フールのサブブログ

PFCS 用のサブブログです。黒髪ロング成分はあまり含まれておりません。

ひな祭り準備 PFCSss

注意:非常に長いので空いた時間に少しずつお読みください。

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 『エルドランで犯罪を犯し、捕まり、トラウマを植え付けられて、なおもエルドランから抜け出せずにただ追い詰められる恐怖に生きてきました。もう耐えられません。地獄です。貴方に頼めば安らかに死なせてもらえると聞きました。お願いします』



 エルドラン国は数十年前からノア輪廻世界創造教と呼ばれる宗教団体に牛耳られている。表では普通の国教を演じているが、裏では密輸や闇取引に手をだし、ギャングとも密接にかかわり合っている邪宗だった。見つかったら即殺されるだろう。
 念のためノア教の教王クロノクリス不在の可能性が高いタイミングに合わせて私はエルドランに侵入した。……イナゴ豚で、である。
 エルドラン国の中でも海岸寄りに位置する町。その裏路地から、さらに隠し通路で地下に潜った先に依頼主がいた。必要最低限の家具は揃っているが、暮らすにはあまりにも窮屈な部屋だった。
 私は部屋のすみに生けてある赤い花を見つめた。花瓶の回りに花弁が散っており、花そのものにはもう花弁が一枚しか残っていない。


 「あえて残しているんだ。女房がくれたやつだからね。痛ッ!」

 「見舞いには来ないのか?」

 「止めさせた。当人は来たがったけどな。こんな様はみせらんねぇ。はぁ……こんなことだったらもっとアイツと一緒にいてやればよかった。息子にも頭下げねぇとな。早死にしてごめんって」


 私はゆっくりと振り向き見下ろした。痩せこけた男がベッドの上で横たわっている。色黒で人目見て肝臓がイッてしまっているのがわかる。


 「昨日はありがとな。しこたま話を聞いてもらっちまって。ああ、そうだ今日も吐血したよ。肝癌ってこんなにつれぇんだな……医療費も。もう、人に迷惑はかけたくねぇ」

 「必要書類も手順も全て踏んだ。あとはお前次第だ」


 私は革製の手袋を整えると鞄から数種類の書類を取りだし、男に間違いがないか確認させる。
 男は黄色く濁った目で紙面にかかれた自分の文字を丹念に確認していく。


 「それにしても、最後に見るのが鳥頭のマスク……」

 「ペストマスクだ」


 マスクをコツコツと叩いて肩にかかった黒い長髪を払った。


 「そう、それ! 革製のペストマスクをつけて黒いコートとブーツに身を包んだ死神だとは」

 「一応、人だが?」

 「その見た目でその言葉を信じろってか? まあいいや。そういえば俺が死んだあとはどうなるんだっけ?」

 「昨日も話したが、麻酔薬で眠ったあといくつかの新薬の臨床実験を行う。あとは解剖して終わりだな。死因は高血圧から来る脳梗塞。家族にもそう伝えられる。天命を全うしたとな」


 患者は静かに微笑みをたたえると私に言った。


 「これで、誰にも迷惑をかけずに逝ける。因みに俺の死は誰かの役に立つのか?」

 「ここで得られたデータは他の医療機関や試薬メーカーに送られてゆくゆくは患者の役に立つはずだ。家族はお前が安らかに逝けて安心するだろう。家族の負担も医療費も早死にした分だけ浮く。看護師や医師もお前に割くはずだった時間を他の患者にあてられる。」


 私は一息ついて、患者の目を見て言いはなった。


 「もっとも、私はそんなことよりお前が痛みなく安らかに死ねるかどうかのほうがよっぽど重要だがな」

 「そうか、糞だった人生の中でようやく本格的に誰かの役に立てるな。……じゃあ始める前に最後にひとつだけ」

 「なんだ?」

 「俺を忘れないでくれ」

 「……わかった」

 「あと……これは礼だ。この国の地下通路の地図だ」

 「恩に着る」


 私は速やかに安楽死させると、然るべき手順で解剖し、もとに戻した。遺体は部屋の中に放置しておく。大脳の血管をぶちぎり、死亡理由を偽装する。
 仕事を終わらせたところでふと壁際を見ると、焦げ茶色のスーツに身を包んだ老人が寄りかかっていた。


 「また、ペストマスクに黒いコートですかい? 飽きませんねぇ、旦那」


 しわがれているが、生き生きとした声が聞こえてきた。待ち合わせの時間ぴったりだ。


 「いつものやつだ。頼む」

 「今回はたくさん仕入れられたんで、旦那には値引きしておきます。あとおまけの高級シャンプーです」

 「ありがたい。この長髪だとすぐに使いきってしまうからな」


 自分の声が鳥の頭のようなマスクのなかで反響して聞こえてくる。淀み、重く、暗い。


 「それにしても、旦那くらいですぜ。ギャングの中でもここまで強いヤクをキメているのは。この黒髪の艶も薬の副作用ですかい?」

 「まさか。この薬は調合に使っているだけだ。市販では手に入らない上、一から作るとなると高い上に余る」


 わたしは使い古されたブランド品のスーツを着こなす老人にそれなりの金を握らせた。


 「毎度のことながら面倒な能力ですね。メスか指で直接触れなければ使えないなんて」

 「だが、精密だ」


 わたしは無造作に老人の額にメスの腹を突き立て、一気に顎の下まで引き抜いた。
 老人は悪餓鬼に一杯食わされたときの表情ではにかんだ。もちろん顔には傷ひとつない。それどころか、シミがきれいさっぱり消え去っていた。
 わたしはメスにこびりついたメラニンの塊をガーゼで拭き取り、コートの内ポケットにしまった。


