フールのサブブログ

PFCS 用のサブブログです。黒髪ロング成分はあまり含まれておりません。

トラウマ少女と冴えない教師

 ザーッという雨音が部屋に響いている。窓はガタガタと震え、夕暮れ時だというのに外は真っ暗だ。ラジオの女性アナウンサーの声が大雨注意報を知らせていた。
 そんなときインターホンが鳴った。私はラジオの電源を切り、卓袱台に読みかけの本を置くと、扉に近づきそっと覗き穴から外の様子を伺う。その一秒後には扉を開き異様な雰囲気の客人を招き入れた。


 「休日のこんな時間にすまんな......タニカワ」

 「セレア! その格好はどうしたんだ。早く中に入りなさい。体を暖めないと」


 繊細な淡い空色の髪の毛は濡れて背中にへばりつき、白くきめ細かい肌にはまんべんなく水滴が浮かんでいた。白いワンピースが透けて、下着の輪郭が顕になっている。
 そして何より、いつもならひまわりのような笑顔を見せてくれる彼女の愛らしい顔が、今までにないほど暗く陰鬱な雰囲気を放っていた。ふっくらとしたほっぺ、小さな鼻と口。そのどれもが強張り、無表情と化している。
 私はセレアをリビングに案内する。その際に部屋のカーテンを閉めて回った。


 「とりあえず、服を一旦脱いでタオルで体を拭いて。それから服も絞ってからタオルで水分をとるんだ。ドライヤーもあるから乾かすのに使って!」


 私は雨の臭いを感じながら、テキパキとセレアに指示を出した。しかし、セレアは動こうとしない。大きな瞳はどこか虚ろで綺麗な桃色の唇は半開きのまま突っ立っている。ガタガタと震えて今にも倒れそうだった。


 「......そなたにやってほしいのじゃ、タニカワ」


 いつもの無邪気な声は鳴りを潜めていた。
 私は拒否の言葉を考えた。白髪混じりの教師が生徒に手を出すなど言語道断だからだ。しかし、教師としての本能が今のセレアが危ういことを知らせているのもまた事実だった。
 雨によって服が皮膚に張り付き、セレアのたおやかな肢体がはっきりと浮かび上がっている。
 子供でも大人でもない神聖さを感じさせる蠱惑的な肉体。踏み入れたら二度と戻れぬような危うさ。悪魔的魅力。絶望と羞恥と感傷による恐怖で語ることすらできぬもろもろの兆候。セレアから発せられるそれらは私の大脳の奥底を刺激し夢想させ、空想させ、妄想させ、そのあまりにも苛烈な欲望を実行させんと強烈に誘惑してくるのだ。
 最低な気分だ。


 「タニカワ......頼む......」


 私はできる限り真剣な表情を作ってタオルを手に取った。乾いたタオルがセレアの空色の髪の毛に触れる。一瞬彼女は体を強ばらせた。私は彼女の反応をあえて無視し、ドライヤーを駆使して髪の毛を乾かす。微かに震えているのを髪の毛を通して感じる。
 白い首筋をタオル越しに手で抱いた。セレアの顔が本の少し赤みがかってきたような気がする。その調子だと自分を鼓舞し、彼女の背中に回り込み、布を当てた。寒さに身震いしたのか、背中の違和感にビックリしたのかはわからないが、またしてもセレアは体を緊張させた。左手でドライヤーを当てつつ、背骨の芸術的な湾曲に沿ってタオルを上下させる。子猫を思わせる首もとへ動かしたとき、少しだけ指が背中に触れた。
 セレアの乱れた呼吸音が雨の音に混じり部屋に反響する。タオルが腰の下に達したとき、セレアの瞳に妙な光が見えた気がした。


 「タニカワ、服の中からも頼む。寒くて敵わん」


 私は嫌々セレアのワンピースの継ぎ目から手を入れた。奥に差し入れたとき、腕にセレアの背中が密着する。背骨や肋骨の起伏まではっきりと感じられる。腕が上下する度にピチャッという音が聴こえる。
 背後から女子生徒の体を触るという背徳的で異様な行為をやらされ、気分がドン底にまで沈んでいく。


