フールのサブブログ

PFCS 用のサブブログです。黒髪ロング成分はあまり含まれておりません。

幻煙のひな祭り当日 まとめ


1



 ドレスタニア上空にて


 「寒いナリー」

 「殺す助、我慢だ」


 グレムはサムライ型の小型アルファを撫でた。そして深夜から早朝にかけて行われたブリーフィングの内容を反復した。


 〈今回の作戦は人質の救出だ。それ以外のことは考えなくていい。敵は無視して構わない。ノア新世界創造教の本堂から人質さえ救出できれば、ドレスタニア、アンティノメル、リーフリィ、ライスランド、カルマポリス連合部隊が制圧する〉


 早朝の冷たい空気がグレムの肌をつつく。片手で手綱を握りつつ、工具のたっぷりはいったコートを体に密着させた。いくらイナゴ豚に加護があろうと、完全に冷気を防げるわけではないらしい。十数匹のイナゴ豚に騎乗する仲間達は皆寒そうにしていた。鬼ならともかく人間にこの寒さは厳しい。
 グランピレパの技師である私は、ダルーイの酒場であのペストマスクの医者に声をかけられた。この作戦に世界の中でも優秀な戦士が集まると聞いて『研究したい!』と参加したが……。


 〈本堂は西塔、東塔、宮殿にわかれており、それぞれ渡り廊下で連結している。西・東塔は大体ドレスタニアの一軒屋が5~6件入る程度の敷地に6階建ての建物となっている。宮殿はドレスタニア王宮程度の大きさだ。宮殿の中央に大礼拝堂があり、廊下を挟んでその回りを小部屋が囲んでいる構造となっている〉


 敵の空に対する警備はカルマポリスのある東側に重点を置いている。通常海路でしか敵が進入してこない、キスビット側の警備は手薄だ。


 〈比較的警備が手薄な西塔、東塔に二チームに分けて上空から侵入する。塔の上部では、警備兵が常に見張っているが、狙撃で眠ってもらう。侵入後は渡り廊下から宮殿内に入る。人質は宮殿内の出入口のある南側、西塔と東塔から一番遠い北側に囚われている〉

 〈以上が作戦だ。何か質問は?〉

 〈誰が狙撃を行うのですか?〉

 〈狙撃はグレムと殺す助が行う。我々に長距離かつ精密射撃が出来るような仲間はお前以外いない。それ以外の遠距離を攻撃出来る者は塔の周囲を巡回する騎竜兵を狙う〉


 遠くに見えた大陸がどんどん近づいてくる。同時に胃がキリキリと軋み、寒いのにも関わらず汗が出てくる。
 

 『まもなくエルドランの首都に到達する。首都圏に入ったら本堂まで数秒で到達する。総員着陸に備えろ! グレムと殺す助は狙撃準備!』


 自らのメスで喉に直接魔法薬を塗り、声を大きくした解剖鬼が言った。
 グレムはカガクと呼ばれる術で作り上げたボウガンを、殺す助の頭にガチリと固定した。殺す助の両目からターゲットの拡大画像が写し出される。
 敵は白い修道服に身を包んでいた。右手にロッドが握られている。
 あとは殺す助の頭の後ろのチョンマゲを引くだけだ。チョンマゲが弓のトリガーになっている。


 「敵、十二時の方向に発見ナリ!」
 

 ボウガンに加護のついた矢をセットする。先端には麻酔薬な塗り込まれており、敵に刺さると眠らせる。ライスランド産の木からとれるゴムが加工されており、敵を傷つけない工夫がされている。


f:id:TheFool199485:20170318134346j:plain


 「左に5度ずらすナリ!」

 左に5度!慎重にボウガンの位置を調整する。手が汗ばんできた。息も洗い。
 でも、これをやり遂げなければ後に続く皆に迷惑をかけてしまう。そう思うと、余計に手の震えがひどくなった。


 「落ち着くナリ! グレムが失敗しても、きっと皆笑ってフォローしてくれるナリ!」

 「ははっ、笑われるのはちょっとな」


 フゥー、と息を吐いて心臓の高鳴りを押さえる。そうだ、私には皆がついている。


 『グレム! 私がフォローする。失敗したときの作戦も考えてある。失敗していい! とにかく撃つんだ!』


 ペストマスクの声を聞いて、チョンマゲに手をかける。


 「3……」


 全身の力を抜くと同時に、集中力を最高まで高める。


 「2……」


 黙々と何かを作るのが好きだから、


 「1……」


 私は、皆の道を作り出して見せる!


 「殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺す助!!」


 自然に体が動いた。ボウガンから発射された矢は塔の見張りに吸い込まれるように刺さった。
 

 「ヒットナリ! 次もこの調子でいくナリ!」


 次々と西・東の屋上の見張りを眠らせていく。途中でワイバーンに乗って空を警備している兵士がいたが、あまりの仕事の早さに、仲間がやられたことに気づいていない。

 『よくやったグレム! 邪魔な見張りは消え去った。敵のワイバーンに気づかれないよう、迂回して侵入する!』

 私は役目を果たしたぞ。


 「やったぞ! 殺す助! さすが私の子だ!」

 「照れるナリ~」


 殺す助の写し出す映像に他の仲間が移った。イナゴ豚の尻を叩きながら、こちらに手を降っている。


 「パラ、リリス! 私たちはやったぞ!」


 声は届いていないし、私の顔は見えていないだろう。でも、今の私には充分だった。

 そして、ここからが本番だ!


 「いざ侵入ナリ!」



2



 東塔三階


 「なあ、ジェームズ」

 「なんだい? ジョン」


 塔の一室で白い修道服の二人は話していた。壁にはいくつもの宗教画が貼ってあり、部屋の奥には不気味な顔をした石像が置かれている。


 「巡回って辛いな」

 「ああ、特に夜番は辛いよな」

 「どーせ、全員PF能力持ちなんだし、ここまで厳重にしなくてもいい気がするんだ」

 「俺たちもこうしてサボってるしな」
 

━━


 五階と四階を結ぶ階段を静かに降りる。
 一応侵入者対策を意識して作られたのか塔の階段はワンフロアおりる度、別の場所にあった。ソラは階段と部屋境目にある微妙な出っ張りで体を隠し、人が二、三人通れるような廊下を覗く。
 敵は二人か。互いの死角を補いあっている。白い修道服は不気味だが、動きがぎこちない。
 それにしても殺風景な廊下だ。
 ソラは手前の信者があくびしたのを見て、一気に距離を縮めた。一瞬にして敵の喉元を掴み、叩き伏せる。もう一人が動こうと頃には、後ろに回り込み首に手をかけつつ足払いを決めていた。さらに、首の後ろに止めの一撃を見舞う。敵は声をあげることなく昏倒した。
 ソラが後ろに待機していた仲間に合図を送る。
 腰に刀を携えた先生と、クライドが音をたてないように後をつけてくる。昨日のペストマスクの医者による歩行訓練がここまで役に立つとは。
 ため息をつきつつ、赤いジャケットを整え、ゴーグルをかけ直した。


 「こうも上手く潜入できるとは思いませんでしたね」

 「これが国を支配している宗教の総本山とは思えないよなぁ……」


 クライドと先生がぼやいた。東塔のから侵入したのはこの三人だった。
 西塔からはペストマスク、ショコラ、バトーの三人が侵入している。屋上でグレムと殺す助がボウガンを構えつつ、空からの敵を監視しているから、後方からの増援はまず無い。さらにバックアップとしてカウチュンドというライスランドの狩人がついている。
 このこの教団の航空戦力は侮れない。ジ・アースから輸入したドラゴンに乗る騎竜兵が警備や偵察に当てているため、通常の航空戦力だとまず勝てない。それを狙撃によって騎手を狙えばほぼ無力化出来る。
 敵に異変が察知されないよう、ドラゴンは打ち落としてはいない。が、ほぼ戦力外として扱っていいだろう。廊下の後ろから小型ドラゴンが追ってくるという悪夢は未然に防がれた。
 ソラたちは東塔の四階から三階へ静かにおりる。


 「また、敵がいるようですね」

 「今度は三人か。少し多いな。よし」


 クライドは炎の魔法を天上に放った。スプリンクラーが誤作動し、布お化けのような信者が突如水浸しになった。
 動揺しているスキに剣の峰打ちで三人とも打ち倒す。さらにスプリンクラーに氷の魔法を放ち、水を止め、廊下の扉をすべて凍らせた。
 

 「あなた、すごいですね。剣の腕もさることながら、魔法まで使えるなんて」

 「努力すれば誰でもできるよ。敵の増援が来ない内に早く下に降りよう」


 先生の感嘆の言葉に対して、さりげなく廊下の水を凍らせてからクライドが言った。

 と、そこへ物音を聞き付けて階段を上がってきた信者が!


 「誰だ! きさま……」


 信者はまともに言葉を発することなく、地面に伏した。
 一瞬だった。先生の峰打ち居合いが炸裂したのだ。


 「うぬのような雑魚を相手にしている暇はないっ!」


 延びている敵を踏みつけないように避けながら三人は三階から二階へ降りる。


 『ジェームスー! 床が氷ってっ! 止めてくれ!』

 『ジョン! くそ、扉が開かないと思って二人でエクストリームショルダータックルをきめたのが間違いだった。ウルトラハイキックボクシンにしておけばよかった』

 『グハ! グフッ! ブツブツ言ってないで助けてくれ!ジェームス』


 上の方で悲鳴が聞こえた。


 「まずいです! 今の悲鳴で恐らく敵は襲撃を受けたことを察しました。増援は時間の問題です」

 「……まあ、狭い中3vs3をして、その音で部屋から応援が出てきて囲まれるよりはましだよね?」

 「ええ。何かあっても刀の錆にすればいいですし」


 そんなこんなで三人はあっさりと東塔の一階、渡り廊下付近までたどり着いた。



3


 東塔の渡り廊下。バトーはいきなり敵幹部と対峙した。

 「シャーヒャヒャハェ! お前らカルマポリス軍じゃねぇな。どこの国の軍隊だ? ノア新世界創造教になにしに来た? どっちにしろ侵入者はぶっ殺してやるけどよぉ。神様信仰してりゃこの俺、アルベルト様は何だってしていいのよ! シャーヒャヒャハェ!」

 修道服に身を包んだ、いかにもヤバそうな男。その修道服にもパサパサした茶色い斑点が所々付着しており、こいつが何をしているかを暗示している。


 「わぁ、茶色いまだらがお洒落ですね!」


 ショコラ、空気読め。
 金髪を揺らし、碧眼を光らせながらバトーは仲間たちの一歩前に立つ。

 「俺がやろう。この狭さだと一人で戦うのが限界だ。二人は階段まで下がってくれ」

 バトーは敵の大剣に対して細身の剣だ。
 敵は広角が引きちぎれそうなくらいの満面の笑みを披露している。修道服を着崩しており、中に真っ赤な服にすさまじい量の銀色の首飾りをつけている。
 左右の目に二つずつある瞳孔がバトーたちを睨み付ける。
 
 「俺はなぁ、お前らみてぇな侵入者を何人もぶっ殺してンだ。最近は雑魚ばっかりでよぉ! ノミのほうがまだいい勝負を仕掛けてくんだよ。お前らもノミ以下かぁ!」

 バトーは全く恐れる様子もなく言い返す。


 「俺はお前に値踏みされるほど、安くはないし、井の中の蛙に負けるほど落ちぶれてもいない」

 「そうかい! そうかい! 面白くなってきたぁ! シャヒャヒャヒャ!」


 敵は剣を取り出した。赤い呪詛が垂れ流しになっており、不気味に光っている。

 バトーに切りかかった。バトーは剣を使って攻撃を受けようとしたが、一瞬にして剣がどろっと溶けてしまった。

 「何っ!」

 「俺の呪詛は剣を介して触れた金属を溶かす。一見地味だがお前みたいな剣使いにはサイコーに相性がいいんだぜぇ!」

 横になぎはらわれた剣がバトーの服を切った。アルベルトはそのまま、何回も剣でバトーを突いていく。バトーの腕が、足が、胴が切り裂かれていく。
 狭い廊下の床と壁に赤い斑点が出来ていく。

 「ぅぐっ! あが………ヌア゙ァ゙ッ」

 「てめぇは女装してキャバクラにでも働いてた方がいいんじゃないか? なんっつって、シャハハッ」

 バトーはかわす一方で反撃に出られていない。それでも、行き絶え絶えで氷の魔法をアルベルトに放った。本来なら敵を凍らせるはずの冷気を受けているはずなのに、アルベルトはケラケラと笑うだけだった。それどころか股間狙いの蹴りまで繰り出され、冷や汗をかく。

 「んー涼しいねぇ。魔法無効のパラレルファクターだぜぇ! ほらほら、このままだと死んじまうぞ? シャーッハッハッハ」

 「……このサイコ野郎が」

 一方的な死合いが展開された。決して小さくない血溜まりが出来ていき、それを金色の髪の毛が彩る。
 バトーは追い詰められながらも必死に頭を回転させる。知恵と勇気でこの場を乗りきらなければ、この先の戦いを生き残ることは出来ない。
 仲間は狭い廊下のせいで、バトーの加勢に入れない。
 バトーはなすすべもなく壁際に追い詰められてしまった。

 「俺に魔法は聞かない。剣も効かない。死ねぇ!!」

 剣を弾く音とドスッという鈍い音が響き渡った。

 『水よ……我が手に集いて刃と成せ!』

 「こっ氷の剣ッ!? クソッ!無抵抗なヤツをいたぶるっつうのが楽しいのによぉ」

 バトーの手には水筒で作られた剣が握られていた。その先はアルベルトの肩に突き刺さっている。
 氷なら鉄でないから敵の剣に触れても溶けない。魔法で作ったのではなく、水を制御し凍らせて作った物だ。素材自体は純粋な水であり、魔法由来ではない。アルベルトの魔法無効のパラレルファクターは効かない。

 「それで勝ったつもりか? 女顔!」

 肩から伸びた氷の剣をアルベルトは手から血をにじませて引き抜ぬいた。あまりにも強引な手段にバトーも一瞬唖然とする。アルベルトはすかさず反撃に出た。
 一見力任せに見えるが、確かな技術を用いた剛剣。それをバトーは剣で受け流すようにさばいていく。バトーの氷の剣はか細く頼りないのにも関わらず、折れず、刃こぼれもしない。
 バトーは身震いしていた。今まで魔物や自分を女と間違えていざこざを起こすような輩や、はたまた国レベルで問題を起こすような敵とも戦ったことがある。
 しかし、アルベルトに至ってはそのどれとも違った。勝つためにはありとあらゆる手段をこうじ、弱者をいたぶることを楽しみとする人間のクズ。その上技術は世界有数という異形すぎる存在だった。
 怖くないと言えば嘘になる。体の痛みが精神を萎縮させる。だが、今バトーが倒れれば仲間を危険にさらしてしまう。逃げるわけにもいかないし、野放しに出来るような奴でもない。
 それに、こいつよりもヤバイ戦闘狂を相手にしていつも修行しているのだ。勝てないはずがない。バトーはそう、自分に言い聞かせた。闘技場で拍手喝采を受ける戦友の姿を思い浮かべると、自然と心の乱れが収まった。
 落ち着きを取り戻したために、バトーの剣術がキレを増す。バトーがだんだんとアルベルトを押し始めた。

 「くっ……あいつとの練習がこんなところで役に立つとは……」

 「お前、割といい腕してんだな。まあ、俺様には足元にも及ばねぇがなぁ!」

 バトーの視界が突然真っ暗になった。なにかで目潰しをされたのだ。生暖かいぬめっとした感触から、直感的にそれが血液であることを悟る。

 「上品に戦っているようじゃあ! 俺にはあの世で修行しようが勝てねぇぜ! シャハハハハッ!」

 アルベルトが止めを刺そうとした瞬間だった。犯罪者とはいえ剣術の達人である彼があろうことか転んだのだ。ありえない光景に仲間も唖然とする。

 「床がッ! 氷ってやがる! ふん、だが無駄な抵抗だったなぁ!」

 アルベルトは滑らかな動きで立ち上がると同時に、顔もとを狙った。
 そのとき、バトーは丁度目をぬぐっていた所だった。反射的に右腕で顔をガードする。大剣がバトーの右腕を切り裂いた!