 「毎日その精密なメスで解剖しているんですよね。旦那、よく飽きませんなぁ」

 「ひとの体も魂も千差万別。何人見ても飽きん。それに生者死者老楽男女罪人聖人問わず、至るところで人の体をバラして、元通りにするのがわたしの仕事だからな。それでは彼の後始末を頼む」

 「わかりやした」


 私はニヤニヤしている老人を置いて、地下室から裏路地に出た。
 その瞬間だった。昼間かと見間違えるほどの閃光に目が眩んだ。ペストマスクをつけていなければこうして木箱の影に隠れることも出来なかっただろう。


 「お前はもうすでに包囲されている。おとなしく投降せよ」


 私はコートのポケットから短い縄のついた球を取り出した。マッチで火をつけて目の前に思いっきりぶん投げる。
 こうして私の人生の中で最も厳しい戦いが始まった。


━━


 「ギーガン隊、西地区捜索するも目標発見できず」

 「まだ近くにいるはずだ。しらみつぶしに探せ」

 「了解」


 松明を持った、文字通りの血眼の老若男女が私を探し回っている。空を見上げれば少なくとも十匹のドラゴンが徘徊していた。
 建物と建物の隙間に身を潜め考える。
 地上を行けば確実に住民に見つかる。屋根を伝おうが、ドラゴンで視察をするクロノクリス親衛隊のキクリには無力。


 (とりあえず激臭玉で匂いで関知する三つ首の番犬はまいたが……それで何になる……)


 あの後、私を待っていたは、怒れるノア教の狂信者たちに加えクロノクリス配下の異形の生物、さらにクロノクリス親衛隊のキクリである。
 何とか閃光弾と煙玉でしのいだが、逃げた先の公園でドラゴン三頭を睡眠ガスで眠らせ、続いてクロノクリス親衛隊を閃光弾と睡眠ガスで撒き、ようやく裏路地に逃げてきたのだった。
 睡眠ガスグレネードは早くも在庫を切らした。ドレスタニアであれば、これだけでも一週間は生き残れるというのに。


 「よりによって教王様が留守の時に……まあいい。キクリのために……死ね!」


 青年の声が聞こえたのとほぼ同時に巨大な火球が私に向かってきた。恐らくクロノクリス親衛隊のヒリカだ。
 私はあらかじめ建物の上部に引っ掻けておいたワイヤー(ストッパーをはずすと体を引き上げる仕組み)を利用して攻撃をかわすと、閃光発音管の詮を抜き、ヒリカに向かって投げる。数十秒間耳が聞こえなくなるほどの爆音と、目が焼き付くほどの閃光が放たれる。聴覚と視覚を奪ったヒリカにメスを突き刺した。同時に彼の白い修道服がわずかに震た。


 「悪く思うな」

 「キク……リ……」


 私の能力によって、解剖用のメスには体を切り裂くだけでなく縫合する力が付与されている。それを利用し、ヒリカの体内に直接睡眠薬を注入し、眠らせる。ヒリカの首はおろか皮下組織も傷一つついていない。
 パサリとオレンジ色のショートヘアが私の手に垂れた。顔を見る限り恐らく成人して間もない程度だった。
 親衛隊の実力からして数分後には目覚めて追ってくるのをわかっているが、ノア教の信者の大半は一般人だ。無闇に殺すことは出来ない。
 煙玉を使って住民らの中に入り込み、親衛隊の目をくらます。


 「ぜぇ……ぜぇ……」


 上空ではキクリが黒い竜に乗って偵察をしている。今の姿である黒いコートにペストマスクでは、いくら夜とはいえ見つかってしまう。
 親衛隊の中でも特に気を付けなければならないのがキクリだった。ファッションモデルに出てきそうな黒いコートと黒い帽子に、黒髪に黒い眼鏡に……ととにかく黒づくめの娘だ。

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 空間転送の魔法を使えるキクリは視界に入った物体を遠くの場所へ転送できる。先程の公園のドラゴンや親衛隊も彼女の魔法で転送されたものだ。さらにキクリはクロノクリスによって召喚された魔物を制御することが出来る。
 最悪なのは彼女に私が目視された場合だ。問答無用で溶岩の中だとか、生存不可能な場所に転送されて終わる。最上級の眼鏡をつけているため視力も非常に高い。


 「よくもヒリカを……! 信者よ! 親衛隊キクリが命ず。我らに楯突く愚か者を引っ捕らえろ」


 今、彼女は操縦するドラゴンの背に乗っている。上空から私が発見されることは死を意味する。拡声器で静かに怒りの声をあげるキクリに肝を冷した。どうか私に気がつかないでくれ……。
 私は黒い煙幕を使い、どうにか空を漂う竜に対して、目眩ましをする。


 (煙幕はあと残りいくつある?ひぃ、ふぅ、みぃ、……ダメだ心もとない。周囲を真っ黒にして目をくらましながら行けば海に出られる……いや、無理だ。仕方ない裏路地に回るか。一般人による不意打ちが怖いが……。たしか地図によれば密輸用地下通路もあったはず)


 頭をフル回転させつつ、片手に閃光弾を握りしめる。
 裏路地に回った私を待っていたのは、数十人ものノア教の狂信者だった。彼らの思考は教王に逆らうものは死すべし、だ。


「やはり!」


 閃光に辺りが包まれる。視界が回復しない間に狂信者らの延髄にメスを突き刺しては昏倒させる。能力を発動させる隙は作らせない。
 が、今ので閃光弾は残り一つ。閃光発音管もあと残り一つ。
……何てことだ。
 過激派を鎮圧できたかどうか確認しようと周囲に気を配った時、突如氷の柱を天高くそびえ立った。恐らく妖怪の呪詛の類いてある。


