできた。

 天井に逃げていなかったら即、気絶だった。ミノムシのように身を縮めてぶら下がったまま耐える。

 天井に手足が触れないように気を付けなければ。どうせ老人のことだ。地雷が仕掛けられている。
 私は下半身を振り子のように揺らして、どうにか跳ぶと、銃撃で穴の空いた壁を突き破り隣の部屋に突入した
 ……まさか、隣の部屋がワイヤートラップで埋め尽くされており、全身がんじがらめにされた揚げ句、切り裂かれるとは思ってなかったが。

 ワイヤーに絡まり宙ずりになった私に、老人の部下が大量の麻酔ゴム弾を打ち込んでいく。そのたびにだらしなく私の体が揺れた。

 どうやら私やルビネルがいた部屋の壁の裏側に、トラップが仕掛けられていたらしい。私がぶち破った壁とは反対側の壁に老人の手下がいることを察するに、最初から私の動きは全てお見通しだったようだ。化け物め。

 だんだんと意識が遠ざかり、体の力が抜けて行く。

 ルビネルはというと、窓から外に出たらしく、夜空に浮かんでいた。ボールペンを靴に取り付けることで、宙に浮けるらしい。攻撃の当たらない場所で高みの見物を決め込んでいる。

 状況すら理解出来ぬまま、私の意識は闇へ葬り去られて行く。

 最後の力を振り絞り、ルビネルの顔を見た。虚ろな目で私を見ている。とても学生の瞳とは思えない。

 彼女に何があったと言うのか。恐ろしいほどの荒廃が彼女を襲った、それだけは事実のような気がした。

 視界の端に二人が見えた。


 「さすがね。オールドマン」

 「俺をみくびっちゃ困りますぜ?」


 少女の服を整えながら、老人は笑った。


 「あとは手はず通りお願い出来るかしら」

 「ええ。お嬢が奴をどうにかしなけりゃ、俺たちのお先は真っ暗です。そして、それを出来るのは残念ながらお嬢しかいねぇ」




Self sacrifice after birthday 2




 私は心地よいベッドの上で目覚めた。下着を含め、全ての物が剥ぎ取られていた。種も仕掛けもないパンツとガウン、それが今の私の持ち物の全てだ。ただ、二メートルの身長を持つ自分の体は無事だった。


 「旦那の体、不気味で仕方がなかったですぜ?」

 「観賞用ではないからな」

 私は自分の体を見て自重げに笑う

 「さて、強化手術に必要な物を教えてくださいませんかね?右腎臓の変わりに入っていた閃光爆音菅も丁寧に抜かせて頂やしたぜ?」


 私は右腰のあたりをさすってから、舌打ちをする。


 「わかったもう抵抗はしない。ただ、手術に必要な物品は私の研究室にある。取りに行きたい」

 「じゃあ、ここにある最低限の衣類だけ着てくだせぇ」


 私は布製の服だけ身に付けて、数十人の見張り役と共にエルドラン国のとある墓地へと向かった。私の地下研究所のうち一つは納骨堂に直結しており、墓から入る。

 私は老人の監視している中、墓を暴き、薬品保管庫へと続く、隠し階段を降りた。薬品棚から必要最低限の薬品を入手する。

 私がその後つれられたのは老人が管轄するエリアにある病院だった。一般市民にまぎれ、当然のように受け付けを通り抜けると、霊安室に連れられた。
 そこに幽霊が如くルビネルがたたずんでいた。白いワンピースはこの場所にお似合いだが……。


 「用意はできたの?ドクター」

 「ああ」


 こうなっては、老人に逆らっても無駄なので正直に説明をする。


 「鬼に存在する強化遺伝子を直接移植する。ただ、適正が合うかどうかは移植してみなければわからない。成功率は六割といったところだろう」


 ルビネルは一切の表情を捨て去ったような無表情でぼそりと言った


 「それで、成功すれば私は強くなれるの?」

 「ああ。鬼遺伝子はどれだけの量の遺伝情報を持つかによって、その発現の度合いが変わってくる。もっともたる例が紫電海賊団の忌刃だ。恐ろしい怪力と力の持ち主だろう?あれは鬼遺伝子が強く発現したために、肉体が鬼から見ても異質とも言うべきほど強化された結果だ」


 私は霊安室に横たわるご遺体をちらりと見ると、大きくため息をついた。


 「ただし、肉体強化してから一週間のピークの後、肉体が力に耐えられず自己融解する。つまりお前の言う『敵』と戦い初めてから、一週間以内に私の下へ戻り、再手術をしなければ死ぬ」


 老人は私の肩に手を置くと冷徹にいい放った。


 「じゃあ、旦那の気持ちが変わらないうちに、こちらにサインを」


 私は思わず首を左右に振った。


 「お前に情けはないのか、老人!」

 「そりゃ、……嫌ですよ。胸が痛む。止めたい気持ちもある。将来有望な奴を死ににいかせるなんざ、正気の沙汰じゃねぇ。でも、無理なんですよ。俺たちはお嬢にかけるしかないんです」


 老人は茶色い帽子を深くかぶり直した


 「私の戦う相手は少なくとも生物兵器と同等かそれ以上の存在なの」


 ルビネルは無表情の中に一点の陰りを見せた。どうやら『相手』に対して個人的な因縁があるらしい。


 「ルビネルは奴に呼び掛けて唯一反応を見せた存在なんです。そのとき、ルビネルのペンがほんのちょっぴりだが、奴に怪我をおわせた」


 私は今日何度目かのため息をついた。


 「それだけで、それだけで……ルビネルにかけるのか?」

 「遭遇したとされる俺の部下は全滅していやす。強さに関係なくですぜ?不意打ちされた訳でもない。真っ正面から好条件でうちの精鋭がそいつに挑み、完膚なきまでにやられた」


 苦虫を噛んだような表情をした。よほど悲惨なやられ方をしたらしい。


 「うちらにはもはやどうすることもできやせん。ここまで来ると天災と同レベル、出会ったら最後です。そんな理不尽を許してはおけねぇ」


 ルビネルはせがむように私にすり寄ってきた。


 「お願い。私は止めなければならないの。あれ以上酷いことをさせたくない」


 私はルビネルの両肩を持つと怒鳴った。


 「なぜ、命を投げ捨てようとする!成功率は六割だと言ったはずだ。成功しても死ぬ可能性の方が高いということは充分わかっただろう。何より、完璧に手術が成功したとしても、老人の手におえないような奴に勝てるとは思えん!」

 「無謀だと言うことはわかってる。でも、私はいかなくちゃいけない。これからあの人によって、もっと沢山の人が殺されてしまう」

 「なぜだ!なぜそんなに『あの人』に拘る!」

 「それは……」

 ルビネルは大きく息を吸い込むと、目一杯の声量で私に思いをぶちまけた。
 この場所で、この状況で、ルビネルが愛する人への切実な思いを告白してきた時の衝撃は想像を絶するものだった。
 私は脳天を殴られたかのような強いショックを受けた。石化の魔術を受けたかのように全身が硬直してしまった。
 その言葉に対する返答を私は持っていなかった。

 死んだ恋人の体を手術し、身に纏うという狂気とも言える手術を行った私には、彼女に口出しする権利はもうなかったのだ。
 愛しの人をこの世に再び再現するために、百ではおさまらない人数を殺し、成仏させてきたのは紛れもない私自身だ。
 愛する人のためなら何でも出来る、ということを自分で証明してしまっている。今の彼女を誰にも止めることはできない。


 私はそれでも、数時間にわたって粘ったが、折れることになった。ただ、手術自体を行うのは少し後にするということに決まった。その間、私は老人に命を握られたまま過ごすこととなった。




Self sacrifice after birthday 3




 六人用の広い机の上に乱雑に広げられた本の山。ひとりでに動き、器用に本のページをめくりつつ、必要な箇所を市販のノートに書き写す17本のボールペン。そして、そのボールペンたちに向かって指揮者のように指示を出す少女。
 本の内容は公に出来ない禁術や、人道を外れた研究成果。知ってはならない世界の裏側についてなど。カルマ帝国を壊滅させた、ドラゴンの召喚ですら、ここにある文献で再現可能である。
 少女は本を棚から取り出しては机の上に広げ、ボールペンを操る力によって、高速でまとめノートを作っていた。

 私はそんな少女を本棚の狭間から見ていた。本来であればこの図書館は立ち入り禁止であるが、老人とルビネルが『とある人物』を説得してくれたお陰で、私も入ることが出来た。
 私はそれに感謝しつつ、ルビネルの手術の成功率を少しでも高めるために、手当たり次第、生体や呪詛についての禁書を開いては閉じていた。
 ……と、噂をすれば彼が来た。


 「勉強熱心なものだな、ルビネル。何か聞きたいことはあるか?」


 セミロングの髪の毛が額の包帯に触れている。整った顔に鋭すぎる眼光を宿し、ルビネルを見据える。
 ルビネルは黒い長髪を揺らし、振り向いた。男を見た瞬間、ルビネルの険しかった表情が本の少し緩む。


 「ガーナ様、ありがとうございます。まさに今聞きに行こうとしていた所です」


 ルビネルが一礼すると、ボールペンも一斉に静止し、ガーナの向きに傾いた。
 ガーナはドレスタニアの元国王であり、ここドレスタニア図書館の鍵を管理している。
 ガーナは私に目を向けたが、私が気にするな、というジェスチャーをすると、再びルビネルと向き合った。

 「私には三つほど質問があります。一つめは、どこにいるかもわからない人を探す方法についてです」

 ルビネルは千里眼の呪詛についてのメモ書きを指差した。それを見たガーナは、静かに頷くと語りはじめた。

 「人捜しの能力…。これは概念的方法であれば、大した力を使わずとも可能だ。明確な位置を探ることはこの世界においては不可能だろうが、信仰による占いや手がかりを辿る力に長けたものならばヒントとして得る事は容易い。我が国にも占いを行える者がいる。訪ねるといいだろう」

 ルビネルは軽く会釈すると次の質問を投げ掛ける。

 「では、次の質問を。ディランやサバトに乗っ取られた……と思われる人物を救う方法はあるのですか?」

 「乗っ取られた人物、これはその者により異なる。場合によっては引き剥がせるだろうが、引き剥がすどころか既に死を迎えている場合もあるだろうな。お捜しの者の生態がわからなくてはその可否もわからぬ」

 ガーナの言葉を聞き、決意したように最後の質問をいい放った。

 「では、そういった異次元の力を持つ者共と渡り合うだけの力を手に入れる方法はあるのですか?」

 「渡り合う力、か。それがあるならば問題は起きない。我が弟の持つ剣であれば時空ごと封印することができるが、例え瞬きすら行えぬ空間に閉じ込めても、時間的封印は、その分、彼らに力を得る刻が与えられるだけである」

 サバトやディラン、といった相手とはそもそも渡り合う術がない、という残酷な事実だった。

 「あり得ない進化をするほどの力をもつサバトのような相手には、永続的封印が最も愚かな行動であることは明白だ。故に、甦ることを前提に繰り返し殺すことを我が国では選択している」

 ルビネルは唇を噛み、唸った。

 「私がわかるのはディランかなにかに乗っ取られている、という事実だけ……。対処法もわからない。封印しようにも仮に敵がサバトだった場合逆効果、となると殺すしか方法はないのですね……」

 「若い頃の私ならば迷うことなく手にかけるが、そういう時代でもない。『必ず喰らいつくす呪詛』と公言した不死者から未だ生き延びている例もある」

 腹を少し見せる。想像を絶する痛みを伴うであろう、おぞましい傷が刻まれていた。全体を見ずともその壮絶さは充分ルビネルに伝わった。
 同時にガーナが言う、人の可能性というものの片鱗も感じたのだった。敵がどんなに強大で恐ろしいものであろうが、それを乗り越えるだけの力を人は秘めている。それをガーナは身をもって示していた。

 「この世界の者を甘く見ているということだ。
君だけの問題ではない。私もサバト相手ならば剣を抜こう」

 ルビネルはこの図書館に初めてきたとき以来、はじめて笑顔を見せた。

 「心強いお言葉、ありがとうございます。ぜひ、お助け願います」

 私はそんな彼女に一抹の不安を抱えつつ、次の禁書を取り出した。



4



 「久しぶりだな」

 図書館の地下五階。本来人が立ち入ることのない埃臭い空間の、更に奥の机にもたれ掛かる私に、図々しく話しかけるガーナ。
 ガーナ『王』が私のロングコートの服のシワをみてガーナは一言呟いた。

 「ほとんど丸腰か……取り上げられたな。私が利用したときよりも深刻に見えるが」

 「あまり話しかけないでもらえるか。鬼畜め」

 ばつが悪そうな小さく低い声で拒絶を示すと、ガーナは微笑しながら向かいに腰をおろした。
 裏社会の人間から見たらドレスタニアを支配しているのは彼だ。一般には元国王と言われているが、実際には裏から国を牛耳っている。

 「まぁそう言うな、単純な世間話だ。君にとっては余計な話かもしれんがね」

 無言で向き合う解剖鬼とガーナ。感情を隠し通すマスクに対し、感情を読み取らせない鋭く紅い目。お互いに察する、牽制の態度。先に沈黙を破ったのは、ガーナであった。

 「死ぬのか、あの子は」

 眉一つ動かすこともなく、悲しい顔も見せず、苦しい声もあげない冷徹非道な『王』の言葉。しかし、死地を巡った解剖鬼だからこそ察する、王の気遣い。
 早い話が、状況を把握し即座に現実をうけとめ、ルビネルの未来が悪い結果になることを既に『覚悟』している態度である。だからこそ、ガーナは解剖鬼に話しかけに来たのだ。

 「……決まった訳じゃない」

 即答は出来なかった。だが、できる限りの事をする、と意志を見せることはできた。癪に障る『王』に向けた抵抗の意志。
 可能性は決めつけるものでは無い。だからこそ、即答できない自分にほんの少しだけ苛立った。実際に経験則から判断すると、失敗する可能性の方が高い。

 「そうか」

 私のわずかに震える握りこんだ拳を見て、ガーナはにこりと微笑んだ。ふと、手元の資料に目を落とす。サバトの記録…歴史…考察…。自身が戦うわけでもない相手の弱点や欠陥を探ろうと、自然に読んでいたものがそれらであった。
 心のどこかで、ルビネルが負ける前提で調べていたことに気づく。

 「現実を受け止めるということは、希望を産み出す手段である。やるべき事をやるしかないぞ」

 ガーナは机に紙束を置いた。

 「これは……?」

 「私の父親が母に施してきた、遺伝子操作の実験記録だ。図書館の記録ではなく、私物だ。より分かりやすい言い方をすれば…我が弟の設計図だよ」

 一切感情を見せなかったガーナが、明らかに忌々しい物を見る顔つきで答えた。

 「燃やすつもりだったが、何かの役に立ちそうなら君に預ける」

 そう告げると、ガーナは出口へ戻っていった。

 「『設計図』か、これがガーナ王の解釈なのか?」

 私は資料を手に取りパラパラとめくる。わずかな枚数目を通しただけで、ガーナの表情の理由を察した。なるほど、これを研究した奴は、少なくとも私よりは外道らしい。
 私はあくまで人を成仏させたあと、解剖して医学データを得るのが仕事だ。このような狂気に満ちた人体実験は行っていない。

 「なるほど、興味深い」

 だから、手術の参考になるデータが手元ににほとんど存在しないのだ。理論上は手術可能とはいっても、前例のない手術は高確率で失敗する。例えば数十年前、とある病院で理論上可能とされ、実行に移された臓器移植。だが、拒絶反応に関して、当時は存在すら知られておらず、患者は数日でお亡くなりになった。
 ガーナ王が渡してくれたものは、それを補完する、貴重な研究データだ。特に薬剤による詳細な影響や、副作用に関しての細かい記述は非常にありがたい。

 ガーナ王にしては随分と気のきいたプレゼントだ。ペストマスクの位置を調整すると、ルビネルにきびすを返し、図書館を後にした。



5



 私はドレスタニアの噴水で、煙管に火を灯す。煙が沸き立つ筒に口を着ける。気管支が煙によってあぶられゴホゴホと蒸せた。知り合いが旨そうに吸っているのを見て真似してみたが、やはり私には合わないらしい。
 こんな奇妙なことをするのも過度のストレスから一瞬でも逃げたいからだった。

 「ゴホッゴホッ……」

 私は建物の影で蒸せつつ、ドレスタニアの広場にある噴水を覗いていた。いつも見ている裏通りの噴水とは違い、コケもボウフラも沸いていない澄んだ噴水だった。
 そこに黒いワンピースに身を包んだ少女と、貴族服に身を包んだ女性が仲睦まじく腰かけている。手に持っているのはリンゴ飴だろうか。

 「ゼェ……ヒュー……おっ収まった……」

 彼女たちの脇に紙袋が置かれている。中からのぞいているのは洋服か?それともかわいいぬいぐるみか?
 二人ともにこにこしながら話続けている。時々ほっぺに触れたり、足をさわりあったりと、何やら危なげな雰囲気を醸し出しているのは私の気のせいだろうか。

 「煙草なんか吸うもんじゃないか……」

 煙管をポケットにしまう。
 彼女らがどこかに移動する。あの通りの先ということはカフェか……。
 いっこうに会話の止まる気配がない。何であそこまで高速に絶え間なく話続けることが出来るのかわからない。憧れはするが。
 「うんうん」と、激しく外交官の言葉にうなずく少女。得意気になって話しているのが、あのエリーゼさんだとは思えない。
 エリーゼ外交官の言葉にはしゃいで、リンゴ飴を落とすルビネルはとても可愛らしい。

 エリーゼ外交官が自然かつ優美な動作でルビネルの手をとった。カフェまで先導していく。エリーゼ外交官の顔がきらきら輝いて見える。これが外交官のシックスセンスか?そして、なぜそこで顔を赤らめるルビネル!

 カフェに入ると、私から二人は見えなくなってしまった。

 キャピキャピ話をし続ける二人を見守るのはとてもつらかった。本来であれば、あれがルビネルの姿なのだ。

 霊安室で遺体と変わらぬ無表情で、淡々と自分の死に場所について語るのがルビネルだとは決して思わない。

 私は白昼のドレスタニアでため息をついた。


 「何でこんなことになった」


 以前、ルビネルは奴と戦ったことがあったらしい。そして、十数人の仲間と共に瀕死まで追い込んだ、とも。私はその話を軽く流していたが、図書館で読んだ資料のなかに、それについての記述があった。

 強大な力をもつ者を倒したとき、その『力』が放出され、近くにいた人にこびりつくことがあるらしい。その人は『力』に暴露され続けることになる。『力』に常にさらされた体はそのうち『力』に対して耐性を持つ。
 ワクチン接種の原理に似ている。体は病気にかかるとその病原体に対しての抵抗力を作る。それを利用し、弱毒化した病原体を注射することで、実際に病気にかからなくても体の中でその病原体に対する免疫ができるのだ。
 『奴の力』がこびりつき、あらかじめ暴露され続けた結果、ルビネルは奴の能力に対する耐性を獲得したのだ。だから、老人の部下たちと共に、奴と戦ったときも、彼女だけは生き残ることが出来た。

 奴の能力は老人でもかなわなかったことから、非常に強力であることが予想される。それに耐性があるというのは、すさまじい武器だ。

 力がこびりついても、耐性ができるにはその量や質、そして個人差が大きく関与する。ルビネルが奴への耐性を得たのは不幸中の不幸なのだ。

 奴を打ち倒すにはルビネル以外、適任がいない。


 「何度考えても同じか」


 カフェからルビネルとエリーゼ外交官が出てきた。相変わらず仲睦まじく話している。

 なぜあんな子がこんな使命を背負わなければいけないのだろうか。変われるのなら変わってやりたいが、それが出来ないのは私が一番よくわかっている。

 私は本日何度目かのため息をついた。自分の無力さを呪う。まあいい、いつもと同じことだ。

 私に出来ることをしよう。




6





 ガーナ王がドレスタニアの一流の占い師に聞いたところ、ルビネルの探す『人』は今日から丁度一ヶ月後に、とある場所に行くことで出会えるらしい。占い師曰く、『三本の腕のうち、最初の一本があった場所』と言ったそうだが、私にはなんのことかさっぱりだった。
 だが、ルビネルは一度その場所に言ったことがあるらしくピタリと場所を言い当てた。

 占い師の言葉で決戦の日を特定した私たちはその日までの計画をたてた。

 主に稽古についての計画だ。





 ドレスタニア城の一室でガーナ王とルビネルが向かい合っていた。私はそれを腕を組み壁に寄りかかりつつ眺めている。
 ルビネルはサポーターをつけた右拳を大きく振りかぶると、ガーナ王に向かって殴りかかる。それに対してガーナは足を一歩引き上体を左にひねり、脇を閉め、肘を軽く曲げつつ拳を付きだす。
 ルビネルの力のこもった拳はガーナ王の腕に受け流され、あっさりとかわされてしまった。前のめりになったルビネルの足を、ガーナが足さきを使って軽く引き寄せると、ルビネルはいとも簡単にすっころんでしまった。

 「拳は必ず最短距離でつき出さなければならない。振りかぶるなど愚の骨頂だ」

 ガーナは右拳を腰まで引くと、しゅっとジャブを極めた。脇を締め、途中まで力を抜きつつ前に拳をつきだし、最後に腕の筋肉を緊張させ極める。そして極めたと意識した時にはすでに力を抜いて次の動作に繋げられるように構える。最低限の力で最高最速の拳撃を繰り出したのだ。あまりの合理さに恐怖を覚える。

 「さすがです。ガーナの旦那」

 隣で見ていた老人がニヤリと笑った。
 私たち三人は決戦を前にしたルビネルに武術指導をしていた。鬼の遺伝子を移植すれば格闘戦も可能になる。ルビネルは既存の戦術であるボールペンを操る呪詛に加え、格闘も出来るようになる。だが、紛いなりにも格闘術を身に付けておかなければそれも宝の持ち腐れだ。そこで、私たちはルビネルにあれこれ手解きしているのだった。

 「解剖鬼、お手本に相手をしてくれるか?」

 私は下がるルビネルと入れ替わる形で静かにガーナ王と向き合った。

 「かかってこい」

 「怪我をしても知らんぞ?」

 私は訓練用の木製の短刀を取り出すと構えた。ガーナ対して慎重に距離を詰めていく。ガーナ王は時々踏み込んで牽制をかけ挑発をしてくるが、決して私の射程に入ってこようとしない。
 私は見切りをつけ一気に踏み込んで短刀を振った。矢継ぎ早に斬撃を繰り出していくも、突如としてガーナが繰り出した小石によって優劣が決まった。
 攻撃に集中して防御がおろそかになった私は、無理に小石をさばいたため懐ががら空きになった。決してガーナの動きは早くなかったものの無駄がなくあっさりと私の腹に一撃を食らわせた。
 ルビネルがガーナに向けて拍手を送った。

 「体の使い方次第で凡人でも化け物に勝てるのだ。さあ、次だ。ルビネル」

 私はうめきながら「あんたが化け物だろうが」とぼそりと呟いた。
 老人に聞こえたらしく意地悪な笑みをこちらに向けてくる。悪童か、お前は。

 ガーナの真似をして必死に拳のからうちをするルビネル。あれほど動ければ将来は有望だろう。いいや、有望だったというべきか。

 ルビネルは汗を頬に滴らせながらガーナ王と打ち合う。りりしく健康的で美しい横顔が私の気持ちをさらに暗くした。

 「そうだ。それでいい」

 「はい!ありがとうございますっ!」

 ハキハキとした声はとても一ヶ月後に死ににいく者とは思えない。私の知る余命一ヶ月の人は、あのように目を輝かせたりはしなかった。ただただ死の恐怖に怯え、私に亡者のごとく泣きついてくる。
 ルビネルは違う。本人が死にたい訳ではない。死に値するような罪もない。誰に憎まれている訳でもない。将来有望で、未来ある若者だ。私はそんな人に対して、死を伴う危険な手術をした上で想像を絶する苦痛をあたえ、死地に送り出すことなど望んではいない。



 「随分と暗い顔をしているようじゃの」



 腹を抱える私に、ウェディングドレスを着た少女が話しかけてきた。銀髪を揺らめかせ不敵に微笑んでいる。
 私はその姿に戦慄し思わず後ずさった。老人がすぐそばでゲラゲラと笑い声をたてた。焦げ茶の帽子がずり落ちそうになるほどだ。

 「滑稽ですぜ。旦那ぁ」

 私は老人の言葉を無視して彼女に話しかけた。彼女の背丈は私の身長の大体半分ちょっとしかない。確かに滑稽な光景ではある。

 「ばっばかな、なぜお前がここに?!」

 「こやつに話しかけられてのぉ。強い輩と戦えると聞いて見にきたわけじゃ。ちと、早すぎたがのぉ」

 どうやら老人が強化後のルビネルの最終テストとしてつれてきたらしい。セレア・エアリス。液体金属の体をもつアルファ(金属生命体)である。私は以前、他者に乗っ取られたこいつに半殺しにされたのだ。それ以来ウェディングドレスを見ると身構えてしまう。


 「なるほど、なかなかいい感覚をしておるのぉ」

 「ああ。だがそれだけではない。約一ヶ月後、彼女に強化手術を行う」

 私はぶっきらぼうにそう答えた。

 「お主がか。意外じゃのお。そこで笑っている奴にでも脅されたか?」

 「そうです。俺が脅しやした。そうすりゃ旦那も言い訳できるでしょう?それに、あのお嬢さんの決意は本物だ。俺は惚れたんですよ、あの芯の強さにね?

 ルビネルはガーナに対して必死に拳や蹴りを放っている。先程のアドバイスが効いたのか、かなり正拳付きの精度が上がっている。
 ガーナがセレアに気づいた。が、特に何事もなかったかのようにルビネルの攻撃をいなした。セレアに関しては恐らく現ドレスタニア国王であるショコラから聞いていたのだろう。

 私は老人に対してため息をついた。

 「それでも成功率六割の上に、成功しても戦闘後に再手術しなければ寿命が一週間になるような殺人手術をやるのは気が引けるがな。ガーナと言い、お前と言い、彼女の意思と宿命を尊重するのはわかるがちょっとは情けを……」

 「敵にしろ味方にしろ情けをかけているようでは『やつ』に勝てんぞ?」

 私は目を見開いてエアリスを見つめた。ドレスについた埃をポンポンと払うとエアリスは続けた。

 「わらわもあやつの存在に気づいておる。あんまりにも強大な呪詛であったからのぉ。そこでどうしようか考えていたところ、そこのジジイを知ったのじゃ。お互いあやつを止める、という共通の目標のもと、わらわは同盟を結んだ」

 「ルビネルが負けたときの保険ですぜ」

 私は少しうつむきペストマスクを撫でる。一瞬、脳裏に血まみれになって地面に突っ伏すルビネルの像が浮かんだ。

 「ルビネルが負けたときセレアがあいつの相手をすると」

 セレアは幼すぎる顔にシワを寄せた。まるで機嫌を損ねた幼子のようだ。だが、その口から放たれる言葉にはしっかりとした重みがある。

 「いいや、わらわでは勝てぬ。精々できることはお主らが逃げるまでの時間稼ぎじゃ」

 かつて十数人の英雄と対決し、生き残った猛者の容赦ない一言だった。

 「おっと時間じゃ。また後日会おうぞ。恩人よ」

 そう言ってセレアは行ってしまった。思わず私は首を左右に振った。セレアが勝てない相手とはいったいどんな奴なんだ。邪神か何かだろうか。

 「全く……自由気ままなガキですねぇ」

 その数十秒後ショコラ王の笑い声が王宮に響き渡ったが私は耳を塞いでやり過ごした。


 決戦を一ヶ月後にそなえ、私たち三人でルビネルを徹底的に鍛え上げた。もともとルビネルに格闘に心得があったのもあり、みるみるうちにルビネルは上達していった。

 私は彼女のひたむきな姿勢を見て、ますます強化手術に対して反感を抱くようになった。しかし同時にルビネルの必死さにも心を打たれた。彼女は命を捨ててでも恋人を止めたいのだ。

 私にはもう、何が正しくて何が間違っているのかわからない。

 だれか教えてくれ……。



7



 「逃げ出すなら今だぞ?私は止めん。むしろ手助けする」
 「いいえ。私の思いは誰からなんと言われようが変わらないわ」

 解剖台に横たわる艶かしい肉体。鹿の足のように細く美しい足、引き締まった腹、豊満な胸、そして台の上に散らばる黒髪。

 それを見下ろしているのは、全身を濃い青色のビニール性手術着に身を包んだ私だ。ペストマスクも使い捨て用のものに着替えている。

 私の能力は『メスを使って切る、留める、縫合(回復)する』というものだ。つまり解剖をメス一本で行うことが出来る。メスで触れさえすれば恐ろしいほど精密に操作出来ため、化け物じみた手術も可能になる。

 今回の手術は全身に鬼遺伝子を移植すること。ただ、直接移植するには全身の細胞一つ一つにメスで直接触れなければならず非現実的だ。そこで私は鬼遺伝子ウィルスを開発した。全身の細胞に感染し、鬼遺伝子を埋め込んだあと、勝手に自己崩壊するウイルスだ。

 このウィルスをメスに仕込み、全臓器に埋め込むことで、最低限の時間と労力で、全身に鬼遺伝子を行き渡らせる。
 が、彼女の肉体を切り刻むという事実はかわらない。

 「さあ、ドクター早くはじめて。こうして寝てるだけでも、ちょっぴり怖いんだから」

 「だったら止めればいいじゃないか」


 もっともそんな選択は彼女に残されていない。彼女がもし、手術を耐え、『あの人』を止めれば、たくさんの人が犠牲から免れるはずだ。私的な恋人への思いと激情が、社会的な理由を得たことにより、さらに強固になった。もはや誰も彼女を止められはしない。


 「わかった。……その前によく体を見せてくれ。君の生の肉体を見ることが出来るのはこれが、最後だから」

 「いいわよ。好きなだけ見て頂戴」


 見れば見るほどもったいない肢体だった。穢れのない純粋無垢に見える、白い肌。それも、今日で最後だ。鬼遺伝子の副作用は外見にも反映されてしまう。

 本当になぜこの体を切り開かなければならないのか。

 どれだけの時間がたったかわからなかったが、とうとう私はみるべきものを全て見終えてしまった。


 「ありがとう。私は君のその美しい体を一生忘れない。そして、さようならルビネル」

 「ええ、失敗したらまた来世で会いましょう」


 私は注射器を取り出すと、ルビネルの腕の中央にあるか細い静脈に麻酔薬を注入した。彼女は目をつぶり、静かに寝息をたてはじめた。

 私は解剖用のメスを手に持つと、ゆっくりとルビネルの白い肌に突き刺した。

 ひとたび術式が始まれば、私の心は嫌がおうにも冷静になる。私はまるで決められた作業をこなすロボットのように、ルビネルの体を切り刻んでいった。


 この瞬間、人とは何なのであろうかといつも思う。体を切り開き、臓器の一つ一つをまじまじと見つめると、これが人の生命を維持しているとは到底思えない。
 卵豆腐を少し薄くしたものにシワをつけ、一ミリに満たない黒く細いホースを張り巡らした物体が、人の記憶や行動、俗に言われる心とやらですら管理しているらしいが、とてもそうは思わない。

 肉屋のモモ肉をもう少し濃くした握りこぶし大の物体にちょっぴりの黄色い脂肪と、植物の蔓のように血管が巻きついたものが、生命を司る心臓という臓器なのだと言われると酷くげんなりした気分になる。

 垂れ下った黄色いスポンジのようなぶよぶよした半円形の物体に触れるのが、男の夢らしい。何だか笑えてくる。

 理屈でわかっていても感情が拒否する。これがあの可愛らしい少女の中身だとは思えない。確かに整然と収納され、芸術的とも言える配列で、生命を維持している臓器たちは非常に精巧で美しいとは思うが、それとこれとは違う。

 ただ、これこそがルビネルの肉体であり生命であるという事実に変わりはない。これを絶やしてはいけない。

 ガーナ王に渡された『設計図』の情報を頼りに、私は黙々と作業を進めていった。

 手は震えない。指先の神経の一本一本に命令を出しているような気分だ。恐ろしいほど自分の腕が、指が、自由に動く。

 自分の出来ることを淡々と進めるのだ。あの鬼畜に言われたではないか。普段と同じように冷酷に冷徹に、やるべきことをやる。そうすればきっと……

 大粒の汗が額から垂れるのを感じる。体力には自信があるはずの自分の肉体が明らかに悲鳴をあげていた。さすがに休憩なしでぶっ続けで手術をするのは、いくらなんでも無茶だ。とはいえ鬼遺伝子ウィルスの進行具合を常に確認しなければならないため、休んでいる暇もない。制御に失敗したら水の泡だ。

 ルビネルは言った。『私が止めなければならない』と。彼女はそれだけのために自らの肉体を捨て、化け物と成り果てようとしている。私にそれを止める権利はない。私に出来るのは、彼女の意思を尊重し、彼女の思いに答え、確実に手術を成功させることだけだ。

 ひたすらメスを動かす。この一刀が彼女の未来を切り開くのだ、と自分に言い聞かせる。しかし、実際は彼女の肉体を傷つけ命を削っているに過ぎない。
 精神的にも肉体的にもあまりに辛い所業だった。どうすればこの苦痛から逃れられるのだろう。考えても答えは見つからない。今自分のしていることが正しいと信じて進むしかないのだ。

 ここが正念場だ。私の心が折れないうちに手術よ、終わってしまえ!

 数時間後、私は部屋の端で座り込みながら、心電図の波形を眺めていた。だんだんと弱まっていく電気信号に危機感を覚える。彼女に薬剤を注入しつつ、もしものために準備を急ぐ。だんだんと乱れる彼女の呼吸。流れ出る汗。各種検査を開始する。

 だが、その検査中に心電計がアラートを発した。私は心臓マッサージをしつつ、いくつかの薬剤を彼女の腕に注入した。焦燥感にかられ、発狂しそうになる自分をどうにか理性で押さえつける。

 病巣と思われる場所にメスを突き刺し引き抜いてから数分待つと、彼女は静かな呼吸を取り戻した。
 意識が飛びそうなのを必死にこらえながら彼女の様子を見守る。
 耐えろ……耐えてくれ、今が峠だ。ここを乗り越えればッ!

 そして、さらに数十分後、彼女がもぞりと動いたのを見て、慌てて駆け寄った。



 「おはよう、ルビネル。気分は?」


 私はベッドに横になっている彼女に声をかけた。ゆっくりと彼女は目を開ける。そして、自分の体がどうなったのか、ということを長い時間をかけて受け入れた。

 「……生まれ変わったみたい。とても自分のからだとは思えない。……随分と奇抜な模様ね」

 「呪詛によるの黒色の肌と鬼遺伝子の副作用である青い表皮が混じりあった結果だ。顔と手首足首だけはどうにか元の形を維持した。私のようにコートを着れば問題ないだろう」

 おめでとう、とは言えなかった。彼女の寿命は残り六日と十四時間だ。それに、いくら手術に成功しても、負けてしまっては意味がない。

 「そう……」

 疲れからか、安心からか、再び彼女は眠りについてしまった。顔だけ見れば以前と変わりない。それがせめてもの救いだろう。

 私は手術が終了したことを伝える緊急コールを行い、引き継ぎに来た凄腕のアルビダ医師に必要事項を伝えると、目の前が真っ暗になった。



8



 私のコートは鬼の怪力を前提に作られているため、重い変わりに収納スペースがやたらと多い。けむりだまをはじめとする数十種類の武器やサバイバル道具、一週間は持つ携帯食料を持ち歩くことが出来る。

 「黒いコート?」

 「これしかいい服が用意出来なかった」

 移動式のベッドから降り、服を着終えた彼女にコートを手渡す。数キロは軽くあるコートをいとも簡単に羽織ってしまった。

 「軽く作られているのね」

 「いいや。ルビネルの腕力が上がっただけだ」

 明らかに学生とは思えない風貌だ。黒いコートに黒いブーツ、そして手袋。肉体は藍色と黒を中途半端に混ぜ合わせて、その上から二つの色をスパッタリングしたような不気味な様相を呈している。
 もはやルビネルの種族であるアルビダではなく、呪詛の暴走を起こしたサターニアに近い。だが、鬼特有のしなやかな筋肉もあわせ持っている。

 治療用の煙がまだ残っている部屋を、私たちは後にした。

 「……お披露目といこうか」

 私はマスクの中で半ば癖になってきた、ため息をつく。

 私は今まで自分の意思で自分のやりたいように人を黄泉へと導いてきた。自殺を望み、生きることに苦しみを感じる人々の救済をしてきた。だが、今していることは単なる処刑だ。患者のあらゆる苦痛を取り除くのが私の仕事であって単なる殺人が仕事ではない。

 私は胸から発せられる悲鳴を押し殺して、ルビネルを先導した。病院から出て、老人に借りた黒いワイバーンに乗り、騎手に指示するとあっという間にドレスタニア城前に降り立った。
 門番が私たちを見るなり強ばった。黒コート二人というのは中々威圧感があるらしい。通行許可証を見せ、中へと進んでいく。
 場内に入る直前で焦げ茶のスーツに身を包んだ老人が姿を現した。

 「どうやら、成功したようですねぇ、旦那」

 「ああ」

 老人はルビネルの顔をまじまじと見つめる。老人の眼光だと恐ろしいことこの上ないが。

 「予想以上に上手に仕上げられたようで」

 「彼が頑張ってくれたお陰よ?」

 ルビネルはにこりと笑い老人に答えた。なぜだ……なぜあんなにルビネルは落ち着いているんだ?たとえ戦いに勝って戻ってきたとしても、もはや普通の生活は送れないんだぞ?