 「ア゙ァァッ!! 痛つっッッ!!」

 「これでもうお前の利き腕は使えねぇ。そして、俺の剣は利き腕じゃない方の手で捌けるほど軟弱じゃねぇ! 死にな」

 容赦なく振り下ろされる剣。だが、バトーは左手に現れたもう一刀の氷の剣で受け流した。驚愕するアルベルト。
 バトーは地面に滴る血液中の水分を利用したのである。

 『出よ、我が聖なる刃!〈氷斬剣〉!!』

 アルベルトの胸を大きく切り裂き止めを刺した。死んではいないものの、戦闘続行は不可能な傷だ。

 「悪いな、俺は双剣使いだ」

 右腕を押さえながらアルベルトに背を向ける。仲間に傷薬と呪詛で治療を受け、患部を包帯で保護した後、その場を後にした。幸いバトーの受け方が上手だったため、切り傷が綺麗で治療は楽だった。今後の戦闘にも支障は無さそうだ。
 
 「まさかこんな、クズみたいな剣士がいるとはな……。だが腕は一流か。惜しいな」

 「今日は厄日だな。バトー」



4



 「バカな! ここまで敵に侵入を許すとは。ジョンとジェームズは何をやってやがる。クソッ、早朝に叩き起こされたこっちの身にもなれってんだよ」

 「ジョン? ジェームス? 聞いたことありませんね。そんな名前は」


 東塔の渡り廊下。道の中央に立ってようやく剣を振れるようになるくらいの狭い通路だ。クライド、ソラ、先生は腰を低くして身構える。


 「少し強そうな相手だね」と、クライド。
 「命令を」と、ソラ。


 そして二人を制止する先生。


 「クライドさん、ソラさん、下がっていてください。ここは私が引き受けます」


 敵は修道服の内からはち切れんばかりの筋肉を除かせている。その上、フードを突き破って角が生え出ていた。


 「まさか、あのふたりがやられるとは思えんが、念のため……全力を出す!」


 敵は並みの樹木よりも太い足で地面を踏みしめると、笛を拭いた。ピンキョロロロ、という変な音が廊下に響く。
 すると、敵の体表が異様に盛り上がり、腕が二本に分裂した。全身の血流が増したのか、修道服から覗かせる肌が真っ赤である。


 「パラレルファクターダブルハンド!!」


 「ダサッ」と誰かが言った気がするがクライドは無視した。


 「あなた、修羅か何かですか?」

 「いいや、魔法使いだ! その証拠に俺の武器はワンドだぜ?」


 背中から四本の杖を取り出した。もはやギャグか何かの領域である。
 相手はニタリと渋い笑顔を浮かべてから謎の呪文を唱え始めた。


 「我が四本の杖よ、我に力を与えたま……」

 「必殺『お米返し!』」


 しびれを切らした先生が四本の杖のうち、二本をぶったぎった。まばたき一回にも満たない、一瞬の居合いである。


 「お前! 変身中くらい待てよ!!」

 「うぬに付き合っていられるほどこちらには時間がない。さっさとかかってくるがいい」


 かかってこいという言葉と裏腹に、先生は青い胴着から音が出るほど激しいラッシュを仕掛けた。ソラとクライドがその様子に驚きつつも、「ああ、こういう人なんだ」と半分諦めたやような顔を先生に向ける。
 敵の腕力はすさまじく、一撃殴るだけで、頑丈なはずの壁に拳形の跡が残る。ワンドに至っては地面に叩きつけるとクレーターが出るほどだ。
 しかし、狭い廊下が災いして、それだけ強力な攻撃を仕掛けているはずなのに、先生に対して決定打が打てない。


 「ぬおお! 壁が邪魔だ! このっ! このッこのッこのぉッ! 補助魔法『アイアンハンド』!」


 どんどん渡り廊下が破壊されていく。物音を聞き付けて様子を見に来た敵の増援も、あまりのあばれっぷりに手が出せずにいる。


 「うぬの攻撃はあまりにも粗雑。その程度の腕で、拙者をとらえられると思うな!」


 修羅か何かのような敵の攻撃を縦横無尽に避けつつ、少しずつ切り傷を増やしていく。
 

 「ふんっ! そうやってチマチマ切りつけるのがお前の攻撃か? どんなに技術があろうが、力の前には無力なんだよぉぉ! 補助呪文『ギガ・フォース』!!」


 敵は両手のワンドを思いっきり地面に叩きつけた。板チョコのように地面が割れ、鋭い断片が先生に降りかかる。


 「でぇい! ぬりゃああ!」


 しかし、先生に届く前に全て切り裂き無力化してしまった。鮮やかに揺れる髪の毛を背景に爽やかな笑みをきめる。
 だが、ワンドを捨てた敵の追撃が先生を襲った!

 「ぐぉふぅぅうっ!」

 なんとか空中に受け身をとり、直撃は避けたものの、腹部に強烈な打撃を受けてしまった。なんとかぶっ飛んで来た先生をクライドがキャッチ、そして勢いよく背中を押してリリースする。
 敵は大振りの攻撃をしたために、体勢を建て直すのに一瞬の隙が出来た。パンプアップした筋肉の重みが仇となったのだ。
 クライドの風の魔法による補助を受けた先生は、すさまじい速度で敵との間合いを詰める!


 「一閃『白 米 斬』!!」

 
 相手の新たに生えた方の二本の腕が吹っ飛ぶんだ!それと同時に急速に敵の体が縮んで行く。まるで空気の抜けた風船のように。


 「うぉぉぉぉ!? まさかお前のさっきまでの攻撃は俺の射程距離だとかを測るためのものか! それとも隙を誘発させるためのものだったのか!?」

 「両方、だ。必殺の一撃は無闇やたらに繰り出すものではない。『必』ず、『殺』すつもりで放つものだ。お前にはそれが足りない。出直して来るがよい」


 パラレルファクターの力を封じられた今、奴は先生の敵ではない。途中危なかったものの、先生の快勝だ。


 「ところで、クライド、ソラ……」

 「ん?」

 「お米が逆流する!」

 「やめ、よせ! バカな真似はやめっ……! おいそこの腕四本だった鬼! よけろ!」

 「クライドさん、手遅れです……」



5



 「お前、クォルと戦ったとき、手加減していたか?」


 呆れながらバトーは言った。

 「人のサンドイッチなんて初めて見ました。美味しそうではないですね」


 ショコラは目の前に積み重なった人で出来た山を見て言った。少なくとも十人以上がその山に使われており、全員いい夢見ながら眠っている。
 先程倒した人相の悪いやつを廊下に放置、近寄った兵を背後から奇襲、人数が多ければ閃光弾を……と、戦っていき、警備を全員無力化したのである。


 「背後から襲い、血管に直接睡眠薬とは……。しかも動きに無駄がない。えげつないな」

 「切ったそばから縫合出来る能力だ。メスに睡眠薬を仕込んでおけば外傷なしで敵を眠らせられる。私は直接殴り合うのが得意じゃないんでね」

 「じゃあ、このノリで人質も救出しちゃいましょうか!」


 敵地のど真ん中でノリノリのショコラに私たち二人は深いため息をついた。何でこんな奴を連れてきてしまったんだろうか。
 彼の能力は確かに優秀だった。手に持つ剣で敵を突き刺せば一瞬にして相手は凍る。その上、異様なほどタフで多少の攻撃は軽やかなステップで全てかわしてしまう。
 その長所を一網打尽にする性格の恐ろしさである。私たちは今、人質のいるはずの部屋と全くの反対方向に走っている。ショコラが明後日の方向にスキップしていくからである。
 その上敵に気づかれる可能性があるので私たちは声を出せない。


 「ほら、つきましたよ」


 全く別の部屋でショコラは止まった。本堂南側、つまり出入り口付近である。少なくとも私ならこんなに人質を救出しやすい位置に隠さない。


 「はぁ、一応見ておくか」


 ガチャリと、扉を開けると案の定、部屋の中には誰も居なかった。ただ、礼拝用の銅像が立てられているだけである。壁画が何枚かある他には何もない。


 「あれ、違いましたかね?」


 そう言って、ショコラが銅像に手をかけた瞬間だった。ガチリと何かスイッチが起動する音が鳴り、床がスライドしたのである。バトーが足をとられ、ぶっ倒れそうになるのを、私が支える。


 「隠し……階段……」


 呆然とする私たちをよそに、ショコラは軽快なステップで階段を下って行った。
 そして、明らかに人質の声がする扉の前まで来てしまった。鉄製の扉は明らかに脱走対策だった。


 「まさか、ここを見つけるとはな。お主らやるのぉ」


 扉の前の踊り場で立ち塞がったのは、一人の少女である。修道服も着ているが、服装さえ違えば公園で走り回っていても、遜色のないほど幼かった。白すぎる肌はアルビノを彷彿とさせる。
 銀色の髪の毛を揺らして、酷く無機質な声で少女は言った。


 「まあ、わらわはお主らと戦う気はない。もはやこの宗教は終わりじゃ。幹部はお主らにほとんどやられたし、残る人員は我らが教王様が、お主らとは別に行動している奴を追い詰めるのに使ってしまっておるのじゃ」


 ショコラがなんの脈絡もなく叫んだ。


 「あっ、どこかであったと思ったら、この前の旅の方ですよね! ボール遊びしたりとか、チャンプルーを食べたりとか……」

 「おお! ショコラか!」

 
 私とバトーが茫然自失としているなか、ショコラと少女の会話はさらに弾む。少女の声も外見年齢相応の小鳥のような声に変わっていた。


 「あのときは楽しかったのぉ!」

 「お名前最後に聞けなかったんですよね……」

 「あ、すまんのぉ! すっかり忘れておったわ。わらわの名前はセレア・エアリスじゃ」

 「ところで、何でこんなところに?」

 「センニューコーサクと言うやつじゃ。この宗教に潜り込んで裏でまあ、色々やっているんじゃよ。だからこの宗教そのものに何のしがらみもない。むしろお主らみたいに人質を助けに来る輩を待っておったぞ。わらわの力だけでは脱走を助けるのは無理があったからの」


 まるで公園で久しぶりに出会った友達と盛り上がるようなノリで今回の作戦が成功しつつあった。


 「ほら、通れ。罠を警戒しておるのはわかっている。そこの女とペストマスクが出入り口を確保しつつ、ショコラが人を先導すればよい」

 「俺は男なんだが」


 バトーの言葉に笑いつつ、壁に埋め込まれた10個のボタンをエアリスが押すと、鉄製の扉はあっさりと開いた。
 予想以上にあっさりと、目的のステファニー・モルガンの社長を確保できてしまった。様々な国から人質を仕入れていたらしく、この社長だけでなく、カルマポリス、メユミッズなど、様々な国籍の十数人の人質がいた。その全てが妖怪であることから、よう済みになった彼らがその後にどうなるかが生々しく想像できた。


 「ふむ、囚われていたという割には思いの外、疲弊していないな」

 「あそこのお嬢ちゃんが待遇をよくしてくれたんだ。定期的に本とかも持ち込んできてくれたし、エアリス様々だよ」


 人質のうち、サムスールの少女が答えた。額にある第三の目は眼帯によって固くとじられている。
 サムサールの第三の瞳と目を合わせると、ある種の感情が流れ込んできて自分では制御できなくなる危険な代物だ。解剖しようとした際に誤って瞳を覗いてしまい、悲惨な目にあったことがある。


 「暇な時間にあたしらの悩みを聞いてくれたりとかね」

 「なるほど。君の名前は?」

 「エスヒナ。よろしく」


 私はエスヒナの様子を見て、人質のなかでももっとも元気だと判断した。社長の方もエスヒナを頼りにしているようで、彼女の人望が伺える。ならば……


 「そうか。エスヒナ、こちらはバトーとショコラ。二人とも氷の扱いに関しては一流だ。この二人と一緒に出口まで人質たちを先導してほしい。外には今頃アンティノメルのヒーローが待機している」


 ショコラが口を挟む。


 「えっ、あなたはどうするのですか?」

 「ソラ、クライド、先生の救援に向かう。エアリスの言葉が正しければ、敵の本隊と戦っている可能性がある!」



6



 バトー、ソラ、クライドの三人は確かに敵の幹部らしき人を倒した。だが、渡り廊下の前後を敵に囲まれるという最悪の状況にたたされた。
 鬼を倒したあと、目の前からの敵の増援が来た。さらに後方からクライドの仕掛けた氷の床を突破した敵が追い付いたのである。

 「彼の役目はあくまで音を出すこと。仲間に敵がどこにいるのかを知らせるためのものです」
 
 ソラの目の前にいる修道服の人だかりが縦に真っ二つに別れた。現れたのはハゲのオッサ……恐らく、教王クロノクリスである。
 白い修道服の中で一人だけ赤いローブをはおり、手には先程の鬼とは比べ物にならないほど高級感溢れる杖が握られている。
 ソラたちは無言で、いつ敵に襲いかかられてもいいように構える。

 「ギーガン、下がって風呂に入りなさい。貴方は十分役目を果たしました」
 「……はい。クロノクリス様」

 先程の先生の『米』を浴びてしまった鬼はしずしすと退散した。
 
 「侵入者、というのは珍しくないですが、まさかあなた方のような強者が三人も同時に現れるとはね。アンティノメルの最高峰であるソラ、リーフリィの自警団の長と同等かそれ以上と言われているクライド、そしてライスランド屈指の剣豪である先生!」

 クロノクリスはすごいですね、と拍手した。軽蔑と侮蔑の合わさった嫌な音が渡り廊下に響き渡る。
 ソラはこの状況をどうにか打開出来ないかと周囲を観察している。

 「ジョン、ギーガン、ジェームズ、アルベルト、キクリ、ヒリカ……ノア新世界創造教の中でも戦闘力を武器にのしあがった四人が全滅するとは。あと残る幹部の中で戦闘が出来るのは私と巫女くらいですかね……もっとも、私が一番強いと自負しておりますが」

 ハッハッハとクロノクリスは大声で笑った。もう勝ったつもりでいるらしい。

 「その力をてにいれるために一体いくらの妖怪を犠牲にしたんだ!」
 「おや、聞いていたのですか。妖怪から魂を抽出して、呪詛の力を移植する技術について。妖怪の死によって完成される力のことを」

 教王を名乗る男はギラリとクライドを睨む。

 「数百の妖怪の犠牲で世界を変える力が手にはいるんです。世界をより良き方向に満ち引くためには必要な犠牲です。……少なくとも、あなたが救えなかった人々よりはずっと少ないですよ?」
 「なっ……」
 「仲間の尻拭いもまともに出来ないガキに言われたくはありませんねぇ。ハッハッハ!」

 剣を握ったクライドの腕が細かく震えていた。
 次にクロノクリスは先生を指差して、欠伸をする。

 「あなたの残虐さに比べたら私なんかかわいい方ですよ? どんなにチャンバラ道場を開いて子供たちを教えようがねぇ? 変わらないんです。人斬りと呼ばれたあなたの過去はねぇ。そうでしょう? 貴方が殺した人はもう二度と帰ってこない。全くもって無意味な話だ。」
 「言わせておけば!」

 先生がクロノクリスに斬りかかろうとするのをソラは制止した。

 「落ち着いてください。勝てる相手にも勝てなくなります」
 「ソラくん。いい加減トラウマと向き合い、その無表情をやめませんか? 暗い部屋に閉じ込められて、ただひたすら命令される、あのときのトラウマとね!」

