水の精霊長 ウォリス
水の精霊ウォリスがこの国の北、海岸沿いから迫っている。ウォリスの要求はワースシンボルの完全停止。だが、この要求を受け入れればカルマポリスのインフラがすべて止まることになる。要求に従うのは無理だった。
カルマポリス西の森林地帯では他国からの援軍が最低最悪最強の外道......クロノクリスと対峙している。さらに、東からも別の精霊長が侵攻しており、カルマポリス軍はそちらを押さえるので精一杯だ。
この窮地に戦闘を得意とするアンドロイドであるセレアが召集された。
ーー
セレアはカルマポリスの北の海岸線へと飛んだ。水平線の付近に、青空を引き裂くかのように黒い竜巻が渦巻いていた。恐ろしいことに遥か上空まで海水を巻き上げている。もし上陸したら......そう考えるだけで身震いした。このままでは後数十分でこちらに到達するだろう。なんとしても止めなければならない。セレアは最高速で竜巻の目の前に立ちふさがった。すると、竜巻は意思があるかのように進行をやめた。
竜巻の中から透き通るような女性の声が聞こえてくる。渦による轟音のなかでもはっきりとわかった。
「我が友、精霊長フロレ。彼はワースシンボルの材料となる『風のシンボル』をカルマポリス国に渡さなかったために故郷を侵略された。逃げ去った森で平穏に暮らそうとしたが、精霊差別と森林伐採、環境破壊によって滅茶苦茶にされた。それでも心優しい彼は堪え忍んでいた......」
セレアはため息をついてから言葉を付け足した。
「じゃが、その森林をカルマポリスはあろうことか開拓しようとした。フロレを受け入れてくれた原住民であるドラゴンたち追い出してまでな」
「そうよ。彼はカルマポリス国によって全てを奪われた。私が統べた国もあなたたちの祖先によって蹂躙された。父も母も子もすべてを失った。私はあなたたちを許さない! この水の精霊長ウォリスが仇をとる!」
セレアは首を横に振った。そして叫ぶ。
「先祖の恨みはわかる。カルマポリス民も国の過去を、その罪を自覚し償わなければならぬ。ドラゴンを追い出し、密漁し、森林を開拓しようとした。これもカルマポリスの恥ずべき罪。じゃが、それが人を殺す理由にはならん! 今を生きるカルマポリス民はそなたら精霊に悪意を抱いておらん。人々が生まれる頃には精霊差別も消えておった。国に罪はあろうが、民に罪はなかろう!」
水しぶきでセレアのワンピースがキラキラと輝く。幼さを残す顔には確固たる決意が見てとれる。
それに対して渦の中からヒステリックな声が響いた。
「だめなの。だめなのだめなのだめなの! シンボルは転生を管理していた......っていうことはワースシンボルも転生を制御する施設だったんでしょ? あなたたちは悪魔の一族の生まれかわりなのよ。輪廻の果てに葬り去らない限り何度でも沸くウジ虫! 触れるのも汚らわしい! それがあなたたちなの! その巣ごと水で洗い流してあげる!」
水流がまるで蛇のようにセレアを襲う。水の柱が無数に立ち上がり、セレアを海水に引きずり込まんと暴れまわる。その数、実に20以上。まるでオーケストラの指揮棒のように軽やかに動いてかわすセレア。だが水柱は恐ろしいことに、どんなに高く舞い上がろうと執念深くおってくる。
足に軽く水が付着した。途端、水に強い粘性と重量が出現。文字通りセレアの足を海へと引っ張る。飛行する際の左右のバランスが崩れ、機動力が落ちる。それでも飛行ユニットの出力を最大にして、なんとか水柱をいなしていく。
しかし、直撃していないのに全身がだんだんと重くなっていく。
「ほう、大気に含まれる微量の水分か」
このまま攻撃を避け続けても、水蒸気と水しぶきによっていつかは動きを封じられてしまう。セレアはなんとかこの状況を打開しようと頭をフル回転させる。