 老人は帽子を深々とかぶり直した。肩が時おり震えているように見えるのは気のせいだろうか。
 老人にガーナ王の部屋の前まで案内された。私はおもむろにドアノブを捻る。

 部屋には車イスに座っているにも関わらず、すさまじい威厳を放つ男がいた。鋭すぎる眼をルビネルに向ける。

 「手術は……成功したのか?」

 「はい」

 ルビネルは深々と頭を下げる。ガーナ王はその一言を聞くと、威圧感を緩めた。

 「そうか、まずはひと安心だな」

 「お前のお陰だよ」

 チッと大人げなく舌打ちをしたのを見て、ガーナ王は僅かに口をつり上げた。仕方のない奴め、とでも言いたげな顔だ。

 「決戦まであと三日を切りやした。早いところ準備を進めましょう」

 心なしか老人の声が上ずっているのも気のせいだろうか。
 ガーナ王が私をぎろりと睨んだ。あまりの眼力に少し後ずさりしてしまった。

 「念のため期限を確認しておくが、ルビネルの命はあと何日だ?」

 「今日の午前手術が終了したから、あと六日ちょっとだ」

 期限を聞かれると、もともと憂鬱な気分だったのがさらに落ち込む。微かな達成感もこの一言で容赦なく消え去る。私がしているのは真性の殺人行為だと改めて認識させられるのだ。
 老人がうんうん、と頷いて前に出てきた。

 「予定通りですねぇ。体ならしに丁度いい場所がありやす。ついてきてくだせぇ」

 私たちは老人につれられ、外に止めてあった黒いワイバーンの群れに案内された。いつの間にか数が増えており、私たちの人数分に加えて、さらにボディーガードらしき人が乗った護衛用のものまで用意されていた。
 私たちは騎手に気を使いつつワイバーンに乗り、海を越えてベリエラ半島へ向かうべく出発した。



 ドレスタニア国を出るか否かの地点で、海を背景に銀色に光る何かが私たちに近づいてきた。

 「うおぉぉぉい!わらわを忘れておるぞぉぉぉ!」

 ドレス姿の少女が文字通り飛んできた。背中についている三角形の飛行ユニットが火を吹いている。

 「お前はショコラと遊んでいるんじゃなかったのか?」

 あんまりにも楽しそうに遊んでいるから、こっちなりに気を使ったつもりだったんだがな。いらん気遣いだったようだ。
 ワイバーンに平然と追い付いたセレアはニカリと笑うと大声で答えた。

 「ショコラは今エリーゼが探しておる。それまでの間の暇潰しじゃよ。さて、ルビネル。お主の実力はどの程度じゃ?わらわがサンドバックになってやろうぞ」

 ルビネルがワイバーンから身を乗り出した。騎手が警告するが、それを無視して内ポケットからアトマイザーを取り出すと、中身を射出した。

 「いいわ。今ここで相手をしてあげる」

 海が島を飲み込むかのように、ドレスタニアが地平線に消えていく。それに対してベリエラ半島が前に見えてくる。海上で戦うつもりか?

 ルビネルは一気にワイバーンから飛び上がった。そのまま空中を歩くかのように、エアリスに前進していく。

 今までなら精々空を飛べるとしても、滑空が限界だったはずだ。ボールペンの方が体重に負けて折れてしまうからだ。
 ルビネルの能力も強化されている。恐らく、ボールペンを単に動かすだけでなく強度をあげる能力も手に入れたのだ。
 数メートル離れて向かい合う二人。

 私たち一行はワイバーンを制止し、この派手なゲームを見守ることを選んだ。
 


9




 私と老人そしてガーナはそれぞれワイバーンにまたがり、固唾を飲んで向かい合う二人を見守っている。

 全員の視線の先には二人の少女。片や黒髪に黒コート。片や銀髪に白いワンピースに、リュックサック型の飛行ユニットが目をひく。

 老人はカルマポリス呪詛式通信機を取り出した。私たちもそれに倣う。老人のつれてきた部下たちによって、二人の様子が脳内に直接送られてきた。視界内の物体を正確に追える妖怪と、その妖怪の視界を周囲の人間に共有する精霊の加護だ。

 「二人とも、出来れば俺たちの視界の範囲で戦って下せぇ」

 二人は頷くとそれぞれ臨戦態勢に入る。セレアの右腕が銀色の液体と化し、全く別の形に変形していく。最終的にセレアの右腕はガトリングガンに変形した。銃口から無数の弾丸が射出される。
 実は、セレアの体は液体金属で出来ている。全身のうち三ヶ所を自在に変形出来るのだ。今のところ判明している変形出来る部位は、肩から先と太ももから先、そして背中だ。
 ばらまかれる銃弾に対して、ルビネルは縦横無尽に空中を動き回り避け続ける。追撃に撃たれた二発のミサイルもペンで易々と迎撃した。

 「手術前に比べて動きが明らかに良くなっている。動体視力や判断力もかなり上がっているようだ。しかも肉体が鬼と化しているお陰で呪詛も無理がきくらしいな」

 冷静に分析するガーナの声が無線機から聞こえた。

 ルビネルはさらにエアリスに接近すると、ボールペンを乱射する。セレアは避けようとするも、ボールペンの追尾能力が高くなかなかふりきれない。

 「ほぉ、少しはやるようじゃの?」

 セレアの背中の飛行ユニットが瞬時に巨大化した。セレアを優々と隠す程の大きさだ。三角形の飛行ユニットは、足元にバーナーを装着した黒い凧のように見える。

 「あれは何ですかい?」

 「セレアが高速飛行するときの形態だ。速度は速いが減速しにくいのと、曲がりにくいのが欠点だ。また、高速飛行中にダメージを受けると停止せざるを得ないという弱点もある。液体ではあるが金属だ。過冷却されると凍ってしまう」

 ふむ、というガーナ王の声が割り込んできた。

 「随分と詳しいのだな」

 「半殺しにされたから研究した。本人と一緒にな」

 セレアは体をのびーっとして、日向で横になっている猫のような姿勢になった。万歳をして顔を上に向けている。飛行ユニットが猛烈な業火を吹き出したかと思うと、セレアは私の視界から消えた。いつのまにか、飛行するルビネルの後ろをとり、ガトリングガンを連射している。
 ルビネルはジェットコースターが如くシャトルループを決めてセレアの背後を取りに行く。負けじとセレアもルビネルの背後を狙い続け、両者きりもみしながら空中を高速移動する。だんだんとセレアとルビネルの距離が縮まり、ルビネルが追い詰められていく。

 「まるで鳥獣の戦いですぜ。人型の妖怪がする戦い方じゃねぇ」

 「ペンだけでよくぞここまで出来るものだ」

 「片手だけしか使ってないな……。セレアは背中の飛行ユニット含め、全身のうち三部位を変形出来るはずだ」
 
 とうとうセレアとルビネル、追うものと追われるものの関係が逆転した。急旋回でセレアの背後をとったルビネルは、無防備なセレアの背中にボールペンを投げ込んだ。
 セレアは飛行形態を解くと、ガトリングガンを剣に変え、ボールペンを叩き落とす。
 呪詛により、強度が増したボールペンは簡単には壊れない。弾かれたボールペンは完全に破壊されるまで、まるで磁石に引きつく金属のようにセレアに食らいついていく。

 「右腕だけでペンの嵐を防ぐとは」

 ガーナ王の言葉に私は頷く。実際にはガーナは他のワイバーンに乗っているので、彼から私は見えていないが。

 「当然だ。セレアは片腕だけでソラやライスランドの先生、クライド、バトーの二刀流……他にも様々な達人たちとわたり合っている」

 ボールペンだけでは埒があかないと考えたのか、とうとうルビネル本体がセレアに突撃した。セレアの頭上から回転しながら強烈な裏拳を叩き込む。
 さすがのセレアも左手を使わざるを得なかった。肘を曲げて、ルビネルの裏拳を受け流した。ルビネルは攻撃の手を緩めず、受け流された反動を利用して、後ろ蹴り、回し蹴り、横蹴り、と流れるようにラッシュをかける。
 必殺の一撃はコンクリートすら砕くとされる鬼の筋力。そして、それをマッスルスーツのように補助する全身に隠されたペン。
 蹴る瞬間には足に仕込んだペンを操作し、蹴る向きに動かすことで攻撃の速度を加速させている。運動量は速さの二乗に比例するから、加速による影響は手数だけでなく、打撃の威力にも貢献している。クォルの大剣を受け止めるセレアの剣でも防ぐのは容易ではないはずだ。

 「鬼の再生能力で呪詛の肉体への負担を無視出来るし、逆にペンを操る呪詛で打撃を強化できる。予定通りですぜ」

 異なる二種族の力を同時に、それも高出力で、扱えるものなどこの世には殆ど存在しない。単純な戦闘力だけで言えば、かなり上位の存在になったはずだ。もっとも、その代償が大きすぎて釣り合っていないが。

 「セレアの方もルビネルの動きを読み、力を受け流し最低限の労力で攻撃を防いでいるな。お前の戦況報告によれば、セレアは回復力にものを言わせて防御などせずに相手を叩きのめすとのことだったが……」

 「数々の強敵と戦ったことで学習している。前と動きが同じなわけがない」


 じりじりとセレアが押されていく。両手をフル活用してボールペンと拳を受けつつ、剣撃をくりだしているようだが、このラッシュはセレアにも厳しいらしい。前半とは売ってかわってルビネルのペースだ。

 「ふむ。打撃の強さは鬼の中でもトップクラス。じゃが付け焼き刃の格闘技術に加えて、近接戦闘そのものの経験が浅いから生身で言えば、ソラや紫電といったプロには一歩及ばない。呪詛は汎用性が高い上にそれなりに強力じゃが、EATERやハサマといった規格外の強さではない。二種族の力を合わせて、ようやく強者に勝てるか程度の実力じゃ」

 不穏な通信が入った後、セレアは両腕を採掘機についているドリルのような形に変形させ、ダメージ覚悟で突進した。なんとか避けたものの、突然の出来事にルビネルは一瞬無防備になった。その隙をつき、セレアは腕をさらにヒモのように変形させルビネルの体に巻き付ける。

 そのまま、高速飛行しつつ前方から後方に向けて暴風の呪詛を発動。向かい風にルビネルを叩きつける。かまいたちがルビネルの背中を切り裂いていく。
 そして止めと言わんばかりに、スクリュードライバーの流れに持ち込んだ。海面にルビネルが打ち付けられる。あの早さでは地面に叩きつけられるのと同じだ。普通の妖怪ならまず生きてはいないだろうが……


 「……お主はよく頑張った。武芸者でもない、一般人であるお主が短期間で人としての限界を越えた。素晴らしいと思う。じゃがな、もうわかったじゃろう?お主がこの期間でいくら努力しようと一線を越えることは出来んのじゃ。あと二年、恵まれた師に従事すればよかったものを……」




 「本当にそうかしら?」




 海から水柱が建った。その頂上から人影が一直線にセレアヘ向かっていく。

 ルビネルは拳を腰まで引いている。ためをつくり、必殺の一撃をセレアヘ食らわせるつもりだ。
 突如として浮上したルビネルにセレアは少し驚いている様子だ。両腕を交差して防御の構えに移る。
 
 ルビネルの拳はセレアのガードに阻まれてしまった。

 「おしかったのぉ、ルビネル」

 「いいえ?」

 ルビネルの拳がセレアのガードをぶち抜き胸部を打った。その瞬間、無数のペンがセレアに突き刺さる。
 腕を失いガードの出来ないセレアに対して、拳とペンの連打が襲いかかる。セレアの肉体がボロ雑巾のようにほつれて、原形を失っていく。

 「及第点……じゃな」

 ルビネルがラッシュを止めたときには、セレアは宙に浮かぶ銀色の水滴と化していた。


 「ほう、あれをくらってまだ戦えるんですかい?」

 老人の疑問にガーナ王の丁寧な解説が付け加えられた。

 「鬼に伝わる技術であるパンプアップだ。全身の筋肉に血流を送り込むことで、一時的に筋肉を膨大させる技術。それによって衝撃への耐性が増加する。さらに背中に仕込んだペンを操作することで、海面に直撃する寸前で速度を弱めた上、受け身をとった。咄嗟にしてはなかなかの判断力だ」

 ガーナ王の言葉に少しだけ安心した気がした。これなら、ルビネルは敵を倒して帰って来るかもしれない。

 「相変わらずえげつない汎用性ですね。ボールペンの呪詛。まあ、セレアがどっからどう見ても本気を出していなかったのが気になりやすが、まあいいでしょう。俺は自信をもって彼女を推しますぜ」

 老人も満足げに笑った。彼らの様子を見て、私はようやく覚悟を決めた。

 「ルビネル、今の気分はどうだ?」

 「……落ち着いてる。全ての感覚が研ぎ清まされて、全身が闘いに対して、適応しているような気がする。初めての感覚だわ。もう、体の動かしかたや特性も理解した。次はこんな無様な闘い方はしない」

 「そうか……。お前たちがそう言うのなら……私も腹をくくってルビネルを送り出すことにしよう」



10





 「ここが、その場所か。ずいぶんとまた美しい場所だ。キスビット国にこんな場所があるとは」

 ガーナの言葉に偽りはない。辺り一面空色の花に覆われている。所々白い花の円があり、同じく白色の蝶が舞っている。

 「どちらが空だか見分けがつかんな」

 私はペストマスクを上に動かし、快晴の空を見上げた。

 「門出としちゃ粋な計らいですぜ。もっとも、見送りがセレアを除いてゴツい輩ばかりですが」

 老人が焦げ茶の帽子に手をかけてニヤリと口をつり上げる。

 「もし不快だったらわらわが『かっ飛ばす』からな」

 笑顔で物騒なことを言う、あの修業のあと数分で完全復活したセレア。年寄り三人組は、ハハハと言いつつそれぞれ獲物に手をかける。私含め、ばりばりの警戒心を微塵も表情に見せない辺り、化け物揃いの面子である。
 私と同じく、黒い髪とコートをはためかせながら本日の主役が微笑む。

 「フフフッ!ありがとう。肩の力が抜けたわ」

 清々しいほどの笑顔だった。おめかしして大好きな女友達と出かける的な雰囲気だ。やけに落ち着いているのは修業の賜物だろう。
 たった一ヶ月とはいえ、闇の世界でトップクラスの実力者であるガーナ王と老人の元で修業し、よく動くサンドバックこと私を毎日ボコボコにしていたのだ。冷静沈着を地で行く二人に教え込まれたお陰で、身体能力だけではなく冷静さに加え推理力や観察力、判断力も洗礼されている。
 私は知っている。図書館に引きこもって必死に知識を蓄えるルビネルを。老人とガーナ王の教えを素直に受け入れ、それを実践しようと一日に数千回技をかけ、研きあげていたルビネルを。血ヘドをはきながらも何度でも立ち上がり私に立ち向かっていくルビネルを。そして、最後には私を打ち倒して、満足げな顔で私を見下ろしたルビネルを。
 ルビネルの中にはどんなことがあろうとも対応出来るだけの基盤はもうすでに築かれている。だからこそ、ルビネルは死地へ向かうという異状であり得ない状況でも普段通りなのだ。
 たとえ、寿命四日でも……。

 「そろそろ予言の時間ですぜ」

 白い花の円のうちひとつが発光し始めた。光はやがて、扉のような形に姿を変えた。周囲の気流が変化し、まるで換気扇に煙が引き込まれるかのように、光に向けて空気が流れていく。恐らく別空間に通じる穴のようなものだろう、と私たちは推測した。

 「どうやら、あれが占い師の言う『腕』らしいな」

 敵の能力に唯一対向することの出来るルビネルが先陣をきり、その後老人・ガーナと続き後方をセレアにカバーしてもらう。陣形を組み、『腕』に飛び込むチェックを済ます。
 よくよく考えると頼りになることこの上のないメンバーだ。生粋の策士であり、どんなことがあろうとも決して油断なく隙なく勝利を狙っていく老人。冷徹非情でとても頭が切れる上、一度放つと千日は燃え続ける業火━━レヴァテインという秘技を持つガーナ王。戦闘能力はもとより、再生能力を持ち何度粉砕されようと甦るセレア。そして、鬼の怪力と再生能力、妖怪の呪詛という本来なら不可能な組み合わせの力を持つルビネル。

 「ここで足踏みしていても仕方ない。行くぞ!」

 ガーナ王が私たちを鼓舞するために叫んだ。

 「さようなら、解剖鬼さん」

 ルビネルはゆっくりと光の扉に入って行く。光に包まれた後ろ姿は神々しく、彼女がまるで女神か何かのように錯覚する。消え去る直前で振り向き、笑顔で私たちのことを見つめつつ向かっていった。

 最後の最後に名前を呼ぶとは……泣かせてくれる。

 私は……ここで帰りを待つ役だ。出口を確保しておくために最低一人は信頼できる誰かを残しておく必要がある。私は居残りを買って出た。もうすでに戦いの次元は私の実力を遥かに越えており足手まといになるからだ。小説や漫画ではよく『かませキャラ』というものがいるがまさにそれだろうな、と自嘲する。

 私が居残り役に手を挙げたとき、唯一哀しげな顔をしてくれたな。

 「帰りを待っているぞ、ルビネル」

 彼女の背中に私は手を振る。

 私は今までルビネルの主治医をしてきた。風邪があれば薬を処方したし、健康の相談があればのってあげた。ただ、それは決して彼女を戦地へ送り出すためのものではない。ルビネルの拳で誰かを傷つけさせるために行ったのでもない。彼女の健やかな成長と、希望に満ちた人生のために私が出来る最大限の手伝いだった。
 ここまで来て、まだ私の心は揺れていた。後悔、その二文字が私の頭を支配して離れない。

 ……と、悲嘆にくれている私を三人の声がたちきった。

 「なっ!そりゃあないですぜ!」

 「これは、どうなっている?」

 「扉がきえたじゃとぉ!」

 開いた口がふさがらなかった。ルビネルがくぐった際に扉が消滅していたのだ。

 「まずいな。ルビネルにつけた呪詛式発信器も沈黙している。転送の術を使える者は?」

 ガーナ王が老人に言った。

 「ダメです。さっきから試しているんですが、術の痕跡を探しても何もねぇ」

 「ちょっ……ちょっと待てぇ!じゃあルビネルは単独で『奴』と戦うのか!?っていうかどうやって戻るんじゃあ?!」

 ガーナが苦虫を噛み潰したような表情をしている。そんな様子を見かねて私は口を開いた。

 「待とう。当初の予定通り、私がここでルビネルを待つ。ガーナと老人は出来ることをしてくれ。短期間とはいえ、私たちで育て上げ自信をもって送り出せると太鼓判を押したような奴だ。必ず帰ってくる。それに、私たちが信じなければ誰が彼女の力を信じてあげれるんだ」

 「そうですぜ。悲観する前に出来ることをしておきましょう。俺はとりあえず部下たちに指示を出してきやす」

 老人が顔をあげて部下の元へと歩いていく。

 「そうだな。人の力というのは侮れん。それに、他者と協力していたとはいえ、私でも不死者に一太刀浴びせることができたのだ。彼女に出来ないはずがない。それにこのゲートは一方通行ではあるが、ルビネル側にこの場所に戻るための扉がある。その証拠に、門のあった場所からわずかばかりに気流が流れ出ている」

 含み笑いを浮かべつつガーナも老人と共にこの場を立ち去る。
 ドレスタニア図書館にこの現象についての記述があったのだ。そして何より、ガーナはルビネルのことを信じている。

 「わらわは……どうすればいい?子供だからこういうとき何をすればいいのかわからん」

 「好きにすればいい。気をまぎらわしてもいいし、ガーナ王や老人に協力してもいい」

 「そなたは?」

 「待ち続ける」

 「そうか。お主が待つなら、わらわは迎えにいくととしよう」

 セレアが空の彼方へ消えていった。ダメ元で世界中を探索するらしい。
 一応、一週間程度の備蓄は用意してある。信じて待つしかない。
 信じていれば奇跡はきっと起こるはずだ。
 ほぼ丸腰でノア教本堂から逃げ出すときも、犯罪者は生きては出られぬとされるチュリグで逃亡していたときも、蛾の化け物に丸のみされたあげく意味不明な奴にとりつかれた時も、遥かに格上であるエアリスが群れをなして襲いかかってきた時も、私は常に自分を、そして仲間を信じてきた。そして、何度死にかけようともありとあらゆる手段を用いて生き残ってきた。
 私はいかなる状況でも『必ず生き残る』と信じ続け、常に最大限の努力をしてきたからだ。生を諦めるなどという言葉は私には存在しない。

 その執念を叩き込んだ彼女もまた、地を這いずり回ってでも生きて帰ってくるはずだ。

 私は花畑を見渡した。空色と白色の花。
 そうだ、帰ってきたら花飾りでもプレゼントしよう。私のアンダーグラウンドなら、植物を傷つけることなく花を摘むことが出来るはずだ。
 私が花で作られたリングを手に持つ姿をみたら、ルビネルはどんな反応をするのだろうか。あまりのギャップに、あの笑顔をもう一度見せてくれるに違いない。


 「頼んだぞ、ルビネル」




 私は花畑で座り込み、ただひたすら祈っていた。




 日が沈み、日が登り、そしてまた日が沈んだ。蝶がとまったり、イモリがコートの上を這いずり回ったりしたが、全てほっといた。手に花の冠を持ったまま、私は一切動かなかった。一日に数十分ほど風呂に入る時間を除き、私はずっとルビネルを待ち続けた。

 老人になんと言われようと、目の前でセレアが泣きじゃくろうと、ガーナ王が悲壮めいた目で私を見つめようとも、動かなかった。

 私は花の冠のかわりに握られた、紅色の手帳をボーッと見つめながら、何日も何日も待ち続けた。

 そして、一ヶ月が過ぎたころ……私は全てを理解し、立ち上がった。

 私は何度となく見直したページをもう一度開く。








『私は晴れ晴れとした気持ちです。まるで、一点の曇りもない晴天がどこ待ても続くよう。

私が帰らないことをどうか、赦してください。

ことをなし得なければ、愛する人の手によって、さらに多くの人がこの世を去ってしまいます。だから私は行くのです。

遺品は全て売ってお金にして父と母に渡して下さい。この先十年も二十年も親を悲しませるのは辛いですから。

書くことはまだまだありますが、思い付くことは感謝の言葉だけ。父、母、従姉、私を支えてくれた友達や先生、最後までついてくれた仲間。

私がみんなからもらったものに対して、月並みの感謝の言葉では到底言い表せないけれど━━ただ、ただ『ありがとう』。一言に尽きます。


ありがとう


ありがとう』




 ルビネルの動脈血と脊髄液に心筋細胞が混じりあった液体。それが大量に付着し、固まった手帳を閉じた。

 いつものことじゃないか。人は唐突に死ぬ。事故で病で自殺で。そして私は幾度となく自殺志願者を安楽死させてきた。
 だが、何故だろうか。何でここまで胸が痛むのだろう。胸が引き裂け正気を失いそうだった。

 気がついた時にはすでに、全身を震わせながら泣き叫んでいた。声帯が破壊され、喉から血を吹き出した。濁り拳からは血が滲み、手袋のなかに血だまりが出来る。

 私は愚か者だった。逆らおうと思えばいくらでも逆らえたはずだ。彼女の思いを踏みにじり、全員から恨みや憎しみを買おうとも彼女を止めるべきだった。
 私が彼女を冥界へと手引きしてしまったのだ。

 後悔先に立たずというが……頭で理解しようが納得できん。とりあえず、動くんだ。

 彼女の遺してくれたこのメモ帳には、奴の特徴や弱点が詳細に記述されている。ルビネルが私たちに進むべき道を示してくれたのだ。ルビネルの、誕生日後の自己犠牲を無駄にしてはいけない。

 空色の花畑が目に焼き付いている。目を閉じてもあの花畑の幻影が浮かぶ

 紅色に花畑の空色が混ざりあい、混沌とした色調を呈するメモ帳を懐にしまい、私は一歩踏み出した。



11





 大型の蒸気船に乗って、ペンを収納出来るホルスターつきガーターベルトを装着してキスビットへ発ったのがつい最近のことのように思える。

 総勢20人で、しかもそのうち半分以上が世界有数の実力者というメンバーで私たちはビット神と戦い、そして敗北寸前にまで追い詰められてしまった。けれどもとある一人の仲間によって形勢が逆転し、勝利した。
 それが以前キスビットを訪れた時の冒険だった。

 そして今、私は再びキスビットの大地に降り立っている。

 私に『あの子』が遺してくれた最後のプレゼント。『奴』の呪詛が詰まった数本の髪の毛。そのお陰で私は『奴』に対して耐性を得ることが出来た。


 そして、その髪の毛に導かれるように私は……

 時を越え、

 場所を越え、

 命を捨てて力の差を埋め、ここまでやって来た。



 奇妙な場所だった。
 目の前に広がるのはカルマポリスのような高層ビル郡から突然人が消え去り、そのまま放置されたような廃都市だった。打ち付けるかのような激しい雨が降っているが、その雨粒は淡い乳白色に発光している。空をおおう雲は薄く空を覆い、裂け目から眩い光の柱を放っていた。
 アスファルトには亀裂が入っており、ところどころに灰色の花が覗かせていた。つりがね型の三枚の花弁が雨水に打たれて揺れている。

 あまりに現実場馴れした光景に、私は何をしに来たのか忘れそうになった。

 思い出したかのように、コートの下に潜り込ませたメモ帳に記録をつけ始める。

 私に加えて、老人にガーナ王とセレアちゃん。この四人で『奴』を倒すために、居場所へと通じる光の扉を潜ったはずだった。
 でも、扉は私が潜った直後、振り向くともうすでに閉じていた。仲間はこちらにこれなかった。私一人で『あの子』を相手にしなければならない。
 
 大丈夫、愛と執念だけでここまで来たんだもの。

 私の黒髪に、コートに、ブーツに水が滴る。
 四斜線ある道路の中央を進んでいる。重々しく歩くごとに、水を踏むグシャリという音が雨音に混じった。
 
 どこを見渡しても人どころか生物らしきものが存在しない。植物もネズミ色の花ばかりで他には見当たらない。

 灰色と乳白色が混ざりあう景色のなか、唯一『黒い物』があった。それは髪の毛だった。すべての色を飲み込み、まがまがしく変わってしまった黒い髪の毛。

 私が手にした数本の髪の毛と同じ髪だった。

 髪の毛の持ち主は私を待っていたかのように、じっとこちらを見据えている。不気味な髪の毛とアルビダ由来の白すぎるに対して、簡素で一般的なキスビット産の衣類を身にまとっている。
 そして、衣類から除かせる手足も全てを飲み込むような漆黒に染まっていた。
 彼女の周囲だけ雨が降っていない。その上空は切り取られたかのように空が見え、光が差し、彼女の輪郭を金色に照らしている。
 私の恋い焦がれた存在がそこにいた。


 「わざわざ来てあげたわよ?」

 「ようこそ、ビットの世界へ。お前は……はて……誰だったか」

 「わすれたの?ルビネルよ」

 聞いたら誰もがいとおしくなるような少女の声でビットが答えた。
 私は久しぶりに聞いた親友の声に涙しそうになるも、なんとかこらえる。それと同時に、『誰だ』と言われて胸に刺さるような悲しさを感じた。


 「そうか……、ルビネルか。虫けらの名前などいちいち覚えてはおれぬ」


 私の記憶が正しければビットはまともな言葉が話せなかったはずだ。恐らく依り代が変わったことによりその思考レベルまで変化したのだろう、と私は推測した。

 あと、敵はどうやら高度なコミュニケーションの魔法を使えるようだ。脳内に奴の声が重複して聞こえる。瞬時に相手に言いたいことが伝えられる魔法らしい。戦闘中でも容易に会話が出来そうだった。これを利用した駆け引きも出来そうだった。
 

 「よぉーやくまともに話せるようになったのね。あなたの目的は何?」


 私はニヤリと嘲笑を浮かべるとビットに向かって言い放った。
 ビット神は無表情のまま口だけを動かして答える。


 「風にのり世界に解き放たれた私の分身たるキスビットの土壌は、世界各地で憎悪を呼び動乱を巻き起こす」


 ビットが空に黒色の染まった手をかざし、何かを掴むような動作をした。すると、空に存在する雲がビット神を中心として渦を巻き始めた。強烈な風圧がビット神から放たれる。
 風によって雨が横殴りになり、私の頬をぶつ。コートが激しくはためいたが、私は不動を貫いた。
 やがて、私のいる場所から数十キロメートルの地点をビットの土壌を含んだ嵐が、波紋のように広がっていく。そしてとうとう、空間の壁を突き破り私のすむ世界へと解き放たれた。


 「私はアウレイスの力により怪我や負の感情を吸収できる。神の力の象徴たる神聖なる土壌から民衆の負の力を吸収し、この世に再び降り立つ」


 ドレスタニアの海上にいた紫電は突然の砂嵐に、船員を船室に待避させた。

 同じくドレスタニアのメリッサは雲行きか怪しくなってきたので、嵐がくるまえにと洗濯物をしまいはじめた。

 ライスランドに砂嵐が来たがカウンチュドには特に関係なかった。

 チュリグにも砂嵐が舞い上がったが、ハサマ王の力により相殺された。

 リーフリィでは精霊たちが砂嵐の対応に追われていた。

 アンティノメルでは謎の砂嵐をいち早く察知し、土壌の成分の分析を急ぎつつ、世界各国に伝令を送っていた。

 メユネッズにも砂嵐が近づき、ダンは不吉な予感を感じ、空を仰ぎ見た。

 そしてキスビットでは事前に計画を知っていたエウス村長が、最悪の事態を予想して会議を開いた。



 憎しみを誘発する砂が世界へとばらまかれていく。今は少量でも降り積もり堆積すれば、それは立派な土壌となる。

 「一つ問題があるとすれば、ビットの土壌が全国の土を食い尽くすまで数日かかってしまうことだが……お前さえいなくなれば何の問題もない」

 「そんなこと、私がさせると思う?」



 二人の拳が交差した。私は正拳を突きつけると、ビットはそれを前腕で被せるようにして衝撃を逃がしつつ掴み反対の腕で顔面を狙う。私はボールペンを利用してあり得ないほど上体を後ろに倒しつつ、蹴りをビットに向けて放つ。ビットは仕方なく私の手を放すと、下段払いで足を弾いた。
 二人動く度に、私たちの黒髪が激しく宙をまい踊る。

 激しい打ち合いの中、一撃一撃ごとに空気が震えて鋭い音が響く。頬や頭上をかすめるギリギリの最低限の動作で攻撃をかわし、自分の体重を乗せ最大限の反撃をする。
 ガーナさんから学んだ格闘技術がここで生きた。ビット神の攻撃における『力の流れ』を読み、僅かな力をそこに加えることで暴発させる。あらぬ方向に拳は、蹴りは飛んでいき最低限の力で攻撃をさばくことができる。呪詛とか超能力ではなく純粋な格闘技術だ。

 「私と対峙して笑えるとは、なかなかの実力者か、そうでなくては只のうつけか」

 「そのどちらでもないわ」

 拳や足に触れた雨の滴は霧散した。私たちの間には蒸気が立ち上ぼり、その戦いの激しさを物語っている。
 ついに、ビットの一撃が雨水滴る私の懐に届いた。腹から腹膜、腸を通り抜け背中へと衝撃が伝わる。雨水に自分の形の残像を残しながら、私は数十メートルも吹き飛んだ。コンクリートの地面が摩擦により熱をおび、焼き焦げて黒い痕ができた。

 「ウ…………ッ!」

 「考えてもみろ。私は千年間準備したのだ。準備に千年だ。たかが二十年と数日生きたお前が勝てるはずもない」

 「『人の力を甘くみないこと』ね」

 「確かに、お前が来るのがあと少しでも遅ければ予告もなしに世界は私の手に落ちていたが……。お前の言葉を理解した。甘く見ずに全力をもって叩きのめす」

 突然、脳内にまるで現実の等身大コピーのような光景が写真のように描き出される。今の自分の見ているものと同じ場所が描き出されているが、何かが違う。強烈な違和感の正体は、視界の端に写っているルビネル━━つまり私自身と、手を交差するビットだった。

 「『未来は定められた』」

 「……どういうこと?」


 現実のビット神は私を無視して呟くと、脳に描き出された『幻影のルビネル』へ一目散に向かった。手刀を突きだし幻影の首を狙う。本能的に危機を感じた私はボールペンを投げた。ビットの手がボールペンによって逸れて、私の首をカスるだけですんだ。

 その瞬間幻影は消え去り、ビットは思い出したかのように現実の私に向かってきた。

 「何をしているの? 私はこっちよ?」

 「お前に意味がわかることはない。それにしても…_、随分とお前は運がいいようだ」


 二人が磁石に引き付けられるかのように激突する。お互いの頬に拳が激突した。私の視界に地面と空が繰り返し写りこむ。自分が回転しながらぶっ飛ぶというのは想像以上に目が回るな、と私は思った。
 体勢を立て直した二人は空中で再び打ち合う。今度は私がビットの隙をつき、足払いを決め、続けて裏拳を叩き込んだ。

 追撃を試みた時だった。偶然、先程頭のなかに浮かんだ『幻影のルビネルとビット』の位置が重なった。それと同時に私は首元に違和感を感じた。
 だが、私は気にせず、ビットに向かって十数本のボールペンをぶん投げた。戦闘用に改良された程よい重量を持ったボールペンは容赦なくビットの体をぶっ飛ばし、ビルの壁に叩きつけた。壁に雲の巣状にヒビが入る。私は止めと言わんばかりに、空中で助走をつけてからビットの顔面に正拳を食らわす。
 壁を何枚も突き破りながらビットは吹っ飛んだ。

 隙が出来たので、自分の首に手を当てて何が起きたのかを確認する。かすり傷が出来ていた。そして、その意味がわかったときにぞっとした。
 
 ビットが幻影の中の私に手刀をかすらせた位置と同じだったのだ。

 もっと言えば、あれは脳内に描き出された幻影なんかではなかった。あれは恐らく……



12



 豪雨が建物の外をに強烈に打ち付ける。ガシャガシャと窓がゆれ、暴風の強さを物語っている。外は昼間であるにも関わらず薄暗い。
 エウス村長は木製の長机に組んだ腕を乗せ、それを見つめるような形で椅子に座っていた。
 ガーナ王は背筋を正し、悠々と座っているが表情は固い。
 老人は部屋の壁に寄りかかり、鋭い視線を部屋中に向けている。
 セレアは優れた飛行能力を生かし、あえて椅子のない場所で空気椅子をして突っ込みを待っているが、誰も気づいてくれない。
 みな一様に表情が暗く、思い沈黙が部屋を包んでいた。
 そんな雰囲気の中、ガーナ王が口を開いた。


 「状況を整理しよう。現在、カルマポリス国、我が国ドレスタニア、そしてここキスビット国には巨大な台風が発生。さらに、キスビットを中心に大型の砂嵐が全世界に向けて吹いている」