 ソラの脳裏に『あのときの記憶』がフラッシュバックする。最悪の記憶を無理矢理引きずり出された。

 「うああああぁ!!」

 ソラは悲鳴にも似た叫び声をあげた。

 「無様な格好ですね。そのままではいつか恋人に振られますよ? もっとも向き合ったところでつぶれるのが落ちですけどね。……ハハハッ。その顔、いいですねぇ! もっと私に見せてください。そそられます!」

 目の前に敵がいて、一緒に戦う戦友がいて、そんななか五体満足なのにも関わらず、叫び出す自分。こんな姿をシュンに見られたら、考えるだけで体が震え、立てなくなる。

 「うあ……あぁぁ!」

 「ソラさん! 落ち着いてください! あなたの恋人はそんな薄っぺらな人じゃないでしょう!」

 「ソラ大丈夫か! 落ち着いて深呼吸するんだ。君の好きな人の顔を思い出して」


 トラウマの闇の中に一筋の光が差し込んだ。そうだ、シュンはトラウマに負けそうになったときも、いつでもそばにいてくれた。そうだ、思い出すんだ、シュンの顔を。

 ソラは何とか正気を取り戻すことが出来た。
 それでも戦力差は絶望的だった。前後から十数人の能力持ちを相手に自分達三人で勝てるか、と聞かれてたら流石に首を縦には振れない。その上ソラは精神がズタボロだ。

 「クロノクリス!!」

 クライドと先生の怒りの声で、なんとか雑念を振り切り、ソラは立ち上がった。
 
 「皆さん、殺意がみなぎってますね。ではお望み通りとっておきの舞台、礼拝堂に案内しましょう。そこで、決着をつけましょうか」


 数百人は入れる礼拝堂。その祭壇の背後には、高さ十数メートルにもなる巨大な壁画が描かれている。
 壁画に描かれた人物の胸像は、酷く異様なものだった。その人物はげっそりとした顔つきで眼球がなく、眼窩から血が滴っている。髪の毛に見えるものはよくみると血液であり、見るものを不快にする。
 これこそがノア新世界創造教で数千人が信仰する、創造神『ノア』である。
 ソラ立ちは抵抗することも許されず、後方から信者にじりじりと追いたてられ、ここに閉じ込められたのだった。
 クロノクリスは祭壇の前で演説を続ける。


 「これより、愚かにも教内に侵入してきた愚か者を排除します。さあ、我らが主の前でその力を存分にお見せなさい!」


 うぉぉぉ! という信者の声が礼拝堂を支配する。クロノクリスは世界最高峰がどの程度の力なのか、自分達の戦力はどの程度なのかを把握するため、拘束せず力でねじ伏せるらしい。
 まだ、ソラの心の傷は癒えていないが、戦うしかなかった。

 「先生! クライドさん! 来ます!」

 一斉に信者たちは攻撃してきた。
 ソラの周囲が円状に光輝いた。攻撃を察知してステップバックすると、ほんの1秒前までいた場所に光の柱が立ちのぼった。

 「『PFヘブンズ・レイ!』」

 着地後、態勢を整える前に、目の前の信者の手から雷撃が放たれる。

 「『PFヘルズ・ボルト!』雷撃波を食らえ!」

 雷そのものはナイフで弾いたものの、衝撃によって後ろにぶっ飛ぶ。
 受け身をとりつつ偶然そこにいた、クライドと背中合わせで構えをとる。
 
 「敵は本当に全員がパラレルファクターみたいです」
 「動きは洗練されていないけど、強力な力を持つ敵をこれだけの人数を同時に相手にするのは、俺たち三人でも……」

 クライドは炎の魔法を目の前の信者に放った。しかし、白い修道服に届く前に透明な壁によって阻まれる。

 「そんな生半可な攻撃、『PF ディフェンシブ・ウォール』には効かん!」
 「反撃だ。『PF クイック・ランス』!」
 「俺っちも行こう。『PF ソード・オブ・グリード』」

 クライドは剣使いと槍使いに二人に襲われた。そのクライドを横から殴りかかる信者がいたので、後頭部に回し蹴りを決める。

 「ソラ、ナイスフォロー!」
 
 一方先生は先生で、敵の攻撃をかわしつつ的確に反撃していた。それでも、この人数は厳しいようで、体の至るところに傷がついている。

 「ぬりゃ、りゃりゃりゃりゃりゃ! デイィィヤ!」

 先生が一人信者を倒したかに見えたが、ソラは違和感を感じて『ヘブンズ・レイ』を避けつつ援護に向かった。

 「いくら切っても無駄だ。私の『PF アクア・ラプソディー』は私の体を水と化し、攻撃をかわす!」

 と、敵がいった瞬間に雷の魔法がそいつを貫く!

 「あ゙あ゙あ゙あ゙バチバチバチバチ……」

 「クライド、見直したぞ! うぬには天性の才があるようだ。とはいえ、このままでは持たぬぞ!」

 一見強力な敵にも弱点がある。だが、それを加味しても数が多すぎる。

 「多勢に無勢ですね……」
 
 ポツリとソラは呟くとナイフを強く握りしめ、悠然と敵にたち向かっていった。

 ノア新世界創造教の礼拝堂は剣と魔法と怒号に包まれていた。

 「このままでは、不味い!」

 クライドが眼前の敵に峰打ちを当てた。疲労の色が濃く、さっきに比べて動きが鈍っている。それでも次々と攻撃をかわしつつ反撃している。

 「ヌウゥゥウウウウウウゥゥリャ! ちっ、これではきりがない!」

 先生が三人の信者をぶっ飛ばしながら叫ぶ。その声も枯れてきてきている。

 「やはり俺には無理なのか……」

 ソラは火球をナイフで両断すると、周囲の敵に足払いをかける。ただでさえ、幼少期トラウマを引き出され疲弊している上に、体も思うように動かなくなってきた。
 無理矢理シュンとルーカスの顔を思い出すことで、心と体を維持してきたもの、もはや限界に近い。
 
 クロノクリスの、この戦いによる騒音に負けないほどの大声が部屋を包み込んだ。

 「見ろ! 世界最高峰の戦士三人を、我々は圧倒している! 負傷者も殆んどいない! これが我々、ノア新世界創造教の力だ!」

 ダメだ。気力の限界だ。諦めた方が楽になれる、トラウマも何もかも放り投げて、今この場で眠りたい……。

 「ぜぇ……ぜぇ……」

 半分閉じかけた瞳で仲間を見つめる。
 クライドと先生は敵の攻撃をかわすのに必死で、完全に攻める機会を失っていた。

 「まだ、続けるのですか? この不毛な戦いを。降参して楽になればいいものを! あなたたちは過去から何も変われていない。運命に従いなさい!」


f:id:TheFool199485:20170327133354j:plain
 

 俺は何もあれから変わっていないのか? 誘拐され、閉じ込められ感情を捨てたときから……なにも。

 「俺は確かに祖国を助けられなかった! でも、それでも今の俺にはまだ、守るべきものが残っているんだ! こんなところで負けるわけにはいかない!」

 クライドの声がした。

 「私には帰りを待ってくれる子供たちがいる。例え罪の滅ぼせずとも、彼らのために私は戦い続ける!」

 先生が自らを鼓舞する。

 そうだ、俺にも……

 「俺にも愛すべき人がいる。こんなところで立ち止まるわけにはいきません」

 クロノクリスは信者たちに攻撃を止めさせた。

 「全員一斉にPFを発動さろ! 一瞬で敵を葬りされ!」

 その声とほぼ同時だった。ソラの頭の奥底から繊細な男性の声が響いた。

 《今すぐ目を塞ぎ壁側を向け!》

 レウカド先生! ソラはほぼ反射的に壁側を向いた。



 その瞬間、部屋中のPFが解き放たれようとした瞬間、部屋は閃光と爆音に包まれた。
 あまりの音に聴覚が麻痺し、何も聞こえなくなった。幸い壁がわを向いていたお陰で、部屋の中央で炸裂した閃光が、直接目に刺さることはなかった。レウカド先生お手製のメッセージつき幻影弾だった。

 閃光と爆音の両方に曝された哀れな敵達は、突然聴覚と視覚を奪われ、何が起きているのか全く理解ができず、頭を抱えて呆然としていた。
 
 そんな部屋の中を黒い影が高速で動いていた。黒い影に触れた信者達は鮮血をほとばしりながらバタバタと倒れていった。
 偶然壁がわを向いていた敵も、影によって味方の血を浴びせられ、目を塞がれた。大半の信者が何もできずに、目の前の恐怖に顔を歪ませながら倒れていく。耳が聞こえるのであれば、部屋中に絶望の叫び声がこだましていたことだろう。
 倒れた信者の、真っ白だった修道服はワンテンポ置いて、きれいな赤色のまだら模様を作っていく。
 目の前の信者が左右を見渡し、その様子に驚愕し、地面に座り込む。さらには「助けてくれ!」と口を動かしながら、四肢をじたばたさせて恐怖の化身から逃げようとする。しかし、努力むなしく、首から鮮血を吹き出し動かなくなる。
 倒れた信者の首筋を一瞬、確認する傷はない。体がピクリと動いたことから死んでもいない。
 全てを理解した三人は体勢を立て直し、一気に攻勢に出た。無防備な敵にたいして打撃をくわえ、昏倒させていく。精神的な動揺でPFを出せなくなった信者達は、ソラたちにとって格好のサンドバッグだった。
  一瞬にして戦況はひっくり返る。
 視界の端でクロノクリスが何やら叫んでいたが、その声が信者に届くことはない。
 
 先生が隣で、いつもの鬼のような形相で刀の腹をぶち当てていく。クライドは先生が倒し損ねた信者を吹っ飛ばしていく。
 ソラは視界の生きている信者を体術で確実に無力化していく。

 ようやく耳が通るようになる頃には、数人の信者を除いて、敵は殆んど全滅していた。

 「クッ……クッ……クッ……。貴様が隙を見せてくれることをずっと待っていたんだぞ? クロノクリス」

 クロノクリスの目の前に現れた影は、自らのペストマスクをコツコツ、と叩いた。元々黒かったコートが血液によって惨劇の様相を呈している。

 「バカな! なぜ貴様がこんなところに!」

 それが、この作戦を立案した解剖医の姿だった。



7



 ノア教にさらわれていた人質が、アンティノメルのヒーローに保護されていくのを眺めながら、エスヒナとエアリスはノア教付近にあった倉庫に向かった。
 倉庫のなかは各国の軍人がせわしなく動いていた。ノア教制圧のために用意した作戦本部、それがこの倉庫である。
 そのなかでも訊問用の一室で、エアリスとエスヒナは向き合った。

 エアリスがノア教の情報提供と引き換えに要求したのはエスヒナとの面会だった。
 気まずい雰囲気のなか、全く悪びれずエアリスは口を開いた。エアリスはノア教の正装を脱ぎ捨てており、白いドレスを着用している。
 こうしてみると、エアリスは年端も行かない子供にしか見えない。公園で走り回っていてもなんの違和感もないだろう、とあたしは思った。


 「エスヒナ、お主チュリグの出身じゃよな?」

 「ん?  いや、キスビットだけど?」

 「人違いか」


 あたしは世間話かな、と考えた。エアリスは捕らえられていた人にもごくごく普通に接していたし、できる限り恐怖心を植え付けないように努力もしていた。


 「わらわはこの教団の力を利用して、世界の種族差別をなくそうと活動していたんじゃ」

 「え、あんた何やろうとしてたの!?」


 そして、驚愕する。


 「具体的にはこの教団を操り、エルドラン国を占領して、『お主らの国もこうなりたくなかったら種族差別を早急に止めさせろ』と声明を出そうとしていたんじゃ」


 まるで明日の朝御飯を語るかのような表情で、何を言っているんだ! あたしは慌てて反論した。


 「でもあんた、例えそれで種族差別が一時的に消えたとするよ? でも、種族の根底には種族のあり方や考え方の違いが原因になっているんだ。お互いがそれを理解しようと歩み寄らない限り、何度だって差別は起こる」

「情が差別をなくすのか? 情けで差別を消せるのか? ふざけるな!! そんなことで差別が消えるのならば、わらわはもとより存在せぬわ! 恐怖で押さえつければよかろう」


 ドンッとエアリスが机を叩いた。エアリスの白い手から、銀色の液体が飛び散る。しばらくして、ひとりでに飛び散った液体がエアリスの手に向かって集まり、同化した。


 「恐怖なんて所詮一時的なものだよ。慣れてしまえばどうってことない。それに順応して乗り越える力を人は持っているんだ」

 「グッ……」


 緊迫した雰囲気が部屋を支配していた。あたしは直感的にこのやり取りが世界の命運を握っている、ということを感じ取った。
 まずは相手……エアリスを知らなければ。エアリスがなぜそんな極端な思想になってしまったのか。そして何を望んでいるのかわからないと、話しようもない。


 「そもそも、あんた、どこの出身で何者なんだ?」
 「……クロノクリスは従順で強い力を持つ手下を欲していた。そこで目をつけたのが人種差別によって死んでいった子供たちじゃ。子供は純粋で何色にも染まる。その上差別が憎い、という点で強い思念でこの世にとどまり続けておる。そこで、クロノクリスは数えきれぬほどの子供の魂を、反人種差別という思想によって束ね、それをあらかじめ用意した肉体に召喚した。そうして目覚めたのがわらわじゃ」


 唖然としてしまった。あんまりにもあんまりな生い立ちじゃないか。
 エアリスの表情も相まって、とても心苦しい気分になる。


 「じゃあ、単純に考えてもバカみたいな量の魂を小さな体に宿しているわけか」

 「そう。そして、魂の量が多ければそれだけ妖怪の呪詛の力や精霊の信仰の力も強くなる。わらわは普通の人からすれば考えられないほどの力を得たのじゃ」

 「その力を使って世界から差別をなくそうとしていた、と」


 エアリスはピンクの唇を噛みしめて、押し黙った。銀の髪の毛は細かく震えていた。
 そして、宿敵を語るときのように鬼のような形相で矢継ぎ早に語った。


 「……エルドラン国では種族統合の時、妖怪の乗る乗り物は反対派の者たちに強襲された。こどもの親は妖怪なぞ学舎にふさわしくないとデモを起こした。そして学舎では妖怪の子を模した人形を吊し上げにして、数十人で暴行した。外食しようにも、妖怪とそれ以外では区別された。差別反対を掲げるものはたとえ、同胞であろうとぼこぼこに殴られた。お主にも心当たりがあるじゃろう。これが差別の現実じゃよ。わらわは、わらわは差別をする奴等が憎い! 叩き潰したいのじゃ!」


 当然エアリスの魂にはエルドランで差別された子供の魂も、チュリグで差別された子供の魂も入り交じっていはず。だから、エアリスは各国の種族差別をさも自分が受けたかのように語るんだろう。
 そんなエアリスにたいして、あたしは無念の思いがこもった声を口から発した。


 「あたしの親友にね、キスビットのジネという都市の生まれの子が居てさ」


 一息ついてエスヒナは続ける。


 「ジネでは鬼以外の種族は生まれたときから卑下される。子供は最初から夢や希望なんかない。生きていくために必要な知識や教養、技術、社会性、そういったことも知らないまま育つんだ。当然そんな状態じゃ仕事につけない。そもそも、奇跡的に技術や教養を持っていても『鬼じゃない』、たったそれだけで社会から廃絶される。生き残るために残された道は麻薬か恐喝か闇市か……犯罪が収入源なんだ。こんな状態で、差別を止めろと脅しても、逆効果だ」


