精霊ウォリスとカフェ
古風な店だった。木製のカウンター、アンティークな椅子。私は適当な席に腰かける。朝だということもあって、店内にはカウンターの端に腰かける壮年の男性以外いなかった。何やら芳ばしい酸味のある香りが充満している。
突然、メニュー表を目の前に差し出された。見上げると店主らしきオバサマがにこりと笑っていた。
どうしよう、メニューが全っ然わからない。
「エスプレッソをお願いします」
例のおじさんの声。店主と思われるオバサマはガラス水瓶? で水を沸かし始めた。なんなのだろう。
「私もそれで」
とりあえず、頼む。磨きあげられた靴、ピシッと決めているスーツ、大切に使い込まれている革製の鞄。そして何より人目見てわかる聡明な顔。彼の判断は信用に値する。と、長年生きた勘がそう告げていた。
おじさん......妖怪であれば年齢は50位? は店主と話始めた。店内の音楽の話に始まり、映画や読書に関して等、幅広い。異国から来た私は題名を羅列されてもさっぱりだったが。ただ、優しく包み込むような声は、聞いているだけでも心が落ち着く気がした。
「こちら、エスプレッソコーヒーになります。ご注文は以上ですね?」
「え......ええ」
カップに入った黒色の液体が出てきた。私は思わず舐めるようにその液面を見つめる。反射した自分の顔には困惑の表情が浮かび上がってる。うわ、何このブサイク。親譲りの藍色の髪の毛が泣いてるわ。
「もしかして、コーヒー頼むのはじめてですか?」
さすがね! でも、私は外見が20歳くらいに見えるだけ。外見がおじさんであるあなたよりもずっと人生経験積んでるし、色んなものを食べてきてる......まぁ間400年位は魔術の研究のために引きこもってたけど。それでもよ! それでもたかが50年位しか生きていないような奴に遅れをとるわけにはいかないの。プライドが許さないの!
「いや、いやいやいや! そんなことはない......ゲホッゲホッ! 何っ......これ。600年以上生きてきたけどこんな飲み物初めて......っていうかこれ飲み物!?」
「これは元々苦い飲み物なんですよ」
おじさんは、このコーヒーなる飲み物を説明し始めた。豆を煎じたり濾したりすることで精製されるらしい、このブラックな液体は酸味や苦味を楽しむための飲み物で、エスプレッソは本来お湯で薄める液体を希釈せずそのままカップに注いだもので、めっちゃ苦い。コーヒーを知る人でもあまり頼むものではないそうで。まぁ、なんかわけわからないけど奥が深そう。
「......ミルクとお砂糖の力ってすごいのね......。ありがとう、えっと......あなたお名前は?」
「タニカワ。貴女の名前は?」
「ウォリスよ。まあ、また機会があれば会いましょう」
そっけなく答えてこの日は私はカフェをあとにした。ウォリスの名前を名乗ったとき、一瞬彼の瞳孔が引き締まったわね。精霊だってことばれた? まあ、そんなこと気にするような人でもなさそうだし、まあいっか。
「あら、また会ったわね。えっと、タニカワさんでしたよね? 隣いい?」
「どうぞ」
「あなたのおすすめとかある?」
「ウォリスさんにはそうですね......ハルカナビスティーがおすすめです。フルーティーな味わいの紅茶で口当たりがいい」
例のおじさまはメニュー表を指差した。紅茶のメニューあったのねぇ。始めてきたとき気づいていたら......まぁ、このおじさま? と知り合えたことだし、よしとしましょう。
「あ、これ私好きかも~。甘味もきつくないしするする飲めちゃう。あなたは、エスプレッソなのね」
「ええ。これに砂糖を入れて飲むのが好きで。美味しいだけじゃなくてカフェインで目も覚めるんです」
「カフェ? 何?」
「カフェインというのはまあ、一種の目覚まし成分です」
「物知りなのね」
「ありがとうございます。これでも一応教授をやらせていただいてまして」
「ふーん。『先生』っていうと上から目線のイメージがあったけど、あなたはそうでもないのね」
突然カウンターの奥から「タニカワ先生が特別なだけよ」と店主の声が響いてきた。
「ありがとうございます」
「先生の中でも特別なのね、あなた。まあ、私の目から見ても相当人として出来上がってるようだし」
「ははは。いくらなんでも持ち上げすぎですよ。ではお先に」
軽く会釈してから、タニカワは勘定を済ませ店を出ていった。
妖怪にもいい人はいるものねぇ。
こうして数週間、朝カフェを訪れては数分間タニカワ教授と話す日々が続いた。そんなある日のことだった。
「あら、今日はタニカワ教授......はぁ!」
「お主タニカワ教授の知り合いぃぃのじゃぁぁ?!」
「あ......」
なになに!? なんなのなんなのいったいなんなの!? 空色の眼と長髪、あと左目の傷。彼女しかいない。大精霊である私をあっさりと鎮圧した......
「あなた! セレアじゃないの!? どうしてこんな所に」
「それはこっちの台詞じゃ! 改めてみるとかわいいのじゃな! お主! 戦ってる最中全く気づかなかったぞ!」
「これでも、これでもこれでも私! 長生きしすぎて内面腐ってるから外見だけでもきれいにしようと努力してるの。わかってくれてありがとう!」
「二人とも静かに!! あと、すいません。私とセレアとウォリスにいつものお願いします!」
タニカワ教授の声にビックリした。ああ、いつもこうやって問題児たちをまとめあげているのね。羨ましい。
とりあえずお互いに挨拶しあい、席についた。
「まさか、あなたがセレアの教師だったとはねぇ。立派な生徒をお持ちで。ええ、皮肉抜きに。私に一瞬で冷静さを取り戻してくれたのよ。そこのお嬢ちゃん」
「ええ。セレアは私の誇りです」
「でへへ......」
あ......。え~。うん。そぉ~、そういう関係なの。へぇ~。セレアちゃんねぇ。ふぅーん。かわいいところあるじゃない。
「わかりやすいのね。セレア」
「ひゃ!? なっなんのことじゃぁ!?」
私は出された紅茶を一気に飲み干すと席をたった。
「私はお邪魔ね。嫉妬されないうちに退散しようかしら」
「はっ......何を勝手なことを言っておる! 誤解じゃ誤解!」
店主がカウンターからにゅっと顔を出してきた。
「あんまりこの子をいじめないであげてね。セレアちゃん、ウブだから」
「店主さん、人のこと言えないですよ」
顔を真っ赤にしているセレアをなでなでしながら、タニカワ教授は店主に笑いかけた。
私は最後に口からびゅーっと水を吹き出した。ぎょっとする店主の横で水が蛇の形になり、空中を飛び回ったあと、窓から外へと消えた。
「のじゃ!? もう水芸を出来るようになったのじゃ!?」
「じゃあね。今回は私の完全勝利ってことで。......メンタル的な意味でね」
「くぅぅぅぅ! 次会うときは覚えているのじゃ。平和的にお主に敗北感を植え付けてやるのじゃ!」
タニカワ教授が優しく私に微笑みかけていた。面倒を見てくれてありがとう、とでも言いたげだった。礼を言うのはこちらのほうよ。
あなたがセレアを連れてきてくれたお陰で、余計な恋心を抱かずにすんだものね......。