カルマポリス 2
3
木製の長机とイスが規則正しく並んでいる。それらは部屋の前方にあるボードに向けられている。ボードには『休日の特別講義━━カルマポリスのシンボル依存問題』と書かれていた。
教室に生徒はいなかった。どうやら体育館に避難したらしい。
「ここなら廊下の様子も見えるし階段も近い。まあ、それなりに安全だろう。何より君の能力が活かせる。それにしても━━」
年を10才以上若く見られる、タニカワ教授はボードを見てから呟いた。
「━━ルビネル、この町のシンボル依存は深刻だな。他国では電気やガスを使って行うことをシンボルからのエネルギーに一任している」
「ええ、今日の朝のドラマでやっていましたよ。『もしもシンボルがなくなったら』って」
ドラマでは電気とガスが普及し始めたあたりだった。電線とかガス管設置の描写が抜けていて、なんじゃこりや状態だったけど。
私は廊下側の窓をみた。室内の明かりで薄くなっているものの、やはり緑色の光が混じっている。
タニカワ教授はスーツのポケットから手のひらサイズの黒い箱のようなものを取り出した。シンボルエネルギーで動き、通信するラジオだった。
【……は100才くらい、身長170cm前後の老人で、古ぼけたビジネススーツを好んで着ます。見かけたら治安維持班までご一報を。次のニュースです。先月、『何か』召喚回数が3回を越え、死者が2人に上りました。出現頻度及び使う呪詛・魔法の強さが増していることから、警備班は警戒を強めてい━━『何か』出現予定時刻です。外にいる方は直ちに建物内に避難してください。繰り返しま……】
「前は一月に一体召喚されるくらいだったのに」
「そうだな。そういえば君が課題をしている間、私も創世記をあらかた探ってみたんだが」
「あの分厚いのを何冊も!?」
「断片的だが面白い記述を見つけた。リムドメイン計画って言うんだけど、これがパラレルファクターのルーツに……」
私は突然何か嫌な感じがして窓の外を見た。廊下越しだったから分かりにくいけれど、何か変だった。
「どうしたルビネル?何か見えたのか」
遠くに、遠くの空に白い点が見える。白い点はどんどん大きくなり、やがてそれが人の形をしていることがわかる。儀式で使うフードつきのローブのような物に身をまとっている。
でもここは確か学校三階のはず!?
「教授!人が……浮いてる」
「いいや、あれは『何か』だッ!すぐに教室の窓からはなれて、反対側の壁によりなさい!!」
4
どんどん『何か』は近づいてきた。フードで顔を隠しているが、その下から少しはみ出ている肌は真っ黒だった。
そして何より、さっきまでなにも握っていなかった右手に、身の丈ほどもある、大きな鎌が現れた。白いフードの『何か』は両手でそれを掴むと大きく振りかぶった。
「大体この教室から約100メートル。少なくとも持っているのは浮遊の魔法と武器召喚の魔法か」
「教授!冷静に分析している暇があったら机の下に隠れてください!」
次の瞬間、地面から体が少し浮き上がった。バリバリバリッ、と大量のガラスが一度に割れる音がした。廊下の窓はもちろん、教室の窓ガラスにもヒビが入った。
天井からホコリが舞った。
そして、もう一度すさまじい衝撃が学校を襲った。
「タニカワ教授!大丈夫ですか?」
「これは、鎌から産まれた爆風か!」
力が入らない。全身の筋肉が痙攣してる。瞼が開いたまま動かないが。
「どうしよう、まさかこの学校のこの階を狙って打ってくるなんてっ!怖い。からだが震えて動けない」
「いいや、違う。あいつの向いている方向から判断すると、狙われたのはひとつ下のフロアだ」
「えっ、じゃあ余波だけでこれだけ!?それに、ひとつ下のフロアって……」
職員室がある。もし、最初の一撃で廊下が破壊され、もう一撃で教員室内にあの衝撃が到達したら!
