キクリvs解剖鬼 決着 PFCSss
彼女はファッションモデルが着るようなコートをもう一度羽織直した。首もとのホワホワが頬っぺたに触れてくすぐったい。
黒いショートカットの先端を指でいじりながら、ちらりと街道の様子を覗く。相変わらず奴は来ない。来るかもわからない奴を町の裏通りで待つのは退屈だった。
『キクリ』と印字された時計にちらりと目をやる。かれこれ一時間ほどこの状態だった。
キクリのターゲットは闇医者だ。情報屋によれば患者との待ち合わせ場所に向かうため、今日この道を必ず通るとのことだった。
「もうそろそろ時間なんだけど。待ちくたびれちゃうわ……」
背後に人の気配を感じた。キクリがバッと振り向くと、屈強な男が五人ほど迫っていた。街道へと逃げようとしたが、もうすでに別の男が塞いでいた。全員ワイシャツを身にまといサングラスを着用している。
「ねぇちゃん。何でこんな時間にスラムにいるんだ? まあ、俺たちにはどうでもいいがね。痛い目をみたくなけりゃおとなしくしろ。まあ、どっちにしろ痛い目はみてもらうが」
「そちらこそ。喧嘩を売るなら相手を選んだ方がいいわよ? かかってきなさい。地面に這いつくばって許しを請わせてあげる」
サングラスを男どもはキクリのことを嘲笑った。
(知能指数5のバカどもめ)
「ねぇちゃん。そんなこえぇ顔すんなよ。虐めたくなっちゃうじゃんよ」
キクリに不意のパンチが向かってきた。しかし、キクリが一瞬にして少し横にずれ、パンチは宙を切るばかりか、キクリの後ろにいた男にクリーンヒットした。
「てめぇ、なにひやがある」
次の男がキクリにローキックを放った。しかし、蹴りがキクリに到達する前に、キクリが消えてしまった。かわりに奥にいた男の腹をけりが掠めた。
「あり?」
「おいちょっとまて! てめぇ俺に蹴りいれるたぁ」
男どもは数にモノをいわせてキクリに集団暴行さながらの激しい制裁を加えようとした。しかし、キクリには一発も当たらずそれどころか男の傷は増えるばかりだ。
「どう? 集団いじめられにあった気分は」
「チッ、瞬間移動使いか。こうなったら俺の呪詛で貴様を……」
言い終わる前に男は股間を押さえて悶絶。遅れて他の男も地面に這いつくばり、股間を押さえて嗚咽を漏らす。
キクリの能力は瞬間移動だ。全盛期に比べて能力の対象は自分のみに変わり大きく弱体化した。が、それでも強力なことには変わりない。
「うぐっ、反則だろその能力! 全ての攻撃を余裕でかわした挙げ句、……背後への瞬間を繰り返して全員の急所をほぼ同時に……」
「じゃあ、反則な能力を持つ私に対して敬意を払ってもらおうかしら」
「ぐっ……許してください」
ひぇぇ、と男どもは逃げていった。が、町中に戻る前に大きな黒い影が男たちに立ちふさがった。
「下調べもなしにこういうのに手を出すのはよくないぞ? ギャングだとか組織の末端だったら後々厄介なことになる」
ギラリと光る刃物でチンピラ全員を昏倒させた黒い影は、ゆっくりとキクリに近づいた。地面に倒れた男たちに傷はない。
それをみてキクリはニンマリと不気味な笑みを浮かべる。
「待っていたわ。弟……ヒリカを傷つけた鳥頭の化け物が!」
「待ってくれ、誤解だ。化け物っていうのは認めるが」
「認めるのね! 弟をチョメチョメしたってのは」
「そっちじゃない! 私の話を聞けぇ!」
黒い影の正体は、全身を防弾コートで身を包み、さらにペストマスクを装着した巨漢だった。黒い手袋に握られた刃物は解剖用のメスである。