 脳裏に焼き付いたいまいましい記憶が、鮮明に思い起こされた。心が張り裂けそうになる。
 そんなあたしの話をエアリスは親身になって聞いてくれた。


 「そなたは、ジネを……キスビットという国をそんな国にしてしまった奴等が憎くないのか?」

 「憎い。けど……、いつまでもいがみあっていたら、お互いなんにもわからないだろ? まずは一歩、歩み寄ることが差別解決には必要なんだと思う。エウス村長のように……」

 「そうか……」


 エアリスはもう、反論する気がないようだった。肩を落として、自分の手を見つめている。


 「あたしの夢はキスビットがかつて種族を差別していた鬼と、差別される側だった三つの種族の子供が、一つ屋根の下で暮らしてさ、一緒に笑いあっているような国になってほしい。種族ではなく人格で人を評価するような、そんな国になってほしい。そのためには、力で押さえつけてもダメなんだ。じっくりと辛抱強く話し合っていかなくちゃいけない」


 下を向いたままエアリスはポツリと呟いた。


 「……どうやらわらわが間違っていたらしい。すまんな。エスヒナ」

 「なんであんたが謝るんだ?」

 「間違っているとわかっていて意地をはってしもうたからのぉ。今回人質を救出しにきた者たちを見て思ったんじゃ。あやつらには種族なぞ関係ない、とな」


 彼女が顔をあげた。優しく微笑む彼女の頬に、涙が伝っていった。


 「あたしらだってはじめは差別する奴等を憎んでいたさ。でも、エウス村長の『お互いを知る』って言葉を聞いたとき、救われたんだ。今のだって殆んどエウス村長からの受けおりだよ。それを勝手に自分で解釈して、あんたに話しただけ」


 あたしはエアリスに、ニッと笑いかけると、彼女の肩を撫でた。


 「十分じゃよ。お主、見かけによらず大人じゃのぉ」

 「『見かけによらず』、は余計だ!」

 「ハハハハハ」

 「アハハハハ」

 二人でひとしきり笑いあった後、エアリスが言った。


 「ありがとうな、エスヒナ。わらわはこれから後始末をしにいく。自分で始めたことじゃ、自分で終わらせなければのぉ」

 「あたしはここに残るよ。行ってもきっと足手まといだろうからね」

 「そうか、なら……これを持っておけ。何かの役にたつかもしれん」


 エアリスの手から金属製の箱がみるみるうちに浮き上がってきた。世にも奇妙な光景に目が釘付けになる。


 「あんたの能力、すごいな」
 

 あたしは手渡された箱をまじまじと見た。銀色で掌サイズの正方形だった。箱の上に瞳の模様が描いてある以外、蓋も何も見当たらない。継ぎ目ひとつ無い完全な正方形だった。


 「これ、どうやって開けるんだ?」

 「秘密じゃ。少なくともそなた以外には開けられん」


 そう言ってエアリスは席をたった。あたしもポケットに箱をしまってから、ワンテンポ遅れて立つ。
 

 「バトー。終わったよ。エアリスは信頼出切る。あたしが保証するよ」



8



 「……そうだ。私は読書が好きなのだ。エアリスは本で得た知識より召喚した。私の力は魂の操作だ。人の魂を他人の体に移植できる能力。それを利用してさ迷える幼子の魂をひとつの体に召喚した」

 さっきまでとはうってちがい、今にも消え入りそうな、かすれた声がクロノクリスの口からもれる。当然だ。首を持ち上げているのだから。
 私の後ろではソラ、クライド、先生が増援を警戒しつつ、話を聞いている。


 「数えきれないほどの幼子の魂を融合させて?」
 「……そうだ」
 「それで? エアリスの力は? パラレルファクターは?」
 「それは今にわかる」

 礼拝堂の入り口からバトーとショコラが入ってきた。二人とも礼拝堂の光景(倒れている信者一人につき約80cc の血液が部屋に飛び散っている)に驚愕したが、すぐに私たちのもとに駆け寄ってきた。

 「大丈夫か!」
 「皆さん元気そうでよかった!……この光景のわりには」

 そして続いて、白いウェディングドレスを身にまとった少女が部屋に足を踏み入れる。

 「やはり裏切ったか。セレア!」
 「エアリスと呼べ! お前に名前を呼ばれる筋合いはない」
 「そうか。別にどうでもよいことだ。お前は私の所有物なのだから」

 クロノクリスはかれた声で呪文を唱え始めた。それを確認した私はすぐさま声帯をぶったぎった。私が自分に使ったときは声を大きくする魔法薬を喉に塗ったが、今回は容赦なく声帯を破壊した。
 
 ……はずだった。

 突如クロノクリスの体が重くなった。全身の筋肉の緊張がほどけ、四肢ががっくしと折れ曲がる。あり得ない方向に彼の間接が曲がっていき、地面に伏した。

 「バカな……死んでいる」

 あまりにもあっけない死に、この場にたっている六人は呆然と立ち尽くした。私はゆっくりと後ろを向いた。バトー、クライド、先生、ソラはあり得ないもの見たかのように驚愕の表情をしている。普段はおちゃらけているショコラですら目を見開いていた。
 それと同時に全員臨戦態勢に入る。

 そんななか、頭を抱え、苦悶の表情を浮かべる者がいた。

 「わらわの中に……なにかが入ってくる。止めろ! 気持ち悪い! ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!」


 エアリスは白目を向き、地面に倒れ、背中をえびぞりにして痙攣し始めた。エアリスの体が痙攣によって跳ねる度に、銀色の飛沫が辺りに舞う!
 真っ先に声をかけたのは意外にもバトーだった。

 「エアリス! どうしたんだ!」

 「クロノクリスの奴がぁぁぁぁ! 頭が痛い! 痛いよぉ! 心が引き裂ける! 誰かわらわを……助けてぇ!」

 何が起きている? これはどういうことだ?

 「バトー、とりあえず離れろ! 私が善処する!」

 危険だと判断した私はバトーを押し退けて、容赦なくエアリスにメスを突き立てようとした。
 しかし、メスが今まさにエアリスの胸を貫こうとした瞬間、彼女の痙攣が止まり、私の腕をつかんできた。私はもう片方の腕に握られていたメスでエアリスの腕をぶったぎると、礼拝堂の中央まで飛び退いた。着地したときに、固まった血液が地面から引き剥がされ、ペリペリという音が響いた。

 まるで幽霊か何かのようにゆらりとエアリスは立ち上がった。私が切ったはずの腕は、何事もなかったかのように身体と接着され、動いている。

 「フフフフ。やった……ついにやったぞ! 我は! 我は! 我は!!!」

 見るからにエアリスの様子がおかしかった。顔や体を手でぺたぺたと触り、まるで新調した服の着心地を確かめるかのように、体を捻ったり、ジャンプしたりしている。

 「絶大な力! 不死の肉体! 魂を操る力!」

 エアリスは恍惚とした表情で、見えないはずの天を見上げて高笑いしていた。

 「セレア?」

 ショコラが不安げにエアリスの名前を呼びかけた。それに対しエアリスは嘲笑を交えて答えた。

 「我はセレアではない。セレアの肉体と精神を我―クロノクリスが乗っ取った。我が教団の人員にしていたことと逆だ。通常であれば妖怪の魂を信者に移植し新たな力を得させるのたが、我の場合は自らの魂をセレアに移植し、セレアの魂を乗っ取り融合した!」

 「勝手にあわれな子供の魂を呼び出して、用がなくなったら取り込んで……。お前はエアリス……いや、セレアの気持ちを考えたことはあるのか!」

 バトーの女々しいはずの顔が怒りにゆがみ、恐ろしい様相を呈していた。

 「ないな。もとより死者の意思なんぞに興味はない。そんなことよりこの体を見ろ! 素晴らしいとは思わないか? ガキにはもったいない代物だぞぉ?」

 バサバサとウェディングドレスの裾を上下させた。明らかに挑発としか思えない……いや、挑発以下の下劣な何かだ。私が怒りでわなわなと握り拳を震わせていると、その怒りを体現したような大声がそばで発せられた。

 「この……クズ野郎が!」

 「止めろ! バトー! 冷静さを失って勝てる相手じゃない。落ち着くんだ!」

 今にも氷の剣でエアリスに斬りかかろうとするバトーをクライドが制止した。

 が、それ以上の速度でエアリスに牙を向く者がいた。


 ……私だ。
 
 「ほう、貴様から来るか。かかってこい」

 「『アンダーグラ……』」

 メスを振りかぶった瞬間、目の前に見えたのはエアリスの拳だった。エアリスの小さな拳が真っ直ぐ腹部に吸い込まれていく。体を捻って受け流……あれっ……一瞬にしてエアリスが遠くに吹っ飛んだ……いや、私がぶっ飛ばされたのか? 礼拝堂の入り口のドアをぶち抜き、本堂入り口付近まで滑った。

 「ごふぇッ!」

 息を吐ききってしまった。空気を求めて気管支がしどろもどろするが、肺が広がらないために息を吸うことができない。
 しかたないので、胸をぶっ叩いてなんとか呼吸を取り戻す。ついでに折れた肋骨もメスを差し込んで繋げておく。

 「えっと……よく飛びましたね。殴られて飛ばされた距離で世界記録とれそうですね」

 訳のわからないことをショコラが呟いた。

 「ンハッ………ゼェ……ゼェ。なっ何があったクライド!」

 「拳で殴られただけだ。本当にそれだけだった! これはいったいなんなんだ!」

 クライドの困惑した声が聞こえた。

 「私は先程までセレアの体だったから手加減しなければ……とか考えていました。本当は『エアリスの体を傷つけて本当にいいのか!』とか叫ぶつもりだったんですよ……。今のでやめましたが」

 遠くに見える先生もあきれているようだった。

 「はっはっは! どうだこの力は! 我はお前たちを倒し、腐らないうちに肉体を補強し、魂を再び込め、エアリスと同じように使役する。世界でも有数の僕が一瞬にして出来上がるのだ。そうなればチュリグさえも制圧出きるだろう。我が支配する新世界の幕開けだ」


 こいつ! 世界を敵にまわすつもりか!



9



 「ゴホッ……エアリスはクロノクリスの能力で無理矢理数多の魂を融合させ、肉体に縛り付けられているだけだ。倒せば肉体がどうであれ子供たちの魂は成仏するはず。容赦なくやれ!」

 私の呼び掛けに対してソラが前に出た。ゴーグルをつけ、赤いコートを羽織直し、ナイフを構える。

 「……俺がやります。バトーさん、サポートお願いします」

 「……ソラわかった。奴にどれだけ俺の剣が効くかわからないが……氷冷剣!」

 バトーは右手に持つ剣に水筒の水をかけ、瞬時に凍結させた。あっという間に短剣が長剣になる。こんな芸当も出来るのか……。
 さらにバトーは左手の手のひらに、右手で何かを描くと、水筒から残りの水を全て注いだ。私がバトーの金髪ショートと凛々しい女顔に見惚れていると、いつの間にかバトーの左手に細身の剣が握られていた。実に珍しい氷の剣の二刀流だ。


 「いでよ…我が聖なる刃……『氷斬剣』! まぁ、勝てるかどうかは別として……ソラ、いくぞ!」


 礼拝堂の祭壇前にいるエアリスに、二人は一気に距離をつめた。


 「二人がかりか。卑怯ものめ!」


 ソラは思わず叫んだ。


 「あなたが言わないで下さい!」


 ソラのナイフがエアリスを襲う。しかし、エアリスは右手を瞬時にナイフに変化させ防いだ。
 その直後、バトーの剣を手刀で防ぐ。みるみるうちにエアリスの手刀が長剣に変形する。


 「素手だと思ったらそういうことだったのか……


 バトーはそのままエアリスに流れるように二本の剣を振るっていく。ソラも同様にフェイントと体術を交えながらエアリスの喉元を狙う。礼拝堂に金属音がこだました。
 エアリスはソラの足払いを一歩引いて交わしつつ、バトーの剣を受け流す。ソラが腹部を狙ってきたのをみて、ナイフを叩きつけて軌道をそらせる。バトーが顔を狙うのを、上方向に剣を動かし弾く。
 私はクライドと目配せしてから、小言をこぼした。


 「世界最高峰のナイフ使いと剣使いを同時に相手してやがる」


 クライドはバック転で宙を舞い、エアリスの後ろに着地した。そのまま、剣をエアリスに突き刺そうとする。しかし、エアリスは左の足を一時的に大剣に変化させて、クライドを迎え撃つ。剣と剣が思いっきりぶつかり、キィィィーーーーンという不快な音が発生した。


 「……五月蝿いな。神に無礼だとは思わないのか?」


 クライドは思わぬ反撃に祭壇に不時着した。
 さらにエアリスは左足の大剣をバトーとソラの戦闘の補助に使い始めた。剣とナイフと大剣の訳のわからない斬撃によって徐々に二人が押される。


 「このままでは……危険です!」

 「俺たち二人を相手に……クッ」


 助けにいきたいのは山々だが、もはや私の手出しできる次元の戦いでは……ない。
 エアリスは両腕を大剣に変化させて、二人をなぎ払った。バトーはなんとか避けられたものの、ナイフという間合いの短い武器を使っていたソラは、胸部に一の字の傷を負ってしまった。無言でソラが顔をしかめる。


 「今だ!  ショコラ!」


 礼拝堂の中央にいたショコラが剣を地面に刺すと、剣から発生した霜がまっすぐエアリスに延びていった。その霜がエアリスに到達すると、一瞬にして彼女を氷付けにした!


 「《居合い 玄米断》! シャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャ……!!」


 どこから奇襲したのか、突然現れた先生がすんごい速度で斬撃を繰り出した。速すぎてもはや目で追うことが出来ない。


 「……シャシャシャシャシャァァァァ! 細切れになれぇぇぇい!」


 先生の刀によって全身バラバラになっているにも関わらず、どうにか人形を保つエアリスの体に、ソラが追い討ちをかける!


 「そして、砕け散る」


 ソラによる腹への一撃が決まった瞬間、エアリスの体は粉々になって、背後の祭壇やその奥のノアの絵画にまで、飛び散った。だが、不可思議なことに飛び散ったのは血の赤ではなく、銀色の液体だった。


 「警戒を怠るな! 何か嫌な予感がする!」


 凍りつき非常に滑りやすくなっていた床で、見事に技を決めた先生とソラを後ろに下げた。
 その時だった。倒れていた信者達が一斉に立ち上がり、出口の方へ逃げていった。恐怖の声を撒き散らしながら。


 「まあ、教祖様があの様じゃ、逃げたくなるのも当然だよね……」


 礼拝堂の中央に戻ってきたクライドが呟いた。

 しばしの沈黙の時が訪れた。よく、耳を済ませると、本当に小さいが……何かが地を這うような異音がする。その正体を探そうと見回しても何もない。血まみれの床以外目にはいる物がない。

 突然、隣にいた先生が教壇を指差した。


 「……? 何もないじゃないか」

 「違う! その教壇に飛び散っているものだ」


 ショコラが眼鏡をかけ直してから答える。


 「ええ? でも、教壇の上ってエアリスの断片がうごめいているだけじゃないですか?」

 「ちょっと待って! 細切れにされた身体が動くことなんてありえてたまるか!」


 私が驚愕している間にもエアリスの断片はどんどん移動している。壁についた金属の粒も、床に落ちた斑点の一つ一つも、全てが意思を持って一ヶ所に集結しようとしていた!