 ガーナの目配せに老人がうなずいて話を引き継ぐ。


 「今吹いている砂嵐の砂は通常の砂と違って、水に触れると乳白色に発光しやす。先程、これは邪神ビットの呪詛による影響だと判明しました。台風による豪雨も乳白色に発光していることから、これらは全てビットの能力によるものと考えられますぜ」


 老人の言葉にエウス村長がピクリと反応した。老人は一旦話をきり、エウス村長を見つめる。
 村長の口より発せられた声にいつものような覇気はなかった。


 「これが全世界に降り積もれば、以前のキスビットと同じく、世界は負の感情にとらわれ、差別や戦争が横行する暗黒の時代へと向かうだろう。交流のあったチュリグやアンティノメルにも救援を要請しているが、自国を守るのに精一杯で支援を受けるのは難しそうだ」


 エウス村長が顔をあげて目をつむった。脳裏に浮かぶのは以前の戦い。迫り来る邪神ビット、正体不明の攻撃、次々と倒れる仲間たち……。
 だが、今と比べると一つおかしな点があった。あのときのビットはただ力を振り回すだけで、その行動に計画性などは皆無だった。


 「千年もの長い潜伏期間はこの術の発動のために使ったらしいな。以前のビットと比べるとあまりにも計画的すぎる。とりつく相手が変わったことでそうとう悪知恵が働くようになった」


 セレアはセレアでビットと出会った時のことを思い出していた。老人の救出に向かった時である。
 全ての斬撃は黒い腕によって無力化された。黒い腕に剣が触れると弾かれるどころか、もう片方の腕から自分に向かって飛び出して来るのだ。遠距離からのマシンガンも同じように全て反射された。
 その上で予測不能、回避不能な攻撃に一方的に曝され、なすすべもなく撤退したのだ。もしあの場にルビネルがいなかったら生き残っていたかすらわからない。


 「時に関する能力は弱まったがその他の能力に関してはほとんど据え置きか、もしくは変化しただけじゃ。むしろ使い方が賢くなった分、より厄介になったと言えるじゃろう。もはやルビネル以外奴に触れることすら叶わん」


 老人は帽子を深くかぶり直すと、唸るような声を発した。ビットの力はギャングの力を総動員しようとも、もはやどうにもならない規模だった。


 「俺の部下に調べさせた結果、奴はどうやら時空を歪めて作り出した異空間にいやすぜ。ルビネルが通ったような『入り口』を特定すること自体は可能ですが、時間がかかります。恐らく、見つける前にビットの土壌が世界を覆い尽くしてしまうでしょう。俺たちにはどうすることもできねぇ」


 そう言うと両手の手のひらを上に向け、肩を上げて『お手上げ』のポーズをした。


 「ビットは今まで各時代に能力(腕)を伸ばしていたんじゃが、今回はこの時代に絞って能力を発動している。つまり、能力を分散させていた以前とは比べ物にならないほど強大な力が今、この時代に作用しているのじゃ。恐らく世界が奴の手に落ちるまで……数週間と持たないじゃろうな」


 セレアが苦虫を噛み潰したかのような表情で呟く。沈うつな表情だが、それでも空気椅子は止めない。
 セレアの空気椅子を、空気を読んであえて突っ込まないガーナ王が総括した。

 「今は彼女にかけるしかあるまい。我々は出来ることを最短で効率よく確実に行おう」



━━━━




 荷物が撤去され、裸のコンクリートにわずかに散らばった配線と部屋のすみに放置されたロッカーが名残惜しく残された廃ビル。壁には乱雑にはがされたポスターの跡が残されている。
 薄暗い中、壮絶な打撃音が響く。バカンという音が聞こえ、コンクリートの破片が床に散らばった。


 「なるほど、訳のわからぬことを口ずさむ単なる道化ではなかったということか」

 「その言葉、あなたにそのまま返すわ」


 牽制の中段突き、本命の上段突き、追撃の上段まわし蹴りを放ったビット神が余裕の表情で呟いた。私は右手でビット神の腕を下に押さえ、続いて上に動かして次の攻撃を弾き、二の腕で蹴りをガードしつつ足払いをかける。
 攻防が瞬時に切り替わる死闘が繰り広げている。二人の踏み込みの強さに、床のあちらこちらにヒビが入っていく。
 その部屋の隅から物音が聞こえるが、ビットは気づいていないかのようだった。


 「温いぞ?見た目が少女だからと加減でもしているのか?神に対して情けはいらぬ」


 ついにビット神の拳が私の胸に直撃した。衝撃の強さに私は四肢を前に付きだしたまま、天井付近の壁まで飛んでいった。私は地面が離れていくというあり得ない光景に少し驚く。その直後、背中から内蔵を抉るような衝撃がはしり、壁にほんの少しめり込んだ。
 なんとか着地した私の懐に蹴りを食らわさんとビット神が迫る。だが、突如出現したワイヤーにビット神が捕らえられた。私が殴り合の時に密かに仕掛けたワイヤートラップを作動させたのだ。ペンを操る呪詛を用いた応用技術だった。


 「じゃあ容赦なくキタナイ手を使わせて頂くわ?」

 「千年もの時を経て、随分と技術が進歩したものだ。これさえなければ仕留められていたものを」


 ビット神は手刀でワイヤーを絶ち切ると、立ち上がろうとしたルビネルの懐に今度こそ蹴りを放つ。
 私は天井を突き破ってぶっとんだらしく目の前に穴が空いておりその下にビット神が見えた。ビット神は追撃の拳を叩き込む。
 私によって開けられた天井の穴のヘリを踏み台にジャンプして、さらに私の腹を打ち、ぶっ飛ばされたルビネルが開けた次の階の天井を、また踏み台に……という離れ技を見せた。数十枚も天井をぶち抜きつつ私は拳を受けて、しまいには屋上に飛び出した。
 腹に一生残るであろう鈍痛を感じる。苦痛で顔をしかめた私の目の前に、大きく手を振りかぶったビット神が現れた。
 強烈なナックルを受けた。脳みそが頭蓋骨の壁面に叩きつけられ、一瞬飛びそうになった意識をどうにか保つ。どんどん小さくなっていくビット神を見つめつつ、受け身の体勢に入る。
 私はビット神よりはるか遠くの道路に不時着、板チョコレートのようにバキバキと割れる道路に陥没した。
 かろうじて屋上の縁にたつビット神が確認できる。


 「飛べるはずのお前が地に伏し、飛べないはずの私が遥か高みで見下ろす。皮肉なものだな」

 「フフフ、原始的な罠にハマって内心恥ずかしいんでしょう?」

 「いいや? むしろ嬉しいな。他者を憎むことで、他人を苦しめ殺める技術を自ら学んで行使する。それこそが人のあるべき姿だ。理想とも言える」


 とっさに貼ったワイヤートラップでビット神の蹴りの勢いを殺さなければ今以上のダメージを受けていた。それに、トラップで時間を稼がなければ、鬼の能力である筋肉のパンプアップを発動する暇もなかった。
 まさしくギリギリだった。例の老人によって間接的にだが命を救われた。


 「赤子は無邪気であるがゆえ残酷だ。動物を殺し、植物を摘み、手にした小さな力を用いて破壊を振り撒く。成長するにつれて教養を学ぶが、それでも人は争い、憎み、妬み、蔑む」


 後光を浴び、遥か高みから見下ろすビット。それに対して無様に地面に這いつくばり、雨風にずぶ濡れになっているルビネル。はた目から一目見てわかる絶望的な実力差。
 それでもルビネルは諦めない。


 「そして、人は根本的に利得を好む。美しい女性や芸術品に目を奪われ礼儀や秩序を損ない、人を憎み傷つけることで信頼や誠意を損なう。どんなに教育されようが、千年の時が経とうがそれは変わらない。争いこそが人の本質であり、混沌こそが世界のあるべき姿だからだ。私の望みは規律と秩序により醜く歪んだ世界をあるべき姿に帰すこと、それだけだ」

 「私の住む世界は……!」

 「〈ここ〉がその答えだ。私が土壌を食いつくし全てを支配した世界。この荒廃したビル群は戦争によって滅びた未来のカルマポリスだ。あらかじめ〈お前から見た未来〉へ誘い込んだのだ。その後〈お前から見て現在〉でなんの邪魔もなく理想の世界を創ることができた。あとは完成されたビットの世界で……お前を殺すだけだ!『未来よ、定まれ』」


 またしてもルビネルの脳内に幻影が映し出される。今度は今のルビネルから見て、ビット神から見てもかなり遠くに『幻影のルビネル』は存在していた。恐らく数百メートル先のビル壁面に着地したところだ。
 ビットは先程の戦闘でひびの入ったビルの断片(とはいえ、大きさ数十メートルはある)を持ち上げると、ルビネルの幻影に向けてぶん投げた。
 ルビネルは肝を冷やしたが、幸いにも直撃する前に幻影は消え去った。そして、幻影が消え去ると同時にビット神の投げたコンクリートの塊も消滅した。


 「……お前は、『感じているのか』?」

 「何のこと?」

 「まあいい。とぼけていても次でわかる」


 口にたまった血ヘドを吐き出すとルビネルは立ち上がった。
 水のたまりはじめた窪地を蹴り、再びビット神の元へと向かう。ボールペンを縦に高速回転させ、カッターと化したものを何本も放っていく。
 ビットはなんと、ビルの壁面を垂直に走って来た。カッターと化したペンはビットの右腕で凪ぎ払われると共に消失し、その直後にビットの左手から放たれる。私はボールペンをヘリコプターのような形で高速回転させた物を展開しバリアー代わりにして防いだ。


 「やっぱり飛び道具は効かないのね……」


 ビットが私の頭上すぐ近くに来たとき、精霊魔法式の地雷が作動する。それにより、ビットの攻撃が半テンポ遅れ隙が出来た。私はオーバーヘッドかかと落とし(命名:ルビネル)でビットを空中に蹴り飛ばしたあと、空中で横ばいになりビットの腹を踏みつけるかのように連続で蹴りを放った。
 ボールペンで背後を攻撃しながら蹴りやすい位置にビットを調整、蹴りの嵐を食らわせた。
 ダダダダダッ! と痛々しい破裂音がこだまする。


 「友の肉体をこんなに傷つけて心が痛まんのか?」

 「その子、マゾヒストだから関係ないの。むしろ御褒美よ」


 と、強気の言葉と裏腹にルビネルは内心、蹴る度にアウレイスに謝った。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……。
 見切られることを見越して、最後にドロップキックで技をしめた。ビットだけではなく周囲の空間にも衝撃が伝わっていき、雨粒らが球状に押し広げられていく。ワンテンポ遅れて衝撃波に触れたビルの窓ガラスが一斉に割れた。
 忘れた頃に降ってきた雨とガラスの破片を浴びながら、私は次の攻撃に備えるために、重力を基準にして構え直す。
 一見私の優勢に見えたが、飛来した『それ』によって全てが逆転した。
 突如、視界の右端からビルの屋上が迫ってきたのだ。あり得ない光景だった。私の数メートル下は地面である。本来なら地面から延びているはずのビルが、視界の横から目に映るはずがないのだ。
 私はさっきビットが放り投げたビルの破片に打ち付けられた……。



 「まだだ、徹底して潰す」



 彼女が攻撃された地点から数百メートルの地点。
 ビットは頭から垂れる美しい赤色をした血液を拭うと、近くにあった5階建ての建築に黒い手を射し込む。みるみるうちにコンクリートと瓦礫と混ざり合い、形が人型に変形し、立派なゴーレムが出来上がった。
 ゴーレムはルビネルを押し潰したビルの破片に気がつくと、その両腕を振り上げ、足を曲げて大胆に跳躍。身長約15メートルのボディで破片を押し潰した。


 「信仰の違いで争い、憎み、拳を奮う。私より遥かに劣るちっぽけなゴミくずのような人の子よ、お前は理想的な私の世界の住民だった。そのことを誇りに思って千切れ潰れろ」


 何体ものゴーレムがルビネルを潰しにかかる。その様子を道路の真ん中でビットは眺めつつ、だめ押しと言わんばかりにおびただしい量の岩を上空に召喚する。
 召喚された馬鹿げた規模の岩なだれにより、ビットの視界に存在する建物という建物が岩に当たって砕け、崩れ去る。


 「やはり、私の思い違いだったか。ここまで派手な演技をする必要もなかったな」


 アスファルトをぶちやぶって『腕』がビットの足を掴んだ。そのまま鬼の手首の力を活用してジャイアントスウィングの流れにもっていかれた。


 「何?!」


 徐々に地面から泥だらけの状態で浮上するルビネル。雨水にさらされて徐々に元に戻っていくものの、その様子は驚きを通り越してシュールですらある。
 ビルの断片による未来攻撃を予知したルビネルは、鬼の怪力で道路をぶち破り、ボールペンで地面を掘って攻撃をかわしたのだった。


 「人対人は情報操作が基本よ? 勉強不足じゃなあい?」

 「やはり『未来を感じて』いたのか」


 ルビネルは怪力で空高くビットを投げ飛ばすと、攻撃体勢に移った。そのままチラリと背後を見る。

 
 「かかったな? それは、砂人形……」

 「わかってるわよッ! 微妙に軽いもん!」


 アウレイスと濃密な関係を持っていたルビネルはアウレイスの体重を感覚で把握していたのだった。
 またしても横から垂直に飛んできたビルに今度はしっかりと受け身をとる。空の方向へと屋上を転がり、壁面と垂直になるように飛行しつつ、奥にいるビットを捕捉する。右手を腰まで引き、左手を前につきだし正拳突きの構えに映る。
 対してビットも大きく腕を振りかぶった。迎え撃つつもりである。


 「それと、ひとつあなたは勘違いをしてる」

 「なんだ?」

 「私がその体を殴るのは憎んでいるとか争うためだとかじゃない! 愛し合うためなのよッ!!」




13



 二人の拳がぶつかった。衝撃でビルに亀裂が入り、窓ガラスが吹き飛ぶ。アスファルトに砂塵が舞い、雨が押し退けられてルビネルとビットの周囲から一時的に水が消え去った。降り注ぐ岩ですらあまりの衝撃に砕け散る。
 
 お互いに宙を舞い、私は膝をつき華麗に着地、ビットはビルに追突しクレーターを作った。ビットは今できたクレーターを砕きビル内に侵入した。私は追いかけてすぐに追撃を試みるが、ビルのどこにビットがいるのか把握できない。

 「『未来は定まり運命は決す』ルビネル、お前は見事に私を追ってきてくれたな。お陰で数十秒後のお前は今目の前で私と打ち合っている。これが、何を意味するかわかるな?」


 「しっしまっ……!」

 私がビットを数秒後に見つけた時にはもう遅かった。脳内に幻影が描き出される。
 ビットはビルの中にいた『未来のルビネル』の脇腹に強烈な掌底を打ち付けた。その瞬間、未来のビジョンは消え去った。

 「自分で戦いを誘導すれば、未来はある程度決められる。それに、私はまだこの能力の真価を見せていない」

 ルビネルはすかさずビットと組み合った。私の白い手とビットの漆のような手が噛み合う。その状態で頭突きや足技を駆使する。

 「フフフッ! どう? 宙に浮いている相手から一方的に足蹴にされるのは」

 「私は土壌の神。踏まれるのには慣れている。無駄だ」

 
 その瞬間、脇腹に強い痛みを感じ、気づいたらビルの外まで吹っ飛んでいた。あばらがイッてしまったらしく、骨折の時に感じる鈍く強い痛みが私のなかを這いずり回る。
 道路に着地して体を立て直そうとした私が見たのはビットの黒い二の腕。それがラリアットだったと気づいたのは技が決まった後だった。
 軽い脳震盪を起こしてしまい、天と地がぐらぐらと揺れる。平衡感覚を失ってしまった以上、全身に仕込まれたボールペンでも体勢を持ち直すことは叶わず、無様に受け身をとる以外、私に打つ手はなかった。
 乳白色の雨、天から召喚された岩なだれ、灰色の建築物がぐにゃぐにゃに歪んで混ざりあっている。


 『未来は決した』


 再び幻影が頭の中をよぎる。歪む視界のなかどうにか見つけた『未来のルビネル』は、ビットの数十メートル先で体をクの字に曲げながら吹っ飛んでいた。ビットは五階建てのビルの破片を『未来のルビネル』に向かって放つと、降り注ぐ岩を投げつけながら、先回りして拳を連打する。
 一旦幻影が消え去ったと思うと、さらにだめ押しと言わんばかりに神の力を発動する。


 『定められた未来よ、我が手に』


 今度はビットの真横を吹っ飛ぶ『未来のルビネル』に、腕がめり込み体が変形するほどのアッパーを食らわせた。そして、そのアッパーを受けた『ルビネル』の先には『未来のビット』が跳んでいる。
 私が立ち上がった頃にはもう既に、ビットの攻撃準備は終わっていた。私は苦し紛れに拳のラッシュを仕掛けた。もちろん、天空からの岩なだれをボールペンで掴んだり受け止めたりして処理するのも忘れない。

 「あなたに未来を支配される筋合いはない!」

 ビットの能力の特性がようやくわかってきた。
 一つ目はビットの腕に物体をストックする力。
 隙さえあればゴーレムやビルまるごとなど意味不明な飛び道具を使えるのだ。放り投げることができる範囲は現在だけではなく未来にもおよぶ。
 もうひとつが未来透視であり、約数十秒後の未来を三次元写真か如く正確に把握することができる。
 二つとも数秒の発動準備が必要であり、その隙を与えたら最後、こちらが圧倒的に不利になる。


 「理解できたようだな。私に猶予を与えることは死を意味すると。だからお前は無謀な突撃をせざるを得ない」

 「無謀かどうかは最後までわからないんじゃないの?」

 「私たちはその『最後』を透視していたのだ」


 ビットの腰の辺りまで体を浮かせ、腹と顔面に蹴りの嵐を放つ。が、何もない空間から突如として現れた石ころの散弾が私に襲いかかった。反射的に目をかばい、攻撃を緩めてしまう。
 ビットは私の足をつかむと、思いっきり地面に叩きつけた。背中に強い衝撃をうけて、肺の中の空気を全て吐き出してしまった。いっ痛苦しいッ!


 「お前がラッシュを仕掛ける十五秒前に、あらかじめ石を砕いたものを投げ込んでおいた。別に未来を透視せずとも攻撃は出来るのだ。残念だったな」


 そして、悪夢が実現する。


 防弾コートのプロテクターを容赦なく砕き、胸骨にひびを入れ、さらに背面まで衝撃が伝わる恐るべき拳が私の胸を打った。

 空中を大回転しながらぶっとびつつ空中に逃げた。少なくとも十数メートルは跳躍したビットが、追撃の裏拳を放つ。メリメリという音をたてて私は体をくの字に曲げてさらに加速した。
 さらには、何もない空中でバキバキと骨がおれるほどの強烈な衝撃が全身を襲った。無数の打撃を瞬時にして食らったらこうなりそうだ、と私は思った。
 何もない空間から飛び出してきた岩の砲弾に打ち付けられ、衝撃で軌道がそれる。ボールペンを駆使してなんとか構え直そうと思ったところを、パッと背後に現れた五階建てのビルが襲った。何度も背中に苦痛を受けつつ、まるでエレベーターになった気分で床をぶち抜き、最後に土だらけのビルの床下を眺めつつ、

 「……反撃をっ!」

 と、言った瞬間だった。
 みるみるうちに私の腹部のコートが破れ、むき出しになったプロテクターがバラバラに砕け散り、防弾スーツが破れて中の綿が消し飛び、見えた腹が拳の形に腹がへこみ、赤色に染まった。

 「ん゙ぐッ!!」

 私は空を舞った。ボロボロになったコートの断片が舞うのを横目に、もはやどうにもならず空を見上げると、ビットが笑っていた。肩まで思いっきり引いた黒い両腕が見えた。
 視界が震動し、すさまじい速度で落ちて行くのがわかる。両手で突かれたまま押し落とされているのだ。
 地面に激突した瞬間、回りに道路の破片や雨が舞い上がったのが見えた。衝撃でビットの頭の奥に見える建物にヒビが入る。
 もはや肉体強化手術をもってしても、どうにもならない激痛が私を支配した。私はとうとう耐えきれず悲鳴を上げた。


 「ぎぁぁぁぁあああっ! 痛い痛い痛いぃぃぃ!!」

 「お前たちは以前奇跡を起こした。一寸の希望でもあればお前たちは活路を見いだし全力で反撃する。だが、私は一尺の希望も与えん!」


 ビットが腕を振り上げた瞬間、私はボールペンで目を覆い、腰の辺りにあるボールペンを起動させ、ボールペンは付随されている物体のピンを引き抜く。
 瞬間、閃光と耳が裂けるほどの破裂音が鳴り響いた。


 「?! なんだっ、光と音?」


 私は動かない体を服に仕込んだボールペンで無理矢理動かし立ち上がった。
 右足を膝が出るように曲げる。正中線をずらさずに膝頭を横に倒しつつ相手の左こめかみを狙い、回し蹴りを放つ。さらに足を再び引き、おろさずにそのまま内側に回すように伸ばして、足の背面でビットの右頬を打つ。内回し蹴りを決めた私は足を引き、さらに回し蹴りを決める。
 その後も上段横蹴り、中段蹴込み、下段回し蹴り……というように私の知る限りありとあらゆる蹴り技を撃ち込み、最後にボールペンによる滑空を利用した飛び後ろ蹴りで占めた。
 ビットは私の渾身の蹴りをもろにくらい、その体を道路のコンクリートに何回も叩きつけながら吹っ飛んでいった。
 着地すると同時に、私は体の奥から湧き出るものを吐き出した。目の前に赤く大きな円が描かれ、雨に溶けていく。


 「はぁ……ぜぃ……まさか、ここでスタングレネードが役にたつとはね……。これは演技……ゲホッ……ドクターに感謝しなきゃ……」


 視界がぐらぐらする。目がチカチカして、私のからだの悲鳴を分かりやすく私に伝えてくれた。
 足から生暖かいものを感じ、出血が深刻であることを悟る。あらかじめ練習した手技で、ボールペンを用いて胴体を破れたコートで縛る。


 「うぐっ……鬼の体なんだけどなぁ……」


 折れたあばらが傷に響く。一瞬飛びそうになった意識を、なんとか自分の意思で呼び戻す。限界が近い。
 でも、こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。

 「ふんっ!」

 気合いをいれつつ空からの落石をボールペンで両断する。
 私が今倒れたら私が過ごした世界が、皆の愛する世界が、ビットの支配する歪な空間へと変貌してしまう。そして何より、大好きな人をこれ以上苦しめたくない!
 私はビットとの戦いのログをとっていたノートをボールペンに乗せて、帰りのゲートへ向かわせた。私が伝えたいことは全てあのノートに書ききった。
 もう、私に未練はない。五体が砕けようとも私はあなたを止める!


 「あなたの思い通りにはさせない!」


 ボロボロになったコートをはためかせながら、ビットへの追撃に向かった。砂による目隠しを警戒して左右に動きつつ全速力でビットへ迫る。この速度であれば、ビットが未来透視の発動準備中に攻撃できる。
 ビットは真っ正面から迎え撃つつもりか、両腕を大きく振りかぶった。
 私は体に取り付けられた全てのボールペンを最適な方向に動かし、微調整する。体の細胞の一つ一つが攻撃に備える感じがする。今まで点だった技術や知識、経験が一本の線につながった。
 右握りこぶしを腰まで引き、左手を前につきだし、正拳付きの構えに入る。


 ガーナ王から継承され、

 老人によって鍛えられあげ、

 解剖鬼によって強化された肉体で、

 セレアさんの技術を用いた究極の一撃。


 これが恐らく私の人生において最後の攻撃となる。
 ビットとの距離が近づくにつれて胸が高鳴っていく。私の頭のなかに私と出会ったあらゆる人の顔が思い起こされた。走馬灯に対して私は願った。皆、私に力を貸して、と。
 願いが通じたのか呪詛の出力が上がる。ありえないほどの力が沸き上がり、ビットを体が倒せと体がたぎる。
 後少しで射程に入る! というところで、ビットは奇妙な行動に出た。自分を抱き抱えるかのようなポーズをして、そのまま消えてしまったのだ。
 自分を抱きかかえる……自分を投げる……つまり……。

 ドスッ、という音がした。

 ああ、胸の辺りが熱い……と思ったら冷たくなった。
 自分の胸から黒と赤の入り交じった禍々しい腕が延びている。手刀で私が貫かれた、と気づいたときにはもう腕が抜かれていた。胸から暖かい私の命が溢れだした。
 背後からビットの声が聞こえる。


 「一秒後に自身を投げ、攻撃を避け背後に回り込んだ。お前の言葉から思い付いたのだ。『容赦なくキタナい手』を使えば楽に勝てるとな」


 ゆっくりと前に崩れ落ちる私。膝から力が抜け、目の前が白く染まっていく。雨にうたれる感覚が消えていく。痛みが、感覚が、喪失していく。
 みんな……ごめんなさい。私……無理だった。


 「お前はよく戦った。私に攻撃を当て、怯ませた。十分だ。お前の功績はあらゆる時代に語り継いでやろう。『ビットは正真正銘の神であり、人がどんなに努力を尽くしても、決して倒せない存在であることを証明した偉大な人物』とな」


 ビットは血まみれの腕を振り上げながら高笑いを響かせてる。あいつに一発漫画みたくかっこよく必殺技を決められると、思ったんだけどな……。


 「ごめ……んね……」


 倒れる直前だった。私は前方に80℃以上倒れたありえない姿勢で、ビットに振り向くとそのまま両手を広げてビットに向かった。
 驚愕と飽きれを示したビットは、私をもう一度右腕で突き刺した。私は背中に仕込んだボールペンを全て用いて、ビットの腕をさらに深く突き刺しながら接近した。
 ビットは困惑した様子で私の腹部に左手を突き刺した。


 「なぜだ、なぜ貴様らはそうまでして戦う?! 決して勝てないとわかっていてどうして立ち向かうのだ! あの剣士といい、自分の命が惜しくないのか?!」


 口から血があふれ、目から大粒の涙が滴るのを感じる。それでも私は止まらない。
 視力を失う寸前の目でビットを見つめ微笑むと、そのほっぺたにゆっくりとキスをした。


 「ルビネル! しっかりして!!! ルビネル! 私よ! アウレイスよ!!」


 なつかしいあの子の声がする。そう、私はあなたをずっと待っていた。あなたに会うために体を、命を捨てて、来たの。
 口づけによって呼び戻されたアウリィは私の体からビットの腕を引き抜くと、とっさに能力を発動した。私の体に刻まれた絶望的な傷が一瞬にして塞がった。

 「ルビネル! 後は頼んだわよ……」

 「ええ! 貴方を必ず連れて帰る」

 私は身を半歩ほど引き、再び正拳突きの構えをとる。今度は外さないっ!
 必殺の一撃がビットの胸部を打った。衝撃波がアスファルトをめくりながら広がっていき、周囲の建物を外側から半壊させていく。

 「グッ! ……なっなぜだ。なぜ私はお前に止めをさせない」

 「愛という感情の持つ力をしらないあなたに、私は負けない!」

 私は呪詛を込めた右足を思いっきりビットに差し込んだ。そして、呪詛を放出しつつ蹴りあげる。


 「ぬぅぅぅゔゔ! 出さん……今度こそ絶対に解放するわけには……」


 空中にビットが舞い上がった。フルスピードでビットを追いかけ、そして追い付く。


 「私の攻めを受けきってみなさい!!」


 私は怯んだビットを力の限り抱きしめ、口内にのなかに舌をねじ込み蹂躙する。アウリィの体が快楽に身を震わせた時、黒い影が分離した。


 「ばっばかな、こんな、こんなわけもわからぬ攻撃に」


 浅黒い肌、長く尖った耳、その耳の後ろから後方に向かって伸びる三対の角。間違いなくあのとき一度葬り去った邪神ビットだった。
 私はばっとアウリィの体を解放すると、同時に邪神ビットへ無数のボールペンの芯を投げつけた。飛んでいる途中で強烈に縦回転してカッターと化す
 さっき放ったときは全て黒い手に反射されたが、邪神ビットは分離の反動で動けなくなっているはず。
 それでも邪神ビットは腕を振りかぶり能力を発動しようとした。私はそんな彼を空中で何回転もして助走をつけた全力のかかとおとしで叩き潰した。さらにボールペンを両手に握りビットを撃つ。
 

 「こっ、ここまで来て! お前さえ倒せば純粋なる負の世界が……」


 打撃により大きく後退した邪神ビット。ここぞとばかりにボールペンの芯を両手に握る私。
 鬼の腕力でペンの芯をぶん投げると一瞬にして呪詛の範囲外に飛んでいくが、使い捨てと割りきりありったけ飛ばす。
 ビットの手が、足が、ボールペンの芯によって切り裂かれていく。そこに数メートル助走をつけた渾身の打撃を何度も何度も当てる。鬼のゴムのように弾性に富んだ筋肉から産み出される打撃が、呪詛によって勢いを増し、激烈な衝撃をビットに与える。
 窒息寸前まで攻撃を続けた。用意したボールペンの芯と本体は体を支えるためのものを除いて全て使いきった。拳は自分の打撃に耐えきれず血まみれになった。

 「さようなら、ビット!!」

 私は最後に二本残ったボールペンを握りしめる。
 切り裂かれ撃たれ、満身創痍の邪神ビットに手に持ったボールペンを突き刺す。そのまま全力で突き込み邪神ビットの胸を私の腕で貫通させる。
 すかさず腕を引き抜くと、邪神ビットと距離を取り、落下中のアウリィをお姫様抱っこした。

 ずっと降り続いていた乳白色の雨が止んだ。嵐も止まり、分厚い雲がまるで解けかけの雪のように消えていく。顔を出した太陽の光が廃都市全体を照した。ビットの力がとうとう尽きたのだ。
 邪神ビットは今までとはうって変わって静かな声で語りかけてきた。


 「遥か昔……、私もお前たちと同じく……純心を持っていた。いつからだろうか、邪心にとりつかれ……正の力を捨て去ったのは。お前たちとの戦いで感じたあの光……」


 岩が風化するかのように邪神の肉体が崩れていく。


 「私も……出来ることなら……ずっと……純心のままでいたかった……」


 後悔の言葉と共に、世界を支配しようとした邪神は消え去った。
 そして、うっすらとアウリィが目を開けた


 「ルビ……ネル? 私たち、勝ったの?」

 「世界を救っちゃったみたいね。てっきり私、死んじゃうかと思ってたんだけど」


 冗談で言った言葉に、アウリィはギラリと瞳を光らせた。


 「私が死なせない」


 キリッとしたアウリィの顔に思わずドキリとしてしまった。頬が火照るのを感じる。きっと今の私の顔はアルビダなのにも関わらず真っ赤だろう。


 「うん、……本当にありがとうね、アウリィ」


 私は額にキスをすると、ゆっくりと地面に着地した。アウリィがなにかに気づいたらしく、目の前のビルを指び指した。ビルとはいえさっきまでの戦いのせいで前面が倒壊し、中が丸見えになっているが。


 「ビットにとりつかれていたからわかる。あそこに、私たちの世界へと通じる扉がある。……数ヵ月くらい誤差があるかも知れないけれど」

 「本当に?」

 「私を信じて、ルビネル」


 彼女の額から垂れる銀色に輝く髪の毛は、穢れが抜け落ち透き通った色だった。手足は華奢で、白い肌が陽の光で艶やかに輝く。もう彼女に邪神はとりついていない。


 「うん。いつまでも、どこまでも信じてるよ。アウリィ」




……。




『私は晴れ晴れとした気持ちです。まるで、一点の曇りもない晴天がどこ待ても続くよう。

私が帰らないことをどうか、赦してください。

ことをなし得なければ、愛する人の手によって、さらに多くの人がこの世を去ってしまいます。だから私は行くのです。

遺品は全て売ってお金にして父と母に渡して下さい。この先十年も二十年も親を悲しませるのは辛いですから。

書くことはまだまだありますが、思い付くことは感謝の言葉だけ。父、母、従姉、私を支えてくれた友達や先生、最後までついてくれた仲間。

私がみんなからもらったものに対して、月並みの感謝の言葉では到底言い表せないけれど━━ただ、ただ『ありがとう』。一言に尽きます。


ありがとう


ありがとう』




 紅の手帳。ルビネルの遺書。空色の花畑。紅の幻覚。一本歩くごとにバキバキと美しい花が折れ、散る。コートを揺らめかせ、私は幽霊のように花畑をさまよっていた。
 ルビネルを一ヶ月ばかり待ったが、彼女はついに帰ってくることはなかった。この世がビットの手に落ちていはいない所を見るに、何らかの手段でビットを無力化したらしい。
 ルビネルの余命はあの時点で数日だったはず。私が手を加えていない以上、多臓器不全……いわゆる老衰により死んでしまったはずだ。
 そうでなくても心臓を傷つけられた以上数日も持つまい。

 「だが、現にこうして私がのうのうと生きているのは彼女のお陰か……」


 私が違和感に気づいたのは、花畑から森へと移動した時だった。背後から何やら光が漏れていた。私が振り向くと、先程までいた花畑に再び光の扉が現れていた。


 「何がどうなっている?」


 いるはずのない人がそこにいた。胸部と腹部に大きな穴の空いたボロボロのコートに、ずぶ濡れの黒髪を持つ忘れもしないあの子が。誰もが諦めていたあの子が。
 彼女は銀色の髪の毛を持つ少女をお姫様抱っこして、不敵に微笑んでいる。
 幻覚かと思いマスクの目玉の部分をごしごしと擦る。



 「こっ、これは……まさか!」

 「フッ……フッ……フッ! ただいま、ドクター」


 ルビネルは空色の花畑に抱っこしていたアウレイスをおろした。すやすやと寝息をたてている。


 「私は前にキスビットでカルマポリスの呪詛を独自に扱うとされる妖怪の調査をしていたんだけど、妖怪の正体は私自身だった……なんて。タニカワ教授にどう説明すればいいのかしら」

 「私よりもいい相談相手なら沢山いるぞ?エウス村長にガーナ、老人もいいな。柔軟な発想が必要ならセレアに聞くといい。みんな喜んで……本当に喜んで……教えてくれるだろう」


 自分の声が潤んでいた。マスクの中が涙で濡れている。私はあの世へ人を送り出すのには慣れていても、帰ってくる人を迎えるのには慣れてないらしい。


 「みんなのもとに案内してくれるかしら?あと、タオルない?」

 「よろこんで。みんな、謝辞も含めて伝えたいことが山ほどあるはずだ。私を含めてな。因みにタオルは用意していない」

 「楽しみにしているわ。……タオルも」


 ルビネルは濡れて艶々になっている髪の毛に手を通してから、私の腕を指差した。


 「ところでそれは……?」

 「ん? ああ。別に」


 私は無意識のうちに腕に巻いた空色の花の冠を隠した。


 「もしかして、私にプレゼントするために?」

 「止めた。泣きながら花の冠を渡すなど恥ずかしくてたまらん」


 私はアウレイスの頭にそっと冠を乗せた。


 「似合っているじゃないか。銀の髪に空色の冠。天使の寝顔だな」

 「フッフッ……変なことをしたらボールペンでグサリよ?」

 「おおー怖い怖い」


 私は大袈裟に離れると、柄にもなく大声で笑った。ルビネルはそんな私を幸せそうな微笑みを浮かべて見つめていた。


 「さあ、行こうか。君たちを待っている人がたくさんいる」

 「ええ。帰りましょう。私たちの世界へ」




幻煙のひな祭り当日 まとめ


1



 ドレスタニア上空にて


 「寒いナリー」

 「殺す助、我慢だ」


 グレムはサムライ型の小型アルファを撫でた。そして深夜から早朝にかけて行われたブリーフィングの内容を反復した。


 〈今回の作戦は人質の救出だ。それ以外のことは考えなくていい。敵は無視して構わない。ノア新世界創造教の本堂から人質さえ救出できれば、ドレスタニア、アンティノメル、リーフリィ、ライスランド、カルマポリス連合部隊が制圧する〉


 早朝の冷たい空気がグレムの肌をつつく。片手で手綱を握りつつ、工具のたっぷりはいったコートを体に密着させた。いくらイナゴ豚に加護があろうと、完全に冷気を防げるわけではないらしい。十数匹のイナゴ豚に騎乗する仲間達は皆寒そうにしていた。鬼ならともかく人間にこの寒さは厳しい。
 グランピレパの技師である私は、ダルーイの酒場であのペストマスクの医者に声をかけられた。この作戦に世界の中でも優秀な戦士が集まると聞いて『研究したい!』と参加したが……。


 〈本堂は西塔、東塔、宮殿にわかれており、それぞれ渡り廊下で連結している。西・東塔は大体ドレスタニアの一軒屋が5~6件入る程度の敷地に6階建ての建物となっている。宮殿はドレスタニア王宮程度の大きさだ。宮殿の中央に大礼拝堂があり、廊下を挟んでその回りを小部屋が囲んでいる構造となっている〉


 敵の空に対する警備はカルマポリスのある東側に重点を置いている。通常海路でしか敵が進入してこない、キスビット側の警備は手薄だ。


 〈比較的警備が手薄な西塔、東塔に二チームに分けて上空から侵入する。塔の上部では、警備兵が常に見張っているが、狙撃で眠ってもらう。侵入後は渡り廊下から宮殿内に入る。人質は宮殿内の出入口のある南側、西塔と東塔から一番遠い北側に囚われている〉

 〈以上が作戦だ。何か質問は?〉

 〈誰が狙撃を行うのですか?〉

 〈狙撃はグレムと殺す助が行う。我々に長距離かつ精密射撃が出来るような仲間はお前以外いない。それ以外の遠距離を攻撃出来る者は塔の周囲を巡回する騎竜兵を狙う〉


 遠くに見えた大陸がどんどん近づいてくる。同時に胃がキリキリと軋み、寒いのにも関わらず汗が出てくる。
 

 『まもなくエルドランの首都に到達する。首都圏に入ったら本堂まで数秒で到達する。総員着陸に備えろ! グレムと殺す助は狙撃準備!』


 自らのメスで喉に直接魔法薬を塗り、声を大きくした解剖鬼が言った。
 グレムはカガクと呼ばれる術で作り上げたボウガンを、殺す助の頭にガチリと固定した。殺す助の両目からターゲットの拡大画像が写し出される。
 敵は白い修道服に身を包んでいた。右手にロッドが握られている。
 あとは殺す助の頭の後ろのチョンマゲを引くだけだ。チョンマゲが弓のトリガーになっている。


 「敵、十二時の方向に発見ナリ!」
 

 ボウガンに加護のついた矢をセットする。先端には麻酔薬な塗り込まれており、敵に刺さると眠らせる。ライスランド産の木からとれるゴムが加工されており、敵を傷つけない工夫がされている。


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 「左に5度ずらすナリ!」

 左に5度!慎重にボウガンの位置を調整する。手が汗ばんできた。息も洗い。
 でも、これをやり遂げなければ後に続く皆に迷惑をかけてしまう。そう思うと、余計に手の震えがひどくなった。


 「落ち着くナリ! グレムが失敗しても、きっと皆笑ってフォローしてくれるナリ!」

 「ははっ、笑われるのはちょっとな」


 フゥー、と息を吐いて心臓の高鳴りを押さえる。そうだ、私には皆がついている。


 『グレム! 私がフォローする。失敗したときの作戦も考えてある。失敗していい! とにかく撃つんだ!』


 ペストマスクの声を聞いて、チョンマゲに手をかける。


 「3……」


 全身の力を抜くと同時に、集中力を最高まで高める。


 「2……」


 黙々と何かを作るのが好きだから、


 「1……」


 私は、皆の道を作り出して見せる!