「……どこで知ったわからないが、敵はこの学校の構造を知っている。しかも、あえて昼休みの時間帯を狙ってきた」
「助けにいかなきゃ!」
「ダメだ!君はここにいて私が……と言いたい所だが、君の方が強かったな。二人で行こう」
「えっ、ええ?!」
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下の階はひどい有り様だった。とても大きな刃で廊下の端から端まで切り裂いたらこうなるのだろうか。廊下と教室の境がなくなり、コンクリートがむき出しになっていた。あちこちであり得ない方向に曲がった骨格が飛び出している。
そして、壁際には机をはじめとする色々なものが山積みになっていた。私はそのなかに人のご遺体があるんじゃ、とすんごくドキドキしながら、さりげなくタニカワ教授の手を握っていたけれど、特になにもなかった。
「はあ、今日が休校日で本当によかった。ここにいた先生方も早々と体育館に逃げていたみたいだ。他の教室も見たところ人影はなかったしな」
「ああ、憎き職員室が……」
「本音が出てるぞ、ルビネル」
「感傷に浸っているんです」
「じゃあ、さりげなく成績表を踏みつけるのやめようよ」
「あっごめんなさい、ついうっかり」
「そう言って校長先生の座席に座るのもやめなさい」
「あっ万年筆発見!しかも二本!」
「教授、悲しくなっちゃうな」
タニカワ教授がうつむくフリをしてしゃがんだ。私は万年筆を掲げ、懸垂のようなポーズをとり、足を縮めつつ天井まで跳ぶ。
タニカワ教授の上、私の下を風の刃が通りすぎた。窓とは反対側の壁がとうとう衝撃に耐えられず穴が開いた。後ろから木材や石の破片が跳ね返ってきたけれど、タニカワ教授の呪詛によって守られた。
「どうやら、振りかぶらなくてもそれなりの衝撃波は放てるようだね。私の守りの呪詛は二人を守るので限界だ。他に人がいなくて本当によかった」
「教授、逃げたいです」
「ああ、ルビネル。早速逃げよう階段も向こうに……」
とタニカワ教授が言った瞬間、階段の方向から爆発音と、何か大切なものが崩れ去る音が聞こえた。
「下り階段が三つとも切り壊されたっ!これでは、逃げられない」
「え、じゃあ、こいつ私たちを殺す気ですか?」
ボールペンで手品芸をする事くらいしか脳がない私にどうしろと。
「いいや、恐らく半分は正解だな。そこで、私にいいアイデアがある」
「え、説明する暇ありますか?」
6
私とタニカワ教授は反対方向にダッシュした。
案の定『何か』はタニカワ教授に向かって突風を放った。教員室のある階を狙ったことから、多分教職の人が奴のターゲットなんだろう、とタニカワ教授は推測していた。
そのタニカワ教授はいい感じに物影から物影、とうしようもないところは守りの呪詛で避けている━━と私は信じてる。
ある程度タニカワ教授と離れたところで、私は『何か』に向かって校長の万年筆を投げた。
奴は白フードを少し揺らし、まるでハエを退けるが如く鎌で万年筆を叩き落とそうとした。
でも、鎌は微妙に万年筆を避けて空を切る!
「やった!守りの呪詛が効いた!」
さっきタニカワ教授が私の守りを解除して万年筆に呪詛をかけていた。確実に不意をつくために、ね。
そのまま化け物の喉に万年筆がつき刺さろうとするっ!……というところで今度は左手にキャッチされてしまった。守りの呪詛は最初の一撃で破られている。この距離ではかけ直すこともできない。
でも、なんの問題もない。
「『ペンは剣より強し』。ちょっと勉強不足じゃなあい?」
万年筆のペン先が『何か』の喉元に突き刺さる。そのまま体内に潜り込んだ。
「タニカワ教授!終わりました!」
化け物が呻き声を上げながら頭を抱えているのをよそに、私は宿題の終わった小学生みたいな声でそう言った。
でも、答えてくれる先生は誰もいなかった。