 「んっ......前も頼むのじゃ。多少の無礼は許す。そのかわりできる限り丁寧にな」


 そう言う彼女の声が少し上ずっていた。吐息も熱い。いつのまにか内股になり、恍惚とした表情へと変わっていく。私は震える手を抑える。先程背中に触れたときの感触がまだ残っていた。柔らかく、滑らかで、いつまでも触れていたくなるようなセレアの皮膚。肉感。
 感じるのは恐怖。それと、いまだにそういった欲を捨てきれていない自分に対する憎しみにも似た腹立たしさ。生徒と向き合うためには邪念を振り払わなければならない。


 「まるで時価数千万の割れ物に触れるかのような気負いようじゃな。わらわを割っても罪にはならんぞ?」

 「私が君を割ってしまったら、職も、誇りも、信頼も、信念も、すべてを失ってしまう」

 「そんなにわらわに触れるのが嫌か」

 「そうは言ってない」

 「なら、やれ」


 滅多に見せないセレアの命令口調。こういうときのセレアは絶対に退かないことを私は知っている。
 私は勇気を奮い立たせ、セレアの背中から手を回した。胸の膨らみを避けてヘソの辺りを丹念に拭く。それでも、セレアの吐息は荒くなっていく。華奢な肉体が何かを求めるかのようにわずかにねじれる。時おり電流が走ったかのように震え、猫のような鳴き声が漏れた。
 セレアが私に寄りかかろうとしてきたとき、私は反射的にセレアから飛び退いた。


 「なぁ、そなたはわらわのことをどう思っているのじゃ?」

 「大切な生徒だ」


 振り向いたセレアの顔は今まで見せたことのないものだった。興奮していながらも全てを見通すかのような聡明な瞳を向けている。はだけた服を直そうともせず、私にひたり、ひたりと迫ってくる。私は不気味なものを感じて後ずさった。


 「それは、教師としてのお主の模範解答じゃろう? わらわが聞いているのは一個人としてのそなたの心中じゃ」


 「......私にもわからない。私は教師という色眼鏡でしか世の中を見ることができない」


 見たことのない表情だった。快感を謳歌しているようにも、悲痛で今にもつぶれてしまいそうにも見える。ここまで来てようやく私は理解した。
 あえて雨をかぶり、私の同情させ、庇護欲を刺激し、私が否応なしに彼女に触れなければならない状況を作ったのだ。セレアは私が極端に性的な要素を嫌うことを知っている。それでいてあえて嫌われるリスクを背負いながらも迫ったのだ。その目的は恐らく......私の冷静さを失わせ本心を引き出すため。
 誰の入れ知恵かは大体想像がついていた。いつも、私の論文を手伝ってくれる黒髪の学生だ。それ以外考えられない。彼女は一度、私に告白した。私はその時断ったのだが、その時のことをいまだに根に持っていることは感じていた。それがこんな形で実を結ぶとは......。
 私が追い詰められている。
 目の前にセレアは立っている。私の背後は壁。もう、逃げられない。


 「......わらわはな、お主のことしかもはや考えておらぬ。お主と少しでも一緒にいるためにこれまで努力してきたし、これからもそうするつもりじゃ。わらわがこの国を救うべく立ち上がったのはカルマポリスに居たかったからではない。お主と離れたくなかったからじゃ。お主はわらわが唯一安心できる居場所だからな」

 「そんな......私と一緒に過ごしたいがために、命を張ったというのか!?」

 「そうじゃ。友への恩だとか、同じ学校に通いたいだとか、行きたい場所があるだとか、それらは全て大義名分......お主を説得するためのオマケに過ぎなかったのじゃ。この国で唯一わらわの正体を知りながらも、人として接してくれたのがお主じゃ。真摯に寄り添い、わらわの悩みを聞いて、一緒に解決法を練ってくれたり、慰めてくれたり......お主を失う位なら、わらわは政府を相手取る覚悟すらある」