 「殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺す助!!」


 自然に体が動いた。ボウガンから発射された矢は塔の見張りに吸い込まれるように刺さった。
 

 「ヒットナリ! 次もこの調子でいくナリ!」


 次々と西・東の屋上の見張りを眠らせていく。途中でワイバーンに乗って空を警備している兵士がいたが、あまりの仕事の早さに、仲間がやられたことに気づいていない。

 『よくやったグレム! 邪魔な見張りは消え去った。敵のワイバーンに気づかれないよう、迂回して侵入する!』

 私は役目を果たしたぞ。


 「やったぞ! 殺す助! さすが私の子だ!」

 「照れるナリ~」


 殺す助の写し出す映像に他の仲間が移った。イナゴ豚の尻を叩きながら、こちらに手を降っている。


 「パラ、リリス! 私たちはやったぞ!」


 声は届いていないし、私の顔は見えていないだろう。でも、今の私には充分だった。

 そして、ここからが本番だ!


 「いざ侵入ナリ!」



2



 東塔三階


 「なあ、ジェームズ」

 「なんだい? ジョン」


 塔の一室で白い修道服の二人は話していた。壁にはいくつもの宗教画が貼ってあり、部屋の奥には不気味な顔をした石像が置かれている。


 「巡回って辛いな」

 「ああ、特に夜番は辛いよな」

 「どーせ、全員PF能力持ちなんだし、ここまで厳重にしなくてもいい気がするんだ」

 「俺たちもこうしてサボってるしな」
 

━━


 五階と四階を結ぶ階段を静かに降りる。
 一応侵入者対策を意識して作られたのか塔の階段はワンフロアおりる度、別の場所にあった。ソラは階段と部屋境目にある微妙な出っ張りで体を隠し、人が二、三人通れるような廊下を覗く。
 敵は二人か。互いの死角を補いあっている。白い修道服は不気味だが、動きがぎこちない。
 それにしても殺風景な廊下だ。
 ソラは手前の信者があくびしたのを見て、一気に距離を縮めた。一瞬にして敵の喉元を掴み、叩き伏せる。もう一人が動こうと頃には、後ろに回り込み首に手をかけつつ足払いを決めていた。さらに、首の後ろに止めの一撃を見舞う。敵は声をあげることなく昏倒した。
 ソラが後ろに待機していた仲間に合図を送る。
 腰に刀を携えた先生と、クライドが音をたてないように後をつけてくる。昨日のペストマスクの医者による歩行訓練がここまで役に立つとは。
 ため息をつきつつ、赤いジャケットを整え、ゴーグルをかけ直した。


 「こうも上手く潜入できるとは思いませんでしたね」

 「これが国を支配している宗教の総本山とは思えないよなぁ……」


 クライドと先生がぼやいた。東塔のから侵入したのはこの三人だった。
 西塔からはペストマスク、ショコラ、バトーの三人が侵入している。屋上でグレムと殺す助がボウガンを構えつつ、空からの敵を監視しているから、後方からの増援はまず無い。さらにバックアップとしてカウチュンドというライスランドの狩人がついている。
 このこの教団の航空戦力は侮れない。ジ・アースから輸入したドラゴンに乗る騎竜兵が警備や偵察に当てているため、通常の航空戦力だとまず勝てない。それを狙撃によって騎手を狙えばほぼ無力化出来る。
 敵に異変が察知されないよう、ドラゴンは打ち落としてはいない。が、ほぼ戦力外として扱っていいだろう。廊下の後ろから小型ドラゴンが追ってくるという悪夢は未然に防がれた。
 ソラたちは東塔の四階から三階へ静かにおりる。


 「また、敵がいるようですね」

 「今度は三人か。少し多いな。よし」


 クライドは炎の魔法を天上に放った。スプリンクラーが誤作動し、布お化けのような信者が突如水浸しになった。
 動揺しているスキに剣の峰打ちで三人とも打ち倒す。さらにスプリンクラーに氷の魔法を放ち、水を止め、廊下の扉をすべて凍らせた。
 

 「あなた、すごいですね。剣の腕もさることながら、魔法まで使えるなんて」

 「努力すれば誰でもできるよ。敵の増援が来ない内に早く下に降りよう」


 先生の感嘆の言葉に対して、さりげなく廊下の水を凍らせてからクライドが言った。

 と、そこへ物音を聞き付けて階段を上がってきた信者が!


 「誰だ! きさま……」


 信者はまともに言葉を発することなく、地面に伏した。
 一瞬だった。先生の峰打ち居合いが炸裂したのだ。


 「うぬのような雑魚を相手にしている暇はないっ!」


 延びている敵を踏みつけないように避けながら三人は三階から二階へ降りる。


 『ジェームスー! 床が氷ってっ! 止めてくれ!』

 『ジョン! くそ、扉が開かないと思って二人でエクストリームショルダータックルをきめたのが間違いだった。ウルトラハイキックボクシンにしておけばよかった』

 『グハ! グフッ! ブツブツ言ってないで助けてくれ!ジェームス』


 上の方で悲鳴が聞こえた。


 「まずいです! 今の悲鳴で恐らく敵は襲撃を受けたことを察しました。増援は時間の問題です」

 「……まあ、狭い中3vs3をして、その音で部屋から応援が出てきて囲まれるよりはましだよね?」

 「ええ。何かあっても刀の錆にすればいいですし」


 そんなこんなで三人はあっさりと東塔の一階、渡り廊下付近までたどり着いた。



3


 東塔の渡り廊下。バトーはいきなり敵幹部と対峙した。

 「シャーヒャヒャハェ! お前らカルマポリス軍じゃねぇな。どこの国の軍隊だ? ノア新世界創造教になにしに来た? どっちにしろ侵入者はぶっ殺してやるけどよぉ。神様信仰してりゃこの俺、アルベルト様は何だってしていいのよ! シャーヒャヒャハェ!」

 修道服に身を包んだ、いかにもヤバそうな男。その修道服にもパサパサした茶色い斑点が所々付着しており、こいつが何をしているかを暗示している。


 「わぁ、茶色いまだらがお洒落ですね!」


 ショコラ、空気読め。
 金髪を揺らし、碧眼を光らせながらバトーは仲間たちの一歩前に立つ。

 「俺がやろう。この狭さだと一人で戦うのが限界だ。二人は階段まで下がってくれ」

 バトーは敵の大剣に対して細身の剣だ。
 敵は広角が引きちぎれそうなくらいの満面の笑みを披露している。修道服を着崩しており、中に真っ赤な服にすさまじい量の銀色の首飾りをつけている。
 左右の目に二つずつある瞳孔がバトーたちを睨み付ける。
 
 「俺はなぁ、お前らみてぇな侵入者を何人もぶっ殺してンだ。最近は雑魚ばっかりでよぉ! ノミのほうがまだいい勝負を仕掛けてくんだよ。お前らもノミ以下かぁ!」

 バトーは全く恐れる様子もなく言い返す。


 「俺はお前に値踏みされるほど、安くはないし、井の中の蛙に負けるほど落ちぶれてもいない」

 「そうかい! そうかい! 面白くなってきたぁ! シャヒャヒャヒャ!」


 敵は剣を取り出した。赤い呪詛が垂れ流しになっており、不気味に光っている。

 バトーに切りかかった。バトーは剣を使って攻撃を受けようとしたが、一瞬にして剣がどろっと溶けてしまった。

 「何っ!」

 「俺の呪詛は剣を介して触れた金属を溶かす。一見地味だがお前みたいな剣使いにはサイコーに相性がいいんだぜぇ!」

 横になぎはらわれた剣がバトーの服を切った。アルベルトはそのまま、何回も剣でバトーを突いていく。バトーの腕が、足が、胴が切り裂かれていく。
 狭い廊下の床と壁に赤い斑点が出来ていく。

 「ぅぐっ! あが………ヌア゙ァ゙ッ」

 「てめぇは女装してキャバクラにでも働いてた方がいいんじゃないか? なんっつって、シャハハッ」

 バトーはかわす一方で反撃に出られていない。それでも、行き絶え絶えで氷の魔法をアルベルトに放った。本来なら敵を凍らせるはずの冷気を受けているはずなのに、アルベルトはケラケラと笑うだけだった。それどころか股間狙いの蹴りまで繰り出され、冷や汗をかく。

 「んー涼しいねぇ。魔法無効のパラレルファクターだぜぇ! ほらほら、このままだと死んじまうぞ? シャーッハッハッハ」

 「……このサイコ野郎が」

 一方的な死合いが展開された。決して小さくない血溜まりが出来ていき、それを金色の髪の毛が彩る。
 バトーは追い詰められながらも必死に頭を回転させる。知恵と勇気でこの場を乗りきらなければ、この先の戦いを生き残ることは出来ない。
 仲間は狭い廊下のせいで、バトーの加勢に入れない。
 バトーはなすすべもなく壁際に追い詰められてしまった。

 「俺に魔法は聞かない。剣も効かない。死ねぇ!!」

 剣を弾く音とドスッという鈍い音が響き渡った。

 『水よ……我が手に集いて刃と成せ!』

 「こっ氷の剣ッ!? クソッ!無抵抗なヤツをいたぶるっつうのが楽しいのによぉ」

 バトーの手には水筒で作られた剣が握られていた。その先はアルベルトの肩に突き刺さっている。
 氷なら鉄でないから敵の剣に触れても溶けない。魔法で作ったのではなく、水を制御し凍らせて作った物だ。素材自体は純粋な水であり、魔法由来ではない。アルベルトの魔法無効のパラレルファクターは効かない。

 「それで勝ったつもりか? 女顔!」

 肩から伸びた氷の剣をアルベルトは手から血をにじませて引き抜ぬいた。あまりにも強引な手段にバトーも一瞬唖然とする。アルベルトはすかさず反撃に出た。
 一見力任せに見えるが、確かな技術を用いた剛剣。それをバトーは剣で受け流すようにさばいていく。バトーの氷の剣はか細く頼りないのにも関わらず、折れず、刃こぼれもしない。
 バトーは身震いしていた。今まで魔物や自分を女と間違えていざこざを起こすような輩や、はたまた国レベルで問題を起こすような敵とも戦ったことがある。
 しかし、アルベルトに至ってはそのどれとも違った。勝つためにはありとあらゆる手段をこうじ、弱者をいたぶることを楽しみとする人間のクズ。その上技術は世界有数という異形すぎる存在だった。
 怖くないと言えば嘘になる。体の痛みが精神を萎縮させる。だが、今バトーが倒れれば仲間を危険にさらしてしまう。逃げるわけにもいかないし、野放しに出来るような奴でもない。
 それに、こいつよりもヤバイ戦闘狂を相手にしていつも修行しているのだ。勝てないはずがない。バトーはそう、自分に言い聞かせた。闘技場で拍手喝采を受ける戦友の姿を思い浮かべると、自然と心の乱れが収まった。
 落ち着きを取り戻したために、バトーの剣術がキレを増す。バトーがだんだんとアルベルトを押し始めた。

 「くっ……あいつとの練習がこんなところで役に立つとは……」

 「お前、割といい腕してんだな。まあ、俺様には足元にも及ばねぇがなぁ!」

 バトーの視界が突然真っ暗になった。なにかで目潰しをされたのだ。生暖かいぬめっとした感触から、直感的にそれが血液であることを悟る。

 「上品に戦っているようじゃあ! 俺にはあの世で修行しようが勝てねぇぜ! シャハハハハッ!」

 アルベルトが止めを刺そうとした瞬間だった。犯罪者とはいえ剣術の達人である彼があろうことか転んだのだ。ありえない光景に仲間も唖然とする。

 「床がッ! 氷ってやがる! ふん、だが無駄な抵抗だったなぁ!」

 アルベルトは滑らかな動きで立ち上がると同時に、顔もとを狙った。
 そのとき、バトーは丁度目をぬぐっていた所だった。反射的に右腕で顔をガードする。大剣がバトーの右腕を切り裂いた!

 「ア゙ァァッ!! 痛つっッッ!!」

 「これでもうお前の利き腕は使えねぇ。そして、俺の剣は利き腕じゃない方の手で捌けるほど軟弱じゃねぇ! 死にな」

 容赦なく振り下ろされる剣。だが、バトーは左手に現れたもう一刀の氷の剣で受け流した。驚愕するアルベルト。
 バトーは地面に滴る血液中の水分を利用したのである。

 『出よ、我が聖なる刃!〈氷斬剣〉!!』

 アルベルトの胸を大きく切り裂き止めを刺した。死んではいないものの、戦闘続行は不可能な傷だ。

 「悪いな、俺は双剣使いだ」

 右腕を押さえながらアルベルトに背を向ける。仲間に傷薬と呪詛で治療を受け、患部を包帯で保護した後、その場を後にした。幸いバトーの受け方が上手だったため、切り傷が綺麗で治療は楽だった。今後の戦闘にも支障は無さそうだ。
 
 「まさかこんな、クズみたいな剣士がいるとはな……。だが腕は一流か。惜しいな」

 「今日は厄日だな。バトー」



4



 「バカな! ここまで敵に侵入を許すとは。ジョンとジェームズは何をやってやがる。クソッ、早朝に叩き起こされたこっちの身にもなれってんだよ」

 「ジョン? ジェームス? 聞いたことありませんね。そんな名前は」


 東塔の渡り廊下。道の中央に立ってようやく剣を振れるようになるくらいの狭い通路だ。クライド、ソラ、先生は腰を低くして身構える。


 「少し強そうな相手だね」と、クライド。
 「命令を」と、ソラ。


 そして二人を制止する先生。


 「クライドさん、ソラさん、下がっていてください。ここは私が引き受けます」


 敵は修道服の内からはち切れんばかりの筋肉を除かせている。その上、フードを突き破って角が生え出ていた。


 「まさか、あのふたりがやられるとは思えんが、念のため……全力を出す!」


 敵は並みの樹木よりも太い足で地面を踏みしめると、笛を拭いた。ピンキョロロロ、という変な音が廊下に響く。
 すると、敵の体表が異様に盛り上がり、腕が二本に分裂した。全身の血流が増したのか、修道服から覗かせる肌が真っ赤である。


 「パラレルファクターダブルハンド!!」


 「ダサッ」と誰かが言った気がするがクライドは無視した。


 「あなた、修羅か何かですか?」

 「いいや、魔法使いだ! その証拠に俺の武器はワンドだぜ?」


 背中から四本の杖を取り出した。もはやギャグか何かの領域である。
 相手はニタリと渋い笑顔を浮かべてから謎の呪文を唱え始めた。


 「我が四本の杖よ、我に力を与えたま……」

 「必殺『お米返し!』」


 しびれを切らした先生が四本の杖のうち、二本をぶったぎった。まばたき一回にも満たない、一瞬の居合いである。


 「お前! 変身中くらい待てよ!!」

 「うぬに付き合っていられるほどこちらには時間がない。さっさとかかってくるがいい」


 かかってこいという言葉と裏腹に、先生は青い胴着から音が出るほど激しいラッシュを仕掛けた。ソラとクライドがその様子に驚きつつも、「ああ、こういう人なんだ」と半分諦めたやような顔を先生に向ける。
 敵の腕力はすさまじく、一撃殴るだけで、頑丈なはずの壁に拳形の跡が残る。ワンドに至っては地面に叩きつけるとクレーターが出るほどだ。
 しかし、狭い廊下が災いして、それだけ強力な攻撃を仕掛けているはずなのに、先生に対して決定打が打てない。


 「ぬおお! 壁が邪魔だ! このっ! このッこのッこのぉッ! 補助魔法『アイアンハンド』!」


 どんどん渡り廊下が破壊されていく。物音を聞き付けて様子を見に来た敵の増援も、あまりのあばれっぷりに手が出せずにいる。


 「うぬの攻撃はあまりにも粗雑。その程度の腕で、拙者をとらえられると思うな!」


 修羅か何かのような敵の攻撃を縦横無尽に避けつつ、少しずつ切り傷を増やしていく。
 

 「ふんっ! そうやってチマチマ切りつけるのがお前の攻撃か? どんなに技術があろうが、力の前には無力なんだよぉぉ! 補助呪文『ギガ・フォース』!!」


 敵は両手のワンドを思いっきり地面に叩きつけた。板チョコのように地面が割れ、鋭い断片が先生に降りかかる。


 「でぇい! ぬりゃああ!」


 しかし、先生に届く前に全て切り裂き無力化してしまった。鮮やかに揺れる髪の毛を背景に爽やかな笑みをきめる。
 だが、ワンドを捨てた敵の追撃が先生を襲った!

 「ぐぉふぅぅうっ!」

 なんとか空中に受け身をとり、直撃は避けたものの、腹部に強烈な打撃を受けてしまった。なんとかぶっ飛んで来た先生をクライドがキャッチ、そして勢いよく背中を押してリリースする。
 敵は大振りの攻撃をしたために、体勢を建て直すのに一瞬の隙が出来た。パンプアップした筋肉の重みが仇となったのだ。
 クライドの風の魔法による補助を受けた先生は、すさまじい速度で敵との間合いを詰める!


 「一閃『白 米 斬』!!」

 
 相手の新たに生えた方の二本の腕が吹っ飛ぶんだ!それと同時に急速に敵の体が縮んで行く。まるで空気の抜けた風船のように。


 「うぉぉぉぉ!? まさかお前のさっきまでの攻撃は俺の射程距離だとかを測るためのものか! それとも隙を誘発させるためのものだったのか!?」

 「両方、だ。必殺の一撃は無闇やたらに繰り出すものではない。『必』ず、『殺』すつもりで放つものだ。お前にはそれが足りない。出直して来るがよい」


 パラレルファクターの力を封じられた今、奴は先生の敵ではない。途中危なかったものの、先生の快勝だ。


 「ところで、クライド、ソラ……」

 「ん?」

 「お米が逆流する!」

 「やめ、よせ! バカな真似はやめっ……! おいそこの腕四本だった鬼! よけろ!」

 「クライドさん、手遅れです……」



5



 「お前、クォルと戦ったとき、手加減していたか?」


 呆れながらバトーは言った。

 「人のサンドイッチなんて初めて見ました。美味しそうではないですね」


 ショコラは目の前に積み重なった人で出来た山を見て言った。少なくとも十人以上がその山に使われており、全員いい夢見ながら眠っている。
 先程倒した人相の悪いやつを廊下に放置、近寄った兵を背後から奇襲、人数が多ければ閃光弾を……と、戦っていき、警備を全員無力化したのである。


 「背後から襲い、血管に直接睡眠薬とは……。しかも動きに無駄がない。えげつないな」

 「切ったそばから縫合出来る能力だ。メスに睡眠薬を仕込んでおけば外傷なしで敵を眠らせられる。私は直接殴り合うのが得意じゃないんでね」

 「じゃあ、このノリで人質も救出しちゃいましょうか!」


 敵地のど真ん中でノリノリのショコラに私たち二人は深いため息をついた。何でこんな奴を連れてきてしまったんだろうか。
 彼の能力は確かに優秀だった。手に持つ剣で敵を突き刺せば一瞬にして相手は凍る。その上、異様なほどタフで多少の攻撃は軽やかなステップで全てかわしてしまう。
 その長所を一網打尽にする性格の恐ろしさである。私たちは今、人質のいるはずの部屋と全くの反対方向に走っている。ショコラが明後日の方向にスキップしていくからである。
 その上敵に気づかれる可能性があるので私たちは声を出せない。


 「ほら、つきましたよ」


 全く別の部屋でショコラは止まった。本堂南側、つまり出入り口付近である。少なくとも私ならこんなに人質を救出しやすい位置に隠さない。


 「はぁ、一応見ておくか」


 ガチャリと、扉を開けると案の定、部屋の中には誰も居なかった。ただ、礼拝用の銅像が立てられているだけである。壁画が何枚かある他には何もない。


 「あれ、違いましたかね?」


 そう言って、ショコラが銅像に手をかけた瞬間だった。ガチリと何かスイッチが起動する音が鳴り、床がスライドしたのである。バトーが足をとられ、ぶっ倒れそうになるのを、私が支える。


 「隠し……階段……」


 呆然とする私たちをよそに、ショコラは軽快なステップで階段を下って行った。
 そして、明らかに人質の声がする扉の前まで来てしまった。鉄製の扉は明らかに脱走対策だった。


 「まさか、ここを見つけるとはな。お主らやるのぉ」


 扉の前の踊り場で立ち塞がったのは、一人の少女である。修道服も着ているが、服装さえ違えば公園で走り回っていても、遜色のないほど幼かった。白すぎる肌はアルビノを彷彿とさせる。
 銀色の髪の毛を揺らして、酷く無機質な声で少女は言った。


 「まあ、わらわはお主らと戦う気はない。もはやこの宗教は終わりじゃ。幹部はお主らにほとんどやられたし、残る人員は我らが教王様が、お主らとは別に行動している奴を追い詰めるのに使ってしまっておるのじゃ」


 ショコラがなんの脈絡もなく叫んだ。


 「あっ、どこかであったと思ったら、この前の旅の方ですよね! ボール遊びしたりとか、チャンプルーを食べたりとか……」

 「おお! ショコラか!」

 
 私とバトーが茫然自失としているなか、ショコラと少女の会話はさらに弾む。少女の声も外見年齢相応の小鳥のような声に変わっていた。


 「あのときは楽しかったのぉ!」

 「お名前最後に聞けなかったんですよね……」

 「あ、すまんのぉ! すっかり忘れておったわ。わらわの名前はセレア・エアリスじゃ」

 「ところで、何でこんなところに?」

 「センニューコーサクと言うやつじゃ。この宗教に潜り込んで裏でまあ、色々やっているんじゃよ。だからこの宗教そのものに何のしがらみもない。むしろお主らみたいに人質を助けに来る輩を待っておったぞ。わらわの力だけでは脱走を助けるのは無理があったからの」


 まるで公園で久しぶりに出会った友達と盛り上がるようなノリで今回の作戦が成功しつつあった。


 「ほら、通れ。罠を警戒しておるのはわかっている。そこの女とペストマスクが出入り口を確保しつつ、ショコラが人を先導すればよい」

 「俺は男なんだが」


 バトーの言葉に笑いつつ、壁に埋め込まれた10個のボタンをエアリスが押すと、鉄製の扉はあっさりと開いた。
 予想以上にあっさりと、目的のステファニー・モルガンの社長を確保できてしまった。様々な国から人質を仕入れていたらしく、この社長だけでなく、カルマポリス、メユミッズなど、様々な国籍の十数人の人質がいた。その全てが妖怪であることから、よう済みになった彼らがその後にどうなるかが生々しく想像できた。


 「ふむ、囚われていたという割には思いの外、疲弊していないな」

 「あそこのお嬢ちゃんが待遇をよくしてくれたんだ。定期的に本とかも持ち込んできてくれたし、エアリス様々だよ」


 人質のうち、サムスールの少女が答えた。額にある第三の目は眼帯によって固くとじられている。
 サムサールの第三の瞳と目を合わせると、ある種の感情が流れ込んできて自分では制御できなくなる危険な代物だ。解剖しようとした際に誤って瞳を覗いてしまい、悲惨な目にあったことがある。


 「暇な時間にあたしらの悩みを聞いてくれたりとかね」

 「なるほど。君の名前は?」

 「エスヒナ。よろしく」


 私はエスヒナの様子を見て、人質のなかでももっとも元気だと判断した。社長の方もエスヒナを頼りにしているようで、彼女の人望が伺える。ならば……


 「そうか。エスヒナ、こちらはバトーとショコラ。二人とも氷の扱いに関しては一流だ。この二人と一緒に出口まで人質たちを先導してほしい。外には今頃アンティノメルのヒーローが待機している」


 ショコラが口を挟む。


 「えっ、あなたはどうするのですか?」

 「ソラ、クライド、先生の救援に向かう。エアリスの言葉が正しければ、敵の本隊と戦っている可能性がある!」



6



 バトー、ソラ、クライドの三人は確かに敵の幹部らしき人を倒した。だが、渡り廊下の前後を敵に囲まれるという最悪の状況にたたされた。
 鬼を倒したあと、目の前からの敵の増援が来た。さらに後方からクライドの仕掛けた氷の床を突破した敵が追い付いたのである。

 「彼の役目はあくまで音を出すこと。仲間に敵がどこにいるのかを知らせるためのものです」
 
 ソラの目の前にいる修道服の人だかりが縦に真っ二つに別れた。現れたのはハゲのオッサ……恐らく、教王クロノクリスである。
 白い修道服の中で一人だけ赤いローブをはおり、手には先程の鬼とは比べ物にならないほど高級感溢れる杖が握られている。
 ソラたちは無言で、いつ敵に襲いかかられてもいいように構える。

 「ギーガン、下がって風呂に入りなさい。貴方は十分役目を果たしました」
 「……はい。クロノクリス様」

 先程の先生の『米』を浴びてしまった鬼はしずしすと退散した。
 
 「侵入者、というのは珍しくないですが、まさかあなた方のような強者が三人も同時に現れるとはね。アンティノメルの最高峰であるソラ、リーフリィの自警団の長と同等かそれ以上と言われているクライド、そしてライスランド屈指の剣豪である先生!」

 クロノクリスはすごいですね、と拍手した。軽蔑と侮蔑の合わさった嫌な音が渡り廊下に響き渡る。
 ソラはこの状況をどうにか打開出来ないかと周囲を観察している。

 「ジョン、ギーガン、ジェームズ、アルベルト、キクリ、ヒリカ……ノア新世界創造教の中でも戦闘力を武器にのしあがった四人が全滅するとは。あと残る幹部の中で戦闘が出来るのは私と巫女くらいですかね……もっとも、私が一番強いと自負しておりますが」

 ハッハッハとクロノクリスは大声で笑った。もう勝ったつもりでいるらしい。

 「その力をてにいれるために一体いくらの妖怪を犠牲にしたんだ!」
 「おや、聞いていたのですか。妖怪から魂を抽出して、呪詛の力を移植する技術について。妖怪の死によって完成される力のことを」

 教王を名乗る男はギラリとクライドを睨む。

 「数百の妖怪の犠牲で世界を変える力が手にはいるんです。世界をより良き方向に満ち引くためには必要な犠牲です。……少なくとも、あなたが救えなかった人々よりはずっと少ないですよ?」
 「なっ……」
 「仲間の尻拭いもまともに出来ないガキに言われたくはありませんねぇ。ハッハッハ!」

 剣を握ったクライドの腕が細かく震えていた。
 次にクロノクリスは先生を指差して、欠伸をする。

 「あなたの残虐さに比べたら私なんかかわいい方ですよ? どんなにチャンバラ道場を開いて子供たちを教えようがねぇ? 変わらないんです。人斬りと呼ばれたあなたの過去はねぇ。そうでしょう? 貴方が殺した人はもう二度と帰ってこない。全くもって無意味な話だ。」
 「言わせておけば!」

 先生がクロノクリスに斬りかかろうとするのをソラは制止した。

 「落ち着いてください。勝てる相手にも勝てなくなります」
 「ソラくん。いい加減トラウマと向き合い、その無表情をやめませんか? 暗い部屋に閉じ込められて、ただひたすら命令される、あのときのトラウマとね!」

 ソラの脳裏に『あのときの記憶』がフラッシュバックする。最悪の記憶を無理矢理引きずり出された。

 「うああああぁ!!」

 ソラは悲鳴にも似た叫び声をあげた。

 「無様な格好ですね。そのままではいつか恋人に振られますよ? もっとも向き合ったところでつぶれるのが落ちですけどね。……ハハハッ。その顔、いいですねぇ! もっと私に見せてください。そそられます!」

 目の前に敵がいて、一緒に戦う戦友がいて、そんななか五体満足なのにも関わらず、叫び出す自分。こんな姿をシュンに見られたら、考えるだけで体が震え、立てなくなる。

 「うあ……あぁぁ!」

 「ソラさん! 落ち着いてください! あなたの恋人はそんな薄っぺらな人じゃないでしょう!」

 「ソラ大丈夫か! 落ち着いて深呼吸するんだ。君の好きな人の顔を思い出して」


 トラウマの闇の中に一筋の光が差し込んだ。そうだ、シュンはトラウマに負けそうになったときも、いつでもそばにいてくれた。そうだ、思い出すんだ、シュンの顔を。

 ソラは何とか正気を取り戻すことが出来た。
 それでも戦力差は絶望的だった。前後から十数人の能力持ちを相手に自分達三人で勝てるか、と聞かれてたら流石に首を縦には振れない。その上ソラは精神がズタボロだ。

 「クロノクリス!!」

 クライドと先生の怒りの声で、なんとか雑念を振り切り、ソラは立ち上がった。
 
 「皆さん、殺意がみなぎってますね。ではお望み通りとっておきの舞台、礼拝堂に案内しましょう。そこで、決着をつけましょうか」


 数百人は入れる礼拝堂。その祭壇の背後には、高さ十数メートルにもなる巨大な壁画が描かれている。
 壁画に描かれた人物の胸像は、酷く異様なものだった。その人物はげっそりとした顔つきで眼球がなく、眼窩から血が滴っている。髪の毛に見えるものはよくみると血液であり、見るものを不快にする。
 これこそがノア新世界創造教で数千人が信仰する、創造神『ノア』である。
 ソラ立ちは抵抗することも許されず、後方から信者にじりじりと追いたてられ、ここに閉じ込められたのだった。
 クロノクリスは祭壇の前で演説を続ける。


 「これより、愚かにも教内に侵入してきた愚か者を排除します。さあ、我らが主の前でその力を存分にお見せなさい!」


 うぉぉぉ! という信者の声が礼拝堂を支配する。クロノクリスは世界最高峰がどの程度の力なのか、自分達の戦力はどの程度なのかを把握するため、拘束せず力でねじ伏せるらしい。
 まだ、ソラの心の傷は癒えていないが、戦うしかなかった。

 「先生! クライドさん! 来ます!」

 一斉に信者たちは攻撃してきた。
 ソラの周囲が円状に光輝いた。攻撃を察知してステップバックすると、ほんの1秒前までいた場所に光の柱が立ちのぼった。

 「『PFヘブンズ・レイ!』」

 着地後、態勢を整える前に、目の前の信者の手から雷撃が放たれる。

 「『PFヘルズ・ボルト!』雷撃波を食らえ!」

 雷そのものはナイフで弾いたものの、衝撃によって後ろにぶっ飛ぶ。
 受け身をとりつつ偶然そこにいた、クライドと背中合わせで構えをとる。
 
 「敵は本当に全員がパラレルファクターみたいです」
 「動きは洗練されていないけど、強力な力を持つ敵をこれだけの人数を同時に相手にするのは、俺たち三人でも……」

 クライドは炎の魔法を目の前の信者に放った。しかし、白い修道服に届く前に透明な壁によって阻まれる。

 「そんな生半可な攻撃、『PF ディフェンシブ・ウォール』には効かん!」
 「反撃だ。『PF クイック・ランス』!」
 「俺っちも行こう。『PF ソード・オブ・グリード』」

 クライドは剣使いと槍使いに二人に襲われた。そのクライドを横から殴りかかる信者がいたので、後頭部に回し蹴りを決める。

 「ソラ、ナイスフォロー!」
 
 一方先生は先生で、敵の攻撃をかわしつつ的確に反撃していた。それでも、この人数は厳しいようで、体の至るところに傷がついている。

 「ぬりゃ、りゃりゃりゃりゃりゃ! デイィィヤ!」

 先生が一人信者を倒したかに見えたが、ソラは違和感を感じて『ヘブンズ・レイ』を避けつつ援護に向かった。

 「いくら切っても無駄だ。私の『PF アクア・ラプソディー』は私の体を水と化し、攻撃をかわす!」

 と、敵がいった瞬間に雷の魔法がそいつを貫く!