「私は誓った。誓ったのよ。死に行く仲間に、必ずこの敵は討つと! それが精霊長としてみんなを守れなかった、私にできる唯一の弔いなのだから! さあ、墜落するまであなたに残された時間はあと三分。避けられない恐怖に絶望なさい!」
このまま海に落ちれば、海水を粘液に変えられ動きを封じられる。そこへ必殺の一撃を当てられたら、いくら体が液体金属で出来ているといえど、耐えられる保証はない。
「だめ押しに見せてあげる。現れよ海竜リーヴィア!」
セレアの真下に魔方陣が展開。突如として藍色の海蛇が現れた。だが、大きさが尋常ではない。高層ビルに何重に絡み付いて、絞め壊しそうなほどの規模である。それがセレアを呑み込まんと迫ってくる。
なんとか海竜をかわすも、水の柱に絡めとられてしまった。水の圧倒的重量がセレアを海深く叩き落とす。
黒い竜巻が解け、その中央に海竜と同じく深海の色をした長髪を持つ少女が現れた。手にはトライデントが握られている。
「三叉に貫かれ絶命なさい!」
純白のローブをはためかせ海に沈んでいくセレアへ、ウォリスは一直線に向かっていく。対してセレアは魔法によって粘りけを得た水によって身動きがとれない。
水の精霊長が勝利を確信した瞬間、まばゆい光に目を瞑った。体に膨大な熱を感じ、正面に爆風を感じた。水の加護を受けているはずの皮膚が焼ける。
「残念じゃった。あのまま竜巻の中から慎重に攻撃していれば勝てたものを。勝負を焦ったな」
セレアの水素ミサイルによる自爆。自らの肉体を再生できるセレアならではの技だった。辛うじて庇った顔を除いて、皮膚のあちこちから血が滲み出ていた。致命傷ではないものの、誰がどう見ても戦闘続行は不可能だった。
「ぐっ......。復讐の刃を研ぎ続け600年! 出口の見えない洞窟を手で掘り進めるような、血の滲む努力! 私たち精霊長は努力した! 誰よりもっ! なのに、なぜ? 準備が出来たときにはもう、誰も生きていないって......いったいどういうことなの......。しかも精霊長に容易く勝てる兵器がこの世に存在するなんて......不条理、すぎでしょ」
海に散った液体金属が寄せ集まった。やがて液体から個体になり、ワンピースを着た人の形へと変化する。
「復讐する奴等が消えたなんて、私たちは認められなかった。積み上げた600年間が無駄になる。そんなの嫌だ。だから、この憎しみに意味を求めた。だめな女よね。そんなことしても、死んだ人や奪われたものは何一つかえってこないってわかってるのに......」
再生されたセレアの表情は勝者とは思えないほど暗く、重い。
「セレア、私を助けて。私を救って......救ってほしいの。この壊れた女をこの世から消し去って......」
セレアはウォリスに手刀を向けた。指と指の隙間が消え、手が鋭利な刃物となる。そして彼女は大きく振りかぶり......斬った。
「お主は風の精霊長と違ってまだ誰も葬っておらん。お前にカルマポリス民を殺すことが出来ぬようにわらわもお主を殺すことはできん。罪は、生きて償うのじゃ」
まっぷたつに割れたトライデントを見つめながら茫然自失とする水の精霊長ウォリス。
「ねぇ、セレア。復讐だけを目的に今まで生きてきたの。でも、それが亡くなった今、私はこれから何を目的に生きればいいの?」
「まぁ......芸でも極めたらどうじゃ? そなたの魔法なら人を魅了するくらい容易いじゃろう。少なくとも人殺しに使うよりはずっといい。それに......稽古に励むと心の痛みを誤魔化せるからな......」
そう言って、セレアは自らの体から金属のボールを作り出し、お手玉を始める。そのままウォリスに背を向ける。
予想外の言葉にウォリスは顔を赤らめて口をパクパクさせたあと、どうにか言葉を発した。
「......一応、礼は言っておくわ」
「ああ。お返しはそなたの水芸で頼むのじゃ」
セレアはそのまま青空に消えていった。