「確かに私はヒリカから話を聞いてるわ。貴方の名前が解剖鬼であること。弟が不意打ちで貴方を燃やそうとしたこと。正当防衛であり貴方には否がないこと。その上、弟に気遣って傷一つつけずに昏倒させたこと。弟があなたのことを優しい人って言ってたことも承知よ」
「それでは、私の能力も知っているだろう? メスで触れた相手に傷をつけずに適量の睡眠薬を血管に注入できる力だと。なぜ私を付け狙う?」
すぅ、っと息を吸い込んでキクリは叫んだ。
「でも、きっとあなたは寝ている間にヒリカをアレしたりこうしたりしているに違いない! 絶対そうよ!」
「あのとき私はお前に付け狙われてそんな暇なかったし、そういう趣味はないし、あらぬ罪を捏造されても困るし、そもそも鼻血出しながら言われても全く説得力ないぞ」
はっとして、キクリは鼻を押さえた。あらぬ妄想によってほとばしった血液が、口に入り鉄の味を感じた。
「くっ、弟だけではなく私に対しても卑劣な攻撃を! このショタコンがッ!! もうお前をぶちのめさないと気がすまない!」
「自滅だ。それに、私はショタコンじゃない」
ぼそりとペストマスクが言った言葉はキクリには聞こえない。
声を荒くして解剖鬼を指差しながらキクリは高笑いを響かせる。
「お前に地面を這いつくばって足をなめさせてやる!」
「精神科は私の専門外なんだが致し方ない。あと最後に一つ言っておくが━━」
地の底から湧き出るような不気味な声で解剖鬼はいい放つ。
「お 前 は 私 に 勝 て な い」
キクリは瞬間移動で解剖鬼の背後を取った。だが、それがまるで見えていたかのように解剖鬼は背後に足をつきだした。キクリは訳もわからないまま足払いにかかり、つんのめる。
「うわぁ! ばっちぃ!」
「お前から抱きついておいて何をいっている?」
ペストマスクは振り払うついでにメスをキクリに突きつける。だが、瞬間移動によってあっさりとかわされた。
「どんなに強い攻撃でも当たらなければどうということはないわ」
「逆に強い攻撃に当たったら即試合終了ということでいいんだな?」
解剖鬼の回りで瞬間移動を繰り返すキクリ。四方八方にキクリが現れては消える。
「そろそろ本気を出すわよ?」
瞬間移動を生かした全身への打撃が解剖鬼を襲った。もも・すね・股間・腎臓・肝腎・脛椎……、ありとあらゆる急所を連続でキクリが打撃する。キクリの攻撃が当たった瞬間に安全圏に移動をするため解剖鬼の攻撃が全く当たらない。メスは宙を切るばかりで用をなさない。
「ぜぇ……、ぜぇ……、どっどうかしら?」
「急所は特殊繊維で出来たプレートで覆っているから並の打撃はほとんど効かないんだ。ガトリングガンとかクレスダズラの呪詛打撃でようやくと言ったところか」
キクリは一瞬顔を歪めたあと再び大声を出した。
「まだよ、まだこれからよ。弟の受けた痛みをお前にも与えてやる!」
「痛み与えた覚えはないんだが。あと、その能力素手じゃないと使えないんだろう? 悪いことは言わないから諦めたら?」
「私の辞書に諦めるという文字はない」
「やった! はじめてキクリと会話が成立した!」
バッと解剖鬼が万歳のポーズをした。その時、手袋から閃光弾がこぼれ落ちる。
「んなっ!」
「まあ、今日はこれくらいで勘弁してくれ。患者が待っているんだ」
キクリの視界が元に戻ったときには、もうすでに解剖鬼の姿は消え去っていた。
「何よあいつ。終始私を圧倒してるのに全く反撃しないなんて。ほんとお人好しなんだから。」
明後日の方向を向いていた憎しみが、予想の斜め上の対応によって、尊敬の念に変わったキクリであった。