 「チィッ!」


 防弾防火コートの前面が凍りつく。危うく刺し殺されるところだった。


 (なんなんだ、この国の住民は。確かにこれなら並の犯罪者は消されるし、逃げ延びたところでまともに生きてはいらない。もはや追跡を越えた何かだ)


 とりあえず、居場所がばれたので全力でこの場を離れる。
 しばらくして氷の柱がある場所に空間の裂け目が発生し、その中から黒いドラゴンが這い出てきたのが見えた。恐らくキクリの転送の魔法だ。さらには数十匹のドラゴンが騒ぎを聞き付け、わらわらと集まっている。
 後ろから聞こえてくる柱が倒壊する音を聞きつつ、建物の影に身を潜めた。


 「げるるぅぅぅ!!」


 だが、そこにいたのはよりによって液状の魔物だった。何度か切り裂いて見るものの、すぐに再生してしまい全く聞かない。生体における水分の割合が多すぎて私の能力も効果が薄い。


 「ならば!」


 私が隠し持っていた小瓶の蓋をはずすと、周囲がすさまじい臭気に包まれた。嗅覚はあったらしく悶絶するスライム。だが、苦し紛れに私の足を絡めとってしまった。


 (足の動きが鈍くなった! 悪臭はマスクで問題ないし、回りの住民はまともに息できず、ほぼ無力と化しているが……動きが鈍くなるのはまずい! 一般人ならともかく、側近クラスに悪臭が効くとは思えない。どうにかならないかっ!)


 「さっきはよくも! ……許さない。キクリの前で恥をかかせたあなたを許さない!!」

 「うッ、うごけぇ! やつの炎の威力からすれば直撃は━━」


 そうだ! 自分の脚に解剖用のホルマリンをぶっかける! 表面さえ何とかすれば足は動くはず! あとでPFで治療すれば。


「がああぁぁぁッ!」


 ホルマリンによってズボンの上から染み込んだホルマリンによって、スライムが消毒される。
 すぐにヒリカに背を向けて逃げようとしたが、その背中に火炎な直撃した。


 「グオォオオオ! 背中がっ焼ける!」

 「そのまま焼け死んでしまえ!」


 コートの背中側が焼けていく。もっとも、この程度で死んでいるのであれば、私は今まで数十回は死んでいる。


 「にっ、逃げなければ!」


 煙玉を投げてその場しのぎをする。今の火炎で手持ちの煙幕弾の大半も焼けてしまった。悪夢だ。
 しかも今の火炎が狼煙となり、キクリを乗せたドラゴンが転送されてくる。
 さらにクロノクリス親衛隊であろう数名の足音と声も聞こえた。


 (また、お前らか!)

 「シャーハッハッハェ! 逃げられると思ってんのか? 鳥野郎! 出てきやがれ! このアルベルト様が切り裂いて殺るよぉ!」


 ノア教の幹部まで来てやがる。
 道脇に隠れることでヒリカをはじめとする親衛隊は撒けたようだが、今度は前方から血眼のエルドラン国民達が襲いかかってきた。その上にはキクリの僕であろう蝙蝠のような異形の生物が飛んでいる。


  (お前たちはいったいどうやって先回りしているんだ!)


 煙玉もあと……数個か。アルファに効くチャフグレネードはエルドランでは役に立たない。不味い、装備が……底をつく!
 住民は答えることはなく呪詛を一斉に使おうと構えた。


 (他に打つ手がない!これは使いたくなかったが、キクリに目視されるよりはマシだ!)


 私は最後の閃光発音管を起爆させた。目がくらまなかった相手をメスで眠らせて無力化、あとは爆臭弾で対処する。
 やっとのことで作った隙を利用し、倒れたエルドラン民を踏み台にして、群衆を乗り越えた。


 「よし、ここか」


 道路脇の床をずらすと現れた、地下通路への梯を私は降りていった。
 数々の取引が行われているであろう場所。レンガ造りで光源は床から二、三メートル離れたカンテラのみ。薄暗く不穏な場所である。バレてはいけない取引をすることを前提に作られているため、遮音性も高い。
 わたしは部屋に乱立した柱を順番に見つめながら呟いた。何か糸のようなものが張り付けてある。


 「柱の影に隠れながらわたし達を取り囲んでいるのは君の友達か? 『老人』」

 「さすがです旦那。よく俺に気づきましたね。一年間どうもありがとうございやした。結構気に入っていたんですけどね。旦那のストイックな性格、好きだった。でも、旦那よりも金を出してくれる客がいてねぇ」

 「クロノクリスか……」


 老人は演技ではなく心のそこから残念がっているようだった。目からは今にも涙が溢れそうで、こらえるためか眉間にシワを寄せている。だが、ギャングスターである彼に情けや容赦はない。
 突然老人は空に浮き上がった。あらかじめワイヤーのようなものを天井に突き刺しており、いつでも移動できるように用意していたらしい。


 「この部屋には俺が仕掛けたピアノ線が張り巡らされている。俺の『友達』はもちろん位置を全部把握してる。因みに俺らが入るときに通った道は既に塞いである」


 老人は驚くべきことに、ピアノ線をつたい、宙を闊歩していた。


 「さて、旦那はどう切り抜けるかなぁ?」


 事態はあまりよくないようだった。この部屋には悟られぬよう、死角を増やすために十三本の支柱がたっている。彼の言葉が確かなら、この場から少し動いただけでも糸が体に食い込み、四肢が切断されるだろう。柱同士に架橋させているピアノ線に……。
 じっとしていても『友達』か老人になぶり殺されるだろう。


