フールのサブブログ

PFCS 用のサブブログです。黒髪ロング成分はあまり含まれておりません。

答えのない問い

 とある深夜の病棟。その廊下の真ん中に空色の髪の少女型アンドロイド、セレアが立っていた。彼女の背後、廊下の突き当りには個室があり、同級生の女子、ヒガンが眠っている。

 ヒガンは以前から親族に『寝たきりになるくらいだったらポックリ死にたい』と話していた。そしてつい先日、交通事故で脳を打ち本当に寝たきりになってしまった。時折目を開き虚空に向かって唸るだけで、手も足も動かせないありさま。脳に酸素が長いこといきわたらなかったのが原因だったらしいかった。

 彼女の両親が依頼したのだろうか。自殺志願者を安楽死させることを使命としている解剖鬼の手紙が、彼女の寝台から発見された。手紙には安楽死予定日が書かれていた。

 そして、ヒガンの安楽死予定日である本日、セレアは解剖鬼の手から友達を守るため、病院に参上したのだった。

 個室の窓は全て塞いだ上、ドローンを飛ばし偵察させている。正面突破、つまりセレアをやり過ごすこと以外に、ヒガンの病室へたどり着く術はないはずだった。

 肉体が液体金属で構成されているセレアに、いかなる物理攻撃も効果はない。四肢を刃物に変形させる程度はお手の物で、さらに、飛行ユニット、ガトリング砲、ミサイルランチャーを搭載している。普通に考えれば解剖鬼に勝ち目はない、はずだった。

 突如、暗闇の中で何かが光り、破裂音がした。瞬時にレーダーによる索敵機能が麻痺する。

「不意打ち!?」

 まず足音が聞こえた。次に暗闇の中に、さらに濃い人型の闇が浮かび上がった。月光に照らされたペストマスクと黒のレザーコートのシルエットを見て、セレアは確信する。解剖鬼だ。以前出会った時とはまるで違い、この世のものとは思えぬ異様な気配を身にまとっている。たとえるなら死の気配としか形容しようのない、そんな気配だった。

 右手をガトリング砲に変形し構える。弾丸を射出しようとした瞬間、気づいてしまった。気絶したナースを人質に取っている!

「卑怯もの! 正々堂々と――」

「知らん言葉だ」

 乾いた銃声が言葉を遮った。続いてもう一回。

すぐに違和感に気づいた。動けない。両足が凍りついている。スペクター式冷凍銃だろうとセレアは推測した。左手を盾型に変形させて前へかざす。何とか追撃の凍結弾は防げたものの、左肘から先が動かなくなった。

凍らされてしまったら、それは当然液体ではない。液体金属としての特性は失われてしまう。

「ぐっ」

 その後、闇の中で何かが光り、飛来した。それが解剖用メスと気づいた時には、足が砕け、折れていた。立っていることができず、床に倒れた。それでも前を向いて、目の前の化け物をにらむ。

 どこまでも暗くよどんだ声が、ペストマスクの内から響いた。

「閉所かつ攻撃したら民間人の巻き添えを避けられぬ環境に加え、通信によるバックアップも封じた。その上で足を失った今、お前に勝ち目はない」

「勝ち目があるかないかを決めるのはお主ではない。わらわじゃ!」

右腕を動かそうとした瞬間、一瞬の冷たさを最後に感覚がなくなった。四肢を凍結され、身動きが取れない。

「やっ……やらせぬぞ! わらわの大切な友達を、ヒガンちゃんを、殺されてたまるか! まだ、ヒガンちゃんは呼吸をしている。生きようとする意志があるのじゃ!」

「それはお前たちのエゴだ。脳の大半が死に絶え、動けず、物言えず、ただ苦痛や空腹に唸るだけの状態で生き続けることを、本人が望んでいると思うか? 呼吸しているからと言って、生を望んでいるなどと、本気でのたまうつもりか、セレア。お前をはじめ家族や親族、友達や親友の都合で、本人の意思も考えず、自分勝手に延命するのが正義であると、本気で思っているのか?」