 「ショコラ! もう一度凍らせろ!」

 「ようやく気づいたか! バカどもが!」


 金属の粒が空中で糸を引きながら集合し、一瞬にして教壇の後ろにエアリスが再生した。

 
 「凍らせて、細切れにして、完全に止めを刺したはずなのにどうして!」


 ソラが絶句する。他のメンバーもあんまりの光景に冷や汗を顔に滲ませた。

 「破壊されようが何をされようが、我は甦る。なぜならそれは、我が神であるからだ!」


10



 ショコラの攻撃がエアリスに届く前に、エアリスが宙に浮き上がった。そして、彼女の背中から黒い三角形の構造物が形成された。ドレスの下からバーナーのような筒が左右対称に一本ずつ出ている。ライスランドの飛空挺に見られる飛行エンジンのような形だった。(これを人が入れる大きさにすれば、空を飛べそうだった。仮名をつけるとしたら飛行機……いや戦闘機か)
 さらにエアリスは両方の腕をガトリング砲のような形に変形させ、私たちに向けた。ダダダダダとあり得ない音をたてて銃弾が発射される。

 私たちは散り散りになりながら、弾丸を避ける。ガトリングガンとしか形容しようのない、無茶苦茶な兵器だ。
 それを空を飛びながらそんなものをばらまいて来るのでたまったものではない。


 「ぐぁッ!」

 「バトー! 大丈夫か!」


 バトーのわき腹辺りを玉がえぐったらしい。みるみるバトーの服が赤く染まっていく。空を飛んでいる相手に攻撃出来るのは、この場では風の魔法で宙を舞えるクライドしかいない。
 しかし、仮にクライドが奇跡的に攻撃できたところで、エアリスに肉体を再生されて終了だ。最悪だった。
 すぐ右で先生が息を荒くしていた。


 「シャ゙ァ゙ーーーーー!! どうにもならないのかっ! 無敵か! 奴は」


 と言いつつ、余裕でガトリングガンを刀で弾き飛ばしている辺りさすが先生だった。

 ショコラはショコラでまるでダンスを踊っているかのような、超人的なステップで弾丸を交わしている。

 突然ずるり、と嫌な音がした。滑り防止の加工をしてあるはずのブーツが、地面の血だまりに足をとられた。何事かと思ってよく見ると、銀色のヒモが私の足に巻き付いていた。ヒモをたどっていくと、エアリスの右足から垂れていた。足払いか?
 みるみる視界が変わっていき、最後に天井が見えた。私は完全に体勢を崩したらしい。


 「てこずらせおって。死ね!」


 マシンガンが体に注がれた。コートに無数の穴が開き、衝撃で巨体がガタガタと揺れた。先生が割って入り、途中から銃弾を弾いたが、もはや手遅れだった。
 ……まあ、肋骨が数本と胸骨にヒビが入り、肩に一発めり込んだだけだが。こういうとき心の底から防弾コート・ベスト・ズボンにありがたみを感じる。とはいえ動けるようになるまであと数分はかかりそうだった。


 「ペストマスク! ぐッ……。これでも食らえ!」


 その隙に、空中で見えない足場を踏むかのように跳んだクライドが、エアリスを後ろから奇襲した。私を倒して慢心したエアリスの両手足を、クライドの剣が何度も切り裂いていく。さらに追撃の火炎がエアリスを焼き尽くす。
 しかし、エアリスはわずかに硬直しただけだった。彼女の体の表面が溶けかかっているにも関わらず、先生の方に突撃した。
 切り裂かれ液状と化した手足が、空中で糸を引きながらエアリスと同化する。さらにエアリスの両手だったものがカッターのついたドリル変形し、回転した。
 先生はこれはヤバイと察知したのか、ジャンプしつつ避ける。だが、空を飛べるエアリスには関係ない。先生に向かって一直線に飛行する。


 「ぬあぁぁぁぁぉぁお!」


 先生の痛々しい悲鳴。しかし、ドリルの先端が触れてから数センチメートル掘り進んだところで、バトーの氷の魔法がヒットする。再びエアリスが怯む。その隙にソラが先生を救出した!
 胸部から漏れる血液はかなりいたそうだったが、まあ、先生のことだし……、大丈夫か。
 だが、このままではいずれ負ける。どんなに敵に傷を与えようがダメージは通らない。やがてこちらの気力体力が尽き……負ける。

 延々と戦いは続いていった。数で圧倒しているのにも関わらず、各国最高クラスの逸材が集まっているのにも関わらず、勝負は防戦一方だった。エアリスの剣とガトリングガン、さらには呪詛によるカマイタチにより、6人の体には決して浅くない傷が刻まれていく。
 もう何時間と戦っている気分だが、実際には戦い始めてから十数分しか経過していない。

 一条の光も見えぬ闇の中にいるようだった。ソラは土にに埋没するかのような暗い顔をしていた。先生は奥歯をきつく噛み締め、クライドは肩で息をしながら上目遣いでエアリスを睨む。バトーは何か打開方がないか考えているようだったが、唇は固く閉じている。






 これが……絶望か……。






 「なるほど! さっきの連係攻撃でエアリスの弱点、わかりましたよ!」

 ショコラがぱちんと指を鳴らそうとして失敗したのに対して、この場にいる全員が驚愕の眼を向けた。

 「わかったのか! ショコラ」

 ショコラは自信ありげに頷いた。


 「彼女には致命的な欠点があります。それは……」

 「我に弱点などない!」


 エアリスは手をヒモ状に変えてショコラにつかみかかろうとした。しかし、ショコラのやたら軽快なステップで交わされてしまう。


 「ほらほら、どうしましたか? 弱点がわかられて不安ですか?」


 一瞬ショコラが私たちに顔を向けた。いつものショコラからは想像できないくらい、鋭い目付きだった。


 「あいつ……まさか……自ら囮に?」
 

 私はバトーに顔を向けた。バトーも作戦を悟ったらしい。


 「くっ……奴は話し合う隙すらくれない。こうでもしないと作戦を練れん。なにも言わずに……真っ先に一番危険な役目を買っていきやがった……」

 バトーが悔しさに顔を歪めると、その肩を先生が叩いた。

 「危険を承知で請け負った、ショコラの心意気を無駄にはできん! さて、早速だが、あやつは熱や冷気を浴びたとき再生の速度が落ちていた。温度変化に弱いのではないか?」

 先生の言葉に対し、私がすかさず口を開く。その後ろでショコラがエアリスのガトリングガンをかわしている。見事に敵の注意を引き付けていた。

 「医学校でまなんだことなんだが、物質には活動状態というものがある。俗に言われる個体、液体、気体というやつだ。本来は温度で変化するものだが、エアリスの場合は恐らく、液体金属を液体↔個体を意図的に操り肉体を構成しているのだろう」

 クライドが頷く。

 「それなら、凍結されたときに再生に時間がかかったのも理にかなっているね。恐らく無理矢理体温を引き上げて、自分の体を個体から液体にしようとしたから時間がかかったんだ。あと、さっきから顔を全く変形させていないから、人で言う脳の辺りに再生を司る機関があるのかも」

 続いてソラが結論にたどり着いた。

 「つまり、極端な温度変化に弱いということですか? ならショコラさんかバトーさんがエアリスを凍らせてクライドさんが炎の魔法をエアリスの頭部に当てれば……」

 私がソラの言葉を引き継ぐ。

 「エアリスは自分の体を制御しきれずに自壊するはずだ。例えるなら、外が冷えているからと暖炉を炊いたら、突然真夏のような気温になり、暖炉の熱と合間って熱中症になったバーサン……、みたいな感じか」

 ソラが訝しげな表情をこちらに向けた。

 「解剖鬼さん、意味はわかりましたが、なぜその例えにしたのかが全く理解出来ません」
 
 「私なりのくだらんジョークだ」

 私はエアリスの方を向く。

 「なんという持久力。だが、いくら凍らせたところで我は倒せぬぞ? やはり、はったりだったか。ハッハッハ!」
 
 私たちはショコラとエアリスの間に割って入った。部屋の中央でエアリスと向き合う。エアリスの後ろの絵画は、マシンガンによって穴が無数に空いている。教王にとって、もはや神を信仰するのはどうでもいいことらしい。

 「ショコラ、お前のお陰で助かったぞ!」

 エアリスはチッと舌打ちをすると、ショコラを指差した。

 「まあ……よい。ショコラ。貴様は一番最後に殺してやる」

 エアリスの背中の飛行ユニットからミサイルが合計6発放たれた。さらにマシンガンで追撃してくる。
 私は先生の影に隠れて銃弾から守ってもらいつつ、メスを投げた。メスが突き刺さった四つのミサイルは着弾することなく空中で爆発した。残る二つはバトーの作り出した氷柱によって迎撃された。
 敵の注意はミサイルを迎撃したこちらに向いている。

 「いまだ!」

 ソラがショコラの目の前でかがんだ。ショコラはソラを踏み台にして華麗にジャンプする。さらに風の魔法で浮き上がったクライドがショコラをトスし、さらなるジャンプを可能とした。横からエアリスを強襲する!

 だが、エアリスが気づくのが早かった。エアリスはの全関節を90度曲げることで、一瞬でショコラと向き合った。さらに腕がナイフに変形しかかっている!

 「ショコラ! 避けろ!」

 出来るはずがない、とわかっていても反射的に叫んでいた。あまりのショックにスローモーションになった。交通事故直前に車がゆっくりと見えるアレである。
 回りの仲間が全員揃って苦悶の表情を浮かべている。空中でエアリスの腕がゆっくりと伸びていく。ショコラは避けられないと察し、相討ち覚悟で剣を振るう。だが、どうみてもショコラの剣よりもエアリスのナイフが体を突き刺すのが先だった。
 私は目をつむりたくなるのを我慢し、ショコラの最後を凝視する。私がこの旅にショコラを誘ってしまったからこうなってしまった。本来なら一人で旅立つべきを仲間を道連れにしたのだ。すべての責任は私にある。だが、今私に出来ることは彼の死を見守るしか出来ない。
私の責任だ。私の責任なのだ。この先ショコラを失ったドレスタニアが、この世界がどうなるかわからない。しかし、どうなろうとも私がしたことであり、私の罪だ。

 ちくしょう……。

 畜生ぉおおおおおおおお!!!




 私が涙を垂れ流しながらみた光景は、ショコラの死ではなかった。何者かによって放たれた矢によって、エアリスはこめかみを貫かれ、体勢を崩していた。

 「行くんだ! ショコラ!!」

 グレムの怒号が遠くから聞こえてきた!彼とコロ助の放った一撃がこの世界の運命を変えたのだ。
 この瞬間、この光景を見ていたショコラとエアリス以外の誰もが叫んだ。

 「行けぇぇぇぇぇぇ!」

 ショコラの一撃がエアリスを捕らえた! エアリスの胸が、ドレスが手足が顔が、一瞬にして凍りつく!
 さらにクライドが剣に炎を宿らせ、墜落するエアリスに突撃した! あらんかぎりの力でエアリスを切り裂きまくる! さらに一旦距離をおき、前方に手をかざして炎の魔法を魔力が尽きるまで連射した!
 
 「ばかな! なぜ再生しない! 我は不死身だぞ?! 不死身なのになぜ体が崩れるのだ!」

 「あなたは不死身ではありません。神でもありません。独りよがりの……ただの狂人です!」

 ソラは崩壊寸前のエアリスの顔に打撃を食らわせた。エアリスの顔が液体になりながら砕ける。

 「うぬに利用された子供たちの思いがわかるか!『斬滅――米櫃(コメヒツ)』ウシャア゙ア゙ア゙ァ!」

 先生がエアリスの胴体をズタズタに引き裂く! その横でバトーが二刀の剣を振りかぶる!

 「お前は純粋な幼子の魂を己の欲に利用した、悪魔だ!」

 最後にバトーがエアリスの頭部を凍結させた。


 長い静寂がこの場を包んだ。


 ……終わった。


 エアリスの残された体が液状に溶けていき、そのあと蒸発する。これまで、蒸発して攻撃を避けるような素振りを見せなかったことから、気体となった肉体を彼女は制御することが出来ないはずだ。


 「……勝った。全員の力を全て用いてようやく……」


 一気に力が抜けたような気がした。同時に全身の傷の痛みが私を襲った。あまりの痛さに座り込む。


 「でも、セレアが……」


 ショコラの声は悲壮に満ちていた。


 「彼女は悪意はなかった。方法は強引だったが、俺たちに差別を止めさせようとしただけだった。なのになぜ……」


 バトーが天上を仰ぎ見た。


 「人を利用して命をもてあそぶクロノクリス……。全て奴のせいです」


 ソラが悔しさで拳を握りしめる。


 「彼女を救いだしてあげたかった……」


 先生の声にははりがまるでなかった。



 全員が沈むなかで、何か妙な異音が聞こえた。オオオオォォォォと、高速で何かが飛んでくるような音だ。

 私は何かと辺りを見回した。どうやらその音は、不気味な神、ノアの肖像から聞こえてきているようだった。頭から地を垂れ流し、この世の全てをもてあそぶかのような嘲笑を浮かべる、クロノクリスの崇めた神。

 「なんだ! これは!」

 私が叫んだ時だった。ノアの肖像の口が盛り上がった。まるで何かを吐き出すかのようだ。そして、紙が耐えきれず破れ、その中から出てきたものは……。

 「そんな……」

 見覚えのある顔だった。華奢な足、ウェディングドレスに、ガトリングガンと化した両腕。背中の戦闘機のような飛行ユニット。少女には似合わぬ力に溺れた邪悪な笑み。



 『エアリス2 交戦する』
 『エアリス3 交戦する』
 『エアリス4 交戦する』



 一同唖然として、一瞬無防備になった。

 容赦なく3機6丁のガトリングガンが私たちに向かって掃射された。私は自分の身を守るので精一杯……だった。……なんだ、頭がぼんやりする。おかしい……。血が暖かいぞ? 信者たちの……垂れ流した血液は……既に冷えているはずだ。

 いや……そもそもなぜ……私は地面に伏せて……。仲間は……どうなった……クッ……。

 いっ……意識が遠く……


 「こやつ、助か………とわかって身代……に!」

 「しっか……てください!」

 「下がっ……私とバトーが傷…凍…せ……」



11



 「これ、どうやって開けるんだろうな~」

 エスヒナは机にふして、ため息をついた。額のバンダナがずり落ちそうになって、慌てて直す。
 エアリスの去った後の部屋で、ずっと彼女のくれた箱と格闘していたのだった。

 「うーん。剣で切っても再生する。魔法を受けても傷つかない。俺様でもさすがにお手上げかなぁ」

 リーフリィ自警団の団長であるクォルも途方に暮れた顔で手のひらサイズの箱を見た。継ぎ目のないフォルム、目の装飾以外はなんの特徴もない、金属製の箱だった。
 かわいい女の子に良いところを見せたいクォルだったがお手上げだった。
 エスヒナは二度目のため息をつく。

 「重要な物が入っていると思うんだけどなぁ」

 エスヒナは正方形カドを床につけて、対角のカドを指で押さえ、くるくる回転させて遊び始めた。

 「それにしても、これどんな技術で作られてるんだ? 剣で切ろうが液状になって再生する。一応目の装飾が再生の機能を持っているみたいだけど、肝心の装飾そのものも、再生しちゃうとなると……。エスヒナ、なんかエアリスがヒント言っていなかったか?」

 くるくる回転する箱。エスヒナはエアリスが何て言っていたかを思い出していた。




 『これ、どうやって開けるんだ?』

 『秘密じゃ。少なくともそなた以外には開けられん』




 私以外にはむり。なんだろう? 暗号か何かか? うーん。目の装飾……



 「クォル。この部屋から出て、あたしがいいよって言うまで待ってくれない? 試したいことがあるんだ」

 「おっ、何か気がついたか?」

 「うん。ただ、第三の目を開けるから……」

 「わかった。絶対に部屋には入らない」

 クォルはそそくさと部屋から出ていった。部屋に鍵をかけると、エスヒナは慎重に額につけていたバンダナを外した。そして、サムサールの特徴である第三の眼を開いた。
 エスヒナの種族であるサムスールは、額に第三の眼を持つ。その瞳を見たものは特定の感情に囚われてしまう。そして、額の持つ感情を、そのサムスール自身は持たない。エスヒナの瞳が持つ感情は……