 セレアは哀しげに微笑んだ。その瞳に光は宿っていない。
 私はなにも言わなかった。いや、言えなかった。セレアの気持ちが重すぎて、何を言えばいいのかわからなくなってしまった。カルマポリスを相手取るとしたら、当然同盟国をも相手にすることになる。それをセレアが知らないはずがないのだ。
 私のために世界を相手に戦争を起こすと行ってのけたのだ。そして、セレアは私に隠し事をすることはあっても嘘はつかない。


 「人としての自我が強くなる度にそなたを求める心が強くなった。今の関係もとても幸せじゃが、残念ながらわらわは満足できぬ。もっとわらわの体を見てほしい。触れてほしい。抱き締めてほしい。愛でてほしい。そなたの体も臭いも気配も心も存在そのものも全部わらわのものにしたい。そしてわらわの全てをもって受け入れ、感じ続けたい。日に日に高ぶる感情にもはやわらわは耐えられなくなっていった」


 彼女の声に嗚咽が混じってきた。綺麗に拭いたはずの頬を、水滴が流れていく。雨水よりも純粋で美しく、綺麗な水滴が......。しかし、その愛らしい口から発せられるのは狂気の言葉だ。


 「わらわの正常な思考は失われていき、脳はバグとエラーで埋め尽くされていった。そしてつい先日、他の女子生徒をお主が褒めているのを見て、そやつを強く憎んでしまったのじゃ。一緒に勉強してなんの恨みもなく、タニカワとそこまで密着しているような仲ではないことはわかっておる......わかっておるにも関わらず、じゃ。感情はエスカレートしていき、やがて学校中のタニカワと関わった女子生徒を恨んだ。わらわが死ぬほど恋焦がれているのに、なぜあやつらの方がタニカワと話しているのか。褒められるのか。これまで感じたことのなかったドロドロとした感情がわらわを支配し蝕んでいった。そなたの目を奪う者はみんな敵にしか見えなくなった。わらわはこんなにも愛しているのになぜタニカワはわらわを見てくれない! 教職である以上仕方のないこととはわかっていても、心がそう叫ぶのじゃ! そなたをわらわだけのものにしたい。もう、限界なんじゃよ。四六時中こんな感情が渦巻いている。気が......狂いそうじゃ」


 セレアはそのまま座り込んでわんわんと泣きはじめた。どんなに絶望的な状況に立たされようとも、死の一歩手前になろうとも、決して涙を見せなかった彼女が涙している。私はただひたすら驚愕するしかない。


 「わらわよりも魅力的な生徒なぞいくらでもいる。そしてお主もまた魅力的。いつお主がなびくかわからん。想像するだけでも恐ろしい......怖い......わらわは、わらわはもう孤独になりたくない。わらわの理解者はお主だけなのじゃ。わらわにはお主しかおらんのじゃ......」


 セレアは私の足に抱きつき、私を見上げた。もはや、よだれも鼻水も涙も隠さない。獣のような泣き声を発しながら必死に私にすがる。


 「約束する。タニカワが生きている間、わらわは全力でお主を支える。いつしかお主が灰になろうと、わらわはお主を愛し続ける。何十年でも、なん百年でも、何千年でも! だから頼む!......わらわを......見捨てないで......」


 セレアは元々孤独な子供たちの魂が集まり意思を持ったものだ。だから、生まれついての甘えんぼで、わがままで、それでいてこの世への憎しみに満ちている。極めつけに兵器として産み出されたために、冷酷で非情で残虐なことも平気でできてしまう。
 もし私が選択を誤れば、セレアは抑圧されたものを世界へ向けてぶちまける可能性がある。そうなってしまったら最後、彼女の感情と記憶を消すしかない。彼女は全力で拒絶するだろう。押さえつけるために多くの血が流れるに違いない。そして何より、セレアの私への想いを小手先の手段で消し去ることはできない。