 「見えないピアノ線で人を切り刻むなど鬼の所業だ」

 「毎日のように解剖している旦那にだけ言われたくないですよ」



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 俺は小説とかで悪役が油断して死ぬのがたまらなく嫌いだ。プロの殺し屋が高笑いとかメルヘンかよ。
 だから俺は絶対に油断しない。相手が赤ん坊であろうが、瀕死で指一本動かせないようなやつであろうが、殺すと決めた奴は周到に準備して全力で殺す。
 今、旦那は俺の仕掛けたピアノ線の真っ只中だ。四方を囲まれて身動きできない。もちろんピアノ線を仕掛けたのは柱と柱の間だけじゃない。
 俺が天井付近に用意しておいたスイッチを押した。スイッチの先についていたカッターが重石と繋がった縄を切断。重石がゆかに落ちたことで、仕掛けが作動。床にセットされたピアノ線の罠が一気に天井へと引き上げられ、旦那を巻き込み宙釣りにするっ!
 コートは着ているものの旦那の全身にピアノ線が食い込む。旦那が罠にかかったのを確認して俺は叫んだ。


 「うてぇぇ!!」


 部屋が強い閃光に包まれた。
 俺の『友達』、具体的には八人の傭兵が一斉にライフル銃の引き金を引いた。宙吊りになった旦那の体が激しく揺れ、ぶたれたあとのサンドバッグのようにゆっくりと動きを静止した。
 普通の奴はピアノ線の罠で全身を切り刻まれて、もがき苦しみながら死ぬ。生き残った悪運の強い奴等はライフル銃で沈黙する。鬼なら血流量を増やして力を増大することができるが、そんな隙はなかったはずだ。
 旦那は恐らく鬼だ。身長はマスクを含めれば190㎝はあるし、黒いコートを羽織った旦那は俺の倍くらいの図体をしている。鬼は本来しなやかな体つきの筈なんだが、常識はずれの輩なんていくらでも見てきた。
 鬼は生まれの地方特有の楽器をかき鳴らすことで、シンボルと呼ばれる神様の力の加護を受け止めて、力を高めることができる。
 まあ、そもそも楽器は演奏しなければ効果がない。こうして静かな間は少なくとも旦那がパワーアップするなんてことはない。

 「さて……」


 死体の確認に向かおうとした矢先、何かの破裂音とともに視界が黒色に包まれた。火薬の臭い匂いが鼻につく。
 煙幕かっ!
 俺以外は大まかにしかピアノ線の配置を知らねぇ。見なくても自由に動けんのは俺だけだ。あっさりとこの包囲網の弱点をついてきやがった。
 
 ピンッ、ピンッ、ピンッ!

 ピアノ線が切れる音だ。傭兵どもはどこにいるかわからない敵に戦々恐々としている。ピアノ線の位置がわからなくなったから、その場から動くことも出来ねぇ。


 「ピアノ線の切れる音から旦那の位置を推測しろ!旦那はお前らよりもさらにピアノ線について疎……」


 俺の言葉は悲鳴によって遮られた。裏返った声が男の恐怖を表していた。叫びは不自然に途切れ、そのあと得たいの知れない水音が室内にこだました。
 その後続けざまに二人の凍りつくような声が部屋に響き渡る。
 なんだ?どうなっていやがる。部屋を進むスピードがいくらなんでも早すぎる。ピアノ線は黒く塗ってある上、煙幕に視界が遮られている。それなりに見つけにくいはずだ。こんなにバッサバッサ切られる訳がない!
 俺は急いで声のあった方向に向った。近づくにつれて柱や天井に赤い斑点が増えていった。

 やられた。

 殺った奴の血をぶちまけることで、ピアノ線の位置を把握したんだ。足下のピアノ線さえ気を付ければ、あとは多少強引に突っ走っても工夫次第でなんとかなる。


 「来るな化けもん! 止めろ! わかった言うよ! そこにあるので罠は全部だ。━━ほら言ったぞ。だから助けてくれ。助けて助けてたすけてタすケてタスケテ……」

 「おっオレの腕を返してくれ!オレの右手! 右手ぇぇ!! 頼むお願いだか━━」


 ようやく煙が晴れてきた。同時に床の生々しい血痕が俺の目に写りこんだ。既に部屋のピアノ線はほとんど切られ、床に仕掛けておいた罠も無力化されてやがる。
 ライフルも罠も通用しない化け物。四方に広がる血の斑点。確実に近づいてくる恐怖。もはや傭兵たちにとって旦那は『死』そのものに思えるんだろう。


 「私達は逃げるぞ! もう無理だ! 限界だ」

 「ばか野郎! そっちは危険だ! 向こうの入り口だ」

 「いやダメだ! 待ち伏せされている」


 傭兵の足音が出口に向かった。しかし、


 「ア"アあぁ!! 足首が! 足首から下がっ! さっきまでなかった! 誰だこんなところにピアノ線を張った奴は!!!」

 「ピアノ線が! 顔が! 顔が顔が顔が!」


 うっ、という三人の声を境に完全なる沈黙が訪れた。



 音もなく、部屋の奥にペストマスクが浮いていた。カンテラに照らされて、マスクが浴びた血が鈍い光を放っている。


 「ずいぶんと怖いことをしてくれますねぇ、旦那ぁ。精神的に追い詰めてなぶり殺した挙げ句、切り損ねたピアノ線の正確な位置を知るための盾にするなんて」


 再び目の前には現れた旦那は想像以上にピンピンしていた。防火防弾コートの下に防弾ベストを着ていたようだ。ライフルで両方ともボロボロにはなっているが、本体はほとんどダメージを受けていない。普通の防弾コートならライフルは防ぎきれない筈だし、奇跡的に防げたとしても射たれた衝撃で骨がバキバキになっていてもおかしくない。
 やはり旦那の種族は鬼で確定だな。
 もともと鬼の筋肉はゴムのように弾力性があって、ただでさえ衝撃に対してバカみたいに強い。フツーなら動きやすさを重視する筈なんだが、旦那はその筋力の殆どを防具のためにつかっているらしい。色々と狂ってやがる。


