幻煙の雛祭り ━前日━ レウカド先生との別れ PFCSss
「はぁ。疲れた、まさか一日でここまで働かせるとはな。あんたも人使いが荒い」
ようやく、自分の経営する病院に戻ったドクターレウカドは紫煙を吹きながら大きなため息をついた。実は今回の作戦に参加するメインメンバー全員の診察をさせたのだ。
能力者の中には高度な幻覚を使う者や、自分や他人そっくりの分身を作り出す者もいるらしい。彼はそういった類いの術に詳しかったのと、元々医師として優秀だったために、活躍して頂いた。
「だが、充分な報酬だろう」
アンティノメルの特産品、リーフリィの魔法具、ライスランドのゆで玉子(おみやげ用お得パック)、ドレスタニアの出店で買った雑貨等々。
全て私のおごりだ。付き添い代、診察料、アンティノメルの説得成功報酬金……。ドレスタニアに支援金をもらっていたとはいえ、決して安いものではなかった。
「ああ。あんたのお陰で安心して明日を迎えられる」
ドクターレウカドは煙菅に口をつけ、大きく吸った。そして、まだ見ぬ明日に思いを馳せているかのように、天井に向けて息を吐いた。よほど明日が楽しみらしい。
「だが、契約期限は今日の夜までだ。まだ時間がある」
「おいおい、あんたもかなり疲れてるだろう?明日に備えて寝た方が身のためだ」
私はグフフフフフッと、自分でも気味の悪い笑い声を立てた。ドクターレウカドは何か嫌な予感でもしたのか、目に見えて身震いした。
「少し、別室を借りてもいいか?着替えたいんだ。着替えは用意してあるが」
ドクターレウカドはなぜこのタイミングで着替えるのかわからない、といった顔だった。
彼に案内され、
━━
ズーーーーーー!
ジッパーの外れる音。
バキッ
バキバキバキバキッ!
折れてはいけないものが折れる音。
ヌチヌチヌチヌチヌチヌチヌチヌチ、ズルン!
何かが出てくる音。
ブチィ!
ひも状の太い何かが切れる音。
━━
「明らかに着替えの時の効果音じゃないが、大丈夫か?」
「ああ、もう済んだ」
「ん?なんだ、その声。あんただれだ?」
「私だよ」
私は部屋のドアノブをひねり、開けた。
ドクターレウカドはこちらを見ると、最初に瞳孔が縮まり、繊細な人指し指をうっすら開いた口に当て身じろぎをした。ただでさえ白い肌からさらに血の気が引き、生きとし生きるものとは思えない。
さらには一歩足を引いた状態で固まってしまった。
「……は?」
「私だ」
「……なっ!?えっ!はぁ!」
私は部屋から一歩踏み出した。ドクターレウカドは二、三歩後ろに下がると、薬品棚にぶつかった。ガシャガシャとガラスのぶつかり合う音がした後、数個ほど、小瓶が棚から落ちて割れた。
「どうした?初対面で私のペストマスクを見たときよりもずっと驚いているじゃないか。フフッ……フフフッ!」
私はゆっくりとドクターレウカドの頬に手を伸ばした。ドクターレウカドはあまりのショックに動けなくなっているらしい。ガタガタと震えるだけで抵抗して来なかった。
「あんたの能力!そういう使い方もあるのか!」
私の指先からドクターレウカドの頬の温もりを感じた。数年ぶりに『直接』人膚に触れた。絹のようなさわり心地がなんとも心地よい。このまま撫で回したくなったが、ドクターレウカドの恐怖とも驚きとも言えない、奇妙に歪んだ顔を見て、私は満足してしまった。
このドクターレウカドの顔は私だけのものだ。
私はドクターレウカドに背を向けるとコートのポケットから各国の滋養強壮剤を調合した液体の入った小瓶を取り出した。
「どうせ明日にはお前はとられる。今日一晩、付き合ってもらうぞ!ハハッ!アハハハハハッ!」
私は腹を抱え勝利の笑い声を解き放った。
「まさか、お前がひな祭りにノア新世界創造教に乗り込む真の理由は!」
「私の古郷でひな祭りを過ごしたいということ、恋人をそこで殺されたということ。……今回の計画の何ものにも変えがたい理由だ。だが、それ以外にもいくつかきっかけがあってな。その一つがコレだ!」
「アアアア!!?」
その後、ひな祭り当日までドクターレウカドを見たものはいなかった。