 「クォル! やったぁ! 開いたよ! あんたのアドバイスのお陰だ」

 額にバンダナをつけたエスヒナが、扉の外に待っているクォルに抱きついた。よほど箱を開けられたのが嬉しかったらしい。

 「うぉ!? やったなエスヒナ!」

 一方クォルは、棚からぼたもちを下さった天に感謝した。が、世話しなく働いているアンティノメルのヒーローらの冷たい視線を感じて、すぐにエスヒナから離れた。
 机の上に開きかけている箱がおいてある。

 「まさかこんな形であたしの力が役にたつとはなぁ。はじめてだよ、こんなの。今まで邪魔としか思ったことはなかった……」

 額のバンダナを撫でながらエスヒナが笑った。

 「あばたもえくぼだな。すごいと思うぜエスヒナ! それじゃあ早速中身を開けてみるか……ん?」

 《お主の手でショコラに渡すのじゃ♪♪》

 「メッセージが側面に出てきた? さっきまでこんなのなかったよね、クォル?」

 「俺様が護衛するから安心して?」

 「えっ! あたし行くの?! っていうかあんたがあたしの護衛!?」

 「えっ……まっ……まあ、この分だとエスヒナが渡さないと意味を成さないんだろうからなぁ。まあ、あっちにはバトーもクライドもいるし、その上俺が行くとしたら護衛にグレムがつく。心配すんな」
 
 クォルの心に浅い傷がついた。

 「まあ、後のことはともかく、とりあえず開けてみよっか」

 エスヒナはゆっくりと立方体の蓋を開けた。

 「えっ……」

 「これ、あれだよな。ドレスタニアの……」



 コンコンッ、と扉の叩く音がした。



 「どうぞ?」

 エスヒナはゆっくりと扉を開けた。

 まず最初に茶色いコートを身に纏った鬼が出てきた。

 「おはようございます。自警団団長クォルさん。私はアンティノメルの警察を統括するルーカスと申します」

 次に露出の多い民俗衣装に身を包んだ女性が入ってきた。見るからに活発そうである。

 「我は今回クレス王国、ダズラ王国連合部隊を率いるダズラ王国王女、スヴァ=ローグじゃ。出会えて高栄じゃ」

 クォルはあんまりの豪華メンバーにたじろいだ。

 「えっ……アンティノメルの警察のトップとダズラ王国の王女様!?」

 「ドレスタニアにて外交官を勤めさせて頂いておりますエリーゼです。ガーナ様の代理で参りました。以後お見知りおきを」
 
 「……レカー城親衛隊副隊長のオムビスと申す」

 エスヒナは自分の記憶を手繰り寄せるので精一杯だった。誰も彼もが学舎や新聞で見聞きしたような名前ばかりだったからだ。
 彼女の褐色の肌に冷や汗がだらだらと浮き上がる。

 「おっ……おう。俺はリーフリィ自警団団長のクォルだ。よろしくお願いするぜ!」

 ひきつりながら笑うクォルの横で、エスヒナは頭を下げまくっていた。

 スヴァ=ローグはニヤリと笑った。

 「ようやく人の目や法の網を潜り抜けてきた、ノア輪廻世界創造教を公的に潰せるチャンスが来たのじゃ。存分に叩き潰そうぞ!」


 なんでこんなところに来ちゃったんだろう……とエスヒナが後悔しはじめた時、ドレスタニアの外交官が机の上に置かれた箱に気がついた。

 「これ……ガーナチャンプルー、ですよね?」



12



 「これで終わり……ですか」

 目の前には、ソラたちの絶望を体現するかのような存在が浮いている。全員が力を合わせて、ようやく沈黙させたエアリス。それが全く同じ姿形で三機。
 容赦ないガトリングガンから仲間を守るため、ペストマスクの医者が真っ正面に立ち被弾した。さらに流れ弾を先生が弾き、ようやく敵の攻撃を防げた。
 しかし、ペストマスクは床で仰向けのまま動かない。先生は左手に玉が被弾しており、地面に膝をついている。
 
 エアリスはすでに発射体勢に移っている。次にガトリングガンを掃射されれば敗北確定だ。そうでなくても、ここにいるソラ、クライド、バトー、ショコラ、そして傷ついた先生にこの状況を逆転できるだけの力は残されていない。
 例えこちらが万全であったとしても、すさまじい再生能力と圧倒的な攻撃力を合わせ持つ、エアリス三機を沈黙させるような手はないだろう。
 ソラの頭に様々な幻影がフラッシュバックした。誘拐された時の光景、助けられた時に浴びた日光、ヒーローになった日の様子、ルーカス様、そして……愛する人の顔。
 自分はこれから死ぬんだ……。ソラは死を覚悟して、下を向き、両腕を前で交差した。これから走るであろう激痛に耐えるためだ。
 地面に向いたとき、ペストマスクと目があった。腕に緑色に輝くメスが握られていて、柄をこちらに差し出していた。ソラは反射的にペストマスクが何を望んでいるかを察して、そのメスを受け取った。


 その瞬間、解剖鬼の言葉が脳裏に響いた。一秒にも満たない出来事にも関わらず、ソラは解剖鬼の伝えたことを全て理解した。

 『このメスは私の力、パラレルファクター・アンダーグラウンドの源だ。メスの内に妖怪の魂が宿っている。このメスを失えば、今の私は仮死状態になってしまうが致し方ない』

 『飛び去ったエアリスを逃せば恐らく都市国家カルマポリスに向かってしまうはずだ。カルマポリスはこの国からそう遠くはない上、町のエネルギーをワースシンボルと呼ばれる巨大な水晶に頼っている。ワースシンボルが奴の手に奪われれば、国一つ分のエネルギーがエアリスの手に落ちることになる。さらに運が悪いことに、カルマポリスは妖怪の国だ。PFを量産できる下地が揃っている』

 『あと少し耐えれば、人質がいたために動くことが出来なかった、カルマポリス・ドレスタニア・アンティノメル・リーフリィ・ライスランド・クレスダズラ連合軍が増援に来る』

 『増援が来るまでエアリスを押さえつけて欲しい』

 『無理を承知で頼んでいる。私が始めたのにもかかわらず、自分の尻拭いさえ出来ない。君の見込んだ通り、私はとんだ悪党のようだ。厄介ごとだけ押し付けて、自分は仮死状態ときているクズだ』

 『だがパラレルファクターの力だけは本物だ。主でないソラでは潜在能力を引き出すだけで精一杯だろうが、君は私たちの中で一番若く、可能性がある。自分を信じるんだ』

 『もうすぐ夜が開ける。君が勝つにしろ負けるにしろ、黎明の刻、決着がつく。世界を救え! ソラ!!』


 メスはソラの中に取り込まれるように消えていった。

 ソラは今まさにガトリングガンを放とうとしているエアリスと、仲間の間に立ち、ナイフを構えた!

 ソラは感情がなかった。正確に言えば押さえつけていた。過去に誘拐されたとき、恐怖や苦痛などの圧倒的な負の感情をから自分を守るため感情を、記憶を封印した。ソラが今までずっと敬語で話し、表情を変えずに感情をこめず話すのはこのためであった。
 しかし、解剖鬼のメスに触れることで神経を一時的に書き換え、ソラの記憶と心が甦った!



 ソラの心に鼓舞されるかのようにバトーが立ち上がった。

 「……救い出さなければならない人がいる。エスヒナと約束したんだ。絶対に……彼女を……セレアを助けると!」

 クライドもそれに続く。

 「俺たちには帰りを待ってくれる人がいる。こんなところで倒れたら、ラシェやラミリア達になんて言い訳すればいい! 俺を信じてくれる人がいるんだ。俺は絶対にあきらめない!」

 先生が再び闘志を燃やす!

 「私は絶対にお前に打ち勝ち、勝利の白米を、(あとお菓子も)子供たちと一緒に頬張るのだ! こんなところで立ち止まっている暇はない!」

 エアリスがドレスを翻しながらいい放つ。


 『何をどうしようが、この絶望的な戦力差は変わらぬ』
 『貴様らの冒険はここで終わりだ』

 『菓子にうつつを抜かした過去のお前ら自身を恨むがよい』

 ソラは嘲笑を響かせるエアリスを無視してクライドに話しかけた。

 「クライド、剣を借りるよ」

 「その様子……何か手があるんだな!」


 ソラは静かに頷くと、クライドから剣を受け取った。


 「解剖鬼さんから、とって置きのプレゼントを貰ったんだ。俺は……いや『僕は』……僕のままで戦う」

 「ソラ……その口調……」

 「……僕のこの口調、見せたことなかったね」

 ソラはエアリスに向き直ると剣とナイフを構えた。解剖鬼のメスによってソラの潜在能力が引き出されていく。
 それが頂点に達したとき、ソラは剣を振るった。

 剣は何もないはずの空間を切り裂き、穴を作り出した。その中にソラが入ると、エアリスのうち一機が真っ二つに引き裂かれ、その間からソラが飛び出した。
 さらにもう一機のエアリスの胴をぶったぎる。

 「入ると別の場所に瞬間移動する穴を作ったのか! なんという奥義! 奇跡でも起きたか!」

 先生が思わず叫んだ。

 3機中2機のエアリスが胴をぶったぎられ、攻撃を中断した。
 残る一機は掃射に成功したが、先生が刀を使い、何とか玉を弾いた。片腕ケガしているわりに全く剣の腕が落ちていない。

 「君に何が起きているのかはわからない。でも、何はともあれ……やってやれ! ソラ!」

 クライドに氷斬剣を新たに作り出し、渡したバトー。その声援にソラが答える。

 「うん! ただ、長くは持ちそうにないんだ。攻撃の度に力が抜けていくのを感じる。一人で戦うと多分、一瞬でいつもの状態に戻ると思う」

 ショコラが嬉々とした表情でフォローする。

 「私たちがサポートするので、出きるだけ長く持たせてください。皆で戦うんです!」

 ソラは光のともった目で声援に答えた。


 「貴方達の安全も考えないとね!」


 そう言うと目に止まらない速さでナイフで仲間の空間を切り裂き、万が一ガトリングガンが撃たれても関係ない方向へと繋がるワープホールを作り出した。

 「僕らは戦うんだ……仲間のために、皆のために!」

 ソラは剣には炎を、ナイフには冷気をまとわせた。この力によりエアリスの機能を停止させるようとする。

 エアリスの内二機は復元を終えるとマシンガンを乱射した。

 さらにもう一機は手を刃のついたドリルに変形させ突っ込んできた。

 「僕には効かない!」

 ソラは目の前の空間を切り裂きマシンガンの玉を防ぎつつ、ドリル持ちのエアリスの頭部を空間ごと切り裂き、異空間に消し飛ばした。

 「ソラ! ナイスだ! シャゥ!!!」

 頭部を破壊されたエアリスの体を、先生が一刀両断した。エアリスはたちまち気体と化し、蒸発する。

 「僕は戦うんだ! 逃げない! どんな逆境だろうと仲間と支えあって乗り越えてやる!」

 さらに、マシンガン持ちのうち一機に接近すると、炎の剣と冷気のナイフでエアリスを目に止まらぬ速さで一気に切りつけた。

 切りつけられたエアリスは再生不良に陥った。フラフラと地面に落下するエアリスをショコラがとらえた。

 「これで止めです!」

 ショコラの奇襲により二機目のエアリスは頭部を凍結され、胴体は蒸発した。

 残る一機のエアリスも両手を剣に変えてソラを強襲する!

 「効かないよ! 僕は今…全てを出し切る!」

 エアリスの剣を、胴体を、頭部を、熱気の剣と冷気のナイフで切り裂く!
 そして、墜落したエアリスにバトーとクライドが止めをさした。

 「矢面に立って、皆を助ける。困っている人がたとえこの地のはてにいようとも全力で助けにいく! そこに国も種族もない。それがアンティノメルの……ヒーローだッッッ!!!」

 オオオオ! というすごい早さでなにかが飛行する音が、破れた絵画の穴から聞こえてきた。

 ソラはその隙に、ナイフとメスを持ちかえ、先生の傷口から銃弾を摘出し、服を破り包帯の代わりにして治療する。
 さらにエアリスが開けた絵画の穴の中に入り、奥へと突き進んでいく。絵画の中は緩い傾斜になっており、幅十メートルはある巨大な通路となっていた。左右の壁に蛍光灯が埋め込まれており、無機質な光で部屋を照らしている。

 奥からジェット噴射の音と共に、もう一機のエアリスが出現した。


 『エアリス5 交戦する。貴様らはどうあがいても勝てん』

 「まさか、あやつは量産機か!」

 「でも、僕たちは既に君たちを停止させる術を持っているよ! さあ、止まれっ!」

 出てくれば出てくるほどソラの腕は上がっていく。ソラはクライドに炎を宿らせた剣を返すと、ナイフでエアリスの頭部を的確に凍らせた。

 クライドは残る魔力を全て使い、剣の炎を強めるとエアリスの頭部に突き刺す。さらにショコラが追撃をして、流れるようにエアリスを破壊した。

 ソラ、クライド、バトー、ショコラ、先生はさらに奥へと突き進んでいく。下り坂が終わると、通路の左右の壁がガラス張りになった。その中にはまるでファッション展のマネキンのように直立したまま動かないエアリスが並んでいる。

 「エアリスが同時に起動できるのは恐らく三機まで。でも、在庫は……相当な量がありそうだね」

 クライドが苦悶の声をあげると、ソラが言った。

 「でも、何機来ようが僕たちは負けない!」

 ソラはメスを手に持つと、空間を切り裂きワープホールを作った。数百メートル先に繋がっている時空の穴だ。
 ソラたちがワープホールを潜り抜けた先には、巨大な空間が広がっていた。薄暗い空間に黒いビルのような建物がいくつも立ち並んでおり、その窓一つ一つの内側に緑色の液が満たされており、異形の生物が浮いている。
 異世界にでも来たかのような錯覚に陥る空間を進んでいると、真横の建物の窓がいきなり割れて、中からエアリスが飛び出してきた。


 『エアリス6 交戦する。言っていられるのも今のうちだ』
 『エアリス7 交戦する。やがて、決して勝てないことに気づくだろう』


 ソラは解剖鬼のメスを大きく振りかぶると、新たに飛来した二機のエアリスに向かっていった。
 ナイフでエアリス6を凍らせ、頭部を解剖鬼のメスで突き刺す。アンダーグラウンドが発動し、脳神経を書き換え修復機能を無力化する。
 さらにソラのメスを避ける際に隙のできたエアリス7に、ショコラが剣を突き立て、クライドが熱し、バトーが止めを刺す。

 五人はさらに突き進んでいく。

 突然、クライドの黒髪が激しく揺れ、暴風が一行を襲った。カマイタチだ。
 ソラとその後ろにいた先生、なんとか耐えることができた。ショコラに至ってはあり得ない動きでカマイタチをかわした。しかし、バトーが風の刃に容赦なく切り裂かれた。吹き飛ばされて、建物の壁に激突する。


 「バトーさん!」


 ソラが近づこうとしたとき、


 「俺に……構うな! お前の成すべきことを成せぇ!」


 とすさまじい剣幕でバトーが叫んだ。


 「……でも……」

 「行けッ! ソラ!」


 迷うソラの手をクライドが引いた。クライドはバトーの意思を尊重したのだった。


 『エアリス8 交戦する。いい加減、諦めたらどうだ?』
 『エアリス9 交戦する。何機倒されようか蚊ほどにも
効かぬ。どこまで行こうと貴様らの望む場所にはたどり着けぬ』
 『エアリス10 交戦する。貴様らに与えられるのは絶望だけだ』



 「だったら早いところカルマポリスに行ったらどうなんだい? この奥にエアリス……いやクロノクリスにとって絶対に俺たちに渡すことのできない大切なものがあるんだよね? だから俺たちを野放しに出来ない。余裕ぶっていても内心は慌てているんだろう?」


 ソラはエアリス8に熱を帯びたナイフを突き刺し沸騰させ、ショコラに向かって投げた。ショコラが的確に頭部を凍らせ、クライドが胴体を切り裂き、先生が頭部を『白米断』して破壊する。

 さらに気合いをいれるとエアリス9に解剖鬼のメスとナイフで、すさまじい斬激を放ち、再生不能になるまでエアリスを切りつけた。

 だが、このときにソラの体に変化が訪れた。


 「ハァ……グッ……なんでしょう……急に力が……」


 急速に解剖鬼のメスの力が衰えてきたのだ。

 『エアリス11交戦する。パラレルファクターの力はそう容易く扱えるものではない』
 『エアリス12交戦する。時間切れだ。消えるがいい!』

 一瞬の隙をつき、クライドにエアリス10が接近した。クライドは燃ゆる炎の剣で切りつけようとするが……


 「こんなときに……クッ……まっ……魔力切れ……かよ」

 クライドの剣が弧を描きながら宙を舞った。

 脇腹を貫かれ、クライドはその場に膝をつき、ゆっくりと倒れる。クライドを中心に赤い円が広がっていく。
 真っ先にショコラがクライドに近づき、傷口を凍らせようとする。

 だが、二人のエアリスのガトリングガンによって阻まれてしまった。
 ソラはなんとか避けたものの、先生が被弾してしまった。


 「ぐふぅ……ちっ……おむすびさえあれば……」


 倒れていく先生を見ながらソラはショコラに叫んだ!