 「殺してはいない。何事にも作法というものがある。たとえ人殺しであってもな」

 「そうですかい。なら俺は殺しの作法を旦那ごとぶち破ってやりますぜ」


━━


 わたしは能力を用いればメス一本で切開から縫合まで一通りの外科的治療ができる。だが、傷の修復にはそれ相応の材料━━わたしを含め何者かの魂の力を消費しなければならないという制約がある。さらに手に持った(わたしの場合は手袋越しの)メスで直接傷に触れることが治癒の条件だ。深部にまで傷が達していると、かなりの時間がかかる。戦闘中は応急措置位しか出来ない。
 だから戦いはできる限り避けなければならなかった。


 (最悪のタイミングで裏切りやがって)


 この場所は部屋そのものが非常に見つかりにくく設計されている。そのうえ部屋の構造上悪事を働いてもバレにくく、見つかったとしても逃げ道がたくさんある。もちろんそれは暗殺にも言える。
 今回のわたしのミスはピアノ線に気づかなかったことだ。ピアノ線は見事にカンテラの光が反射しない位置にのみ張られ、さらに低反射インクで黒くコーティングしてあった。あちこちに見える蜘蛛の巣がカムフラージュにもなっている。


 (この状況でキクリやヒリカに見つかったらひとたまりもない)


 老人は通路の奥で宙に張ったピアノ線にたっている。どうやらわたしの手の届かない場所に移動用のピアノ線を張ってあったようだ。
 先ほど老人を挑発した後、柱の影にすぐさま隠れたはずだった。しかし、わたしの脇腹辺りに針金ほどの細さでお札程度の長さの金属の棒が突き刺さっている。

 なんだ、これは。

 体から引き抜こうと軽く力を入れたら折れてしまった。もちろん体内に棒の大部分がめり込んだままだ。
 わたしがさっきいた場所には大量の金属の棒が落ちていた。しかし、一呼吸する間に全て蒸発するかのように消失してしまった。
 しばらくして手袋に握られた折れた棒も消え去った。
 

 「魂の物質転化……お前、精霊か?」

 「そうですよ旦那。大半の精霊と同じように、俺はシンボルを崇拝することで加護を受けてる。この年まで生きていたお陰で俺はある程度、シンボルから授かる力を使えるようになっていましてね。シンボルの力――つまり魂の力も多少はたしなみてますぜ!」


 空中をすさまじい勢いで老人が移動していた。ピアノ線の上を走っているという速度ではない。
 気配を感じ右を向くと一瞬老人がターザンのように移動しているのが見えた。が、どう考えてもワイヤーを出し入れしてしているよう、なぎこちない動作はない。
 わたしを罠にはめる直前、最初に老人が天井に上がったとき老人の薬指からワイヤーのようなものが発射されているようだった。
 ここから考察すると、老人の能力は金属の棒を出すことのようだ。ワイヤーのように長くしなるものから、銛のように硬く短いものまで、多種多様。長いもの、太いものをこちらに打ってこないことを見るに、体積が増えるほど連続発射が困難になるらしい。ターザンができることから恐らく両手から出せるであろうことも察しがつく。


 「その棒は一度体に突き刺さったら、なかなか抜けないですせ。旦那の体を喰らって形を維持していますからね。ノミのようにしぶとく吸い付きますぜ」



 わたしは拾ったライフル片手に奇襲を狙いつつ、様子見で柱を利用し逃げ回っている。しかし、老人は確実にわたしの隠れている場所を見抜き、先回りし、金属の棒を乱射してくる。
 棒が地面に落ちるたび、シャラシャラと刻みよい金属音が響き渡る。わたしにとっては敗北への道しるべ以外の何物でもないが。


 「やけに人を見つけるのが上手だな」

 「長年の『カン』てやつだ、旦那」


 じわじわと確実に追い詰められていく。老人はわたしの間合いに絶対に入ってこない。ただひたすらわたしの攻撃が当たらない場所から一方的に棒をばらまく。ピアノ線にお手製の棒を引っ掻けて移動しているせいで、移動速度も老人の方が上だ。だんだんとわたしの体に突き刺さる棒の本数が増えていく。
 仕方ない。
 わたしは服のポケットからさっきと同じタイプの煙爆弾を取り出した。そして、最初に倒した三人の老人の『友達』の元へ向かった。
 十三本の柱のあるこの部屋が再び煙に包まれた。これでもう、お互いに目視できない。


 「ワンパターンですねぇ」

 「二回続けて同じ戦法でいけば、少しは油断してくれるかと思ったんだが」

 「それは旦那のほうですぜ。一度防げたからといって二度成功するとは限らない」


 わたしは煙で攻撃が止まっている間に、体に刺さった鉄の棒をメスを駆使し、外科的処置で強引に抜き取った。
 不安のためか、不気味な気配を感じる。煙がどよめき、不自然に気流が流れている。だが、そんなものを気にしているような余裕はない。
 わたしは最初にしとめた三人の傭兵のうち一人に抜き取った棒を全て突き刺した。そして傭兵を静かに起き上がらせ、あえて切らずにとっておいたピアノ線に足を引っ掻ける。
 ドサ! っという囮の倒れる音が部屋に放たれる。
 その直後、ドスッ! ザザザザ!! と痛々しい音が響いた。
 わたしは今まさに傭兵に生えた金属の棒の向きから、老人の方向を推測した。それにしても、最初の一発が即死級の太さだ。俗に言われる溜め打ちというやつか。
 さて……、恐らく金属の棒は老人にわたしの位置を伝えていたはず。だからこそ、こんなにも早くわたしは追い詰められてしまった。だが、今回は逆手に取った。
 視界を塞がれたため、老人はわたしの位置を棒と音でしか認識できない。必ず遺体の確認をしに来るはずだ。
 何も知らぬ老人は地面に下り立ち、傭兵の体に近づいた。その瞬間わたしが背後から奇襲を仕掛ける!