 「あ゙あ゙あ゙あ゙バチバチバチバチ……」

 「クライド、見直したぞ! うぬには天性の才があるようだ。とはいえ、このままでは持たぬぞ!」

 一見強力な敵にも弱点がある。だが、それを加味しても数が多すぎる。

 「多勢に無勢ですね……」
 
 ポツリとソラは呟くとナイフを強く握りしめ、悠然と敵にたち向かっていった。

 ノア新世界創造教の礼拝堂は剣と魔法と怒号に包まれていた。

 「このままでは、不味い!」

 クライドが眼前の敵に峰打ちを当てた。疲労の色が濃く、さっきに比べて動きが鈍っている。それでも次々と攻撃をかわしつつ反撃している。

 「ヌウゥゥウウウウウウゥゥリャ! ちっ、これではきりがない!」

 先生が三人の信者をぶっ飛ばしながら叫ぶ。その声も枯れてきてきている。

 「やはり俺には無理なのか……」

 ソラは火球をナイフで両断すると、周囲の敵に足払いをかける。ただでさえ、幼少期トラウマを引き出され疲弊している上に、体も思うように動かなくなってきた。
 無理矢理シュンとルーカスの顔を思い出すことで、心と体を維持してきたもの、もはや限界に近い。
 
 クロノクリスの、この戦いによる騒音に負けないほどの大声が部屋を包み込んだ。

 「見ろ! 世界最高峰の戦士三人を、我々は圧倒している! 負傷者も殆んどいない! これが我々、ノア新世界創造教の力だ!」

 ダメだ。気力の限界だ。諦めた方が楽になれる、トラウマも何もかも放り投げて、今この場で眠りたい……。

 「ぜぇ……ぜぇ……」

 半分閉じかけた瞳で仲間を見つめる。
 クライドと先生は敵の攻撃をかわすのに必死で、完全に攻める機会を失っていた。

 「まだ、続けるのですか? この不毛な戦いを。降参して楽になればいいものを! あなたたちは過去から何も変われていない。運命に従いなさい!」


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 俺は何もあれから変わっていないのか? 誘拐され、閉じ込められ感情を捨てたときから……なにも。

 「俺は確かに祖国を助けられなかった! でも、それでも今の俺にはまだ、守るべきものが残っているんだ! こんなところで負けるわけにはいかない!」

 クライドの声がした。

 「私には帰りを待ってくれる子供たちがいる。例え罪の滅ぼせずとも、彼らのために私は戦い続ける!」

 先生が自らを鼓舞する。

 そうだ、俺にも……

 「俺にも愛すべき人がいる。こんなところで立ち止まるわけにはいきません」

 クロノクリスは信者たちに攻撃を止めさせた。

 「全員一斉にPFを発動さろ! 一瞬で敵を葬りされ!」

 その声とほぼ同時だった。ソラの頭の奥底から繊細な男性の声が響いた。

 《今すぐ目を塞ぎ壁側を向け!》

 レウカド先生! ソラはほぼ反射的に壁側を向いた。



 その瞬間、部屋中のPFが解き放たれようとした瞬間、部屋は閃光と爆音に包まれた。
 あまりの音に聴覚が麻痺し、何も聞こえなくなった。幸い壁がわを向いていたお陰で、部屋の中央で炸裂した閃光が、直接目に刺さることはなかった。レウカド先生お手製のメッセージつき幻影弾だった。

 閃光と爆音の両方に曝された哀れな敵達は、突然聴覚と視覚を奪われ、何が起きているのか全く理解ができず、頭を抱えて呆然としていた。
 
 そんな部屋の中を黒い影が高速で動いていた。黒い影に触れた信者達は鮮血をほとばしりながらバタバタと倒れていった。
 偶然壁がわを向いていた敵も、影によって味方の血を浴びせられ、目を塞がれた。大半の信者が何もできずに、目の前の恐怖に顔を歪ませながら倒れていく。耳が聞こえるのであれば、部屋中に絶望の叫び声がこだましていたことだろう。
 倒れた信者の、真っ白だった修道服はワンテンポ置いて、きれいな赤色のまだら模様を作っていく。
 目の前の信者が左右を見渡し、その様子に驚愕し、地面に座り込む。さらには「助けてくれ!」と口を動かしながら、四肢をじたばたさせて恐怖の化身から逃げようとする。しかし、努力むなしく、首から鮮血を吹き出し動かなくなる。
 倒れた信者の首筋を一瞬、確認する傷はない。体がピクリと動いたことから死んでもいない。
 全てを理解した三人は体勢を立て直し、一気に攻勢に出た。無防備な敵にたいして打撃をくわえ、昏倒させていく。精神的な動揺でPFを出せなくなった信者達は、ソラたちにとって格好のサンドバッグだった。
  一瞬にして戦況はひっくり返る。
 視界の端でクロノクリスが何やら叫んでいたが、その声が信者に届くことはない。
 
 先生が隣で、いつもの鬼のような形相で刀の腹をぶち当てていく。クライドは先生が倒し損ねた信者を吹っ飛ばしていく。
 ソラは視界の生きている信者を体術で確実に無力化していく。

 ようやく耳が通るようになる頃には、数人の信者を除いて、敵は殆んど全滅していた。

 「クッ……クッ……クッ……。貴様が隙を見せてくれることをずっと待っていたんだぞ? クロノクリス」

 クロノクリスの目の前に現れた影は、自らのペストマスクをコツコツ、と叩いた。元々黒かったコートが血液によって惨劇の様相を呈している。

 「バカな! なぜ貴様がこんなところに!」

 それが、この作戦を立案した解剖医の姿だった。



7



 ノア教にさらわれていた人質が、アンティノメルのヒーローに保護されていくのを眺めながら、エスヒナとエアリスはノア教付近にあった倉庫に向かった。
 倉庫のなかは各国の軍人がせわしなく動いていた。ノア教制圧のために用意した作戦本部、それがこの倉庫である。
 そのなかでも訊問用の一室で、エアリスとエスヒナは向き合った。

 エアリスがノア教の情報提供と引き換えに要求したのはエスヒナとの面会だった。
 気まずい雰囲気のなか、全く悪びれずエアリスは口を開いた。エアリスはノア教の正装を脱ぎ捨てており、白いドレスを着用している。
 こうしてみると、エアリスは年端も行かない子供にしか見えない。公園で走り回っていてもなんの違和感もないだろう、とあたしは思った。


 「エスヒナ、お主チュリグの出身じゃよな?」

 「ん?  いや、キスビットだけど?」

 「人違いか」


 あたしは世間話かな、と考えた。エアリスは捕らえられていた人にもごくごく普通に接していたし、できる限り恐怖心を植え付けないように努力もしていた。


 「わらわはこの教団の力を利用して、世界の種族差別をなくそうと活動していたんじゃ」

 「え、あんた何やろうとしてたの!?」


 そして、驚愕する。


 「具体的にはこの教団を操り、エルドラン国を占領して、『お主らの国もこうなりたくなかったら種族差別を早急に止めさせろ』と声明を出そうとしていたんじゃ」


 まるで明日の朝御飯を語るかのような表情で、何を言っているんだ! あたしは慌てて反論した。


 「でもあんた、例えそれで種族差別が一時的に消えたとするよ? でも、種族の根底には種族のあり方や考え方の違いが原因になっているんだ。お互いがそれを理解しようと歩み寄らない限り、何度だって差別は起こる」

「情が差別をなくすのか? 情けで差別を消せるのか? ふざけるな!! そんなことで差別が消えるのならば、わらわはもとより存在せぬわ! 恐怖で押さえつければよかろう」


 ドンッとエアリスが机を叩いた。エアリスの白い手から、銀色の液体が飛び散る。しばらくして、ひとりでに飛び散った液体がエアリスの手に向かって集まり、同化した。


 「恐怖なんて所詮一時的なものだよ。慣れてしまえばどうってことない。それに順応して乗り越える力を人は持っているんだ」

 「グッ……」


 緊迫した雰囲気が部屋を支配していた。あたしは直感的にこのやり取りが世界の命運を握っている、ということを感じ取った。
 まずは相手……エアリスを知らなければ。エアリスがなぜそんな極端な思想になってしまったのか。そして何を望んでいるのかわからないと、話しようもない。


 「そもそも、あんた、どこの出身で何者なんだ?」
 「……クロノクリスは従順で強い力を持つ手下を欲していた。そこで目をつけたのが人種差別によって死んでいった子供たちじゃ。子供は純粋で何色にも染まる。その上差別が憎い、という点で強い思念でこの世にとどまり続けておる。そこで、クロノクリスは数えきれぬほどの子供の魂を、反人種差別という思想によって束ね、それをあらかじめ用意した肉体に召喚した。そうして目覚めたのがわらわじゃ」


 唖然としてしまった。あんまりにもあんまりな生い立ちじゃないか。
 エアリスの表情も相まって、とても心苦しい気分になる。


 「じゃあ、単純に考えてもバカみたいな量の魂を小さな体に宿しているわけか」

 「そう。そして、魂の量が多ければそれだけ妖怪の呪詛の力や精霊の信仰の力も強くなる。わらわは普通の人からすれば考えられないほどの力を得たのじゃ」

 「その力を使って世界から差別をなくそうとしていた、と」


 エアリスはピンクの唇を噛みしめて、押し黙った。銀の髪の毛は細かく震えていた。
 そして、宿敵を語るときのように鬼のような形相で矢継ぎ早に語った。


 「……エルドラン国では種族統合の時、妖怪の乗る乗り物は反対派の者たちに強襲された。こどもの親は妖怪なぞ学舎にふさわしくないとデモを起こした。そして学舎では妖怪の子を模した人形を吊し上げにして、数十人で暴行した。外食しようにも、妖怪とそれ以外では区別された。差別反対を掲げるものはたとえ、同胞であろうとぼこぼこに殴られた。お主にも心当たりがあるじゃろう。これが差別の現実じゃよ。わらわは、わらわは差別をする奴等が憎い! 叩き潰したいのじゃ!」


 当然エアリスの魂にはエルドランで差別された子供の魂も、チュリグで差別された子供の魂も入り交じっていはず。だから、エアリスは各国の種族差別をさも自分が受けたかのように語るんだろう。
 そんなエアリスにたいして、あたしは無念の思いがこもった声を口から発した。


 「あたしの親友にね、キスビットのジネという都市の生まれの子が居てさ」


 一息ついてエスヒナは続ける。


 「ジネでは鬼以外の種族は生まれたときから卑下される。子供は最初から夢や希望なんかない。生きていくために必要な知識や教養、技術、社会性、そういったことも知らないまま育つんだ。当然そんな状態じゃ仕事につけない。そもそも、奇跡的に技術や教養を持っていても『鬼じゃない』、たったそれだけで社会から廃絶される。生き残るために残された道は麻薬か恐喝か闇市か……犯罪が収入源なんだ。こんな状態で、差別を止めろと脅しても、逆効果だ」


 脳裏に焼き付いたいまいましい記憶が、鮮明に思い起こされた。心が張り裂けそうになる。
 そんなあたしの話をエアリスは親身になって聞いてくれた。


 「そなたは、ジネを……キスビットという国をそんな国にしてしまった奴等が憎くないのか?」

 「憎い。けど……、いつまでもいがみあっていたら、お互いなんにもわからないだろ? まずは一歩、歩み寄ることが差別解決には必要なんだと思う。エウス村長のように……」

 「そうか……」


 エアリスはもう、反論する気がないようだった。肩を落として、自分の手を見つめている。


 「あたしの夢はキスビットがかつて種族を差別していた鬼と、差別される側だった三つの種族の子供が、一つ屋根の下で暮らしてさ、一緒に笑いあっているような国になってほしい。種族ではなく人格で人を評価するような、そんな国になってほしい。そのためには、力で押さえつけてもダメなんだ。じっくりと辛抱強く話し合っていかなくちゃいけない」


 下を向いたままエアリスはポツリと呟いた。


 「……どうやらわらわが間違っていたらしい。すまんな。エスヒナ」

 「なんであんたが謝るんだ?」

 「間違っているとわかっていて意地をはってしもうたからのぉ。今回人質を救出しにきた者たちを見て思ったんじゃ。あやつらには種族なぞ関係ない、とな」


 彼女が顔をあげた。優しく微笑む彼女の頬に、涙が伝っていった。


 「あたしらだってはじめは差別する奴等を憎んでいたさ。でも、エウス村長の『お互いを知る』って言葉を聞いたとき、救われたんだ。今のだって殆んどエウス村長からの受けおりだよ。それを勝手に自分で解釈して、あんたに話しただけ」


 あたしはエアリスに、ニッと笑いかけると、彼女の肩を撫でた。


 「十分じゃよ。お主、見かけによらず大人じゃのぉ」

 「『見かけによらず』、は余計だ!」

 「ハハハハハ」

 「アハハハハ」

 二人でひとしきり笑いあった後、エアリスが言った。


 「ありがとうな、エスヒナ。わらわはこれから後始末をしにいく。自分で始めたことじゃ、自分で終わらせなければのぉ」

 「あたしはここに残るよ。行ってもきっと足手まといだろうからね」

 「そうか、なら……これを持っておけ。何かの役にたつかもしれん」


 エアリスの手から金属製の箱がみるみるうちに浮き上がってきた。世にも奇妙な光景に目が釘付けになる。


 「あんたの能力、すごいな」
 

 あたしは手渡された箱をまじまじと見た。銀色で掌サイズの正方形だった。箱の上に瞳の模様が描いてある以外、蓋も何も見当たらない。継ぎ目ひとつ無い完全な正方形だった。


 「これ、どうやって開けるんだ?」

 「秘密じゃ。少なくともそなた以外には開けられん」


 そう言ってエアリスは席をたった。あたしもポケットに箱をしまってから、ワンテンポ遅れて立つ。
 

 「バトー。終わったよ。エアリスは信頼出切る。あたしが保証するよ」



8



 「……そうだ。私は読書が好きなのだ。エアリスは本で得た知識より召喚した。私の力は魂の操作だ。人の魂を他人の体に移植できる能力。それを利用してさ迷える幼子の魂をひとつの体に召喚した」

 さっきまでとはうってちがい、今にも消え入りそうな、かすれた声がクロノクリスの口からもれる。当然だ。首を持ち上げているのだから。
 私の後ろではソラ、クライド、先生が増援を警戒しつつ、話を聞いている。


 「数えきれないほどの幼子の魂を融合させて?」
 「……そうだ」
 「それで? エアリスの力は? パラレルファクターは?」
 「それは今にわかる」

 礼拝堂の入り口からバトーとショコラが入ってきた。二人とも礼拝堂の光景(倒れている信者一人につき約80cc の血液が部屋に飛び散っている)に驚愕したが、すぐに私たちのもとに駆け寄ってきた。

 「大丈夫か!」
 「皆さん元気そうでよかった!……この光景のわりには」

 そして続いて、白いウェディングドレスを身にまとった少女が部屋に足を踏み入れる。

 「やはり裏切ったか。セレア!」
 「エアリスと呼べ! お前に名前を呼ばれる筋合いはない」
 「そうか。別にどうでもよいことだ。お前は私の所有物なのだから」

 クロノクリスはかれた声で呪文を唱え始めた。それを確認した私はすぐさま声帯をぶったぎった。私が自分に使ったときは声を大きくする魔法薬を喉に塗ったが、今回は容赦なく声帯を破壊した。
 
 ……はずだった。

 突如クロノクリスの体が重くなった。全身の筋肉の緊張がほどけ、四肢ががっくしと折れ曲がる。あり得ない方向に彼の間接が曲がっていき、地面に伏した。

 「バカな……死んでいる」

 あまりにもあっけない死に、この場にたっている六人は呆然と立ち尽くした。私はゆっくりと後ろを向いた。バトー、クライド、先生、ソラはあり得ないもの見たかのように驚愕の表情をしている。普段はおちゃらけているショコラですら目を見開いていた。
 それと同時に全員臨戦態勢に入る。

 そんななか、頭を抱え、苦悶の表情を浮かべる者がいた。

 「わらわの中に……なにかが入ってくる。止めろ! 気持ち悪い! ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!」


 エアリスは白目を向き、地面に倒れ、背中をえびぞりにして痙攣し始めた。エアリスの体が痙攣によって跳ねる度に、銀色の飛沫が辺りに舞う!
 真っ先に声をかけたのは意外にもバトーだった。

 「エアリス! どうしたんだ!」

 「クロノクリスの奴がぁぁぁぁ! 頭が痛い! 痛いよぉ! 心が引き裂ける! 誰かわらわを……助けてぇ!」

 何が起きている? これはどういうことだ?

 「バトー、とりあえず離れろ! 私が善処する!」

 危険だと判断した私はバトーを押し退けて、容赦なくエアリスにメスを突き立てようとした。
 しかし、メスが今まさにエアリスの胸を貫こうとした瞬間、彼女の痙攣が止まり、私の腕をつかんできた。私はもう片方の腕に握られていたメスでエアリスの腕をぶったぎると、礼拝堂の中央まで飛び退いた。着地したときに、固まった血液が地面から引き剥がされ、ペリペリという音が響いた。

 まるで幽霊か何かのようにゆらりとエアリスは立ち上がった。私が切ったはずの腕は、何事もなかったかのように身体と接着され、動いている。

 「フフフフ。やった……ついにやったぞ! 我は! 我は! 我は!!!」

 見るからにエアリスの様子がおかしかった。顔や体を手でぺたぺたと触り、まるで新調した服の着心地を確かめるかのように、体を捻ったり、ジャンプしたりしている。

 「絶大な力! 不死の肉体! 魂を操る力!」

 エアリスは恍惚とした表情で、見えないはずの天を見上げて高笑いしていた。

 「セレア?」

 ショコラが不安げにエアリスの名前を呼びかけた。それに対しエアリスは嘲笑を交えて答えた。

 「我はセレアではない。セレアの肉体と精神を我―クロノクリスが乗っ取った。我が教団の人員にしていたことと逆だ。通常であれば妖怪の魂を信者に移植し新たな力を得させるのたが、我の場合は自らの魂をセレアに移植し、セレアの魂を乗っ取り融合した!」

 「勝手にあわれな子供の魂を呼び出して、用がなくなったら取り込んで……。お前はエアリス……いや、セレアの気持ちを考えたことはあるのか!」

 バトーの女々しいはずの顔が怒りにゆがみ、恐ろしい様相を呈していた。

 「ないな。もとより死者の意思なんぞに興味はない。そんなことよりこの体を見ろ! 素晴らしいとは思わないか? ガキにはもったいない代物だぞぉ?」

 バサバサとウェディングドレスの裾を上下させた。明らかに挑発としか思えない……いや、挑発以下の下劣な何かだ。私が怒りでわなわなと握り拳を震わせていると、その怒りを体現したような大声がそばで発せられた。

 「この……クズ野郎が!」

 「止めろ! バトー! 冷静さを失って勝てる相手じゃない。落ち着くんだ!」

 今にも氷の剣でエアリスに斬りかかろうとするバトーをクライドが制止した。

 が、それ以上の速度でエアリスに牙を向く者がいた。


 ……私だ。
 
 「ほう、貴様から来るか。かかってこい」

 「『アンダーグラ……』」

 メスを振りかぶった瞬間、目の前に見えたのはエアリスの拳だった。エアリスの小さな拳が真っ直ぐ腹部に吸い込まれていく。体を捻って受け流……あれっ……一瞬にしてエアリスが遠くに吹っ飛んだ……いや、私がぶっ飛ばされたのか? 礼拝堂の入り口のドアをぶち抜き、本堂入り口付近まで滑った。

 「ごふぇッ!」

 息を吐ききってしまった。空気を求めて気管支がしどろもどろするが、肺が広がらないために息を吸うことができない。
 しかたないので、胸をぶっ叩いてなんとか呼吸を取り戻す。ついでに折れた肋骨もメスを差し込んで繋げておく。

 「えっと……よく飛びましたね。殴られて飛ばされた距離で世界記録とれそうですね」

 訳のわからないことをショコラが呟いた。

 「ンハッ………ゼェ……ゼェ。なっ何があったクライド!」

 「拳で殴られただけだ。本当にそれだけだった! これはいったいなんなんだ!」

 クライドの困惑した声が聞こえた。

 「私は先程までセレアの体だったから手加減しなければ……とか考えていました。本当は『エアリスの体を傷つけて本当にいいのか!』とか叫ぶつもりだったんですよ……。今のでやめましたが」

 遠くに見える先生もあきれているようだった。

 「はっはっは! どうだこの力は! 我はお前たちを倒し、腐らないうちに肉体を補強し、魂を再び込め、エアリスと同じように使役する。世界でも有数の僕が一瞬にして出来上がるのだ。そうなればチュリグさえも制圧出きるだろう。我が支配する新世界の幕開けだ」


 こいつ! 世界を敵にまわすつもりか!



9



 「ゴホッ……エアリスはクロノクリスの能力で無理矢理数多の魂を融合させ、肉体に縛り付けられているだけだ。倒せば肉体がどうであれ子供たちの魂は成仏するはず。容赦なくやれ!」

 私の呼び掛けに対してソラが前に出た。ゴーグルをつけ、赤いコートを羽織直し、ナイフを構える。

 「……俺がやります。バトーさん、サポートお願いします」

 「……ソラわかった。奴にどれだけ俺の剣が効くかわからないが……氷冷剣!」

 バトーは右手に持つ剣に水筒の水をかけ、瞬時に凍結させた。あっという間に短剣が長剣になる。こんな芸当も出来るのか……。
 さらにバトーは左手の手のひらに、右手で何かを描くと、水筒から残りの水を全て注いだ。私がバトーの金髪ショートと凛々しい女顔に見惚れていると、いつの間にかバトーの左手に細身の剣が握られていた。実に珍しい氷の剣の二刀流だ。


 「いでよ…我が聖なる刃……『氷斬剣』! まぁ、勝てるかどうかは別として……ソラ、いくぞ!」


 礼拝堂の祭壇前にいるエアリスに、二人は一気に距離をつめた。


 「二人がかりか。卑怯ものめ!」


 ソラは思わず叫んだ。


 「あなたが言わないで下さい!」


 ソラのナイフがエアリスを襲う。しかし、エアリスは右手を瞬時にナイフに変化させ防いだ。
 その直後、バトーの剣を手刀で防ぐ。みるみるうちにエアリスの手刀が長剣に変形する。


 「素手だと思ったらそういうことだったのか……


 バトーはそのままエアリスに流れるように二本の剣を振るっていく。ソラも同様にフェイントと体術を交えながらエアリスの喉元を狙う。礼拝堂に金属音がこだました。
 エアリスはソラの足払いを一歩引いて交わしつつ、バトーの剣を受け流す。ソラが腹部を狙ってきたのをみて、ナイフを叩きつけて軌道をそらせる。バトーが顔を狙うのを、上方向に剣を動かし弾く。
 私はクライドと目配せしてから、小言をこぼした。


 「世界最高峰のナイフ使いと剣使いを同時に相手してやがる」


 クライドはバック転で宙を舞い、エアリスの後ろに着地した。そのまま、剣をエアリスに突き刺そうとする。しかし、エアリスは左の足を一時的に大剣に変化させて、クライドを迎え撃つ。剣と剣が思いっきりぶつかり、キィィィーーーーンという不快な音が発生した。


 「……五月蝿いな。神に無礼だとは思わないのか?」


 クライドは思わぬ反撃に祭壇に不時着した。
 さらにエアリスは左足の大剣をバトーとソラの戦闘の補助に使い始めた。剣とナイフと大剣の訳のわからない斬撃によって徐々に二人が押される。


 「このままでは……危険です!」

 「俺たち二人を相手に……クッ」


 助けにいきたいのは山々だが、もはや私の手出しできる次元の戦いでは……ない。
 エアリスは両腕を大剣に変化させて、二人をなぎ払った。バトーはなんとか避けられたものの、ナイフという間合いの短い武器を使っていたソラは、胸部に一の字の傷を負ってしまった。無言でソラが顔をしかめる。


 「今だ!  ショコラ!」


 礼拝堂の中央にいたショコラが剣を地面に刺すと、剣から発生した霜がまっすぐエアリスに延びていった。その霜がエアリスに到達すると、一瞬にして彼女を氷付けにした!


 「《居合い 玄米断》! シャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャ……!!」


 どこから奇襲したのか、突然現れた先生がすんごい速度で斬撃を繰り出した。速すぎてもはや目で追うことが出来ない。


 「……シャシャシャシャシャァァァァ! 細切れになれぇぇぇい!」


 先生の刀によって全身バラバラになっているにも関わらず、どうにか人形を保つエアリスの体に、ソラが追い討ちをかける!


 「そして、砕け散る」


 ソラによる腹への一撃が決まった瞬間、エアリスの体は粉々になって、背後の祭壇やその奥のノアの絵画にまで、飛び散った。だが、不可思議なことに飛び散ったのは血の赤ではなく、銀色の液体だった。


 「警戒を怠るな! 何か嫌な予感がする!」


 凍りつき非常に滑りやすくなっていた床で、見事に技を決めた先生とソラを後ろに下げた。
 その時だった。倒れていた信者達が一斉に立ち上がり、出口の方へ逃げていった。恐怖の声を撒き散らしながら。


 「まあ、教祖様があの様じゃ、逃げたくなるのも当然だよね……」


 礼拝堂の中央に戻ってきたクライドが呟いた。

 しばしの沈黙の時が訪れた。よく、耳を済ませると、本当に小さいが……何かが地を這うような異音がする。その正体を探そうと見回しても何もない。血まみれの床以外目にはいる物がない。

 突然、隣にいた先生が教壇を指差した。


 「……? 何もないじゃないか」

 「違う! その教壇に飛び散っているものだ」


 ショコラが眼鏡をかけ直してから答える。


 「ええ? でも、教壇の上ってエアリスの断片がうごめいているだけじゃないですか?」

 「ちょっと待って! 細切れにされた身体が動くことなんてありえてたまるか!」


 私が驚愕している間にもエアリスの断片はどんどん移動している。壁についた金属の粒も、床に落ちた斑点の一つ一つも、全てが意思を持って一ヶ所に集結しようとしていた!


 「ショコラ! もう一度凍らせろ!」

 「ようやく気づいたか! バカどもが!」


 金属の粒が空中で糸を引きながら集合し、一瞬にして教壇の後ろにエアリスが再生した。

 
 「凍らせて、細切れにして、完全に止めを刺したはずなのにどうして!」


 ソラが絶句する。他のメンバーもあんまりの光景に冷や汗を顔に滲ませた。

 「破壊されようが何をされようが、我は甦る。なぜならそれは、我が神であるからだ!」


10



 ショコラの攻撃がエアリスに届く前に、エアリスが宙に浮き上がった。そして、彼女の背中から黒い三角形の構造物が形成された。ドレスの下からバーナーのような筒が左右対称に一本ずつ出ている。ライスランドの飛空挺に見られる飛行エンジンのような形だった。(これを人が入れる大きさにすれば、空を飛べそうだった。仮名をつけるとしたら飛行機……いや戦闘機か)
 さらにエアリスは両方の腕をガトリング砲のような形に変形させ、私たちに向けた。ダダダダダとあり得ない音をたてて銃弾が発射される。

 私たちは散り散りになりながら、弾丸を避ける。ガトリングガンとしか形容しようのない、無茶苦茶な兵器だ。
 それを空を飛びながらそんなものをばらまいて来るのでたまったものではない。


 「ぐぁッ!」

 「バトー! 大丈夫か!」


 バトーのわき腹辺りを玉がえぐったらしい。みるみるバトーの服が赤く染まっていく。空を飛んでいる相手に攻撃出来るのは、この場では風の魔法で宙を舞えるクライドしかいない。
 しかし、仮にクライドが奇跡的に攻撃できたところで、エアリスに肉体を再生されて終了だ。最悪だった。
 すぐ右で先生が息を荒くしていた。


 「シャ゙ァ゙ーーーーー!! どうにもならないのかっ! 無敵か! 奴は」


 と言いつつ、余裕でガトリングガンを刀で弾き飛ばしている辺りさすが先生だった。

 ショコラはショコラでまるでダンスを踊っているかのような、超人的なステップで弾丸を交わしている。

 突然ずるり、と嫌な音がした。滑り防止の加工をしてあるはずのブーツが、地面の血だまりに足をとられた。何事かと思ってよく見ると、銀色のヒモが私の足に巻き付いていた。ヒモをたどっていくと、エアリスの右足から垂れていた。足払いか?
 みるみる視界が変わっていき、最後に天井が見えた。私は完全に体勢を崩したらしい。


 「てこずらせおって。死ね!」


 マシンガンが体に注がれた。コートに無数の穴が開き、衝撃で巨体がガタガタと揺れた。先生が割って入り、途中から銃弾を弾いたが、もはや手遅れだった。
 ……まあ、肋骨が数本と胸骨にヒビが入り、肩に一発めり込んだだけだが。こういうとき心の底から防弾コート・ベスト・ズボンにありがたみを感じる。とはいえ動けるようになるまであと数分はかかりそうだった。


 「ペストマスク! ぐッ……。これでも食らえ!」


 その隙に、空中で見えない足場を踏むかのように跳んだクライドが、エアリスを後ろから奇襲した。私を倒して慢心したエアリスの両手足を、クライドの剣が何度も切り裂いていく。さらに追撃の火炎がエアリスを焼き尽くす。
 しかし、エアリスはわずかに硬直しただけだった。彼女の体の表面が溶けかかっているにも関わらず、先生の方に突撃した。
 切り裂かれ液状と化した手足が、空中で糸を引きながらエアリスと同化する。さらにエアリスの両手だったものがカッターのついたドリル変形し、回転した。
 先生はこれはヤバイと察知したのか、ジャンプしつつ避ける。だが、空を飛べるエアリスには関係ない。先生に向かって一直線に飛行する。


 「ぬあぁぁぁぁぉぁお!」


 先生の痛々しい悲鳴。しかし、ドリルの先端が触れてから数センチメートル掘り進んだところで、バトーの氷の魔法がヒットする。再びエアリスが怯む。その隙にソラが先生を救出した!
 胸部から漏れる血液はかなりいたそうだったが、まあ、先生のことだし……、大丈夫か。
 だが、このままではいずれ負ける。どんなに敵に傷を与えようがダメージは通らない。やがてこちらの気力体力が尽き……負ける。

 延々と戦いは続いていった。数で圧倒しているのにも関わらず、各国最高クラスの逸材が集まっているのにも関わらず、勝負は防戦一方だった。エアリスの剣とガトリングガン、さらには呪詛によるカマイタチにより、6人の体には決して浅くない傷が刻まれていく。
 もう何時間と戦っている気分だが、実際には戦い始めてから十数分しか経過していない。

 一条の光も見えぬ闇の中にいるようだった。ソラは土にに埋没するかのような暗い顔をしていた。先生は奥歯をきつく噛み締め、クライドは肩で息をしながら上目遣いでエアリスを睨む。バトーは何か打開方がないか考えているようだったが、唇は固く閉じている。






 これが……絶望か……。






 「なるほど! さっきの連係攻撃でエアリスの弱点、わかりましたよ!」

 ショコラがぱちんと指を鳴らそうとして失敗したのに対して、この場にいる全員が驚愕の眼を向けた。

 「わかったのか! ショコラ」

 ショコラは自信ありげに頷いた。


 「彼女には致命的な欠点があります。それは……」

 「我に弱点などない!」


 エアリスは手をヒモ状に変えてショコラにつかみかかろうとした。しかし、ショコラのやたら軽快なステップで交わされてしまう。


 「ほらほら、どうしましたか? 弱点がわかられて不安ですか?」


 一瞬ショコラが私たちに顔を向けた。いつものショコラからは想像できないくらい、鋭い目付きだった。


 「あいつ……まさか……自ら囮に?」
 

 私はバトーに顔を向けた。バトーも作戦を悟ったらしい。


 「くっ……奴は話し合う隙すらくれない。こうでもしないと作戦を練れん。なにも言わずに……真っ先に一番危険な役目を買っていきやがった……」

 バトーが悔しさに顔を歪めると、その肩を先生が叩いた。

 「危険を承知で請け負った、ショコラの心意気を無駄にはできん! さて、早速だが、あやつは熱や冷気を浴びたとき再生の速度が落ちていた。温度変化に弱いのではないか?」

 先生の言葉に対し、私がすかさず口を開く。その後ろでショコラがエアリスのガトリングガンをかわしている。見事に敵の注意を引き付けていた。

 「医学校でまなんだことなんだが、物質には活動状態というものがある。俗に言われる個体、液体、気体というやつだ。本来は温度で変化するものだが、エアリスの場合は恐らく、液体金属を液体↔個体を意図的に操り肉体を構成しているのだろう」

 クライドが頷く。

 「それなら、凍結されたときに再生に時間がかかったのも理にかなっているね。恐らく無理矢理体温を引き上げて、自分の体を個体から液体にしようとしたから時間がかかったんだ。あと、さっきから顔を全く変形させていないから、人で言う脳の辺りに再生を司る機関があるのかも」

 続いてソラが結論にたどり着いた。

 「つまり、極端な温度変化に弱いということですか? ならショコラさんかバトーさんがエアリスを凍らせてクライドさんが炎の魔法をエアリスの頭部に当てれば……」

 私がソラの言葉を引き継ぐ。

 「エアリスは自分の体を制御しきれずに自壊するはずだ。例えるなら、外が冷えているからと暖炉を炊いたら、突然真夏のような気温になり、暖炉の熱と合間って熱中症になったバーサン……、みたいな感じか」

 ソラが訝しげな表情をこちらに向けた。

 「解剖鬼さん、意味はわかりましたが、なぜその例えにしたのかが全く理解出来ません」
 
 「私なりのくだらんジョークだ」

 私はエアリスの方を向く。

 「なんという持久力。だが、いくら凍らせたところで我は倒せぬぞ? やはり、はったりだったか。ハッハッハ!」
 
 私たちはショコラとエアリスの間に割って入った。部屋の中央でエアリスと向き合う。エアリスの後ろの絵画は、マシンガンによって穴が無数に空いている。教王にとって、もはや神を信仰するのはどうでもいいことらしい。

 「ショコラ、お前のお陰で助かったぞ!」

 エアリスはチッと舌打ちをすると、ショコラを指差した。

 「まあ……よい。ショコラ。貴様は一番最後に殺してやる」

 エアリスの背中の飛行ユニットからミサイルが合計6発放たれた。さらにマシンガンで追撃してくる。
 私は先生の影に隠れて銃弾から守ってもらいつつ、メスを投げた。メスが突き刺さった四つのミサイルは着弾することなく空中で爆発した。残る二つはバトーの作り出した氷柱によって迎撃された。
 敵の注意はミサイルを迎撃したこちらに向いている。

 「いまだ!」

 ソラがショコラの目の前でかがんだ。ショコラはソラを踏み台にして華麗にジャンプする。さらに風の魔法で浮き上がったクライドがショコラをトスし、さらなるジャンプを可能とした。横からエアリスを強襲する!

 だが、エアリスが気づくのが早かった。エアリスはの全関節を90度曲げることで、一瞬でショコラと向き合った。さらに腕がナイフに変形しかかっている!

 「ショコラ! 避けろ!」

 出来るはずがない、とわかっていても反射的に叫んでいた。あまりのショックにスローモーションになった。交通事故直前に車がゆっくりと見えるアレである。
 回りの仲間が全員揃って苦悶の表情を浮かべている。空中でエアリスの腕がゆっくりと伸びていく。ショコラは避けられないと察し、相討ち覚悟で剣を振るう。だが、どうみてもショコラの剣よりもエアリスのナイフが体を突き刺すのが先だった。
 私は目をつむりたくなるのを我慢し、ショコラの最後を凝視する。私がこの旅にショコラを誘ってしまったからこうなってしまった。本来なら一人で旅立つべきを仲間を道連れにしたのだ。すべての責任は私にある。だが、今私に出来ることは彼の死を見守るしか出来ない。
私の責任だ。私の責任なのだ。この先ショコラを失ったドレスタニアが、この世界がどうなるかわからない。しかし、どうなろうとも私がしたことであり、私の罪だ。

 ちくしょう……。

 畜生ぉおおおおおおおお!!!




 私が涙を垂れ流しながらみた光景は、ショコラの死ではなかった。何者かによって放たれた矢によって、エアリスはこめかみを貫かれ、体勢を崩していた。

 「行くんだ! ショコラ!!」

 グレムの怒号が遠くから聞こえてきた!彼とコロ助の放った一撃がこの世界の運命を変えたのだ。
 この瞬間、この光景を見ていたショコラとエアリス以外の誰もが叫んだ。

 「行けぇぇぇぇぇぇ!」

 ショコラの一撃がエアリスを捕らえた! エアリスの胸が、ドレスが手足が顔が、一瞬にして凍りつく!
 さらにクライドが剣に炎を宿らせ、墜落するエアリスに突撃した! あらんかぎりの力でエアリスを切り裂きまくる! さらに一旦距離をおき、前方に手をかざして炎の魔法を魔力が尽きるまで連射した!
 
 「ばかな! なぜ再生しない! 我は不死身だぞ?! 不死身なのになぜ体が崩れるのだ!」

 「あなたは不死身ではありません。神でもありません。独りよがりの……ただの狂人です!」

 ソラは崩壊寸前のエアリスの顔に打撃を食らわせた。エアリスの顔が液体になりながら砕ける。

 「うぬに利用された子供たちの思いがわかるか!『斬滅――米櫃(コメヒツ)』ウシャア゙ア゙ア゙ァ!」

 先生がエアリスの胴体をズタズタに引き裂く! その横でバトーが二刀の剣を振りかぶる!