 「行ってください! この場は僕たちがしのぎます!」


 ナイフでショコラの横を切り裂いた。空間の裂け目が作られ、ショコラの体が勝手に引き寄せられる。


 「そんな、無茶苦茶ですよ! 今すぐやめて……」

 「ショコラさん、皆を……世界を頼みましたよ……俺は……もう……無理です」


 弱音を吐き出す。口調、声の抑揚、いつものソラへと戻った。消え去る直前にソラに解剖鬼のメスを託す。

 ショコラはワープホールによって、さらに数百メートル前方まで飛ばされた。
 残ったソラは無表情でエアリスと向き合っている。

 『ほう。ショコラ一人だけ先に行かせたか。まあ、よい。あやつにアレがどうこうできるはずがない』
 『我々は残ろう。エアリス12、ショコラを足止めしておけ』
 『エアリス12 了解した。抜かるなよ10、11』


 一機減ったとはいえ、まともに動けるのはソラだけだった。先生、クライド、バトーはもはやピクリとも動かず、耐え抜いたソラも、感情と潜在能力の解放の代償として全身の筋肉が痙攣していた。


 「でも、それでも俺は……」

 『そうか。ならば死ね』


13


 戦いの音を背後にクォルとエスヒナ・解剖鬼を乗せたイナゴ豚はショコラの後を追って行った。



 膨大な量の本がひしめき合う図書室に響く剣のぶつかり合う音、銃声。

 『どうした? 避けてみろ。ショコラ! 貴様は剣で我を刺さなければ能力が発動しない。地面に刺して地面そのものを凍らせ、その上に乗っている者を凍らせるということも出来るようだがこうして浮いている限りは届かない。詰みだよ、詰み。神の力の前には何者も無力なのだ』

 白いウェディングドレスに赤色の斑点が残る少女。しかし、その顔は少女に見会わぬ険しい表情だった。
 それに対して、ショコラは剣を構えていた。青い貴族服に身を包み、ずり落ちそうになる王冠と眼鏡を整えて、あどけない顔に余裕の笑みを浮かべる。

 過剰なステップの神業的足さばきでエアリスのガトリングガンを避ける。


 『貴様……? 何者だ? 我の知っているショコラは容赦なく敵に刃を振るうような者ではない。身を危険にさらし敵に情をかける愚か者。それが我の知っているショコラだ』

 「……僕は剣を重ねればわかります。あなたの中にセレアはいない。クロノクリスであったときのほんのわずかな感情も今では感じられない。あなたはただの量産機です。命も魂も感じられない、意志と力だけで動く人形です。そんな今のあなたに情などかける必要はない」

 『シックスセンス(第六感)か。だが、それだけでは貴様の能力は説明できん。剣から動作を読み取ろうとしても、考えを読めるのはぶつかり合うその瞬間だけだ。次の攻撃を予測できても、全ての攻撃をかわすなどということは出来ないはず。なぜだ……なぜかわせる?』

 エアリスは腕を槍に変形させ、ショコラを串刺しにしようとする。だが、無駄があり、最適化もされていないはずのショコラの動きを、なぜかとらえることが出来ない。
 
 剣、ナイフ、ガトリングガン、ミサイル、かまいたち……何をしようがショコラはバレリーナのような奇怪なステップで避けてしまう。

 『ちっ、あともう一機いれば何とかなったものを。かくなるうえ……』

 「俺様登場ぉぉぉぉぉおおお!!」

 突然の大声と共に、廊下の奥からイナゴ豚に乗った剣士が姿を現した!
 ショコラに気をとられていたエアリスは反応することが出来なかった。イナゴ豚から飛び降りたクォルがエアリスの胴体をぶったぎる。
 地面に落ちさえすればエアリスはショコラの射程内だ。ショコラが地面に剣を突き刺すと、剣から白い蛇が這い出るかのように地面が凍っていき、エアリスに触れた瞬間、彼女を凍結させた。
 
 「クォルさん、ありがとうございます!」

 「ショコラ、お前は俺様が乗ってきたイナゴ豚に乗って、エスヒナと解剖鬼と一緒に最深部を目指せ。俺様はここに残る」

 「危険すぎます! 相手はその道の達人三人でようやく渡り合える強さです」

 クォルは自分を親指で指すと、大声で笑った。

 「大丈夫だ。死なない程度に頑張るから。クライドちゃんやバトーちゃんの敵も打たなきゃいけないしな。……それに、ここで誰か囮にならなきゃ先進めないだろ」

 クォルはそういうとエアリスを剣で切り裂いた。

 「でも……」

 クォルはニヤリと顔を歪め、ショコラを睨んだ。決死の覚悟をみたショコラは折れるしかなかった。

 「わかりました。健闘を……祈ります」

 ショコラがイナゴ豚に乗るとエスヒナと、それにしがみついている解剖鬼を乗せたイナゴ豚が後ろからやって来た。

 「クォル! なんであんたも来ないの」

 「女の子にかっこいいところを見せるためだ! 行け!」

 ショコラはメスを解剖鬼に向かって投げた。メスは解剖鬼がキャッチするまでもなく、首もとに突き刺さると、そのままめり込んで行った。
 その瞬間、死んだように動かなかった解剖鬼が、生き返ったかのように声を発した。あのメスは解剖鬼のために、ソラのエネルギーをちゃっかり拝借していたらしい。随分と主人思いのPFのようだ。

 「行くぞ! ショコラ、エスヒナ」




 ショコラの剣の付け根に、ソラと一緒にエアリスと戦ったときに付着した、エアリスの一部を氷付けにしたままくっつけている。ショコラは剣と触れた者の思考を読み取ることができる。エアリスの体の一部と剣が常に接した状態を維持することで、ショコラはすべてのエアリスの思考を読み続け、攻撃をかわすことができたのだ。

 そんなことを知るよしもないショコラは、通路の最後の扉をあっさりとこじ開けた。

 「こっ……これは?!」

 ショコラは目を見張った。通路を抜けた先は黄昏時の草原だった。
 
 「この、地面の黒いのって何?」

 エスヒナが足元にある、半ば地面に埋まった黒い物体を指差した。私はペストマスクの位置を直すと、呟いた。

 「棺桶だ。等間隔に無数に配置されている」

 ショコラが顔をひきつらせていた。氷の刃を介して何が入っているのかわかってしまうのだ。

 しばらく広大な墓地を歩いていくと、目の前に銀色の液体で満たされた湖があった。そして、その対岸にノア輪廻世界創造教の教祖がいた。
 赤いローブに身を包み、この世が終わりそうな時でも平然としていそうな、冷徹過ぎる表情。紛れもなく、クロノクリスだ。

 クロノクリスが指をパチンと鳴らした。

 一呼吸置いた後に、湖の水面に美しい銀色の髪の毛が、愛らしい少女の顔が、麗しいウェディングドレスが、ちっちゃな可愛い足が、浮上する。

 さらに数千もの棺桶から一斉に黄金色の光が少女に向かって放たれた。

 空中を浮遊する少女はゆっくりと眼を開くと、貪欲に光を吸収し、その顔に似合わぬ邪悪な笑みを浮かべる。

 エアリスが誕生したのだ。

 「あんなに簡単に作れるものなのか!?」

 エスヒナが驚愕の声をあげた。

 「常温で気体である液体金属。それを幾千もの魂で物質状態を制御し、肉体とする。それがエアリスの正体だ。銀の湖を介して電話感覚で私はエアリスに指示を出せる。もっとも魂の量の関係から、同時に遠隔操作出来るのは、三機までが限界だ」

 「じゃあ、クォルが戦っている一機、サヴァ様たちの戦っている二機で打ち止めなんだ?」

 エスヒナがいぶかしげに尋ねる。それに対しクロノクリスは嘲笑を交えながら答えた。

 「だが、この空間内であれば直接操作できるのだ。つまり、ここなら操ろうと思えば十機でも二十機でも同時に操ることができる」

 「ばかな! そんなこと出来るはずかない!」

 私は思わず叫んだ。それが事実なら本当に勝ち目がなくなる!

 「我は神だッ!!」

 クロノクリスは近くにあった棺桶を踏みつけながら、演説を続けた。

 「しかも、我はこの棺の中の魂一つ一つと融合している。貴様が今の私を封印したところで、棺からもう一人の私が甦るだけだ。見ての通り魂のストックはいくらでもある。倒されるわけがない」

 教王は一息ついて、どす黒い笑みを浮かべる。

 「どこまでセレアを利用すれば気が済むんだ! 平和を望んでいるはずのセレアを戦争に利用し、ピンチになれば、自分の身代わりにして……あんたに……人の心はないのかッ!」

 エスヒナが瞳に涙を浮かべながら叫んだ。彼女は直接セレアの話を聞いているのだ。憤怒に身を包むのも無理はない。たが……

 「それがどうした! 我がこの世に君臨すれば、絶対神ノアの元、世界はひとつとなる。その頂点に我が立つ。我がこの世を理想郷に先導するのだ! その為なら、そこら辺に落ちているゴミにも劣るような下劣な魂を使い捨てるくらい、なんのためらいもない!」

 「この屑野郎!!」

 怒りが頂点に達したエスヒナを私が取り押さえた。今は怒りに身を任せて動くべきではない。だが、エスヒナの、クロノクリスを完膚なきまでに叩きのめしたいという気持ちも痛いほどよくわかる。だが、我慢だ。
 ショコラは平生を装っているが、手に持つ剣が震えている。

 「なんとでもいえ! 怒りに任せ殴りかかってこい! その瞳で私を射抜いてみろ! 肉体を持たずとも存在できる時点で、我の前にはどんな物理的な武器も、あらゆる兵器も無力だがな」

 クロノクリスは大きく手をひろげ、高笑いを響かせた。
 間を置かず、何機ものエアリスが次々と誕生していく。悪夢のような光景だった。

 「ハッハッハッハッハッハッ!! 見ろこの美しき光景を! 芸術品だよ彼女らは! 世界を支配する美しきお雛様だ。さぁ、始めよう、雛祭りを!!」

 暁に照らされて不敵な笑みを浮かべるウェディングドレスの少女。低コスト、低労力、ハイスペック、全てを兼ね備えた究極の量産兵器がそこにいた。恐るべき兵器が空を、地を、埋め尽くしていく。
 かっ、……勝てない。ここまで来ると仲間を何人つれてこようが無駄だ。ハサマ王か、プロレキスオルタでもつれてこない限り無理だ。全員にカマイタチを放たれて、三人分のひき肉と、二匹分の豚肉の完成だ。ずいぶんとグロテスクな三秒料理だッ! ライスランドの料理コンテストにでも出ていろ! クスがッ!

 完全に起動する前に何らかの対抗手段を用いなければ負ける!!

 「あわわわわ! どどどどうしましょう!?」

 ずれ落ちそうな王冠を押さえながらショコラが言った。
 
 「エスヒナ、そういえば何か持っていなかったか?」

 ようやく冷静さを取り戻したエスヒナは、陰りのある顔で首を横に動かした。

 「銀色の箱。中身は……『ガーナチャンプルー』なんだけど……」

 私は唖然とした。

 「は? ドレスタニア名物の? あのガーナチャンプルーか?」

 知り合いが好んで食べていた。一度食ったら忘れられないくらい苦い食べ物である。でも何でそんなものをセレアはエスヒナに渡した?

 「あ、それ、昨日セレアと一緒に食べました。彼女は美味しそうに並べていましたが……」

 見るからに嫌そうな顔だな……。まあ、苦手な奴に罪はない。癖が強すぎるだけだ。

 「……? 強い……苦み……セレアが知っている……」

 エスヒナが何かを察して私に聞いてきた。

 「何か思い付いたのか? もう、あんたしか頼れそうにない。あたしはあんたの指示に従うよ」

 苦み……たしかうるさいとも言っていた。彼女に痛覚はない。だが、視角・嗅覚・味覚・聴覚・触覚といった、生体の基本機能は備わっている。
 そうだ! それだ! これなら行けるかもしれない。

 「ショコラ、エスヒナ! 最後の作戦を言うぞ!」

 二人の顔がぱぁ! と明るくなった。

 たが、私の作戦を聞きくうちに驚きの表情に変わり、そして、どんどん萎えて来るのが伝わった。特にエスヒナ。

 「はぁ! そんなんでエアリスが倒せんの!? あいつ、世界有数の実力者を数人同時に相手にして、なお優位に戦いを進めるような奴でしょ! それがこんな……」

 ふざけているのか、と憤るエスヒナをショコラがまあまあ、と押さえた。

 「私は行けると思いますよ。少なくともセレアなら、引っ掛かってくれると思います」

 エスヒナはショコラの謎の自信に驚きつつ、仕方ないかといった、顔で渋々承諾した。

 「はぁ、ドレスタニアの王が言うんだったら仕方ないか。まあ、普通にやっても駄目なのは目に見えてるしね。単純明快だし。それに……確かにセレアなら引っ掛かる気がする」

 「二人とも協力に感謝する」

 勝負は一瞬だ。失敗したら負けだし、仮に作戦通りに行っても効かなかったら無意味だ。

 この一瞬に全てをかける!

 地上にいる数十機のエアリスが一斉にかまいたちの呪詛を放とうとする。さらに空中でカラスのように大量にはびこるエアリスが一斉にガトリンガンを向けてきた。

 「エスヒナ、今だ!」

 エスヒナは腹を膨らませて大きく息を吸うと、思いっきり、全身全霊をかけて叫んだ!

 「セレアァァァァーーーーーーーーーー!!!」

 アンダーグラウンドによって声帯に直接魔法薬を塗り、増幅させた魂の爆音である。

 ペストマスク越しでも聞こえるその声は、エアリスにも届いた。一瞬、あまりの音量に加え『セレア』と呼ばれたことによって、全機フリーズする。
 エスヒナという、心を許した人に名前を呼ばれたことで、眠っていた何百何千という魂が一斉に反応した。一度に膨大な量の感情がクロノクリスに流れ込んだことで、一時的にクロノクリスの人格が子供たちの感情に押し返されたのだった。

 「ばっばかな! セレアの人格は完全に封印したはずだ! なぜだ!」

 その隙に、ショコラがイナゴ豚をカタパルト変わりに、勢いよく射出! 手に持ったガーナチャンプルーの入った箱を思いっきりクロノクリスの口にぶちこんだ!