 「なに!? 旦那じゃない!」


 声とは裏腹に、容赦なくわたしに向かって金属の棒を突きだした。棍棒のように金属の棒を変形させたものを予め携帯していたらしい。しかし、実際に貫いたのはわたしの盾にされた傭兵だ。
 わたしは傭兵を台にして老人の背後へと跳ぶ。そして着地と同時に両手を交差するように振り上げた。
 すると、老人は手首を回し、両手の薬指を後ろに向けた。着地直後の僅かな隙に、わたしに二本のぶっとい棒が突き刺った。
 しかし、わたしはそれを無視して老人の首にメスを一太刀浴びせた。


 「がぁぁぁぁあ! 確実に心臓と首を狙ったはずなのにっっっ!」


 老人の悲鳴が寒い部屋に響き渡った。


 「俺よりも用心深いってどういうことですかい?」


 呆れ返った顔で老人は壁にもたれ掛かかった。首の神経をいじられたために手足の自由を奪われ、まともに立てないのだ。


 「偶然だ。わたしの作戦は二人目の傭兵をフェイクとしてプレゼントするまで。両手のメスを振り上げる時、クロスした両腕が偶然胸部への攻撃を防いでくれた。首は不意打ちが失敗したとき用に念のため仕込んでおいたのだが……まさか強行突破に使うことになるとは」


 わたしは地面に落ちた傭兵の腕に目をやった。血塗られた棒が思いっきり突き刺さっている。
 老人があの体勢で狙うことのできる急所は二つ。首と胸だ。頭部はペストマスクのお陰で、局部は的が小さくて狙えない。
 心臓の大きさは大体握りこぶしより少し大きい程度なので、胸は腕を交差するだけで簡単に防ぐことができる。護身術とかでよく言われるものだ、
 首は工夫が必要だった。両手のメスに手をとられてしまうので、自分の腕ではガードできない。なので、首は破れた防弾コートを巻いた、傭兵の腕を挟むことで、棒が延髄に到達するのを防いだ。そのかわり気管支と食道の一部がやられたが、死にはしない。
 わたしは三人目の傭兵の露出した肩口に、腕をくっつけ、傷口にメスを通した。綺麗に切断しておいたお陰であっという間に傷口は消え去った。


 「はぁー。暗殺失敗しちまった。無傷の傭兵を連れて帰ったとしても、運が良くて良くて契約解消、悪けりゃ殺される」

 「安心しろ。解剖の報告が一件増えるだけだ」



 あんまりなわたしの回答に老人は力のない笑顔を浮かべる。


 「殺す気満々ですか。戦争で職を失い、女房には子供ごと逃げられ、落ちるところまで落ちて、こんな化けもんに殺されるなんて……ククッ、笑えますよね。まあ、最後に旦那みたいな奴に殺されるんだったら、それはそれでいい気もしますがね」

 「どういう意味だ?」

 「そのまんまの意味です。……旦那は俺たちとは違う。命の意味を十分理解した上で、『生かすことを諦めてる』って感じます」


 わたしはこんな状況でも冴え渡った洞察力と冷静さを持つこの老人には誠意をもって接しなければならないと、思った。
 そして、わたしは『一個人として』老人と話をすることにした。


 「わたしが初めて人を殺したとき、憎くて殺したのに実に安らかな顔をしてそいつは死んだんだ。そのとき悟った。死に身を委ねることは安らぎに満ちているのだと」


 老人は不意に始まったわたしの独り言対し、黙って頷いた。


 「逆に生きていることは苦痛に満ちている。今も罪もない者たちが働かされ、遊ばれ、暴力を受け、やがて捨てられる。……使い物にならなくなった奴隷は……」

 「クロノクリスの研究室施設に幽閉される」

 「そうだ。わたしはそこでてっきり拷問やら人体実験をしているのかと思ったんだが、それ以上だった。人間の多種への劣等感や憎しみ、欲望、そういったものが入り乱れる最悪の監獄だった。ただただ、地獄だ」


 一瞬吐き気がしたが、何とか飲み込み話を続けた。


 「あそこにいくよりは、誰かに看取られ……自分の信ずるものに祈りを捧げ……自らの望むかたちで……安らかに……眠るように死んだ方が……幸せだと思う。だからわたしは殺すのだ。そうでなくても、この世には生きるのが辛そうな奴が多すぎる」


 そして、成仏させた時に出る魂の力、それを溜め使うことで、わたしの力が使える。そして、わたしの力がもっとも強く発揮されるのは━━その後工程である解剖だ。


 「解剖して得られたたデータは経緯を偽装され、正式なデータとして医療施設に送られる。そして、医学に莫大な発展をもたらし、『生を望む』大勢の人の命を救っている」


 わたしが話終えると老人はゆっくりと口を開いた。


 「それが、旦那の人が殺す理由ですかい?」

 「まあ、な……そろそろ時間切れだ。腕の傷もようやくふさがったことだしな」


 二度目の煙幕で気配を感じていた。老人ではない何者かの気配を。
 私は老人を背負い、急いで出口に向かった。私が来た出入り口から凄まじい熱気を感じる。


 「コートがあれば何とかなったかもしれないが、今ヒリカから攻撃を受けたら、生き残れる気がしない」

 「ヒリカ! 俺を助けてくれませんかねぇ?」


 夕日色の髪の毛を揺らしながらヒリカが迫ってくる。手に業火をまとい、必殺の一撃を放とうとする。だが、すんでのところで雷に打たれたように止まった。
 私は声を潜めて老人と交渉する。