 「どうすれば......」


 いや、セレアがそんなことをするはずがない。彼女は命の大切さを学んでいる。人を殺そうとするはずがない。だとしたらあの言葉一つ一つが私を揺さぶるためのものなのか? それとも動揺して口走っただけなのか? わからない。
 私の頭の中で様々な考えが浮かんでは消える。何が正解で何が間違いなのか......。


 「今まではどうしていた......」


 告白を断った生徒の顔が脳裏に浮かんだ。セレアをよしとすれば、彼女に対する裏切りになる。
 セクハラを摘発した時のことも思い出した。あんな奴と同類にはなりたくない。
 生徒が教師と別れて自殺したという新聞の記事がフラッシュバックした。あの事件は教師に自制心があれば防げていた。あんな悲劇はごめんだ。


 「私は......」


 最後にとある小さな学校が思い浮かんだ。その学校にとある一人の男性教師がいた。彼は男子生徒から嫉妬されるほど女子生徒に人気な教師であったが、本人はそれに気づいていなかった。
 そしてとうとう、ある女子生徒に告白された。教師はその女子生徒を思いやり傷つけたくないと思うあまり、告白を受け入れてしまった。さらにそのあと、別の生徒からも泣きながら告白された。当時若かった教師はそちらにもいいえと言えなかった。教師は二人に黙ったまま二股を続けていった。バレないでくれと、叶いもしないことを願いながら。
 教師はダメだと思いつつも二人と密すぎる関係を築いていた。そしてある日、教師に嫉妬したとある生徒がそれに気づき、カセットテープに盗聴したのだ。さらにその生徒はテープを複製し全生徒に回した。教師が二股していて、その相手が生徒だったという事実が更なる信用の失墜に繋がった。
 終いには二股に気づいた一方の女子生徒がもう一方の生徒を刺し殺そうとする事件まで起きた。殺そうとした女子生徒は少年院に送られ、もう片方の生徒もその時のショックで引きこもりになった。
 事件を国にたいして揉み消した校長の対応の悪さもあり、生徒たちやその親たちは教師に失望し、転校していった。大規模な学校ならまだしも数十人しか生徒のいない学校でその事件は致命的すぎた。結局その学校は廃校となった。後に三人とも更生したものの、廃校となった学校は戻ってこなかった。
 それ以来、私は女子生徒に触れるのがトラウマになった。......盗聴された教師とは、私だったからだ。



 「うっ......うう......。わらわが......悪かった......自分のことだけを考えて......ヒック......そなたの心について何も知らず......知ろうとせず......心の傷をえぐって......ひどいことを......」


 セレアは私から離れ、顔に両手を当ててすすり泣いていた。パニックに陥り、考えていたことをすべて口に出してしまったらしかった。


 「今まで隠していて申し訳なかった。嫌な思い出だけど、話せて吹っ切れた。ありがとう、セレア。こんな話は君にしかできない」


 セレアは首を横に振る。彼女の顔が証明に照らされてキラキラと輝いた。湿り気を帯びている分、彼女はいつもよりも情緒的で美しかった。


 「タニカワ、正直に話してくれてこちらこそありがとう。もう充分じゃ......。お主の一番苦痛な思い出を話してくれた。そなたに心から信頼されている......それだけでわらわは幸せ者じゃ」


 セレアはゆっくりと服を整え、タオルを畳む。 私は呆然とリビングの壁際突っ立って、床を見つめることしかできなかった。その間一度も私と目を合わせなかった。気まずい時間が流れる。お互い一言も発せず、豪雨の音だけが部屋に反響していた。
 セレアが玄関のドアノブに手をかけたとき、ようやく私は動くことができた。衝動に身を任せて玄関へと駆ける。振り向くセレア。目を見開き、口をぽっかりとあけていた。そこに私は覆い被さる。抱き締めてから頭を何度も撫でる。何度も、何度も撫で続ける。


 「セレア、学校を卒業してからまたここに来なさい。その時は一人の人として君と向かい合うつもりだ」

 「ありがとう......ありがとうなのじゃ......」


 私の胸で泣きわめくセレアを、私はいつまでも抱き締めていた。