 「お前は純粋な幼子の魂を己の欲に利用した、悪魔だ!」

 最後にバトーがエアリスの頭部を凍結させた。


 長い静寂がこの場を包んだ。


 ……終わった。


 エアリスの残された体が液状に溶けていき、そのあと蒸発する。これまで、蒸発して攻撃を避けるような素振りを見せなかったことから、気体となった肉体を彼女は制御することが出来ないはずだ。


 「……勝った。全員の力を全て用いてようやく……」


 一気に力が抜けたような気がした。同時に全身の傷の痛みが私を襲った。あまりの痛さに座り込む。


 「でも、セレアが……」


 ショコラの声は悲壮に満ちていた。


 「彼女は悪意はなかった。方法は強引だったが、俺たちに差別を止めさせようとしただけだった。なのになぜ……」


 バトーが天上を仰ぎ見た。


 「人を利用して命をもてあそぶクロノクリス……。全て奴のせいです」


 ソラが悔しさで拳を握りしめる。


 「彼女を救いだしてあげたかった……」


 先生の声にははりがまるでなかった。



 全員が沈むなかで、何か妙な異音が聞こえた。オオオオォォォォと、高速で何かが飛んでくるような音だ。

 私は何かと辺りを見回した。どうやらその音は、不気味な神、ノアの肖像から聞こえてきているようだった。頭から地を垂れ流し、この世の全てをもてあそぶかのような嘲笑を浮かべる、クロノクリスの崇めた神。

 「なんだ! これは!」

 私が叫んだ時だった。ノアの肖像の口が盛り上がった。まるで何かを吐き出すかのようだ。そして、紙が耐えきれず破れ、その中から出てきたものは……。

 「そんな……」

 見覚えのある顔だった。華奢な足、ウェディングドレスに、ガトリングガンと化した両腕。背中の戦闘機のような飛行ユニット。少女には似合わぬ力に溺れた邪悪な笑み。



 『エアリス2 交戦する』
 『エアリス3 交戦する』
 『エアリス4 交戦する』



 一同唖然として、一瞬無防備になった。

 容赦なく3機6丁のガトリングガンが私たちに向かって掃射された。私は自分の身を守るので精一杯……だった。……なんだ、頭がぼんやりする。おかしい……。血が暖かいぞ? 信者たちの……垂れ流した血液は……既に冷えているはずだ。

 いや……そもそもなぜ……私は地面に伏せて……。仲間は……どうなった……クッ……。

 いっ……意識が遠く……


 「こやつ、助か………とわかって身代……に!」

 「しっか……てください!」

 「下がっ……私とバトーが傷…凍…せ……」



11



 「これ、どうやって開けるんだろうな~」

 エスヒナは机にふして、ため息をついた。額のバンダナがずり落ちそうになって、慌てて直す。
 エアリスの去った後の部屋で、ずっと彼女のくれた箱と格闘していたのだった。

 「うーん。剣で切っても再生する。魔法を受けても傷つかない。俺様でもさすがにお手上げかなぁ」

 リーフリィ自警団の団長であるクォルも途方に暮れた顔で手のひらサイズの箱を見た。継ぎ目のないフォルム、目の装飾以外はなんの特徴もない、金属製の箱だった。
 かわいい女の子に良いところを見せたいクォルだったがお手上げだった。
 エスヒナは二度目のため息をつく。

 「重要な物が入っていると思うんだけどなぁ」

 エスヒナは正方形カドを床につけて、対角のカドを指で押さえ、くるくる回転させて遊び始めた。

 「それにしても、これどんな技術で作られてるんだ? 剣で切ろうが液状になって再生する。一応目の装飾が再生の機能を持っているみたいだけど、肝心の装飾そのものも、再生しちゃうとなると……。エスヒナ、なんかエアリスがヒント言っていなかったか?」

 くるくる回転する箱。エスヒナはエアリスが何て言っていたかを思い出していた。




 『これ、どうやって開けるんだ?』

 『秘密じゃ。少なくともそなた以外には開けられん』




 私以外にはむり。なんだろう? 暗号か何かか? うーん。目の装飾……



 「クォル。この部屋から出て、あたしがいいよって言うまで待ってくれない? 試したいことがあるんだ」

 「おっ、何か気がついたか?」

 「うん。ただ、第三の目を開けるから……」

 「わかった。絶対に部屋には入らない」

 クォルはそそくさと部屋から出ていった。部屋に鍵をかけると、エスヒナは慎重に額につけていたバンダナを外した。そして、サムサールの特徴である第三の眼を開いた。
 エスヒナの種族であるサムスールは、額に第三の眼を持つ。その瞳を見たものは特定の感情に囚われてしまう。そして、額の持つ感情を、そのサムスール自身は持たない。エスヒナの瞳が持つ感情は……

 「クォル! やったぁ! 開いたよ! あんたのアドバイスのお陰だ」

 額にバンダナをつけたエスヒナが、扉の外に待っているクォルに抱きついた。よほど箱を開けられたのが嬉しかったらしい。

 「うぉ!? やったなエスヒナ!」

 一方クォルは、棚からぼたもちを下さった天に感謝した。が、世話しなく働いているアンティノメルのヒーローらの冷たい視線を感じて、すぐにエスヒナから離れた。
 机の上に開きかけている箱がおいてある。

 「まさかこんな形であたしの力が役にたつとはなぁ。はじめてだよ、こんなの。今まで邪魔としか思ったことはなかった……」

 額のバンダナを撫でながらエスヒナが笑った。

 「あばたもえくぼだな。すごいと思うぜエスヒナ! それじゃあ早速中身を開けてみるか……ん?」

 《お主の手でショコラに渡すのじゃ♪♪》

 「メッセージが側面に出てきた? さっきまでこんなのなかったよね、クォル?」

 「俺様が護衛するから安心して?」

 「えっ! あたし行くの?! っていうかあんたがあたしの護衛!?」

 「えっ……まっ……まあ、この分だとエスヒナが渡さないと意味を成さないんだろうからなぁ。まあ、あっちにはバトーもクライドもいるし、その上俺が行くとしたら護衛にグレムがつく。心配すんな」
 
 クォルの心に浅い傷がついた。

 「まあ、後のことはともかく、とりあえず開けてみよっか」

 エスヒナはゆっくりと立方体の蓋を開けた。

 「えっ……」

 「これ、あれだよな。ドレスタニアの……」



 コンコンッ、と扉の叩く音がした。



 「どうぞ?」

 エスヒナはゆっくりと扉を開けた。

 まず最初に茶色いコートを身に纏った鬼が出てきた。

 「おはようございます。自警団団長クォルさん。私はアンティノメルの警察を統括するルーカスと申します」

 次に露出の多い民俗衣装に身を包んだ女性が入ってきた。見るからに活発そうである。

 「我は今回クレス王国、ダズラ王国連合部隊を率いるダズラ王国王女、スヴァ=ローグじゃ。出会えて高栄じゃ」

 クォルはあんまりの豪華メンバーにたじろいだ。

 「えっ……アンティノメルの警察のトップとダズラ王国の王女様!?」

 「ドレスタニアにて外交官を勤めさせて頂いておりますエリーゼです。ガーナ様の代理で参りました。以後お見知りおきを」
 
 「……レカー城親衛隊副隊長のオムビスと申す」

 エスヒナは自分の記憶を手繰り寄せるので精一杯だった。誰も彼もが学舎や新聞で見聞きしたような名前ばかりだったからだ。
 彼女の褐色の肌に冷や汗がだらだらと浮き上がる。

 「おっ……おう。俺はリーフリィ自警団団長のクォルだ。よろしくお願いするぜ!」

 ひきつりながら笑うクォルの横で、エスヒナは頭を下げまくっていた。

 スヴァ=ローグはニヤリと笑った。

 「ようやく人の目や法の網を潜り抜けてきた、ノア輪廻世界創造教を公的に潰せるチャンスが来たのじゃ。存分に叩き潰そうぞ!」


 なんでこんなところに来ちゃったんだろう……とエスヒナが後悔しはじめた時、ドレスタニアの外交官が机の上に置かれた箱に気がついた。

 「これ……ガーナチャンプルー、ですよね?」



12



 「これで終わり……ですか」

 目の前には、ソラたちの絶望を体現するかのような存在が浮いている。全員が力を合わせて、ようやく沈黙させたエアリス。それが全く同じ姿形で三機。
 容赦ないガトリングガンから仲間を守るため、ペストマスクの医者が真っ正面に立ち被弾した。さらに流れ弾を先生が弾き、ようやく敵の攻撃を防げた。
 しかし、ペストマスクは床で仰向けのまま動かない。先生は左手に玉が被弾しており、地面に膝をついている。
 
 エアリスはすでに発射体勢に移っている。次にガトリングガンを掃射されれば敗北確定だ。そうでなくても、ここにいるソラ、クライド、バトー、ショコラ、そして傷ついた先生にこの状況を逆転できるだけの力は残されていない。
 例えこちらが万全であったとしても、すさまじい再生能力と圧倒的な攻撃力を合わせ持つ、エアリス三機を沈黙させるような手はないだろう。
 ソラの頭に様々な幻影がフラッシュバックした。誘拐された時の光景、助けられた時に浴びた日光、ヒーローになった日の様子、ルーカス様、そして……愛する人の顔。
 自分はこれから死ぬんだ……。ソラは死を覚悟して、下を向き、両腕を前で交差した。これから走るであろう激痛に耐えるためだ。
 地面に向いたとき、ペストマスクと目があった。腕に緑色に輝くメスが握られていて、柄をこちらに差し出していた。ソラは反射的にペストマスクが何を望んでいるかを察して、そのメスを受け取った。


 その瞬間、解剖鬼の言葉が脳裏に響いた。一秒にも満たない出来事にも関わらず、ソラは解剖鬼の伝えたことを全て理解した。

 『このメスは私の力、パラレルファクター・アンダーグラウンドの源だ。メスの内に妖怪の魂が宿っている。このメスを失えば、今の私は仮死状態になってしまうが致し方ない』

 『飛び去ったエアリスを逃せば恐らく都市国家カルマポリスに向かってしまうはずだ。カルマポリスはこの国からそう遠くはない上、町のエネルギーをワースシンボルと呼ばれる巨大な水晶に頼っている。ワースシンボルが奴の手に奪われれば、国一つ分のエネルギーがエアリスの手に落ちることになる。さらに運が悪いことに、カルマポリスは妖怪の国だ。PFを量産できる下地が揃っている』

 『あと少し耐えれば、人質がいたために動くことが出来なかった、カルマポリス・ドレスタニア・アンティノメル・リーフリィ・ライスランド・クレスダズラ連合軍が増援に来る』

 『増援が来るまでエアリスを押さえつけて欲しい』

 『無理を承知で頼んでいる。私が始めたのにもかかわらず、自分の尻拭いさえ出来ない。君の見込んだ通り、私はとんだ悪党のようだ。厄介ごとだけ押し付けて、自分は仮死状態ときているクズだ』

 『だがパラレルファクターの力だけは本物だ。主でないソラでは潜在能力を引き出すだけで精一杯だろうが、君は私たちの中で一番若く、可能性がある。自分を信じるんだ』

 『もうすぐ夜が開ける。君が勝つにしろ負けるにしろ、黎明の刻、決着がつく。世界を救え! ソラ!!』


 メスはソラの中に取り込まれるように消えていった。

 ソラは今まさにガトリングガンを放とうとしているエアリスと、仲間の間に立ち、ナイフを構えた!

 ソラは感情がなかった。正確に言えば押さえつけていた。過去に誘拐されたとき、恐怖や苦痛などの圧倒的な負の感情をから自分を守るため感情を、記憶を封印した。ソラが今までずっと敬語で話し、表情を変えずに感情をこめず話すのはこのためであった。
 しかし、解剖鬼のメスに触れることで神経を一時的に書き換え、ソラの記憶と心が甦った!



 ソラの心に鼓舞されるかのようにバトーが立ち上がった。

 「……救い出さなければならない人がいる。エスヒナと約束したんだ。絶対に……彼女を……セレアを助けると!」

 クライドもそれに続く。

 「俺たちには帰りを待ってくれる人がいる。こんなところで倒れたら、ラシェやラミリア達になんて言い訳すればいい! 俺を信じてくれる人がいるんだ。俺は絶対にあきらめない!」

 先生が再び闘志を燃やす!

 「私は絶対にお前に打ち勝ち、勝利の白米を、(あとお菓子も)子供たちと一緒に頬張るのだ! こんなところで立ち止まっている暇はない!」

 エアリスがドレスを翻しながらいい放つ。


 『何をどうしようが、この絶望的な戦力差は変わらぬ』
 『貴様らの冒険はここで終わりだ』

 『菓子にうつつを抜かした過去のお前ら自身を恨むがよい』

 ソラは嘲笑を響かせるエアリスを無視してクライドに話しかけた。

 「クライド、剣を借りるよ」

 「その様子……何か手があるんだな!」


 ソラは静かに頷くと、クライドから剣を受け取った。


 「解剖鬼さんから、とって置きのプレゼントを貰ったんだ。俺は……いや『僕は』……僕のままで戦う」

 「ソラ……その口調……」

 「……僕のこの口調、見せたことなかったね」

 ソラはエアリスに向き直ると剣とナイフを構えた。解剖鬼のメスによってソラの潜在能力が引き出されていく。
 それが頂点に達したとき、ソラは剣を振るった。

 剣は何もないはずの空間を切り裂き、穴を作り出した。その中にソラが入ると、エアリスのうち一機が真っ二つに引き裂かれ、その間からソラが飛び出した。
 さらにもう一機のエアリスの胴をぶったぎる。

 「入ると別の場所に瞬間移動する穴を作ったのか! なんという奥義! 奇跡でも起きたか!」

 先生が思わず叫んだ。

 3機中2機のエアリスが胴をぶったぎられ、攻撃を中断した。
 残る一機は掃射に成功したが、先生が刀を使い、何とか玉を弾いた。片腕ケガしているわりに全く剣の腕が落ちていない。

 「君に何が起きているのかはわからない。でも、何はともあれ……やってやれ! ソラ!」

 クライドに氷斬剣を新たに作り出し、渡したバトー。その声援にソラが答える。

 「うん! ただ、長くは持ちそうにないんだ。攻撃の度に力が抜けていくのを感じる。一人で戦うと多分、一瞬でいつもの状態に戻ると思う」

 ショコラが嬉々とした表情でフォローする。

 「私たちがサポートするので、出きるだけ長く持たせてください。皆で戦うんです!」

 ソラは光のともった目で声援に答えた。


 「貴方達の安全も考えないとね!」


 そう言うと目に止まらない速さでナイフで仲間の空間を切り裂き、万が一ガトリングガンが撃たれても関係ない方向へと繋がるワープホールを作り出した。

 「僕らは戦うんだ……仲間のために、皆のために!」

 ソラは剣には炎を、ナイフには冷気をまとわせた。この力によりエアリスの機能を停止させるようとする。

 エアリスの内二機は復元を終えるとマシンガンを乱射した。

 さらにもう一機は手を刃のついたドリルに変形させ突っ込んできた。

 「僕には効かない!」

 ソラは目の前の空間を切り裂きマシンガンの玉を防ぎつつ、ドリル持ちのエアリスの頭部を空間ごと切り裂き、異空間に消し飛ばした。

 「ソラ! ナイスだ! シャゥ!!!」

 頭部を破壊されたエアリスの体を、先生が一刀両断した。エアリスはたちまち気体と化し、蒸発する。

 「僕は戦うんだ! 逃げない! どんな逆境だろうと仲間と支えあって乗り越えてやる!」

 さらに、マシンガン持ちのうち一機に接近すると、炎の剣と冷気のナイフでエアリスを目に止まらぬ速さで一気に切りつけた。

 切りつけられたエアリスは再生不良に陥った。フラフラと地面に落下するエアリスをショコラがとらえた。

 「これで止めです!」

 ショコラの奇襲により二機目のエアリスは頭部を凍結され、胴体は蒸発した。

 残る一機のエアリスも両手を剣に変えてソラを強襲する!

 「効かないよ! 僕は今…全てを出し切る!」

 エアリスの剣を、胴体を、頭部を、熱気の剣と冷気のナイフで切り裂く!
 そして、墜落したエアリスにバトーとクライドが止めをさした。

 「矢面に立って、皆を助ける。困っている人がたとえこの地のはてにいようとも全力で助けにいく! そこに国も種族もない。それがアンティノメルの……ヒーローだッッッ!!!」

 オオオオ! というすごい早さでなにかが飛行する音が、破れた絵画の穴から聞こえてきた。

 ソラはその隙に、ナイフとメスを持ちかえ、先生の傷口から銃弾を摘出し、服を破り包帯の代わりにして治療する。
 さらにエアリスが開けた絵画の穴の中に入り、奥へと突き進んでいく。絵画の中は緩い傾斜になっており、幅十メートルはある巨大な通路となっていた。左右の壁に蛍光灯が埋め込まれており、無機質な光で部屋を照らしている。

 奥からジェット噴射の音と共に、もう一機のエアリスが出現した。


 『エアリス5 交戦する。貴様らはどうあがいても勝てん』

 「まさか、あやつは量産機か!」

 「でも、僕たちは既に君たちを停止させる術を持っているよ! さあ、止まれっ!」

 出てくれば出てくるほどソラの腕は上がっていく。ソラはクライドに炎を宿らせた剣を返すと、ナイフでエアリスの頭部を的確に凍らせた。

 クライドは残る魔力を全て使い、剣の炎を強めるとエアリスの頭部に突き刺す。さらにショコラが追撃をして、流れるようにエアリスを破壊した。

 ソラ、クライド、バトー、ショコラ、先生はさらに奥へと突き進んでいく。下り坂が終わると、通路の左右の壁がガラス張りになった。その中にはまるでファッション展のマネキンのように直立したまま動かないエアリスが並んでいる。

 「エアリスが同時に起動できるのは恐らく三機まで。でも、在庫は……相当な量がありそうだね」

 クライドが苦悶の声をあげると、ソラが言った。

 「でも、何機来ようが僕たちは負けない!」

 ソラはメスを手に持つと、空間を切り裂きワープホールを作った。数百メートル先に繋がっている時空の穴だ。
 ソラたちがワープホールを潜り抜けた先には、巨大な空間が広がっていた。薄暗い空間に黒いビルのような建物がいくつも立ち並んでおり、その窓一つ一つの内側に緑色の液が満たされており、異形の生物が浮いている。
 異世界にでも来たかのような錯覚に陥る空間を進んでいると、真横の建物の窓がいきなり割れて、中からエアリスが飛び出してきた。


 『エアリス6 交戦する。言っていられるのも今のうちだ』
 『エアリス7 交戦する。やがて、決して勝てないことに気づくだろう』


 ソラは解剖鬼のメスを大きく振りかぶると、新たに飛来した二機のエアリスに向かっていった。
 ナイフでエアリス6を凍らせ、頭部を解剖鬼のメスで突き刺す。アンダーグラウンドが発動し、脳神経を書き換え修復機能を無力化する。
 さらにソラのメスを避ける際に隙のできたエアリス7に、ショコラが剣を突き立て、クライドが熱し、バトーが止めを刺す。

 五人はさらに突き進んでいく。

 突然、クライドの黒髪が激しく揺れ、暴風が一行を襲った。カマイタチだ。
 ソラとその後ろにいた先生、なんとか耐えることができた。ショコラに至ってはあり得ない動きでカマイタチをかわした。しかし、バトーが風の刃に容赦なく切り裂かれた。吹き飛ばされて、建物の壁に激突する。


 「バトーさん!」


 ソラが近づこうとしたとき、


 「俺に……構うな! お前の成すべきことを成せぇ!」


 とすさまじい剣幕でバトーが叫んだ。


 「……でも……」

 「行けッ! ソラ!」


 迷うソラの手をクライドが引いた。クライドはバトーの意思を尊重したのだった。


 『エアリス8 交戦する。いい加減、諦めたらどうだ?』
 『エアリス9 交戦する。何機倒されようか蚊ほどにも
効かぬ。どこまで行こうと貴様らの望む場所にはたどり着けぬ』
 『エアリス10 交戦する。貴様らに与えられるのは絶望だけだ』



 「だったら早いところカルマポリスに行ったらどうなんだい? この奥にエアリス……いやクロノクリスにとって絶対に俺たちに渡すことのできない大切なものがあるんだよね? だから俺たちを野放しに出来ない。余裕ぶっていても内心は慌てているんだろう?」


 ソラはエアリス8に熱を帯びたナイフを突き刺し沸騰させ、ショコラに向かって投げた。ショコラが的確に頭部を凍らせ、クライドが胴体を切り裂き、先生が頭部を『白米断』して破壊する。

 さらに気合いをいれるとエアリス9に解剖鬼のメスとナイフで、すさまじい斬激を放ち、再生不能になるまでエアリスを切りつけた。

 だが、このときにソラの体に変化が訪れた。


 「ハァ……グッ……なんでしょう……急に力が……」


 急速に解剖鬼のメスの力が衰えてきたのだ。

 『エアリス11交戦する。パラレルファクターの力はそう容易く扱えるものではない』
 『エアリス12交戦する。時間切れだ。消えるがいい!』

 一瞬の隙をつき、クライドにエアリス10が接近した。クライドは燃ゆる炎の剣で切りつけようとするが……


 「こんなときに……クッ……まっ……魔力切れ……かよ」

 クライドの剣が弧を描きながら宙を舞った。

 脇腹を貫かれ、クライドはその場に膝をつき、ゆっくりと倒れる。クライドを中心に赤い円が広がっていく。
 真っ先にショコラがクライドに近づき、傷口を凍らせようとする。

 だが、二人のエアリスのガトリングガンによって阻まれてしまった。
 ソラはなんとか避けたものの、先生が被弾してしまった。


 「ぐふぅ……ちっ……おむすびさえあれば……」


 倒れていく先生を見ながらソラはショコラに叫んだ!


 「行ってください! この場は僕たちがしのぎます!」


 ナイフでショコラの横を切り裂いた。空間の裂け目が作られ、ショコラの体が勝手に引き寄せられる。


 「そんな、無茶苦茶ですよ! 今すぐやめて……」

 「ショコラさん、皆を……世界を頼みましたよ……俺は……もう……無理です」


 弱音を吐き出す。口調、声の抑揚、いつものソラへと戻った。消え去る直前にソラに解剖鬼のメスを託す。

 ショコラはワープホールによって、さらに数百メートル前方まで飛ばされた。
 残ったソラは無表情でエアリスと向き合っている。

 『ほう。ショコラ一人だけ先に行かせたか。まあ、よい。あやつにアレがどうこうできるはずがない』
 『我々は残ろう。エアリス12、ショコラを足止めしておけ』
 『エアリス12 了解した。抜かるなよ10、11』


 一機減ったとはいえ、まともに動けるのはソラだけだった。先生、クライド、バトーはもはやピクリとも動かず、耐え抜いたソラも、感情と潜在能力の解放の代償として全身の筋肉が痙攣していた。


 「でも、それでも俺は……」

 『そうか。ならば死ね』


13


 戦いの音を背後にクォルとエスヒナ・解剖鬼を乗せたイナゴ豚はショコラの後を追って行った。



 膨大な量の本がひしめき合う図書室に響く剣のぶつかり合う音、銃声。

 『どうした? 避けてみろ。ショコラ! 貴様は剣で我を刺さなければ能力が発動しない。地面に刺して地面そのものを凍らせ、その上に乗っている者を凍らせるということも出来るようだがこうして浮いている限りは届かない。詰みだよ、詰み。神の力の前には何者も無力なのだ』

 白いウェディングドレスに赤色の斑点が残る少女。しかし、その顔は少女に見会わぬ険しい表情だった。
 それに対して、ショコラは剣を構えていた。青い貴族服に身を包み、ずり落ちそうになる王冠と眼鏡を整えて、あどけない顔に余裕の笑みを浮かべる。

 過剰なステップの神業的足さばきでエアリスのガトリングガンを避ける。


 『貴様……? 何者だ? 我の知っているショコラは容赦なく敵に刃を振るうような者ではない。身を危険にさらし敵に情をかける愚か者。それが我の知っているショコラだ』

 「……僕は剣を重ねればわかります。あなたの中にセレアはいない。クロノクリスであったときのほんのわずかな感情も今では感じられない。あなたはただの量産機です。命も魂も感じられない、意志と力だけで動く人形です。そんな今のあなたに情などかける必要はない」

 『シックスセンス(第六感)か。だが、それだけでは貴様の能力は説明できん。剣から動作を読み取ろうとしても、考えを読めるのはぶつかり合うその瞬間だけだ。次の攻撃を予測できても、全ての攻撃をかわすなどということは出来ないはず。なぜだ……なぜかわせる?』

 エアリスは腕を槍に変形させ、ショコラを串刺しにしようとする。だが、無駄があり、最適化もされていないはずのショコラの動きを、なぜかとらえることが出来ない。
 
 剣、ナイフ、ガトリングガン、ミサイル、かまいたち……何をしようがショコラはバレリーナのような奇怪なステップで避けてしまう。

 『ちっ、あともう一機いれば何とかなったものを。かくなるうえ……』

 「俺様登場ぉぉぉぉぉおおお!!」

 突然の大声と共に、廊下の奥からイナゴ豚に乗った剣士が姿を現した!
 ショコラに気をとられていたエアリスは反応することが出来なかった。イナゴ豚から飛び降りたクォルがエアリスの胴体をぶったぎる。
 地面に落ちさえすればエアリスはショコラの射程内だ。ショコラが地面に剣を突き刺すと、剣から白い蛇が這い出るかのように地面が凍っていき、エアリスに触れた瞬間、彼女を凍結させた。
 
 「クォルさん、ありがとうございます!」

 「ショコラ、お前は俺様が乗ってきたイナゴ豚に乗って、エスヒナと解剖鬼と一緒に最深部を目指せ。俺様はここに残る」

 「危険すぎます! 相手はその道の達人三人でようやく渡り合える強さです」

 クォルは自分を親指で指すと、大声で笑った。

 「大丈夫だ。死なない程度に頑張るから。クライドちゃんやバトーちゃんの敵も打たなきゃいけないしな。……それに、ここで誰か囮にならなきゃ先進めないだろ」

 クォルはそういうとエアリスを剣で切り裂いた。

 「でも……」

 クォルはニヤリと顔を歪め、ショコラを睨んだ。決死の覚悟をみたショコラは折れるしかなかった。

 「わかりました。健闘を……祈ります」

 ショコラがイナゴ豚に乗るとエスヒナと、それにしがみついている解剖鬼を乗せたイナゴ豚が後ろからやって来た。

 「クォル! なんであんたも来ないの」

 「女の子にかっこいいところを見せるためだ! 行け!」

 ショコラはメスを解剖鬼に向かって投げた。メスは解剖鬼がキャッチするまでもなく、首もとに突き刺さると、そのままめり込んで行った。
 その瞬間、死んだように動かなかった解剖鬼が、生き返ったかのように声を発した。あのメスは解剖鬼のために、ソラのエネルギーをちゃっかり拝借していたらしい。随分と主人思いのPFのようだ。

 「行くぞ! ショコラ、エスヒナ」




 ショコラの剣の付け根に、ソラと一緒にエアリスと戦ったときに付着した、エアリスの一部を氷付けにしたままくっつけている。ショコラは剣と触れた者の思考を読み取ることができる。エアリスの体の一部と剣が常に接した状態を維持することで、ショコラはすべてのエアリスの思考を読み続け、攻撃をかわすことができたのだ。

 そんなことを知るよしもないショコラは、通路の最後の扉をあっさりとこじ開けた。

 「こっ……これは?!」

 ショコラは目を見張った。通路を抜けた先は黄昏時の草原だった。
 
 「この、地面の黒いのって何?」

 エスヒナが足元にある、半ば地面に埋まった黒い物体を指差した。私はペストマスクの位置を直すと、呟いた。

 「棺桶だ。等間隔に無数に配置されている」

 ショコラが顔をひきつらせていた。氷の刃を介して何が入っているのかわかってしまうのだ。

 しばらく広大な墓地を歩いていくと、目の前に銀色の液体で満たされた湖があった。そして、その対岸にノア輪廻世界創造教の教祖がいた。
 赤いローブに身を包み、この世が終わりそうな時でも平然としていそうな、冷徹過ぎる表情。紛れもなく、クロノクリスだ。

 クロノクリスが指をパチンと鳴らした。

 一呼吸置いた後に、湖の水面に美しい銀色の髪の毛が、愛らしい少女の顔が、麗しいウェディングドレスが、ちっちゃな可愛い足が、浮上する。

 さらに数千もの棺桶から一斉に黄金色の光が少女に向かって放たれた。

 空中を浮遊する少女はゆっくりと眼を開くと、貪欲に光を吸収し、その顔に似合わぬ邪悪な笑みを浮かべる。

 エアリスが誕生したのだ。

 「あんなに簡単に作れるものなのか!?」

 エスヒナが驚愕の声をあげた。

 「常温で気体である液体金属。それを幾千もの魂で物質状態を制御し、肉体とする。それがエアリスの正体だ。銀の湖を介して電話感覚で私はエアリスに指示を出せる。もっとも魂の量の関係から、同時に遠隔操作出来るのは、三機までが限界だ」

 「じゃあ、クォルが戦っている一機、サヴァ様たちの戦っている二機で打ち止めなんだ?」

 エスヒナがいぶかしげに尋ねる。それに対しクロノクリスは嘲笑を交えながら答えた。

 「だが、この空間内であれば直接操作できるのだ。つまり、ここなら操ろうと思えば十機でも二十機でも同時に操ることができる」

 「ばかな! そんなこと出来るはずかない!」

 私は思わず叫んだ。それが事実なら本当に勝ち目がなくなる!

 「我は神だッ!!」

 クロノクリスは近くにあった棺桶を踏みつけながら、演説を続けた。

 「しかも、我はこの棺の中の魂一つ一つと融合している。貴様が今の私を封印したところで、棺からもう一人の私が甦るだけだ。見ての通り魂のストックはいくらでもある。倒されるわけがない」

 教王は一息ついて、どす黒い笑みを浮かべる。

 「どこまでセレアを利用すれば気が済むんだ! 平和を望んでいるはずのセレアを戦争に利用し、ピンチになれば、自分の身代わりにして……あんたに……人の心はないのかッ!」

 エスヒナが瞳に涙を浮かべながら叫んだ。彼女は直接セレアの話を聞いているのだ。憤怒に身を包むのも無理はない。たが……

 「それがどうした! 我がこの世に君臨すれば、絶対神ノアの元、世界はひとつとなる。その頂点に我が立つ。我がこの世を理想郷に先導するのだ! その為なら、そこら辺に落ちているゴミにも劣るような下劣な魂を使い捨てるくらい、なんのためらいもない!」

 「この屑野郎!!」

 怒りが頂点に達したエスヒナを私が取り押さえた。今は怒りに身を任せて動くべきではない。だが、エスヒナの、クロノクリスを完膚なきまでに叩きのめしたいという気持ちも痛いほどよくわかる。だが、我慢だ。
 ショコラは平生を装っているが、手に持つ剣が震えている。

 「なんとでもいえ! 怒りに任せ殴りかかってこい! その瞳で私を射抜いてみろ! 肉体を持たずとも存在できる時点で、我の前にはどんな物理的な武器も、あらゆる兵器も無力だがな」

 クロノクリスは大きく手をひろげ、高笑いを響かせた。
 間を置かず、何機ものエアリスが次々と誕生していく。悪夢のような光景だった。

 「ハッハッハッハッハッハッ!! 見ろこの美しき光景を! 芸術品だよ彼女らは! 世界を支配する美しきお雛様だ。さぁ、始めよう、雛祭りを!!」

 暁に照らされて不敵な笑みを浮かべるウェディングドレスの少女。低コスト、低労力、ハイスペック、全てを兼ね備えた究極の量産兵器がそこにいた。恐るべき兵器が空を、地を、埋め尽くしていく。
 かっ、……勝てない。ここまで来ると仲間を何人つれてこようが無駄だ。ハサマ王か、プロレキスオルタでもつれてこない限り無理だ。全員にカマイタチを放たれて、三人分のひき肉と、二匹分の豚肉の完成だ。ずいぶんとグロテスクな三秒料理だッ! ライスランドの料理コンテストにでも出ていろ! クスがッ!

 完全に起動する前に何らかの対抗手段を用いなければ負ける!!

 「あわわわわ! どどどどうしましょう!?」

 ずれ落ちそうな王冠を押さえながらショコラが言った。
 
 「エスヒナ、そういえば何か持っていなかったか?」

 ようやく冷静さを取り戻したエスヒナは、陰りのある顔で首を横に動かした。

 「銀色の箱。中身は……『ガーナチャンプルー』なんだけど……」

 私は唖然とした。

 「は? ドレスタニア名物の? あのガーナチャンプルーか?」

 知り合いが好んで食べていた。一度食ったら忘れられないくらい苦い食べ物である。でも何でそんなものをセレアはエスヒナに渡した?

 「あ、それ、昨日セレアと一緒に食べました。彼女は美味しそうに並べていましたが……」

 見るからに嫌そうな顔だな……。まあ、苦手な奴に罪はない。癖が強すぎるだけだ。

 「……? 強い……苦み……セレアが知っている……」

 エスヒナが何かを察して私に聞いてきた。

 「何か思い付いたのか? もう、あんたしか頼れそうにない。あたしはあんたの指示に従うよ」

 苦み……たしかうるさいとも言っていた。彼女に痛覚はない。だが、視角・嗅覚・味覚・聴覚・触覚といった、生体の基本機能は備わっている。
 そうだ! それだ! これなら行けるかもしれない。

 「ショコラ、エスヒナ! 最後の作戦を言うぞ!」

 二人の顔がぱぁ! と明るくなった。

 たが、私の作戦を聞きくうちに驚きの表情に変わり、そして、どんどん萎えて来るのが伝わった。特にエスヒナ。

 「はぁ! そんなんでエアリスが倒せんの!? あいつ、世界有数の実力者を数人同時に相手にして、なお優位に戦いを進めるような奴でしょ! それがこんな……」

 ふざけているのか、と憤るエスヒナをショコラがまあまあ、と押さえた。

 「私は行けると思いますよ。少なくともセレアなら、引っ掛かってくれると思います」

 エスヒナはショコラの謎の自信に驚きつつ、仕方ないかといった、顔で渋々承諾した。

 「はぁ、ドレスタニアの王が言うんだったら仕方ないか。まあ、普通にやっても駄目なのは目に見えてるしね。単純明快だし。それに……確かにセレアなら引っ掛かる気がする」

 「二人とも協力に感謝する」

 勝負は一瞬だ。失敗したら負けだし、仮に作戦通りに行っても効かなかったら無意味だ。

 この一瞬に全てをかける!

 地上にいる数十機のエアリスが一斉にかまいたちの呪詛を放とうとする。さらに空中でカラスのように大量にはびこるエアリスが一斉にガトリンガンを向けてきた。

 「エスヒナ、今だ!」

 エスヒナは腹を膨らませて大きく息を吸うと、思いっきり、全身全霊をかけて叫んだ!

 「セレアァァァァーーーーーーーーーー!!!」

 アンダーグラウンドによって声帯に直接魔法薬を塗り、増幅させた魂の爆音である。

 ペストマスク越しでも聞こえるその声は、エアリスにも届いた。一瞬、あまりの音量に加え『セレア』と呼ばれたことによって、全機フリーズする。
 エスヒナという、心を許した人に名前を呼ばれたことで、眠っていた何百何千という魂が一斉に反応した。一度に膨大な量の感情がクロノクリスに流れ込んだことで、一時的にクロノクリスの人格が子供たちの感情に押し返されたのだった。

 「ばっばかな! セレアの人格は完全に封印したはずだ! なぜだ!」

 その隙に、ショコラがイナゴ豚をカタパルト変わりに、勢いよく射出! 手に持ったガーナチャンプルーの入った箱を思いっきりクロノクリスの口にぶちこんだ!