 「地雷か。老人、対閃光サングラスは持ってるか?」

 「もちろん。逃げるアテもありますぜ」

 「お前はあくまで人質だ。特殊な薬物を打ち込んである。……逆らうなよ」

 「あいよ」


 私は傭兵たちを一通り治療した後、地上へと駆け出した。傭兵たちは何事もなかったかのように私たちとは逆の方向に撤退していった。どうやら逃走経路も熟知しているらしい。


 「因みにその横の壁を蹴ると海岸近くまで近道できます。一度通ると起爆しちまうんで気を付けて」

 「お前……どんだけ用心深いんだ」


━━





 地雷の影響で千鳥足で地上に戻ったヒリカ。彼を見たキクリは真っ先に自分の乗っている黒龍の後部座席にヒリカを転送した。黒いショートへアがぶわりと舞った。


 「ヒリカ! 大丈夫?」

 「キクリ……」


 手足をがくがく震わせながらヒリカが答えた。オレンジの髪の毛が彩る額には大粒の汗が浮かんでいる。
 キクリの凛々しい瞳がつり上がった。


 「くそぉ! よくも私のヒリカをこんなめにぃいぃぃ!」

 「姉様落ち着いて下さい。ボクはこの通り大丈夫です。体に巻き付けてある心音爆弾を察知して攻撃を緩めたんです」


 キクリは歯ぎしりしながら眼鏡をかけ直した。端麗なはずの顔は怒りで醜く歪んでいる。そんな彼女を心配そうにヒリカが見つめる。

 「姉様!」

 「いいや、でも傷付けたことに変わりわぁぁ……フッー……フッー……落ち着け、私。教王様から伝言を授かっている。『ペストマスクが人質にとっている老人は国を跨いでギャングを統括する首領。奴を奪還できないことは周辺国のギャングを全て敵に回すことになる。何としてでも奪還すること。できなくとも最善を尽くすこと』、だそうよ」

 「孤児であるボクたちを拾ってくださったクロノクリス様に……今こそ恩を返すときですね!」


 彼の言葉を聞いてようやくキクリは聡明な顔つきに戻った。


 「奴はあと少しで海岸にたどり着いてしまう。私の能力は教王様の加護によって成り立っているわ。この町の外では私の能力は使えない。なんとしてもこの町の中で捉える。それが私たちの使命よ」


 ヒリカはキクリの頬を優しく撫でながら囁いた。


 「ボクたちは教王様に仕える親衛隊。それも、作戦に置いて中核である伝送魔法を持つ精霊。姉様! 行きましょう」

 「ええ。全軍出撃の許可も出てる。あなたの炎と私の能力、そしてみんなの力があればきっと老人を助けることが出来るわ!」



━━



 崩壊する地下通路を駆け抜けると、目の前が突然開けた。太陽が昇る前の藍色空のもと、漆黒の海が広がっている。
 生きてまた海を拝めるとは思えなかった。


 「旦那とならどこでも行けそうな気がしますぜ」

 「行った先で私を殺す気だろう?」

 「バレましたか」


 追っ手がいないか後ろを確認したを瞬間、恐ろしい熱気が私を襲った。


 「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!」

 「旦那っ!」


 体の前面を保護していた防弾ベストが火花を散らしながら徐々に消し炭になっていく。
 炎に包まれたペストマスクで上空を見上げる。


「あっ!あれは……」


 巨大な黒竜に乗ったキクリが転送されてくるのが見えた。
 すると同時に、海岸に数十匹の化け物が、私の後ろに数百人のノア教信者、左右に合わせて数十人のクロノクリス親衛隊が空間の裂け目から転送された。空もドラゴンとワイバーンで埋め尽くされている。
 全て、キクリが召喚したのだった。


 「今すぐ老人を離して降伏せよ! ……ヒリカを傷つけた報いを受けたくなければな」


 あまりにも私を追い詰めると、人殺しに走るであろうことはキクリにも容易に想像がついたはずだ。
 賊の一人のために兵士を消費したくない。それを考慮すると━━私に装備を使いきらせ、私が絶対に人を殺せない状況を作ってから、切り札を転送するのがもっとも効果的だ。
 まんまと嵌められた……。コートと服が燃やされてしまったせいで、メスとペストマスクを除く全ての装備を失った。ズボンに仕込んでおいたメスも残り少ない。
 ドラゴンの心臓の筋肉を素材にして作られたペストマスクも、次にヒリカの熱を受ければ壊れてしまうだろう。
 海に逃げようにも、この世のものとは思えない、不気味で巨大な魚の尾びれが漂っているのが、遠目からでもわかる。もっともその前にはキクリのドラゴン達が控えているのだが。
 私は何とかキクリの直視を避けるため、最後の煙玉を地面に投げつけた。老人と共に走る。


 「老人を奪回しろ! そしてペストマスクを殺れ!」


 遠距離から一斉に能力を発動し、安全かつ確実に私を葬ろうとする狂信者。
 後ろからはなおも火炎を放とうとするヒリカ……。
 前から迫り来る異形の者共。
 キクリが指揮する黒龍の口には強大なエネルギーが集中し、太陽のように光輝いている。
 後数秒で煙玉の効果も切れ、キクリの転送能力も適用されてしまう。ここで朝日を待たずして……私は消え去るのか?