 こちらの気勢を削ぐ相手の策略とわかっていても、なお言葉が胸に突き刺さる。反論が思い浮かばない。その上、動くのはもはや頭と口だけだった。

 それでもセレアはあきらめない。友達が目の前で死ぬのを黙ってみているわけにはいかない。セレアは必死に学校の授業の内容を思い出し、何とか言葉を紡いだ。

「待ってくれ! まだもしかしたら――」

「死んだ脳に効く新薬が開発されるかも、など馬鹿げた話を振るつもりか?」

「うっ……」

「そんな物質が発見されていたらマスコミがとっくの昔にはやし立てているだろう。まぁ、明日その革新的な物質とやらが発見されたとしても、新薬が認可されるには最低でも九年かかる。人体実験扱いで犯罪になるのを覚悟で試験中の薬品を使う手もある。もっとも、そんなものはこの世のどこにも存在しないが」

 解剖鬼は歩みを止めない。一定の歩調でゆっくりと、しかし確実にヒガンの病室へ近づいている。心がざわつき、気が気でない。思考は空転を繰り返す。

「ええい、とまれ、とまれ、とまるのじゃ!」

 もう一刻の猶予もない。セレアは目の前を通り過ぎようとする解剖鬼へ、自分の考えをそのまま口にした。

「わらわや、ほかのみんなは、ヒガンちゃんが生きているという事実だけで希望を持てている。あやつにどれだけの人が救われているのか、そなたにはわからんのか? 何もできずともヒガンちゃんには生きる意味も価値があるのじゃ!」

 セレアの決死の言葉。

「本来、原初のバクテリアに産まれた理由がないように、人に生きる価値などない。命に意味や価値を付与するのは人であり社会だ。お前が言う生きる価値、即ち他者貢献とは社会が決めたまやかしに過ぎない。社会の意向によって命の扱いを決めるなど間違っている。命の使い道は持ち主である本人が選ぶべきだ」

 口調は静かだったが、その言葉からは確固たる信念が感じられた。解剖鬼は何を言っても歩みを止めないことを悟り、泣きそうになる。

「待ってくれ! じゃが、あやつは……あやつはわらわを機械扱いせず一緒に遊んでくれた。宿題も手伝ってくれたし、修学旅行の部屋も一緒だった。まだ、そのお礼すら言えていない。だから!!」

「人は人と関わる中でしか生きられぬ以上、愛別離苦は避けられん。満足するような死に別れなど、あるはずがなかろう」

 解剖鬼のブーツがセレアの頭を跨ぎ、背後へ消える。

「なんで、なんで、努力家でみんなから慕われていたのにヒガンちゃんがこんな目に……。こんなの不公平じゃ……」

「人生とは不条理なもの。努力しない人間は決して報われないが、努力したからと言って必ず報われるわけでもない。これが現実であり、人生というものだ。だからこそ、生きることは苦痛であり、死こそが安らぎなのだ。事実を受け入れろ、セレア。それが無理なら患者として私の元へ来るといい。いつでも歓迎しよう」

 今のセレアには背後から聞こえる死の足音を聞くことしかできない。歯を食いしばり、必死に何かを吐き出そうとするが、出るのは嗚咽と涙だけだった。

 

 --

 

 電気の光で目がくらんだ。見慣れない天井が見える。周囲を見回すと、簡素な小灯台とキャスターが付いたテーブルが目についた。四方をカーテンで囲まれており、それ以上のことはわからない。

「病室……? いや、保健室か?」

 つぶやいた瞬間、カーテンがバッと開かれた。頭上から見慣れた少女が覗き込んできた。

「セレアちゃん、起きたの! よかった!」

「ヒガンちゃん? わらわは一体……」

「体育の授業中、熱暴走……じゃなかった、熱中症で倒れたの覚えてない?」

「覚えとらんのぉ。まあ何がともあれお主が無事でよかった」

 ヒガンが不思議そうな表情をする。

「なんでセレアちゃんが私の心配をするの? 顔色もまだ青白いし、もう少し休んだほうがよさそうね! じゃ、タニカワ教授呼びに行ってくるから!」

 手を振って彼女を見送りながらセレアは思う。もし、わらわがこのまま目覚めなかったら、タニカワ教授やヒガンはどうしたのだろうか。解剖鬼のように安楽死を強行するのか、それとも自分が選択したように延命し続けるのだろうか。

「いったい何が正解なんじゃろうか」

 セレアの問いは、部屋の中で空虚に響き、消え去った。