 「ムグゥゥゥ?!!」

 その瞬間だった。聴覚によって表面に浮上した子供たちの感情が、ガーナチャンプルーの味によりさらに後押しされた。まるでダムで無理矢理押さえていた水が決壊するかのように、激情がエアリスを飲み込む。

 突然、ショコラの隣にあった墓の蓋がはずれた。中からサターニアの少年が目覚めた。

 「お兄ちゃん、ぼくたちと遊んでくれた」

 次にエスヒナの回りにあった、棺桶から鬼の女の子が起き上がった。

 「おねぇちゃん、わたしたちの話し相手になってくれた」

 そして私の目の前の棺桶から、精霊の青年が目覚めた。

 「おばさんはオレたちのことを助けようとしてくれたな」

 「オッオバ……!? それ、言っちゃダメなやつだからな! みんなに秘密にしてるんだから! まったくこれだから子供は……」

 私が衝撃の告白を聞いたときにはすでにほとんどの棺桶から子供たちが目覚めていた。

 『助けてくれてありがとう』
 『遊んでくれてありがとう』
 『悩みを聞いてくれてありがとう』
 『おいしいものを食べさせてくれてありがとう』
 
 何千という子供たちからの感謝の言葉が夕日の草原に染み渡っていく。私は素直に感嘆した。これが本来のセレア、か。

 しばらくして、だんだんと、お礼のざわめきが小さくなっていく。

 完全に沈黙したとき、銀の湖から一人のエアリスが浮上した。ウェディングドレスではない、子供用の白のワンピースを身にまとった、かわいい女の子だった。私たちが見た中でももっとも若いエアリスだ。そんな彼女が子供っぽい笑みを浮かべ、私たちに語りかけてくる。

 「わらわたちはセレア。差別を受けてこの世に未練を残していった魂……」

 彼女の声に合わせて、棺桶から解放された子供たちが口を動かしていた。

 「よくぞ、わらわたちを再び目覚めさせてくれた。本当にありがとう。本当に、本当に、ありがとう……。そしてクロノクリス、お前はもう終わりじゃ」

 子供たちが一斉にクロノクリスを指差した。統率のとれすぎた動きに、一瞬恐怖を感じた。

 エアリス誕生の時にも見られた、黄金色の光がクロノクリスの体から解き放たれた。すると、まるで風船が萎むかのようにクロノクリス体がみるみるしぼんで痩せこけていく。

 「ぬぉぉぉあああ! 力が抜ける! 私が支配したはずの子供たちの魂が離れていく! 融合が……魂の繋がりが……リンクが……解ける!!」

 それを確認したショコラは、クロノクリスの頭部に氷の剣を突き立てた!

 「おのれぇぇ! ショォォォォォォコォォォォォォララァァァァ!!!」

 驚愕の表情のまま、彼のハゲ頭が、胴体が、手足が凍っていく。ついにクロノクリスは完全に凍りついてしまった。

 同時に、ドレスを着た量産型のエアリスが全てを蒸発して消え去った。

 甦る甦るとクロノクリスがほざいていたのは、子供たちの魂一つ一つと融合していることが前提だ。融合をとかれた今、クロノクリスはただの人も同然。一人の魂の力では液体金属を操ることすら出来ない。肉体が凍らされた今、クロノクリスは完全に動きを封じられたはず……


 ……だった。


 だが、それでもクロノクリスは消え去りはしなかった。

 クロノクリスの肉体からぼんやりとした光が抜け出ていく!

 「油断したな! 私は魂だけでも生き延びられる不死の存在。肉体を抜け出して誰かに憑依すれば……」

 霊体となったクロノクリスの高笑いが聞こえてくる。

 「不味いぞ! あれは礼拝堂でエアリスを乗っ取った時の!」

 「また、誰かが乗っ取られるんですか!」

 「しつこすぎる!」

 万事休すか。私の心がとうとう折れかかったときだった。

 魂だけと化したクロノクリスが……。

 「なっ、なんだ貴様ら! 離れろ! この糞餓鬼がぁぁぁ!」

 子供たちが許すはずがなかった。数百人の子供たちが殺到し、クロノクリスの魂をもみくちゃにする。

 「やめろ! 何をする気だ!」

 「子は親に似ると言うじゃろう? お主がやったことと同じじゃよ。呪術により、お主の魂を棺桶の中に封印する! 皮肉じゃな」

 「うわぁ! そんな! 暗い中でたった一人永遠の時を過ごせと言うのか! 止めろ! 頼む、止めてくれぇぇぇーーー!!!」



 ガゴンッ!




 ……それがクロノクリスの最後だった。




 「あたしら、やったんだよな? 作戦成功?」

 エスヒナが信じられない、といった顔で私を見つめる。
 実感のわかないまま、私とエスヒナは急いでショコラの元へ駆け寄った。
 そんな私たちをセレアは微笑ましく見守っていた。


14


 私たちは勝ったのだ。


『魂を操る力はわらわのものではない。クロノクリスのものじゃ』



○ドレスタニアより
・ショコラ
エリーゼ

・レウカド




『人工的に作られたPFも、クロノクリスの支配から解放され、消え去るであろう。もはや、エアリスの量産も不可能。この施設もあやつが死んだことで機能を停止した』




○アンティノメルより
・ソラ
・ルーカス
・シュン



『もっとも、あやつの死ぬ間際に支配した、この体だけは維持出来たがの』





○リーフリィより
・クライド
・クォル
・バトー



『だが、わらわは政治に干渉する気はない。無闇に力を振り回せば世界に破滅と混沌をもたらす、というのが今回のでわかったからのぉ』




○ライスランドより
・先生
・オムビス

『これからは、怨念や定めに縛られず自由にすごそうと思う……』




○グランピレパより
・グレム
・殺す助


『お主らのような誇り高き者たちと出会えて本当によかった。そなたらと出会ったことはわらわの生涯の宝じゃ』




○クレスダズラより
・スヴァ=ローグ



『ありがとう。わらわはそなたらに感謝しても感謝しきれぬ』



○キスビットより
エスヒナ



『また出会う機会があれば、今度は仲間であることを切に願う』





○チュリグ(外伝)より
・ハサマ王
『では、さらばじゃ』




○エルドラン(自国)より
・解剖鬼
・セレア
・クロノクリス



 視界がまだぼやけている。眼前に作業台があり、何者かが薬を煎じているところだった。彼の着る黒いコートが私に安らぎを与えてくれる。

 「起きたか。気分はどうだ?」
 「生き返るような気分だ。フッ……フッ……。アロマだけでもここまで効果があるとはな」

 視界がはっきりしてきた。作業台の綺麗な手見つつ、華奢な腕をたどっていくと、やがてドクターレウカドの得意気な顔が視界に入った。
 ここはドレスタニアの裏通りにあるカレイドスコープという医院。つまり、ドクターレウカドの診療所である。

 「……今思えば、全部夢のような気がする。ドクターレウカド、あれは全部夢だったのか? 各国を回り、仲間を募り、邪宗を打ち倒し、世界の平和を守った。まるでファンタジーか何かだ」

 「夢じゃ困る」

 ドクターレウカドは薄暗い部屋のすみに置かれた、華やかな雛壇を親指で差した。そこだけ空間が切り取られたかのように華やいでいる。
 私は照れ隠しにペストマスクを掻いた。黒い手袋とマスクが擦れて皮同士の擦れる音が響く。
 フゥ、と煙を吐き出すとドクターレウカドはニヤリと笑った。

 「あんたから貰った報酬は有効活用させてもらう」

 「え? 妹のレウトコリカに全部貢ぐって?」


 業務用のイスに座っているらしい、レウカドは一旦白い髪の毛をかきあげた。そして、顔をしかめて私のマスクの眼窩を覗く。メス顔に凛々しさが宿った。


 「どういう聞き間違えをしたらそうなるんだ!」

 「何も間違ったことは言ってないだろう?」


 私は全く臆せず穴だらけの防弾コートを整えながら答えた。
 ドクターレウカドはばつの悪い顔で舌打ちをした。さらに白く繊細な指で、煙菅を机の上にそっと置く。その丁寧な動作に少し見とれた。苛ついていても道具は大切に扱うようである。


 「昨晩といい、今日といいどれだけ俺に迷惑をかければ気が済むんだ……」

 「いいだろう? それ相応の対価は払っている。因みにその机の上の雛菓子もまともに買えば相当高価なものだぞ?」


 ドクターレウカドは作業台の上に手をつき、トントンと指で机を叩く。机に降り積もった灰が規則正しく宙に舞う。


 「このあと外せない予定があるんだ。早く帰ってくれ」

 「レウトコリカとのデート?」


 ドンッ! という音が治療室に響いた。慎ましく小さなイスに座っていた私は、転げ落ちそうになった。


 「あんたなぁ!」

 「キレた顔もかわいいぞ、ドクターレウカド。まずは手をおさめろ。そしてにこりと笑え」


 私が両手の手のひらをしたにして、待て待て、とドクターレウカドをなだめる。
 レウカドは手を引っ込めると、普段ではあり得ないくらい爽やかな笑顔を私に向けた。
 そして、ばっと顔を押さえて青ざめる。


 「お前……今何をした?」

 「『命令した』。それだけだ。もう一度命令する。『自然に笑え』」


 レウカドはしょうがない奴だな、と微笑を浮かべた。並のキャバ嬢を遥かに越える絶品の笑みである。


 「……ッ! なっなんだ! 命令に逆らえないッ!」

 「『雛祭り』の呪いだ。今日一日女の命令に男は逆らえん。艶かしい貴方の顔、しかと拝見させてもらったぞ! クッ……クッ……クッ」


 レウカドははっとした目で私を見た。


 「シュン……クォル……バトー……クライド……先生……グレム……ショコラ……まっ、まさか!」

 「そうだ! 全員男だ! もちろん全員に試したぞ? 皆の百点満点の表情をくれた。因みに特におすすめなのがバトーの女の子ポーズ!」


 ダン! と黒い物体を私はコートの中から出した。またしても机の上にわずかに降り積もった灰が、舞い上がった。

 「カルマポリス製呪詛エネルギー式インスタントカメラ改良型!」

 「世界を救うことを口実にして、あんたなぁ!」

 「貴方が最後なんだ。これで私の今回のコレクションが完成する。頼む。とりを飾ってくれ」

 つっかかるドクターレウカドに、私は獲物を狙う蛇のように滑らかな動作で前のめりになった。レウカドの吐息がペストマスクの先端に当たって、音が内部に反響する。はぁ、はぁ、という音が堪らんッ!

 「観念しろ! そして、愛想よく私に撮らせろ! ポーズも指定するからな! 逆らったらもっともぉっと酷いポーズをやらせてやる」

 「おかしいだろ!? 蜂の巣にされて何でそのカメラだけ無事なんだ!?」


 「セレアとグレムに修復改良して貰った!」

 「グレムはわかるがセレアって誰だ?」

 「種族差別によって無念の死をとげた子供たちの魂の集合体。レギオンとも言う」

 「なんでそんな奴にカメラの改良を頼んだんだ!」

 すんごく慌てるドクターレウカドもいい!!

 「金属に精通してたからな」

 レウカドは私からカメラを取り上げると地面に叩きつけた。しかし、液状となり飛び散った挙げ句、数秒後には元通り復元した。

 「嘘……だろ……」

 「いいじゃないか。因みにエリーゼさんに言ったら、現像した写真と引き替えに、女性陣の撮影に協力してくれた。ほら、スヴァ様のサービスカットとエスヒナの決めポーズ。エリーゼさん本人の写真もあるぞ!」

 レウカドは体を仰け反り、あからさまに拒否の姿勢を見せた。動揺のあまりドタドタと足音をたてて後ずさるも、メス顔でそれをやられると嗜虐心しか沸かない。

 「ひっ……! この変態カメラマンがッ!!」

 「さぁ、おとなしくしろぉ……」

 「くっ、意思とは無関係に体が……服従のポーズを……うわぁぁぁぁぁ!」


 「……」


 「……」


 「……?」


 両手を顔にかざしてどうにかカメラの魔の手から逃れようとするポーズのまま、ドクターレウカドは止まっていた。今に襲いかかるシャッター音に怯えつつも、いつまでたっても聞こえてこない音に違和感を感じたらしい。指と指の隙間から私をチラ見している。
 私はペストマスクの先端を撫でながらフゥゥとため息をついた。


 「……無理矢理とっても虚しいだけだ。旅を通して数々のドクターレウカドの姿を見てきて、今、悟った。私が見たいのは雛祭りの呪いで無理矢理ポーズを取らされているドクターレウカドではない。日常のちょっとした仕草に宿るあの蠱惑的な魅力こそが好きなのだ。たまに見せる男らしさがいいのだ。今のレウカド先生の姿は私の求めているものと違う」

 「すまん、写真を撮らないのは嬉しいがその言い分は退く」

 全身を使って嫌悪感を露にしたドクターレウカドに私はイタズラっぽい笑みを浮かべる。もっとも、レウカド先生からは見えていないだろうが。

 「大丈夫。雛祭りの魔力で全部わすれるだろう」

 「余計に質が悪い……本当にもう、さっさと帰ってくれ……昨日の今日でもう俺は疲れた。得たいの知れない薬で体だけはなぜか元気だがな」

 「フフッ……もう満足だ。今度またお世話になるぞ」

 「二度とくるな」

 「はいはい」



 私は意気揚々と店を後にした。カレイドスコープと書かれた看板と、そこに吊り下げられている美しいサンキャッチャーを見上げつつ右手に曲がる。暗がりの路地を歩いていき、ボウフラの湧いた噴水を左に……しばらく歩いたところで、倒れた。自身の体から生暖かい液体が流れ出ていくのを感じた。

 「無理……しすぎたか……」

 能力でだましだまし維持していた体の容態が一気に悪化したのだ。全身の弾痕から血液が吹き出て、チアノーゼを引き起こした。視界がグルグルと回転しているような錯覚に陥る。脳みそに血液が行き届いていないために、麻痺しているのである。

 「ちっ……まずい、このままだと出血性ショックが……」

 みるみるうちに視界が赤く染め上げられていく。
 体質が特殊なために、どうせ一般の医療機関に診てもらおうが処置はできない。唯一私の体を治療できる私の能力は、残念なことに呪詛切れで使えない。オーバーロードしても、肉体を治療するような能力ではないので意味がない。

 「まずい、思考が……」

 だんだん頭も回らなくなってきた。辛い。めまい、吐き気、あと……なんだ?自分の様態すらわからなくなってきた。なんだ、すごく瞼が重い……。

 あれ……暗い……朝……なのに。

 真っ暗……


━・━



 「痩せ我慢にもほどがあるぞ? 嘘つきやがって」

 意識を失った解剖鬼のとなりに人影が現れた。

 「……こんな所で死なれたら営業妨害だ。それに……あんたにはもっと貢いでもらわないとな」

 ゆっくりと解剖鬼のコートを、ベストを、上半身の下着を脱がせた。背骨の部分にある溝に手を突き刺し、両手で押し開くと扉が開くかのように肋骨と背骨が左右に動いた。肋骨のうちがわを黄色い脂肪と、青黒い血管、白い筋肉が埋め尽くしている。肋骨を避けたことで新たにからだの奥から現れた、白くて薄い胸膜らしきものを破る。その中に、子供の背中が見えた。

 「なんで、こんな奴がこいつの正体なんだろうな。……はぁ、お代は前払いしてるから今回はサービスだ。スーツも後で持ってくるから安心しろ」

 ドクターレウカドは不気味なペストマスクの怪人の体内から、年端もいかぬ少女を取り上げると、診療所に戻っていく。

 その背中を後押しするかのように、爽やかな風がドレスタニアの裏路地を吹き抜けていった。

キクリvs解剖鬼 決着 PFCSss

 彼女はファッションモデルが着るようなコートをもう一度羽織直した。首もとのホワホワが頬っぺたに触れてくすぐったい。
 黒いショートカットの先端を指でいじりながら、ちらりと街道の様子を覗く。相変わらず奴は来ない。来るかもわからない奴を町の裏通りで待つのは退屈だった。
 『キクリ』と印字された時計にちらりと目をやる。かれこれ一時間ほどこの状態だった。
 キクリのターゲットは闇医者だ。情報屋によれば患者との待ち合わせ場所に向かうため、今日この道を必ず通るとのことだった。


 「もうそろそろ時間なんだけど。待ちくたびれちゃうわ……」


 背後に人の気配を感じた。キクリがバッと振り向くと、屈強な男が五人ほど迫っていた。街道へと逃げようとしたが、もうすでに別の男が塞いでいた。全員ワイシャツを身にまといサングラスを着用している。


 「ねぇちゃん。何でこんな時間にスラムにいるんだ? まあ、俺たちにはどうでもいいがね。痛い目をみたくなけりゃおとなしくしろ。まあ、どっちにしろ痛い目はみてもらうが」

 「そちらこそ。喧嘩を売るなら相手を選んだ方がいいわよ? かかってきなさい。地面に這いつくばって許しを請わせてあげる」


 サングラスを男どもはキクリのことを嘲笑った。
 (知能指数5のバカどもめ)


 「ねぇちゃん。そんなこえぇ顔すんなよ。虐めたくなっちゃうじゃんよ」


 キクリに不意のパンチが向かってきた。しかし、キクリが一瞬にして少し横にずれ、パンチは宙を切るばかりか、キクリの後ろにいた男にクリーンヒットした。


 「てめぇ、なにひやがある」


 次の男がキクリにローキックを放った。しかし、蹴りがキクリに到達する前に、キクリが消えてしまった。かわりに奥にいた男の腹をけりが掠めた。


 「あり?」

 「おいちょっとまて! てめぇ俺に蹴りいれるたぁ」


 男どもは数にモノをいわせてキクリに集団暴行さながらの激しい制裁を加えようとした。しかし、キクリには一発も当たらずそれどころか男の傷は増えるばかりだ。


 「どう? 集団いじめられにあった気分は」

 「チッ、瞬間移動使いか。こうなったら俺の呪詛で貴様を……」


 言い終わる前に男は股間を押さえて悶絶。遅れて他の男も地面に這いつくばり、股間を押さえて嗚咽を漏らす。
 キクリの能力は瞬間移動だ。全盛期に比べて能力の対象は自分のみに変わり大きく弱体化した。が、それでも強力なことには変わりない。

 「うぐっ、反則だろその能力! 全ての攻撃を余裕でかわした挙げ句、……背後への瞬間を繰り返して全員の急所をほぼ同時に……」

 「じゃあ、反則な能力を持つ私に対して敬意を払ってもらおうかしら」

 「ぐっ……許してください」


 ひぇぇ、と男どもは逃げていった。が、町中に戻る前に大きな黒い影が男たちに立ちふさがった。


 「下調べもなしにこういうのに手を出すのはよくないぞ? ギャングだとか組織の末端だったら後々厄介なことになる」


 ギラリと光る刃物でチンピラ全員を昏倒させた黒い影は、ゆっくりとキクリに近づいた。地面に倒れた男たちに傷はない。
 それをみてキクリはニンマリと不気味な笑みを浮かべる。


 「待っていたわ。弟……ヒリカを傷つけた鳥頭の化け物が!」

 「待ってくれ、誤解だ。化け物っていうのは認めるが」

 「認めるのね! 弟をチョメチョメしたってのは」

 「そっちじゃない! 私の話を聞けぇ!」


 黒い影の正体は、全身を防弾コートで身を包み、さらにペストマスクを装着した巨漢だった。黒い手袋に握られた刃物は解剖用のメスである。


 「確かに私はヒリカから話を聞いてるわ。貴方の名前が解剖鬼であること。弟が不意打ちで貴方を燃やそうとしたこと。正当防衛であり貴方には否がないこと。その上、弟に気遣って傷一つつけずに昏倒させたこと。弟があなたのことを優しい人って言ってたことも承知よ」

 「それでは、私の能力も知っているだろう? メスで触れた相手に傷をつけずに適量の睡眠薬を血管に注入できる力だと。なぜ私を付け狙う?」


 すぅ、っと息を吸い込んでキクリは叫んだ。


 「でも、きっとあなたは寝ている間にヒリカをアレしたりこうしたりしているに違いない! 絶対そうよ!」

 「あのとき私はお前に付け狙われてそんな暇なかったし、そういう趣味はないし、あらぬ罪を捏造されても困るし、そもそも鼻血出しながら言われても全く説得力ないぞ」


 はっとして、キクリは鼻を押さえた。あらぬ妄想によってほとばしった血液が、口に入り鉄の味を感じた。


 「くっ、弟だけではなく私に対しても卑劣な攻撃を! このショタコンがッ!! もうお前をぶちのめさないと気がすまない!」

 「自滅だ。それに、私はショタコンじゃない」


 ぼそりとペストマスクが言った言葉はキクリには聞こえない。
 声を荒くして解剖鬼を指差しながらキクリは高笑いを響かせる。


 「お前に地面を這いつくばって足をなめさせてやる!」

 「精神科は私の専門外なんだが致し方ない。あと最後に一つ言っておくが━━」


 地の底から湧き出るような不気味な声で解剖鬼はいい放つ。


 「お 前 は 私 に 勝 て な い」


 キクリは瞬間移動で解剖鬼の背後を取った。だが、それがまるで見えていたかのように解剖鬼は背後に足をつきだした。キクリは訳もわからないまま足払いにかかり、つんのめる。


 「うわぁ! ばっちぃ!」

 「お前から抱きついておいて何をいっている?」


 ペストマスクは振り払うついでにメスをキクリに突きつける。だが、瞬間移動によってあっさりとかわされた。


 「どんなに強い攻撃でも当たらなければどうということはないわ」

 「逆に強い攻撃に当たったら即試合終了ということでいいんだな?」


 解剖鬼の回りで瞬間移動を繰り返すキクリ。四方八方にキクリが現れては消える。


 「そろそろ本気を出すわよ?」


 瞬間移動を生かした全身への打撃が解剖鬼を襲った。もも・すね・股間・腎臓・肝腎・脛椎……、ありとあらゆる急所を連続でキクリが打撃する。キクリの攻撃が当たった瞬間に安全圏に移動をするため解剖鬼の攻撃が全く当たらない。メスは宙を切るばかりで用をなさない。


 「ぜぇ……、ぜぇ……、どっどうかしら?」


 「急所は特殊繊維で出来たプレートで覆っているから並の打撃はほとんど効かないんだ。ガトリングガンとかクレスダズラの呪詛打撃でようやくと言ったところか」


 キクリは一瞬顔を歪めたあと再び大声を出した。


 「まだよ、まだこれからよ。弟の受けた痛みをお前にも与えてやる!」

 「痛み与えた覚えはないんだが。あと、その能力素手じゃないと使えないんだろう? 悪いことは言わないから諦めたら?」

 「私の辞書に諦めるという文字はない」

 「やった! はじめてキクリと会話が成立した!」


 バッと解剖鬼が万歳のポーズをした。その時、手袋から閃光弾がこぼれ落ちる。


 「んなっ!」

 「まあ、今日はこれくらいで勘弁してくれ。患者が待っているんだ」


 キクリの視界が元に戻ったときには、もうすでに解剖鬼の姿は消え去っていた。


 「何よあいつ。終始私を圧倒してるのに全く反撃しないなんて。ほんとお人好しなんだから。」


 明後日の方向を向いていた憎しみが、予想の斜め上の対応によって、尊敬の念に変わったキクリであった。

ひな祭り準備 PFCSss

注意:非常に長いので空いた時間に少しずつお読みください。

━━

 『エルドランで犯罪を犯し、捕まり、トラウマを植え付けられて、なおもエルドランから抜け出せずにただ追い詰められる恐怖に生きてきました。もう耐えられません。地獄です。貴方に頼めば安らかに死なせてもらえると聞きました。お願いします』



 エルドラン国は数十年前からノア輪廻世界創造教と呼ばれる宗教団体に牛耳られている。表では普通の国教を演じているが、裏では密輸や闇取引に手をだし、ギャングとも密接にかかわり合っている邪宗だった。見つかったら即殺されるだろう。
 念のためノア教の教王クロノクリス不在の可能性が高いタイミングに合わせて私はエルドランに侵入した。……イナゴ豚で、である。
 エルドラン国の中でも海岸寄りに位置する町。その裏路地から、さらに隠し通路で地下に潜った先に依頼主がいた。必要最低限の家具は揃っているが、暮らすにはあまりにも窮屈な部屋だった。
 私は部屋のすみに生けてある赤い花を見つめた。花瓶の回りに花弁が散っており、花そのものにはもう花弁が一枚しか残っていない。


 「あえて残しているんだ。女房がくれたやつだからね。痛ッ!」

 「見舞いには来ないのか?」

 「止めさせた。当人は来たがったけどな。こんな様はみせらんねぇ。はぁ……こんなことだったらもっとアイツと一緒にいてやればよかった。息子にも頭下げねぇとな。早死にしてごめんって」


 私はゆっくりと振り向き見下ろした。痩せこけた男がベッドの上で横たわっている。色黒で人目見て肝臓がイッてしまっているのがわかる。


 「昨日はありがとな。しこたま話を聞いてもらっちまって。ああ、そうだ今日も吐血したよ。肝癌ってこんなにつれぇんだな……医療費も。もう、人に迷惑はかけたくねぇ」

 「必要書類も手順も全て踏んだ。あとはお前次第だ」


 私は革製の手袋を整えると鞄から数種類の書類を取りだし、男に間違いがないか確認させる。
 男は黄色く濁った目で紙面にかかれた自分の文字を丹念に確認していく。


 「それにしても、最後に見るのが鳥頭のマスク……」

 「ペストマスクだ」


 マスクをコツコツと叩いて肩にかかった黒い長髪を払った。


 「そう、それ! 革製のペストマスクをつけて黒いコートとブーツに身を包んだ死神だとは」

 「一応、人だが?」

 「その見た目でその言葉を信じろってか? まあいいや。そういえば俺が死んだあとはどうなるんだっけ?」

 「昨日も話したが、麻酔薬で眠ったあといくつかの新薬の臨床実験を行う。あとは解剖して終わりだな。死因は高血圧から来る脳梗塞。家族にもそう伝えられる。天命を全うしたとな」


 患者は静かに微笑みをたたえると私に言った。


 「これで、誰にも迷惑をかけずに逝ける。因みに俺の死は誰かの役に立つのか?」

 「ここで得られたデータは他の医療機関や試薬メーカーに送られてゆくゆくは患者の役に立つはずだ。家族はお前が安らかに逝けて安心するだろう。家族の負担も医療費も早死にした分だけ浮く。看護師や医師もお前に割くはずだった時間を他の患者にあてられる。」


 私は一息ついて、患者の目を見て言いはなった。


 「もっとも、私はそんなことよりお前が痛みなく安らかに死ねるかどうかのほうがよっぽど重要だがな」

 「そうか、糞だった人生の中でようやく本格的に誰かの役に立てるな。……じゃあ始める前に最後にひとつだけ」

 「なんだ?」

 「俺を忘れないでくれ」

 「……わかった」

 「あと……これは礼だ。この国の地下通路の地図だ」

 「恩に着る」


 私は速やかに安楽死させると、然るべき手順で解剖し、もとに戻した。遺体は部屋の中に放置しておく。大脳の血管をぶちぎり、死亡理由を偽装する。
 仕事を終わらせたところでふと壁際を見ると、焦げ茶色のスーツに身を包んだ老人が寄りかかっていた。


 「また、ペストマスクに黒いコートですかい? 飽きませんねぇ、旦那」


 しわがれているが、生き生きとした声が聞こえてきた。待ち合わせの時間ぴったりだ。


 「いつものやつだ。頼む」

 「今回はたくさん仕入れられたんで、旦那には値引きしておきます。あとおまけの高級シャンプーです」

 「ありがたい。この長髪だとすぐに使いきってしまうからな」


 自分の声が鳥の頭のようなマスクのなかで反響して聞こえてくる。淀み、重く、暗い。


 「それにしても、旦那くらいですぜ。ギャングの中でもここまで強いヤクをキメているのは。この黒髪の艶も薬の副作用ですかい?」

 「まさか。この薬は調合に使っているだけだ。市販では手に入らない上、一から作るとなると高い上に余る」


 わたしは使い古されたブランド品のスーツを着こなす老人にそれなりの金を握らせた。


 「毎度のことながら面倒な能力ですね。メスか指で直接触れなければ使えないなんて」

 「だが、精密だ」


 わたしは無造作に老人の額にメスの腹を突き立て、一気に顎の下まで引き抜いた。
 老人は悪餓鬼に一杯食わされたときの表情ではにかんだ。もちろん顔には傷ひとつない。それどころか、シミがきれいさっぱり消え去っていた。
 わたしはメスにこびりついたメラニンの塊をガーゼで拭き取り、コートの内ポケットにしまった。


 「毎日その精密なメスで解剖しているんですよね。旦那、よく飽きませんなぁ」

 「ひとの体も魂も千差万別。何人見ても飽きん。それに生者死者老楽男女罪人聖人問わず、至るところで人の体をバラして、元通りにするのがわたしの仕事だからな。それでは彼の後始末を頼む」

 「わかりやした」


 私はニヤニヤしている老人を置いて、地下室から裏路地に出た。
 その瞬間だった。昼間かと見間違えるほどの閃光に目が眩んだ。ペストマスクをつけていなければこうして木箱の影に隠れることも出来なかっただろう。


 「お前はもうすでに包囲されている。おとなしく投降せよ」


 私はコートのポケットから短い縄のついた球を取り出した。マッチで火をつけて目の前に思いっきりぶん投げる。
 こうして私の人生の中で最も厳しい戦いが始まった。


━━


 「ギーガン隊、西地区捜索するも目標発見できず」

 「まだ近くにいるはずだ。しらみつぶしに探せ」

 「了解」


 松明を持った、文字通りの血眼の老若男女が私を探し回っている。空を見上げれば少なくとも十匹のドラゴンが徘徊していた。
 建物と建物の隙間に身を潜め考える。
 地上を行けば確実に住民に見つかる。屋根を伝おうが、ドラゴンで視察をするクロノクリス親衛隊のキクリには無力。


 (とりあえず激臭玉で匂いで関知する三つ首の番犬はまいたが……それで何になる……)


 あの後、私を待っていたは、怒れるノア教の狂信者たちに加えクロノクリス配下の異形の生物、さらにクロノクリス親衛隊のキクリである。
 何とか閃光弾と煙玉でしのいだが、逃げた先の公園でドラゴン三頭を睡眠ガスで眠らせ、続いてクロノクリス親衛隊を閃光弾と睡眠ガスで撒き、ようやく裏路地に逃げてきたのだった。
 睡眠ガスグレネードは早くも在庫を切らした。ドレスタニアであれば、これだけでも一週間は生き残れるというのに。


 「よりによって教王様が留守の時に……まあいい。キクリのために……死ね!」


 青年の声が聞こえたのとほぼ同時に巨大な火球が私に向かってきた。恐らくクロノクリス親衛隊のヒリカだ。
 私はあらかじめ建物の上部に引っ掻けておいたワイヤー(ストッパーをはずすと体を引き上げる仕組み)を利用して攻撃をかわすと、閃光発音管の詮を抜き、ヒリカに向かって投げる。数十秒間耳が聞こえなくなるほどの爆音と、目が焼き付くほどの閃光が放たれる。聴覚と視覚を奪ったヒリカにメスを突き刺した。同時に彼の白い修道服がわずかに震た。


 「悪く思うな」

 「キク……リ……」


 私の能力によって、解剖用のメスには体を切り裂くだけでなく縫合する力が付与されている。それを利用し、ヒリカの体内に直接睡眠薬を注入し、眠らせる。ヒリカの首はおろか皮下組織も傷一つついていない。
 パサリとオレンジ色のショートヘアが私の手に垂れた。顔を見る限り恐らく成人して間もない程度だった。
 親衛隊の実力からして数分後には目覚めて追ってくるのをわかっているが、ノア教の信者の大半は一般人だ。無闇に殺すことは出来ない。
 煙玉を使って住民らの中に入り込み、親衛隊の目をくらます。


 「ぜぇ……ぜぇ……」


 上空ではキクリが黒い竜に乗って偵察をしている。今の姿である黒いコートにペストマスクでは、いくら夜とはいえ見つかってしまう。
 親衛隊の中でも特に気を付けなければならないのがキクリだった。ファッションモデルに出てきそうな黒いコートと黒い帽子に、黒髪に黒い眼鏡に……ととにかく黒づくめの娘だ。

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 空間転送の魔法を使えるキクリは視界に入った物体を遠くの場所へ転送できる。先程の公園のドラゴンや親衛隊も彼女の魔法で転送されたものだ。さらにキクリはクロノクリスによって召喚された魔物を制御することが出来る。
 最悪なのは彼女に私が目視された場合だ。問答無用で溶岩の中だとか、生存不可能な場所に転送されて終わる。最上級の眼鏡をつけているため視力も非常に高い。


 「よくもヒリカを……! 信者よ! 親衛隊キクリが命ず。我らに楯突く愚か者を引っ捕らえろ」


 今、彼女は操縦するドラゴンの背に乗っている。上空から私が発見されることは死を意味する。拡声器で静かに怒りの声をあげるキクリに肝を冷した。どうか私に気がつかないでくれ……。
 私は黒い煙幕を使い、どうにか空を漂う竜に対して、目眩ましをする。


 (煙幕はあと残りいくつある?ひぃ、ふぅ、みぃ、……ダメだ心もとない。周囲を真っ黒にして目をくらましながら行けば海に出られる……いや、無理だ。仕方ない裏路地に回るか。一般人による不意打ちが怖いが……。たしか地図によれば密輸用地下通路もあったはず)


 頭をフル回転させつつ、片手に閃光弾を握りしめる。
 裏路地に回った私を待っていたのは、数十人ものノア教の狂信者だった。彼らの思考は教王に逆らうものは死すべし、だ。


「やはり!」


 閃光に辺りが包まれる。視界が回復しない間に狂信者らの延髄にメスを突き刺しては昏倒させる。能力を発動させる隙は作らせない。
 が、今ので閃光弾は残り一つ。閃光発音管もあと残り一つ。
……何てことだ。
 過激派を鎮圧できたかどうか確認しようと周囲に気を配った時、突如氷の柱を天高くそびえ立った。恐らく妖怪の呪詛の類いてある。


 「チィッ!」


 防弾防火コートの前面が凍りつく。危うく刺し殺されるところだった。


 (なんなんだ、この国の住民は。確かにこれなら並の犯罪者は消されるし、逃げ延びたところでまともに生きてはいらない。もはや追跡を越えた何かだ)


 とりあえず、居場所がばれたので全力でこの場を離れる。
 しばらくして氷の柱がある場所に空間の裂け目が発生し、その中から黒いドラゴンが這い出てきたのが見えた。恐らくキクリの転送の魔法だ。さらには数十匹のドラゴンが騒ぎを聞き付け、わらわらと集まっている。
 後ろから聞こえてくる柱が倒壊する音を聞きつつ、建物の影に身を潜めた。


 「げるるぅぅぅ!!」


 だが、そこにいたのはよりによって液状の魔物だった。何度か切り裂いて見るものの、すぐに再生してしまい全く聞かない。生体における水分の割合が多すぎて私の能力も効果が薄い。


 「ならば!」


 私が隠し持っていた小瓶の蓋をはずすと、周囲がすさまじい臭気に包まれた。嗅覚はあったらしく悶絶するスライム。だが、苦し紛れに私の足を絡めとってしまった。


 (足の動きが鈍くなった! 悪臭はマスクで問題ないし、回りの住民はまともに息できず、ほぼ無力と化しているが……動きが鈍くなるのはまずい! 一般人ならともかく、側近クラスに悪臭が効くとは思えない。どうにかならないかっ!)


 「さっきはよくも! ……許さない。キクリの前で恥をかかせたあなたを許さない!!」

 「うッ、うごけぇ! やつの炎の威力からすれば直撃は━━」


 そうだ! 自分の脚に解剖用のホルマリンをぶっかける! 表面さえ何とかすれば足は動くはず! あとでPFで治療すれば。


「がああぁぁぁッ!」


 ホルマリンによってズボンの上から染み込んだホルマリンによって、スライムが消毒される。
 すぐにヒリカに背を向けて逃げようとしたが、その背中に火炎な直撃した。


 「グオォオオオ! 背中がっ焼ける!」

 「そのまま焼け死んでしまえ!」


 コートの背中側が焼けていく。もっとも、この程度で死んでいるのであれば、私は今まで数十回は死んでいる。


 「にっ、逃げなければ!」


 煙玉を投げてその場しのぎをする。今の火炎で手持ちの煙幕弾の大半も焼けてしまった。悪夢だ。
 しかも今の火炎が狼煙となり、キクリを乗せたドラゴンが転送されてくる。
 さらにクロノクリス親衛隊であろう数名の足音と声も聞こえた。


 (また、お前らか!)

 「シャーハッハッハェ! 逃げられると思ってんのか? 鳥野郎! 出てきやがれ! このアルベルト様が切り裂いて殺るよぉ!」


 ノア教の幹部まで来てやがる。
 道脇に隠れることでヒリカをはじめとする親衛隊は撒けたようだが、今度は前方から血眼のエルドラン国民達が襲いかかってきた。その上にはキクリの僕であろう蝙蝠のような異形の生物が飛んでいる。


  (お前たちはいったいどうやって先回りしているんだ!)