 「ふざけるな! 私にはまだ救うべき患者がごまんといる! こんなところで倒れる訳にはいかないッ!」

 「キクリのお嬢、俺を助けるなら早めにお願いしますぜ?」


 私は焼け焦げ真っ黒になった防弾ベストを引き剥がし、右脇腹にメスを突き刺した。どっと脂汗がほとばしり、ペストマスクの内側にある瞳が白目を向き、歯茎から血が滲む。傷口表面を炎が炙り、壮絶な苦痛が私を殺しにかかる。


 「これが私の……生への執念だッ!」


 脇腹から血まみれのスタングレネードと爆煙弾が姿を覗かせた。右腎の代わりに無理矢理体内に仕込んだ、私の奥の手だった。
 生死をかけた、眩い閃光と爆音が周囲を圧倒する。煙によって光は乱反射したものの、それでも驚異的な光が突き抜け、エルドランの国民の目を焼き付けた。
 私は自らに強心剤を打ち込むと、全力で突っ走り、海のなかに飛び込む。一方、老人はシュノーケルを装着した。
 血の臭いに寄ってきたサメにメスを突き刺し、神経を書き換える。

 『泳ぎ続けろ』

 後方から信者達が迫って来ているだろうが、老人の魔法地雷によって阻まれているはずだ。サメに捕まって逃げていれば何とか撒けるはずだ。
 老人は私に捕まったまま海底に向けて精一杯ワイヤーを射出した。老人は『そのままワイヤーを伝って潜れ』とジェスチャーした。私はサメを操り海深く潜っていく。
 潜っていくにつれて目の前に巨大な魚影が姿を露にしていく。これで老人は侵入してきたのか……。
 私たちは潜水艇に乗り込むと、一目散にエルドランから逃れた。




 「ほら旦那、とりあえず席にかけてくだせぇ」

 「ここが……深海だと言うのか……」


 天井にはシャンデリア。洒落た木製の机にあまりにも座り心地のよいソファーが二つ。ボディーガードが老人のソファーの左右に立っている。が、私が老人を人質にとっているためにほぼ無力と化していた。



 「さて、とりあえずエルドランからは脱出しやした。追っ手もいない」

 「因みにこの潜水艦はどこへ向かう?」

 「ドレスタニアですぜ」


 私はグググと顔を老人に近づけた。ペストマスク越しに見える老人は余裕のある笑みを浮かべている。


 「ドレスタニアの元国王であるガーナ王に雇われているというのは本当か」

 「ええ、本当です。ドレスタニアの密輸港を使わせてもらう変わりにちょっとしたバイトをしていやす」


 老人は口を歪めたまま鋭い目付きで私を睨んだ。


 「……そういえば最近ガーナの旦那が不穏な動きを見せていやしてね。その理由をお聞きしたくて。できたら、教えてくださいませんかねぇ。一説によればノア教を潰そうと思っているとか」

 「ノア教の陥落を企画している。ガーナにもすでに協力要請をしてある」


 老人はやたらとおおげさに手を振り上げ、「わお」と驚いた。
 実は今回の依頼を受けたのもエルドランの偵察を兼ねてのことだった。私は恋人をノア教の生体実験で失っており、復讐というよりは被害者を増やさないために今まで暗躍してきた。しかし、ノア教の横暴は日に日に増すばかりで留まるところを知らない。他国から咎められようと聞く耳を持たない。私は多少強引にでもノア教を潰す方法を模索していた。そして、今まさに実行へ写そうとしている。
 ガーナ王が関わっている時点で遅かれ早かれ知られていた情報だ。こいつ以上の諜報能力を持つ者を私は未だに見たことがない。


 「そうですかい。俺は仮にも組織の長です。他のギャング……今はノア教とは仲良くしていたい。でも、ガーナの旦那も嫌われたら厄介だ。ドレスタニアの密輸は俺にとっても大きな収益ですし、ガーナ王は手強い知将です。ガーナ王、クロノクリス両者と仲良くするためには、俺はガーナ王の様子を伺いつつ、ガーナ王にとって差し支えがなくかつクロノクリスの欲しがりそうな情報を流す必要がありやす」

 「なんの情報を流した?」

 「ドレスタニアがノア教の転覆を狙っているという情報です。事実でしょう?」


 老人の狙っていることが大方予想がついた。


 「私が動いていることは伏せたのか」

 「ええ」

 「クロノクリス亡き後のエルドランの裏社会を掌握するつもりか」

 「まあ、そこら辺はご想像にお任せしやす。表向きは協力できませんが他の組織にノア教への協力要請を出来る限りは断るよう根回ししておきやした。俺たちの業界でも奴は利己主義過ぎて嫌われているんです。存分に暴れてくだせぇ」


 この作戦でノア教が勝てば老人は教王クロノクリスからの信頼を得るだろう。
 逆に私たちが勝てばクロノクリスの傘下にいたギャングは統制を失う。そこで、老人が彼らを雇うか追い出すことでエルドランを完全に掌握することが出来る


 「どう転んでもお前の利益と言うわけだ」

 「バレましたか」


 ニィィと笑う老人に対して私はペストマスクの中でため息をついた。
 とりあえず、今回の一件でノア教の戦力の大方の規模を把握できた。まさかここまで強大な勢力だったとは予想できなかった。作戦決行までそんなに時間は残されていない。
 ドレスタニアとエルドランの隣国であるカルマポリスよ協力は得られているがそれでも力不足だ。作戦決行の日までに協力者を増やさなければ。