 「ムグゥゥゥ?!!」

 その瞬間だった。聴覚によって表面に浮上した子供たちの感情が、ガーナチャンプルーの味によりさらに後押しされた。まるでダムで無理矢理押さえていた水が決壊するかのように、激情がエアリスを飲み込む。

 突然、ショコラの隣にあった墓の蓋がはずれた。中からサターニアの少年が目覚めた。

 「お兄ちゃん、ぼくたちと遊んでくれた」

 次にエスヒナの回りにあった、棺桶から鬼の女の子が起き上がった。

 「おねぇちゃん、わたしたちの話し相手になってくれた」

 そして私の目の前の棺桶から、精霊の青年が目覚めた。

 「おばさんはオレたちのことを助けようとしてくれたな」

 「オッオバ……!? それ、言っちゃダメなやつだからな! みんなに秘密にしてるんだから! まったくこれだから子供は……」

 私が衝撃の告白を聞いたときにはすでにほとんどの棺桶から子供たちが目覚めていた。

 『助けてくれてありがとう』
 『遊んでくれてありがとう』
 『悩みを聞いてくれてありがとう』
 『おいしいものを食べさせてくれてありがとう』
 
 何千という子供たちからの感謝の言葉が夕日の草原に染み渡っていく。私は素直に感嘆した。これが本来のセレア、か。

 しばらくして、だんだんと、お礼のざわめきが小さくなっていく。

 完全に沈黙したとき、銀の湖から一人のエアリスが浮上した。ウェディングドレスではない、子供用の白のワンピースを身にまとった、かわいい女の子だった。私たちが見た中でももっとも若いエアリスだ。そんな彼女が子供っぽい笑みを浮かべ、私たちに語りかけてくる。

 「わらわたちはセレア。差別を受けてこの世に未練を残していった魂……」

 彼女の声に合わせて、棺桶から解放された子供たちが口を動かしていた。

 「よくぞ、わらわたちを再び目覚めさせてくれた。本当にありがとう。本当に、本当に、ありがとう……。そしてクロノクリス、お前はもう終わりじゃ」

 子供たちが一斉にクロノクリスを指差した。統率のとれすぎた動きに、一瞬恐怖を感じた。

 エアリス誕生の時にも見られた、黄金色の光がクロノクリスの体から解き放たれた。すると、まるで風船が萎むかのようにクロノクリス体がみるみるしぼんで痩せこけていく。

 「ぬぉぉぉあああ! 力が抜ける! 私が支配したはずの子供たちの魂が離れていく! 融合が……魂の繋がりが……リンクが……解ける!!」

 それを確認したショコラは、クロノクリスの頭部に氷の剣を突き立てた!

 「おのれぇぇ! ショォォォォォォコォォォォォォララァァァァ!!!」

 驚愕の表情のまま、彼のハゲ頭が、胴体が、手足が凍っていく。ついにクロノクリスは完全に凍りついてしまった。

 同時に、ドレスを着た量産型のエアリスが全てを蒸発して消え去った。

 甦る甦るとクロノクリスがほざいていたのは、子供たちの魂一つ一つと融合していることが前提だ。融合をとかれた今、クロノクリスはただの人も同然。一人の魂の力では液体金属を操ることすら出来ない。肉体が凍らされた今、クロノクリスは完全に動きを封じられたはず……


 ……だった。


 だが、それでもクロノクリスは消え去りはしなかった。

 クロノクリスの肉体からぼんやりとした光が抜け出ていく!

 「油断したな! 私は魂だけでも生き延びられる不死の存在。肉体を抜け出して誰かに憑依すれば……」

 霊体となったクロノクリスの高笑いが聞こえてくる。

 「不味いぞ! あれは礼拝堂でエアリスを乗っ取った時の!」

 「また、誰かが乗っ取られるんですか!」

 「しつこすぎる!」

 万事休すか。私の心がとうとう折れかかったときだった。

 魂だけと化したクロノクリスが……。

 「なっ、なんだ貴様ら! 離れろ! この糞餓鬼がぁぁぁ!」

 子供たちが許すはずがなかった。数百人の子供たちが殺到し、クロノクリスの魂をもみくちゃにする。

 「やめろ! 何をする気だ!」

 「子は親に似ると言うじゃろう? お主がやったことと同じじゃよ。呪術により、お主の魂を棺桶の中に封印する! 皮肉じゃな」

 「うわぁ! そんな! 暗い中でたった一人永遠の時を過ごせと言うのか! 止めろ! 頼む、止めてくれぇぇぇーーー!!!」



 ガゴンッ!




 ……それがクロノクリスの最後だった。




 「あたしら、やったんだよな? 作戦成功?」

 エスヒナが信じられない、といった顔で私を見つめる。
 実感のわかないまま、私とエスヒナは急いでショコラの元へ駆け寄った。
 そんな私たちをセレアは微笑ましく見守っていた。


14


 私たちは勝ったのだ。


『魂を操る力はわらわのものではない。クロノクリスのものじゃ』



○ドレスタニアより
・ショコラ
エリーゼ

・レウカド




『人工的に作られたPFも、クロノクリスの支配から解放され、消え去るであろう。もはや、エアリスの量産も不可能。この施設もあやつが死んだことで機能を停止した』




○アンティノメルより
・ソラ
・ルーカス
・シュン



『もっとも、あやつの死ぬ間際に支配した、この体だけは維持出来たがの』





○リーフリィより
・クライド
・クォル
・バトー



『だが、わらわは政治に干渉する気はない。無闇に力を振り回せば世界に破滅と混沌をもたらす、というのが今回のでわかったからのぉ』




○ライスランドより
・先生
・オムビス

『これからは、怨念や定めに縛られず自由にすごそうと思う……』




○グランピレパより
・グレム
・殺す助


『お主らのような誇り高き者たちと出会えて本当によかった。そなたらと出会ったことはわらわの生涯の宝じゃ』




○クレスダズラより
・スヴァ=ローグ



『ありがとう。わらわはそなたらに感謝しても感謝しきれぬ』



○キスビットより
エスヒナ



『また出会う機会があれば、今度は仲間であることを切に願う』





○チュリグ(外伝)より
・ハサマ王
『では、さらばじゃ』




○エルドラン(自国)より
・解剖鬼
・セレア
・クロノクリス



 視界がまだぼやけている。眼前に作業台があり、何者かが薬を煎じているところだった。彼の着る黒いコートが私に安らぎを与えてくれる。

 「起きたか。気分はどうだ?」
 「生き返るような気分だ。フッ……フッ……。アロマだけでもここまで効果があるとはな」

 視界がはっきりしてきた。作業台の綺麗な手見つつ、華奢な腕をたどっていくと、やがてドクターレウカドの得意気な顔が視界に入った。
 ここはドレスタニアの裏通りにあるカレイドスコープという医院。つまり、ドクターレウカドの診療所である。

 「……今思えば、全部夢のような気がする。ドクターレウカド、あれは全部夢だったのか? 各国を回り、仲間を募り、邪宗を打ち倒し、世界の平和を守った。まるでファンタジーか何かだ」

 「夢じゃ困る」

 ドクターレウカドは薄暗い部屋のすみに置かれた、華やかな雛壇を親指で差した。そこだけ空間が切り取られたかのように華やいでいる。
 私は照れ隠しにペストマスクを掻いた。黒い手袋とマスクが擦れて皮同士の擦れる音が響く。
 フゥ、と煙を吐き出すとドクターレウカドはニヤリと笑った。

 「あんたから貰った報酬は有効活用させてもらう」

 「え? 妹のレウトコリカに全部貢ぐって?」


 業務用のイスに座っているらしい、レウカドは一旦白い髪の毛をかきあげた。そして、顔をしかめて私のマスクの眼窩を覗く。メス顔に凛々しさが宿った。


 「どういう聞き間違えをしたらそうなるんだ!」

 「何も間違ったことは言ってないだろう?」


 私は全く臆せず穴だらけの防弾コートを整えながら答えた。
 ドクターレウカドはばつの悪い顔で舌打ちをした。さらに白く繊細な指で、煙菅を机の上にそっと置く。その丁寧な動作に少し見とれた。苛ついていても道具は大切に扱うようである。


 「昨晩といい、今日といいどれだけ俺に迷惑をかければ気が済むんだ……」

 「いいだろう? それ相応の対価は払っている。因みにその机の上の雛菓子もまともに買えば相当高価なものだぞ?」


 ドクターレウカドは作業台の上に手をつき、トントンと指で机を叩く。机に降り積もった灰が規則正しく宙に舞う。


 「このあと外せない予定があるんだ。早く帰ってくれ」

 「レウトコリカとのデート?」


 ドンッ! という音が治療室に響いた。慎ましく小さなイスに座っていた私は、転げ落ちそうになった。


 「あんたなぁ!」

 「キレた顔もかわいいぞ、ドクターレウカド。まずは手をおさめろ。そしてにこりと笑え」


 私が両手の手のひらをしたにして、待て待て、とドクターレウカドをなだめる。
 レウカドは手を引っ込めると、普段ではあり得ないくらい爽やかな笑顔を私に向けた。
 そして、ばっと顔を押さえて青ざめる。


 「お前……今何をした?」

 「『命令した』。それだけだ。もう一度命令する。『自然に笑え』」


 レウカドはしょうがない奴だな、と微笑を浮かべた。並のキャバ嬢を遥かに越える絶品の笑みである。


 「……ッ! なっなんだ! 命令に逆らえないッ!」

 「『雛祭り』の呪いだ。今日一日女の命令に男は逆らえん。艶かしい貴方の顔、しかと拝見させてもらったぞ! クッ……クッ……クッ」


 レウカドははっとした目で私を見た。


 「シュン……クォル……バトー……クライド……先生……グレム……ショコラ……まっ、まさか!」

 「そうだ! 全員男だ! もちろん全員に試したぞ? 皆の百点満点の表情をくれた。因みに特におすすめなのがバトーの女の子ポーズ!」


 ダン! と黒い物体を私はコートの中から出した。またしても机の上にわずかに降り積もった灰が、舞い上がった。

 「カルマポリス製呪詛エネルギー式インスタントカメラ改良型!」

 「世界を救うことを口実にして、あんたなぁ!」

 「貴方が最後なんだ。これで私の今回のコレクションが完成する。頼む。とりを飾ってくれ」

 つっかかるドクターレウカドに、私は獲物を狙う蛇のように滑らかな動作で前のめりになった。レウカドの吐息がペストマスクの先端に当たって、音が内部に反響する。はぁ、はぁ、という音が堪らんッ!

 「観念しろ! そして、愛想よく私に撮らせろ! ポーズも指定するからな! 逆らったらもっともぉっと酷いポーズをやらせてやる」

 「おかしいだろ!? 蜂の巣にされて何でそのカメラだけ無事なんだ!?」


 「セレアとグレムに修復改良して貰った!」

 「グレムはわかるがセレアって誰だ?」

 「種族差別によって無念の死をとげた子供たちの魂の集合体。レギオンとも言う」

 「なんでそんな奴にカメラの改良を頼んだんだ!」

 すんごく慌てるドクターレウカドもいい!!

 「金属に精通してたからな」

 レウカドは私からカメラを取り上げると地面に叩きつけた。しかし、液状となり飛び散った挙げ句、数秒後には元通り復元した。

 「嘘……だろ……」

 「いいじゃないか。因みにエリーゼさんに言ったら、現像した写真と引き替えに、女性陣の撮影に協力してくれた。ほら、スヴァ様のサービスカットとエスヒナの決めポーズ。エリーゼさん本人の写真もあるぞ!」

 レウカドは体を仰け反り、あからさまに拒否の姿勢を見せた。動揺のあまりドタドタと足音をたてて後ずさるも、メス顔でそれをやられると嗜虐心しか沸かない。

 「ひっ……! この変態カメラマンがッ!!」

 「さぁ、おとなしくしろぉ……」

 「くっ、意思とは無関係に体が……服従のポーズを……うわぁぁぁぁぁ!」


 「……」


 「……」


 「……?」


 両手を顔にかざしてどうにかカメラの魔の手から逃れようとするポーズのまま、ドクターレウカドは止まっていた。今に襲いかかるシャッター音に怯えつつも、いつまでたっても聞こえてこない音に違和感を感じたらしい。指と指の隙間から私をチラ見している。
 私はペストマスクの先端を撫でながらフゥゥとため息をついた。


 「……無理矢理とっても虚しいだけだ。旅を通して数々のドクターレウカドの姿を見てきて、今、悟った。私が見たいのは雛祭りの呪いで無理矢理ポーズを取らされているドクターレウカドではない。日常のちょっとした仕草に宿るあの蠱惑的な魅力こそが好きなのだ。たまに見せる男らしさがいいのだ。今のレウカド先生の姿は私の求めているものと違う」

 「すまん、写真を撮らないのは嬉しいがその言い分は退く」

 全身を使って嫌悪感を露にしたドクターレウカドに私はイタズラっぽい笑みを浮かべる。もっとも、レウカド先生からは見えていないだろうが。

 「大丈夫。雛祭りの魔力で全部わすれるだろう」

 「余計に質が悪い……本当にもう、さっさと帰ってくれ……昨日の今日でもう俺は疲れた。得たいの知れない薬で体だけはなぜか元気だがな」

 「フフッ……もう満足だ。今度またお世話になるぞ」

 「二度とくるな」

 「はいはい」



 私は意気揚々と店を後にした。カレイドスコープと書かれた看板と、そこに吊り下げられている美しいサンキャッチャーを見上げつつ右手に曲がる。暗がりの路地を歩いていき、ボウフラの湧いた噴水を左に……しばらく歩いたところで、倒れた。自身の体から生暖かい液体が流れ出ていくのを感じた。

 「無理……しすぎたか……」

 能力でだましだまし維持していた体の容態が一気に悪化したのだ。全身の弾痕から血液が吹き出て、チアノーゼを引き起こした。視界がグルグルと回転しているような錯覚に陥る。脳みそに血液が行き届いていないために、麻痺しているのである。

 「ちっ……まずい、このままだと出血性ショックが……」

 みるみるうちに視界が赤く染め上げられていく。
 体質が特殊なために、どうせ一般の医療機関に診てもらおうが処置はできない。唯一私の体を治療できる私の能力は、残念なことに呪詛切れで使えない。オーバーロードしても、肉体を治療するような能力ではないので意味がない。

 「まずい、思考が……」

 だんだん頭も回らなくなってきた。辛い。めまい、吐き気、あと……なんだ?自分の様態すらわからなくなってきた。なんだ、すごく瞼が重い……。

 あれ……暗い……朝……なのに。

 真っ暗……


━・━



 「痩せ我慢にもほどがあるぞ? 嘘つきやがって」

 意識を失った解剖鬼のとなりに人影が現れた。

 「……こんな所で死なれたら営業妨害だ。それに……あんたにはもっと貢いでもらわないとな」

 ゆっくりと解剖鬼のコートを、ベストを、上半身の下着を脱がせた。背骨の部分にある溝に手を突き刺し、両手で押し開くと扉が開くかのように肋骨と背骨が左右に動いた。肋骨のうちがわを黄色い脂肪と、青黒い血管、白い筋肉が埋め尽くしている。肋骨を避けたことで新たにからだの奥から現れた、白くて薄い胸膜らしきものを破る。その中に、子供の背中が見えた。

 「なんで、こんな奴がこいつの正体なんだろうな。……はぁ、お代は前払いしてるから今回はサービスだ。スーツも後で持ってくるから安心しろ」

 ドクターレウカドは不気味なペストマスクの怪人の体内から、年端もいかぬ少女を取り上げると、診療所に戻っていく。

 その背中を後押しするかのように、爽やかな風がドレスタニアの裏路地を吹き抜けていった。