 煙玉もあと……数個か。アルファに効くチャフグレネードはエルドランでは役に立たない。不味い、装備が……底をつく!
 住民は答えることはなく呪詛を一斉に使おうと構えた。


 (他に打つ手がない!これは使いたくなかったが、キクリに目視されるよりはマシだ!)


 私は最後の閃光発音管を起爆させた。目がくらまなかった相手をメスで眠らせて無力化、あとは爆臭弾で対処する。
 やっとのことで作った隙を利用し、倒れたエルドラン民を踏み台にして、群衆を乗り越えた。


 「よし、ここか」


 道路脇の床をずらすと現れた、地下通路への梯を私は降りていった。
 数々の取引が行われているであろう場所。レンガ造りで光源は床から二、三メートル離れたカンテラのみ。薄暗く不穏な場所である。バレてはいけない取引をすることを前提に作られているため、遮音性も高い。
 わたしは部屋に乱立した柱を順番に見つめながら呟いた。何か糸のようなものが張り付けてある。


 「柱の影に隠れながらわたし達を取り囲んでいるのは君の友達か? 『老人』」

 「さすがです旦那。よく俺に気づきましたね。一年間どうもありがとうございやした。結構気に入っていたんですけどね。旦那のストイックな性格、好きだった。でも、旦那よりも金を出してくれる客がいてねぇ」

 「クロノクリスか……」


 老人は演技ではなく心のそこから残念がっているようだった。目からは今にも涙が溢れそうで、こらえるためか眉間にシワを寄せている。だが、ギャングスターである彼に情けや容赦はない。
 突然老人は空に浮き上がった。あらかじめワイヤーのようなものを天井に突き刺しており、いつでも移動できるように用意していたらしい。


 「この部屋には俺が仕掛けたピアノ線が張り巡らされている。俺の『友達』はもちろん位置を全部把握してる。因みに俺らが入るときに通った道は既に塞いである」


 老人は驚くべきことに、ピアノ線をつたい、宙を闊歩していた。


 「さて、旦那はどう切り抜けるかなぁ?」


 事態はあまりよくないようだった。この部屋には悟られぬよう、死角を増やすために十三本の支柱がたっている。彼の言葉が確かなら、この場から少し動いただけでも糸が体に食い込み、四肢が切断されるだろう。柱同士に架橋させているピアノ線に……。
 じっとしていても『友達』か老人になぶり殺されるだろう。


 「見えないピアノ線で人を切り刻むなど鬼の所業だ」

 「毎日のように解剖している旦那にだけ言われたくないですよ」



━━


 俺は小説とかで悪役が油断して死ぬのがたまらなく嫌いだ。プロの殺し屋が高笑いとかメルヘンかよ。
 だから俺は絶対に油断しない。相手が赤ん坊であろうが、瀕死で指一本動かせないようなやつであろうが、殺すと決めた奴は周到に準備して全力で殺す。
 今、旦那は俺の仕掛けたピアノ線の真っ只中だ。四方を囲まれて身動きできない。もちろんピアノ線を仕掛けたのは柱と柱の間だけじゃない。
 俺が天井付近に用意しておいたスイッチを押した。スイッチの先についていたカッターが重石と繋がった縄を切断。重石がゆかに落ちたことで、仕掛けが作動。床にセットされたピアノ線の罠が一気に天井へと引き上げられ、旦那を巻き込み宙釣りにするっ!
 コートは着ているものの旦那の全身にピアノ線が食い込む。旦那が罠にかかったのを確認して俺は叫んだ。


 「うてぇぇ!!」


 部屋が強い閃光に包まれた。
 俺の『友達』、具体的には八人の傭兵が一斉にライフル銃の引き金を引いた。宙吊りになった旦那の体が激しく揺れ、ぶたれたあとのサンドバッグのようにゆっくりと動きを静止した。
 普通の奴はピアノ線の罠で全身を切り刻まれて、もがき苦しみながら死ぬ。生き残った悪運の強い奴等はライフル銃で沈黙する。鬼なら血流量を増やして力を増大することができるが、そんな隙はなかったはずだ。
 旦那は恐らく鬼だ。身長はマスクを含めれば190㎝はあるし、黒いコートを羽織った旦那は俺の倍くらいの図体をしている。鬼は本来しなやかな体つきの筈なんだが、常識はずれの輩なんていくらでも見てきた。
 鬼は生まれの地方特有の楽器をかき鳴らすことで、シンボルと呼ばれる神様の力の加護を受け止めて、力を高めることができる。
 まあ、そもそも楽器は演奏しなければ効果がない。こうして静かな間は少なくとも旦那がパワーアップするなんてことはない。

 「さて……」


 死体の確認に向かおうとした矢先、何かの破裂音とともに視界が黒色に包まれた。火薬の臭い匂いが鼻につく。
 煙幕かっ!
 俺以外は大まかにしかピアノ線の配置を知らねぇ。見なくても自由に動けんのは俺だけだ。あっさりとこの包囲網の弱点をついてきやがった。
 
 ピンッ、ピンッ、ピンッ!

 ピアノ線が切れる音だ。傭兵どもはどこにいるかわからない敵に戦々恐々としている。ピアノ線の位置がわからなくなったから、その場から動くことも出来ねぇ。


 「ピアノ線の切れる音から旦那の位置を推測しろ!旦那はお前らよりもさらにピアノ線について疎……」


 俺の言葉は悲鳴によって遮られた。裏返った声が男の恐怖を表していた。叫びは不自然に途切れ、そのあと得たいの知れない水音が室内にこだました。
 その後続けざまに二人の凍りつくような声が部屋に響き渡る。
 なんだ?どうなっていやがる。部屋を進むスピードがいくらなんでも早すぎる。ピアノ線は黒く塗ってある上、煙幕に視界が遮られている。それなりに見つけにくいはずだ。こんなにバッサバッサ切られる訳がない!
 俺は急いで声のあった方向に向った。近づくにつれて柱や天井に赤い斑点が増えていった。

 やられた。

 殺った奴の血をぶちまけることで、ピアノ線の位置を把握したんだ。足下のピアノ線さえ気を付ければ、あとは多少強引に突っ走っても工夫次第でなんとかなる。


 「来るな化けもん! 止めろ! わかった言うよ! そこにあるので罠は全部だ。━━ほら言ったぞ。だから助けてくれ。助けて助けてたすけてタすケてタスケテ……」

 「おっオレの腕を返してくれ!オレの右手! 右手ぇぇ!! 頼むお願いだか━━」


 ようやく煙が晴れてきた。同時に床の生々しい血痕が俺の目に写りこんだ。既に部屋のピアノ線はほとんど切られ、床に仕掛けておいた罠も無力化されてやがる。
 ライフルも罠も通用しない化け物。四方に広がる血の斑点。確実に近づいてくる恐怖。もはや傭兵たちにとって旦那は『死』そのものに思えるんだろう。


 「私達は逃げるぞ! もう無理だ! 限界だ」

 「ばか野郎! そっちは危険だ! 向こうの入り口だ」

 「いやダメだ! 待ち伏せされている」


 傭兵の足音が出口に向かった。しかし、


 「ア"アあぁ!! 足首が! 足首から下がっ! さっきまでなかった! 誰だこんなところにピアノ線を張った奴は!!!」

 「ピアノ線が! 顔が! 顔が顔が顔が!」


 うっ、という三人の声を境に完全なる沈黙が訪れた。



 音もなく、部屋の奥にペストマスクが浮いていた。カンテラに照らされて、マスクが浴びた血が鈍い光を放っている。


 「ずいぶんと怖いことをしてくれますねぇ、旦那ぁ。精神的に追い詰めてなぶり殺した挙げ句、切り損ねたピアノ線の正確な位置を知るための盾にするなんて」


 再び目の前には現れた旦那は想像以上にピンピンしていた。防火防弾コートの下に防弾ベストを着ていたようだ。ライフルで両方ともボロボロにはなっているが、本体はほとんどダメージを受けていない。普通の防弾コートならライフルは防ぎきれない筈だし、奇跡的に防げたとしても射たれた衝撃で骨がバキバキになっていてもおかしくない。
 やはり旦那の種族は鬼で確定だな。
 もともと鬼の筋肉はゴムのように弾力性があって、ただでさえ衝撃に対してバカみたいに強い。フツーなら動きやすさを重視する筈なんだが、旦那はその筋力の殆どを防具のためにつかっているらしい。色々と狂ってやがる。


 「殺してはいない。何事にも作法というものがある。たとえ人殺しであってもな」

 「そうですかい。なら俺は殺しの作法を旦那ごとぶち破ってやりますぜ」


━━


 わたしは能力を用いればメス一本で切開から縫合まで一通りの外科的治療ができる。だが、傷の修復にはそれ相応の材料━━わたしを含め何者かの魂の力を消費しなければならないという制約がある。さらに手に持った(わたしの場合は手袋越しの)メスで直接傷に触れることが治癒の条件だ。深部にまで傷が達していると、かなりの時間がかかる。戦闘中は応急措置位しか出来ない。
 だから戦いはできる限り避けなければならなかった。


 (最悪のタイミングで裏切りやがって)


 この場所は部屋そのものが非常に見つかりにくく設計されている。そのうえ部屋の構造上悪事を働いてもバレにくく、見つかったとしても逃げ道がたくさんある。もちろんそれは暗殺にも言える。
 今回のわたしのミスはピアノ線に気づかなかったことだ。ピアノ線は見事にカンテラの光が反射しない位置にのみ張られ、さらに低反射インクで黒くコーティングしてあった。あちこちに見える蜘蛛の巣がカムフラージュにもなっている。


 (この状況でキクリやヒリカに見つかったらひとたまりもない)


 老人は通路の奥で宙に張ったピアノ線にたっている。どうやらわたしの手の届かない場所に移動用のピアノ線を張ってあったようだ。
 先ほど老人を挑発した後、柱の影にすぐさま隠れたはずだった。しかし、わたしの脇腹辺りに針金ほどの細さでお札程度の長さの金属の棒が突き刺さっている。

 なんだ、これは。

 体から引き抜こうと軽く力を入れたら折れてしまった。もちろん体内に棒の大部分がめり込んだままだ。
 わたしがさっきいた場所には大量の金属の棒が落ちていた。しかし、一呼吸する間に全て蒸発するかのように消失してしまった。
 しばらくして手袋に握られた折れた棒も消え去った。
 

 「魂の物質転化……お前、精霊か?」

 「そうですよ旦那。大半の精霊と同じように、俺はシンボルを崇拝することで加護を受けてる。この年まで生きていたお陰で俺はある程度、シンボルから授かる力を使えるようになっていましてね。シンボルの力――つまり魂の力も多少はたしなみてますぜ!」


 空中をすさまじい勢いで老人が移動していた。ピアノ線の上を走っているという速度ではない。
 気配を感じ右を向くと一瞬老人がターザンのように移動しているのが見えた。が、どう考えてもワイヤーを出し入れしてしているよう、なぎこちない動作はない。
 わたしを罠にはめる直前、最初に老人が天井に上がったとき老人の薬指からワイヤーのようなものが発射されているようだった。
 ここから考察すると、老人の能力は金属の棒を出すことのようだ。ワイヤーのように長くしなるものから、銛のように硬く短いものまで、多種多様。長いもの、太いものをこちらに打ってこないことを見るに、体積が増えるほど連続発射が困難になるらしい。ターザンができることから恐らく両手から出せるであろうことも察しがつく。


 「その棒は一度体に突き刺さったら、なかなか抜けないですせ。旦那の体を喰らって形を維持していますからね。ノミのようにしぶとく吸い付きますぜ」



 わたしは拾ったライフル片手に奇襲を狙いつつ、様子見で柱を利用し逃げ回っている。しかし、老人は確実にわたしの隠れている場所を見抜き、先回りし、金属の棒を乱射してくる。
 棒が地面に落ちるたび、シャラシャラと刻みよい金属音が響き渡る。わたしにとっては敗北への道しるべ以外の何物でもないが。


 「やけに人を見つけるのが上手だな」

 「長年の『カン』てやつだ、旦那」


 じわじわと確実に追い詰められていく。老人はわたしの間合いに絶対に入ってこない。ただひたすらわたしの攻撃が当たらない場所から一方的に棒をばらまく。ピアノ線にお手製の棒を引っ掻けて移動しているせいで、移動速度も老人の方が上だ。だんだんとわたしの体に突き刺さる棒の本数が増えていく。
 仕方ない。
 わたしは服のポケットからさっきと同じタイプの煙爆弾を取り出した。そして、最初に倒した三人の老人の『友達』の元へ向かった。
 十三本の柱のあるこの部屋が再び煙に包まれた。これでもう、お互いに目視できない。


 「ワンパターンですねぇ」

 「二回続けて同じ戦法でいけば、少しは油断してくれるかと思ったんだが」

 「それは旦那のほうですぜ。一度防げたからといって二度成功するとは限らない」


 わたしは煙で攻撃が止まっている間に、体に刺さった鉄の棒をメスを駆使し、外科的処置で強引に抜き取った。
 不安のためか、不気味な気配を感じる。煙がどよめき、不自然に気流が流れている。だが、そんなものを気にしているような余裕はない。
 わたしは最初にしとめた三人の傭兵のうち一人に抜き取った棒を全て突き刺した。そして傭兵を静かに起き上がらせ、あえて切らずにとっておいたピアノ線に足を引っ掻ける。
 ドサ! っという囮の倒れる音が部屋に放たれる。
 その直後、ドスッ! ザザザザ!! と痛々しい音が響いた。
 わたしは今まさに傭兵に生えた金属の棒の向きから、老人の方向を推測した。それにしても、最初の一発が即死級の太さだ。俗に言われる溜め打ちというやつか。
 さて……、恐らく金属の棒は老人にわたしの位置を伝えていたはず。だからこそ、こんなにも早くわたしは追い詰められてしまった。だが、今回は逆手に取った。
 視界を塞がれたため、老人はわたしの位置を棒と音でしか認識できない。必ず遺体の確認をしに来るはずだ。
 何も知らぬ老人は地面に下り立ち、傭兵の体に近づいた。その瞬間わたしが背後から奇襲を仕掛ける!


 「なに!? 旦那じゃない!」


 声とは裏腹に、容赦なくわたしに向かって金属の棒を突きだした。棍棒のように金属の棒を変形させたものを予め携帯していたらしい。しかし、実際に貫いたのはわたしの盾にされた傭兵だ。
 わたしは傭兵を台にして老人の背後へと跳ぶ。そして着地と同時に両手を交差するように振り上げた。
 すると、老人は手首を回し、両手の薬指を後ろに向けた。着地直後の僅かな隙に、わたしに二本のぶっとい棒が突き刺った。
 しかし、わたしはそれを無視して老人の首にメスを一太刀浴びせた。


 「がぁぁぁぁあ! 確実に心臓と首を狙ったはずなのにっっっ!」


 老人の悲鳴が寒い部屋に響き渡った。


 「俺よりも用心深いってどういうことですかい?」


 呆れ返った顔で老人は壁にもたれ掛かかった。首の神経をいじられたために手足の自由を奪われ、まともに立てないのだ。


 「偶然だ。わたしの作戦は二人目の傭兵をフェイクとしてプレゼントするまで。両手のメスを振り上げる時、クロスした両腕が偶然胸部への攻撃を防いでくれた。首は不意打ちが失敗したとき用に念のため仕込んでおいたのだが……まさか強行突破に使うことになるとは」


 わたしは地面に落ちた傭兵の腕に目をやった。血塗られた棒が思いっきり突き刺さっている。
 老人があの体勢で狙うことのできる急所は二つ。首と胸だ。頭部はペストマスクのお陰で、局部は的が小さくて狙えない。
 心臓の大きさは大体握りこぶしより少し大きい程度なので、胸は腕を交差するだけで簡単に防ぐことができる。護身術とかでよく言われるものだ、
 首は工夫が必要だった。両手のメスに手をとられてしまうので、自分の腕ではガードできない。なので、首は破れた防弾コートを巻いた、傭兵の腕を挟むことで、棒が延髄に到達するのを防いだ。そのかわり気管支と食道の一部がやられたが、死にはしない。
 わたしは三人目の傭兵の露出した肩口に、腕をくっつけ、傷口にメスを通した。綺麗に切断しておいたお陰であっという間に傷口は消え去った。


 「はぁー。暗殺失敗しちまった。無傷の傭兵を連れて帰ったとしても、運が良くて良くて契約解消、悪けりゃ殺される」

 「安心しろ。解剖の報告が一件増えるだけだ」



 あんまりなわたしの回答に老人は力のない笑顔を浮かべる。


 「殺す気満々ですか。戦争で職を失い、女房には子供ごと逃げられ、落ちるところまで落ちて、こんな化けもんに殺されるなんて……ククッ、笑えますよね。まあ、最後に旦那みたいな奴に殺されるんだったら、それはそれでいい気もしますがね」

 「どういう意味だ?」

 「そのまんまの意味です。……旦那は俺たちとは違う。命の意味を十分理解した上で、『生かすことを諦めてる』って感じます」


 わたしはこんな状況でも冴え渡った洞察力と冷静さを持つこの老人には誠意をもって接しなければならないと、思った。
 そして、わたしは『一個人として』老人と話をすることにした。


 「わたしが初めて人を殺したとき、憎くて殺したのに実に安らかな顔をしてそいつは死んだんだ。そのとき悟った。死に身を委ねることは安らぎに満ちているのだと」


 老人は不意に始まったわたしの独り言対し、黙って頷いた。


 「逆に生きていることは苦痛に満ちている。今も罪もない者たちが働かされ、遊ばれ、暴力を受け、やがて捨てられる。……使い物にならなくなった奴隷は……」

 「クロノクリスの研究室施設に幽閉される」

 「そうだ。わたしはそこでてっきり拷問やら人体実験をしているのかと思ったんだが、それ以上だった。人間の多種への劣等感や憎しみ、欲望、そういったものが入り乱れる最悪の監獄だった。ただただ、地獄だ」


 一瞬吐き気がしたが、何とか飲み込み話を続けた。


 「あそこにいくよりは、誰かに看取られ……自分の信ずるものに祈りを捧げ……自らの望むかたちで……安らかに……眠るように死んだ方が……幸せだと思う。だからわたしは殺すのだ。そうでなくても、この世には生きるのが辛そうな奴が多すぎる」


 そして、成仏させた時に出る魂の力、それを溜め使うことで、わたしの力が使える。そして、わたしの力がもっとも強く発揮されるのは━━その後工程である解剖だ。


 「解剖して得られたたデータは経緯を偽装され、正式なデータとして医療施設に送られる。そして、医学に莫大な発展をもたらし、『生を望む』大勢の人の命を救っている」


 わたしが話終えると老人はゆっくりと口を開いた。


 「それが、旦那の人が殺す理由ですかい?」

 「まあ、な……そろそろ時間切れだ。腕の傷もようやくふさがったことだしな」


 二度目の煙幕で気配を感じていた。老人ではない何者かの気配を。
 私は老人を背負い、急いで出口に向かった。私が来た出入り口から凄まじい熱気を感じる。


 「コートがあれば何とかなったかもしれないが、今ヒリカから攻撃を受けたら、生き残れる気がしない」

 「ヒリカ! 俺を助けてくれませんかねぇ?」


 夕日色の髪の毛を揺らしながらヒリカが迫ってくる。手に業火をまとい、必殺の一撃を放とうとする。だが、すんでのところで雷に打たれたように止まった。
 私は声を潜めて老人と交渉する。


 「地雷か。老人、対閃光サングラスは持ってるか?」

 「もちろん。逃げるアテもありますぜ」

 「お前はあくまで人質だ。特殊な薬物を打ち込んである。……逆らうなよ」

 「あいよ」


 私は傭兵たちを一通り治療した後、地上へと駆け出した。傭兵たちは何事もなかったかのように私たちとは逆の方向に撤退していった。どうやら逃走経路も熟知しているらしい。


 「因みにその横の壁を蹴ると海岸近くまで近道できます。一度通ると起爆しちまうんで気を付けて」

 「お前……どんだけ用心深いんだ」


━━





 地雷の影響で千鳥足で地上に戻ったヒリカ。彼を見たキクリは真っ先に自分の乗っている黒龍の後部座席にヒリカを転送した。黒いショートへアがぶわりと舞った。


 「ヒリカ! 大丈夫?」

 「キクリ……」


 手足をがくがく震わせながらヒリカが答えた。オレンジの髪の毛が彩る額には大粒の汗が浮かんでいる。
 キクリの凛々しい瞳がつり上がった。


 「くそぉ! よくも私のヒリカをこんなめにぃいぃぃ!」

 「姉様落ち着いて下さい。ボクはこの通り大丈夫です。体に巻き付けてある心音爆弾を察知して攻撃を緩めたんです」


 キクリは歯ぎしりしながら眼鏡をかけ直した。端麗なはずの顔は怒りで醜く歪んでいる。そんな彼女を心配そうにヒリカが見つめる。

 「姉様!」

 「いいや、でも傷付けたことに変わりわぁぁ……フッー……フッー……落ち着け、私。教王様から伝言を授かっている。『ペストマスクが人質にとっている老人は国を跨いでギャングを統括する首領。奴を奪還できないことは周辺国のギャングを全て敵に回すことになる。何としてでも奪還すること。できなくとも最善を尽くすこと』、だそうよ」

 「孤児であるボクたちを拾ってくださったクロノクリス様に……今こそ恩を返すときですね!」


 彼の言葉を聞いてようやくキクリは聡明な顔つきに戻った。


 「奴はあと少しで海岸にたどり着いてしまう。私の能力は教王様の加護によって成り立っているわ。この町の外では私の能力は使えない。なんとしてもこの町の中で捉える。それが私たちの使命よ」


 ヒリカはキクリの頬を優しく撫でながら囁いた。


 「ボクたちは教王様に仕える親衛隊。それも、作戦に置いて中核である伝送魔法を持つ精霊。姉様! 行きましょう」

 「ええ。全軍出撃の許可も出てる。あなたの炎と私の能力、そしてみんなの力があればきっと老人を助けることが出来るわ!」



━━



 崩壊する地下通路を駆け抜けると、目の前が突然開けた。太陽が昇る前の藍色空のもと、漆黒の海が広がっている。
 生きてまた海を拝めるとは思えなかった。


 「旦那とならどこでも行けそうな気がしますぜ」

 「行った先で私を殺す気だろう?」

 「バレましたか」


 追っ手がいないか後ろを確認したを瞬間、恐ろしい熱気が私を襲った。


 「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!」

 「旦那っ!」


 体の前面を保護していた防弾ベストが火花を散らしながら徐々に消し炭になっていく。
 炎に包まれたペストマスクで上空を見上げる。


「あっ!あれは……」


 巨大な黒竜に乗ったキクリが転送されてくるのが見えた。
 すると同時に、海岸に数十匹の化け物が、私の後ろに数百人のノア教信者、左右に合わせて数十人のクロノクリス親衛隊が空間の裂け目から転送された。空もドラゴンとワイバーンで埋め尽くされている。
 全て、キクリが召喚したのだった。


 「今すぐ老人を離して降伏せよ! ……ヒリカを傷つけた報いを受けたくなければな」


 あまりにも私を追い詰めると、人殺しに走るであろうことはキクリにも容易に想像がついたはずだ。
 賊の一人のために兵士を消費したくない。それを考慮すると━━私に装備を使いきらせ、私が絶対に人を殺せない状況を作ってから、切り札を転送するのがもっとも効果的だ。
 まんまと嵌められた……。コートと服が燃やされてしまったせいで、メスとペストマスクを除く全ての装備を失った。ズボンに仕込んでおいたメスも残り少ない。
 ドラゴンの心臓の筋肉を素材にして作られたペストマスクも、次にヒリカの熱を受ければ壊れてしまうだろう。
 海に逃げようにも、この世のものとは思えない、不気味で巨大な魚の尾びれが漂っているのが、遠目からでもわかる。もっともその前にはキクリのドラゴン達が控えているのだが。
 私は何とかキクリの直視を避けるため、最後の煙玉を地面に投げつけた。老人と共に走る。


 「老人を奪回しろ! そしてペストマスクを殺れ!」


 遠距離から一斉に能力を発動し、安全かつ確実に私を葬ろうとする狂信者。
 後ろからはなおも火炎を放とうとするヒリカ……。
 前から迫り来る異形の者共。
 キクリが指揮する黒龍の口には強大なエネルギーが集中し、太陽のように光輝いている。
 後数秒で煙玉の効果も切れ、キクリの転送能力も適用されてしまう。ここで朝日を待たずして……私は消え去るのか?


 「ふざけるな! 私にはまだ救うべき患者がごまんといる! こんなところで倒れる訳にはいかないッ!」

 「キクリのお嬢、俺を助けるなら早めにお願いしますぜ?」


 私は焼け焦げ真っ黒になった防弾ベストを引き剥がし、右脇腹にメスを突き刺した。どっと脂汗がほとばしり、ペストマスクの内側にある瞳が白目を向き、歯茎から血が滲む。傷口表面を炎が炙り、壮絶な苦痛が私を殺しにかかる。


 「これが私の……生への執念だッ!」


 脇腹から血まみれのスタングレネードと爆煙弾が姿を覗かせた。右腎の代わりに無理矢理体内に仕込んだ、私の奥の手だった。
 生死をかけた、眩い閃光と爆音が周囲を圧倒する。煙によって光は乱反射したものの、それでも驚異的な光が突き抜け、エルドランの国民の目を焼き付けた。
 私は自らに強心剤を打ち込むと、全力で突っ走り、海のなかに飛び込む。一方、老人はシュノーケルを装着した。
 血の臭いに寄ってきたサメにメスを突き刺し、神経を書き換える。

 『泳ぎ続けろ』

 後方から信者達が迫って来ているだろうが、老人の魔法地雷によって阻まれているはずだ。サメに捕まって逃げていれば何とか撒けるはずだ。
 老人は私に捕まったまま海底に向けて精一杯ワイヤーを射出した。老人は『そのままワイヤーを伝って潜れ』とジェスチャーした。私はサメを操り海深く潜っていく。
 潜っていくにつれて目の前に巨大な魚影が姿を露にしていく。これで老人は侵入してきたのか……。
 私たちは潜水艇に乗り込むと、一目散にエルドランから逃れた。




 「ほら旦那、とりあえず席にかけてくだせぇ」

 「ここが……深海だと言うのか……」


 天井にはシャンデリア。洒落た木製の机にあまりにも座り心地のよいソファーが二つ。ボディーガードが老人のソファーの左右に立っている。が、私が老人を人質にとっているためにほぼ無力と化していた。



 「さて、とりあえずエルドランからは脱出しやした。追っ手もいない」

 「因みにこの潜水艦はどこへ向かう?」

 「ドレスタニアですぜ」


 私はグググと顔を老人に近づけた。ペストマスク越しに見える老人は余裕のある笑みを浮かべている。


 「ドレスタニアの元国王であるガーナ王に雇われているというのは本当か」

 「ええ、本当です。ドレスタニアの密輸港を使わせてもらう変わりにちょっとしたバイトをしていやす」


 老人は口を歪めたまま鋭い目付きで私を睨んだ。


 「……そういえば最近ガーナの旦那が不穏な動きを見せていやしてね。その理由をお聞きしたくて。できたら、教えてくださいませんかねぇ。一説によればノア教を潰そうと思っているとか」

 「ノア教の陥落を企画している。ガーナにもすでに協力要請をしてある」


 老人はやたらとおおげさに手を振り上げ、「わお」と驚いた。
 実は今回の依頼を受けたのもエルドランの偵察を兼ねてのことだった。私は恋人をノア教の生体実験で失っており、復讐というよりは被害者を増やさないために今まで暗躍してきた。しかし、ノア教の横暴は日に日に増すばかりで留まるところを知らない。他国から咎められようと聞く耳を持たない。私は多少強引にでもノア教を潰す方法を模索していた。そして、今まさに実行へ写そうとしている。
 ガーナ王が関わっている時点で遅かれ早かれ知られていた情報だ。こいつ以上の諜報能力を持つ者を私は未だに見たことがない。


 「そうですかい。俺は仮にも組織の長です。他のギャング……今はノア教とは仲良くしていたい。でも、ガーナの旦那も嫌われたら厄介だ。ドレスタニアの密輸は俺にとっても大きな収益ですし、ガーナ王は手強い知将です。ガーナ王、クロノクリス両者と仲良くするためには、俺はガーナ王の様子を伺いつつ、ガーナ王にとって差し支えがなくかつクロノクリスの欲しがりそうな情報を流す必要がありやす」

 「なんの情報を流した?」

 「ドレスタニアがノア教の転覆を狙っているという情報です。事実でしょう?」


 老人の狙っていることが大方予想がついた。


 「私が動いていることは伏せたのか」

 「ええ」

 「クロノクリス亡き後のエルドランの裏社会を掌握するつもりか」

 「まあ、そこら辺はご想像にお任せしやす。表向きは協力できませんが他の組織にノア教への協力要請を出来る限りは断るよう根回ししておきやした。俺たちの業界でも奴は利己主義過ぎて嫌われているんです。存分に暴れてくだせぇ」


 この作戦でノア教が勝てば老人は教王クロノクリスからの信頼を得るだろう。
 逆に私たちが勝てばクロノクリスの傘下にいたギャングは統制を失う。そこで、老人が彼らを雇うか追い出すことでエルドランを完全に掌握することが出来る


 「どう転んでもお前の利益と言うわけだ」

 「バレましたか」


 ニィィと笑う老人に対して私はペストマスクの中でため息をついた。
 とりあえず、今回の一件でノア教の戦力の大方の規模を把握できた。まさかここまで強大な勢力だったとは予想できなかった。作戦決行までそんなに時間は残されていない。
 ドレスタニアとエルドランの隣国であるカルマポリスよ協力は得られているがそれでも力不足だ。作戦決行の日までに協力者を増やさなければ。

決戦兵器エアライシス

http://thefool199485pf.hateblo.jp/entry/2017/07/28/074530
セレアの朝食

http://thefool199485pf.hateblo.jp/entry/2017/07/31/133629
セレアと後輩兵器

http://thefool199485pf.hateblo.jp/entry/2017/08/02/135110
起動_エアライシス


⬆の続きです


登場人物

・エアリス
 機械少女。液体金属の肉体を持つのじゃ。

・ガーナ
 ドレスタニア元国王。鋭い観察眼と感情に左右されない決断力を持つ。あまりにも深い教養のために最近、解説王の異名を得た。弟がセレアの友達。

・タニカワ教授
 カルマポリスにあるとある学校の教授。呪詛について詳しいためガーナ元国王に呼ばれた。セレアと知り合い。

・エアライシス
 カルマポリスの兵器。運用法が見つからなかっただけで、戦闘力そのものは非常に高い。多種多様な呪詛(魔法)を扱う。

━━━



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 ヒルルルル、という何かが空から降ってくる音と、ドォォォンという爆発音がけたたましい重奏を奏でている。
 倉庫内の至るところで突然無数の爆発が巻き起こっている。一回爆発するごとに床が吹き飛び、地面がめくれ、天井付近まで廃材が舞う。私はワイバーンの上でただただその様子を震えながら見ている。
 天を見上げるとそこに天井はなく、『夜空』が広がっていた。夜空に光の点が現れたかと思うと数秒後に、倉庫のどこかで車一台余裕で入りそうな大きさの半球状の爆発を引き起こし床にクレーターを残す。
 騒音の中、ワイバーンの後方に乗っているガーナ元国王が声を張り上げた。


 「何が起こっている、タニカワ教授」

 「……流星です。膨大な呪詛を用いて架空の夜空を作り出し、流星群を召喚したのでしょう。それよりも、セレアの姿が!」


 絶え間ない流星の雨。その爆心地にいるはずのセレアの姿が見えない。私はセミロングの銀髪をはためかせ、白いワンピースを着こなす少女の姿を必死に探した。
 隕石の雨が倉庫の中を埋めつくし、そこら中の床をクレーターの色に染め上げたころ、ようやく攻撃が止んだ。幻想の夜空はまるで霧のようにかききえてしまった。


 「せっ……セレアァ!!」


 セレアは四肢を切断され心臓から下が欠けた、いわばトルソーのような状態で宙に浮いていた。私が茫然として彼女を見ていると、銀色の液体がセレアにまとわりつき、腕や足がみるみるうちに生えていく。呆然としている私をよそにガーナ元国王が落ち着いた声で言った。


 「セレアの肉体は液体金属で出来ており、単一の攻撃ならいくら食らおうが再生出来る」


 なんという回復力。ガーナがセレアに信頼を置くのも納得できる。あの天災とも見分けのつかない壮絶な攻撃を受けたのにも関わらず、平然としている彼女の姿に兵器としての恐ろしさを垣間見た。


 「さて、わらわのターンじゃ」


 エアライシスからガガガガガッ、と金属がぶつかり合う音が聞こえ、数枚の歯車が床に転がる。よく見るとセレアの腕がガトリングガンに変形し発砲しているのがわかった。
 銃弾の雨あられを受けるエアライシス。だが、攻撃なぞ全く眼中にない、といった風に口を開いた。やせ我慢が得意らしい。


 「ほう、翼もないのに空を飛ぶか」

 「お主、翼があるのに空を飛ばないのか?」


 左右の翼と角の部分に黄緑の魔方陣が描かれ、そして消えた。
 ワンテンポ遅れてエアライシスの体を透過性の高い膜が覆い、次に濁った赤色いに変化し消える。最後に角の魔方陣が光るとエアライシスの輪郭が薄緑に光った。


 「なっ、バリアじゃと?! 弾がはじかれて……」


 セレアが言い終える前にエアライシスの角と翼に再び現れた魔方陣が現れた。それを見たセレアは急発進。その直後、セレアのいた場所に像をまるごと一頭焼けそうなほどの火柱が立っていた。
 さらにセレアの目の前から突如雷撃が襲いかかった。真っ正面から被弾する。両腕を盾に変形させガードしたものの動きが鈍った。最後にセレアを中心に場違いな猛吹雪が倉庫の中を吹き荒れた。
 眼前で巻き起こる自然現象の数々に、私は情けない声をあげることしか出来ない。


 「セレアの体は常温で気体の金属を呪詛で操作して液体や固体に変えて維持している。例えると、本来気体である空気を無理矢理呪詛で凍らせて固体にしているようなものだ。だから温度変化にセレアは非常に弱い」

 「それでは、加温と冷却を繰り返したらそのうち彼女は……」

 「逆にそれさえ避ければ、彼女はほぼ無敵だ」


 セレアはなんとか吹雪を避けようと後方に逃げるも、少し後退した所でいきなり墜落する。
 さらに地面が突如裂けてその割れ目の中に引きずり込まれた。セレアの体が地面の奥へとズブズブと沈む。
 天井付近に小さい何かが見えたかと思うと、落下している短い時間のなかで瞬時に成長して、根が槍のように変形した見事な巨木が出来上がった。


 「セレアの後方に超重力の魔方陣を仕掛けてからの地割れ、そして木の槍……三種の呪詛を連続で発動している!」


 直撃した樹木は腹を引き裂き地面にめり込ませながら深々と突き刺さった。
 驚き続ける私に対して、超冷静にガーナ王が戦闘を目視している。


 「なるほど。息もつかせぬ呪詛式の魔法の連発、それが奴の戦いか。逃げるぞ、タニカワ教授。先程の流星で倉庫の壁に穴が空いている」


 「……しかしセレアは!」

 「彼女は自らの命を無駄にするような愚か者ではない」


 私が手綱を強くひくと、ワイバーンは倉庫の壁に開いた穴を正確に潜り抜ける。薄暗い空間に黒いビルのような建物の群れ。先程の巨大空間に戻ってきていた。
 一息ついて私がちょうど後ろを振り向いたとき、穴から炎色のエネルギーの放流が吹き出してきた。続けて倉庫が二三回フラッシュする。


 「私は、夢でも見ているのか」


 そう呟いたとき、この部屋を区切っていたはずの壁がまるまる吹き飛んだ。壁であった断片は黒い建造物に突き刺さったり、床を板チョコレートかなにかのようにかち割ったり、私たちの頭上を通り抜けて冷や汗をかかせたりした。
 壁がなくなり、ここからでも倉庫の中の様子を容易に見ることが出来る。黒い洞窟とでも言えばいいのだろうか。もはや原型は完全になくなっていた。
 その中に私が見つけたのが、全てが消え去った闇の中で何事もなかったかのようにたたずむ狼のような巨大生物……


 「ガルルルゥゥゥ!!」

 「超至近距離からの攻撃ならバリアも無意味じゃなぁ!」


 ……に、斬りかかるセレアの姿だった。