キスビットに行く3ヶ月前
この街は妙だ。まず最初に昼とか夜とか関係なしに、緑色の怪しい霧が漂っている。しかも、都市全体をドームで覆うかのように。みんなはこの緑の霧がワースシンボルの加護だと言うけれど、私からしたら呪いか何かにしか見えない。実際に外から来た人もそういっていた。
私は高層ビルの窓から外の景色を拝んだ。太陽の下なのに、建物の輪郭が緑色に縁取りされている。窓から漏れる光も緑黄色に着色されていた。
この街は巨大な水晶、ワースシンボルから産み出されるエネルギーに依存している。例えるなら線を繋げなくてもいい電気。夢のようなエネルギーだ。普段は緑色の霧として目に見える。
ただ、このエネルギーは霧が行き届く狭い地域でしか効果を発揮できない。だからワースシンボルの働く敷地に出来る限り建物を作ろうとした結果、高層建築が立ち並ぶ無機質な街並みになった、と教授がいっていた。
私は窓を閉め、部屋に戻った。橙色の優しい照明にピンク色のベッドの上のぬいぐるみ達が照らされている。
「やっぱりみんなもカラフルなほうがいいよね」
私はふわふわのベッドに腰かけて、その中でもお気に入りの、お姫さま人形をなでなでする。ほらほら、かわいいかわいい。
「……あれ?やばっ、遅刻!」
私は慌てて靴を履くと、窓の縁を蹴って空へと飛び出した。そのまま夜の町をゆっくりと滑空して数分ほどで学校にたどり着いた。
ーー
10人くらいが一度に通っても大丈夫そうな広い廊下を私たちは歩いていた。一枚一枚が人の体ほどの大きさがある窓から、緑色の光が溢れている。
そんななか、私はいい感じに老けてきた教授と話をしていた。ほっそりとしているのに、大胸筋がしっかりとついているのが服の上からもわかる。
「君のペンを操る呪詛、本当に便利だな……」
「へっ?」
タニカワ教授は私の目の前に浮いているものを興味深いといった顔で見つめていた。
ボールペンがメモ帳の左右のページの端をペン先のクリップで挟んで留めてたまま浮遊している。そして、もう一本のボールペンがひとりでに今の会話の要約を超高速で書き留めていた。
これは呪詛と呼ばれる能力で私たち妖怪特有の技能だった。妖怪は一人につき一系統の呪詛を持ち、超能力まがいの力を発揮することができる。
「ああ、これですか。まあ、便利ですけど器用貧乏っていうか」
「今日も靴底にボールペンを仕込んで跳んできただろ。空を見上げたとき見えたぞ。校則違反だ」
困った子だ、という顔でタニカワ教授は私の頭を軽く撫でた。くすぐったい。
「さて、ここからは研究の話になるが」
「ええ」
「本来、カルマポリス出身の妖怪はワースシンボルの加護の下でしか呪詛を使えない。これはこの国特有の特性だ」
「カルマポリスの妖怪はワースシンボルの加護を受けないと呪詛の力を制御できず力を発揮できないんですよね」
他国の妖怪は体力の続く限り無制限に呪詛の力を発揮できる。が、カルマポリスの妖怪が他国で呪詛を発動するにはワースシンボルのエネルギーが必要。アトマイザー等の容器にワースシンボルのエネルギー入れて持ち運び呪詛を使うタイミングで体内に取り込む。
一息ついてタニカワ教授は言った。
「実はキスビット国にカルマポリス出身にも関わらず呪詛を使える妖怪がいた、という記録が見つかった。君にはその調査に行ってもらいたいんだ」
「えっ!? えええ!!」
「国からもそろそろ海外へルビネルを送って欲しいという要望も出ている。手配はしてあげるから行ってこないか?」
この国では近年、学生にホームステイや海外留学が推奨されている。
理由としては、この国が長年国交にて遅れをとっていた過去にある。国民である妖怪たちは日常的に呪詛に頼りきっている。そのため、呪詛の使えない海外には行きたがらないのだ。その問題を先伸ばしにした結果、鎖国に近い状態になってしまった。
その対策として、まずは国際社会で優位に動ける人材を少しでも増やしたい、という国の思惑があるのだ。そこで、国は補償金制度を作り、国際学生を推進した。この補償金制度を利用すれば、学費をほぼ免除できる。
私はこの制度を利用しているために、海外留学の申し出は断れない。
「わかりました。まあ、ドレスタニアやチュリグにも行ってますし大丈夫ですよ……ね?」
「ああ。君が行くことになっているのはキスビットの中でも差別意識が少なく落ち着いているタミューサ村。私も旅行で行ったことがあるし、ルビネルなら問題ないと思う」
電気とシンボルエネルギーにどっぷりと使った私が、電気も通っているかわからないような村に対応できるかいささか不安だった。でもタニカワ教授がついてきてくれるなら……。
「一人だけど頑張ってね。ルビネル」
その瞬間、私は凍りついた。