フールのサブブログ

PFCS 用のサブブログです。黒髪ロング成分はあまり含まれておりません。

トラウマ少女と冴えない教師

 ザーッという雨音が部屋に響いている。窓はガタガタと震え、夕暮れ時だというのに外は真っ暗だ。ラジオの女性アナウンサーの声が大雨注意報を知らせていた。
 そんなときインターホンが鳴った。私はラジオの電源を切り、卓袱台に読みかけの本を置くと、扉に近づきそっと覗き穴から外の様子を伺う。その一秒後には扉を開き異様な雰囲気の客人を招き入れた。


 「休日のこんな時間にすまんな......タニカワ」

 「セレア! その格好はどうしたんだ。早く中に入りなさい。体を暖めないと」


 繊細な淡い空色の髪の毛は濡れて背中にへばりつき、白くきめ細かい肌にはまんべんなく水滴が浮かんでいた。白いワンピースが透けて、下着の輪郭が顕になっている。
 そして何より、いつもならひまわりのような笑顔を見せてくれる彼女の愛らしい顔が、今までにないほど暗く陰鬱な雰囲気を放っていた。ふっくらとしたほっぺ、小さな鼻と口。そのどれもが強張り、無表情と化している。
 私はセレアをリビングに案内する。その際に部屋のカーテンを閉めて回った。


 「とりあえず、服を一旦脱いでタオルで体を拭いて。それから服も絞ってからタオルで水分をとるんだ。ドライヤーもあるから乾かすのに使って!」


 私は雨の臭いを感じながら、テキパキとセレアに指示を出した。しかし、セレアは動こうとしない。大きな瞳はどこか虚ろで綺麗な桃色の唇は半開きのまま突っ立っている。ガタガタと震えて今にも倒れそうだった。


 「......そなたにやってほしいのじゃ、タニカワ」


 いつもの無邪気な声は鳴りを潜めていた。
 私は拒否の言葉を考えた。白髪混じりの教師が生徒に手を出すなど言語道断だからだ。しかし、教師としての本能が今のセレアが危ういことを知らせているのもまた事実だった。
 雨によって服が皮膚に張り付き、セレアのたおやかな肢体がはっきりと浮かび上がっている。
 子供でも大人でもない神聖さを感じさせる蠱惑的な肉体。踏み入れたら二度と戻れぬような危うさ。悪魔的魅力。絶望と羞恥と感傷による恐怖で語ることすらできぬもろもろの兆候。セレアから発せられるそれらは私の大脳の奥底を刺激し夢想させ、空想させ、妄想させ、そのあまりにも苛烈な欲望を実行させんと強烈に誘惑してくるのだ。
 最低な気分だ。


 「タニカワ......頼む......」


 私はできる限り真剣な表情を作ってタオルを手に取った。乾いたタオルがセレアの空色の髪の毛に触れる。一瞬彼女は体を強ばらせた。私は彼女の反応をあえて無視し、ドライヤーを駆使して髪の毛を乾かす。微かに震えているのを髪の毛を通して感じる。
 白い首筋をタオル越しに手で抱いた。セレアの顔が本の少し赤みがかってきたような気がする。その調子だと自分を鼓舞し、彼女の背中に回り込み、布を当てた。寒さに身震いしたのか、背中の違和感にビックリしたのかはわからないが、またしてもセレアは体を緊張させた。左手でドライヤーを当てつつ、背骨の芸術的な湾曲に沿ってタオルを上下させる。子猫を思わせる首もとへ動かしたとき、少しだけ指が背中に触れた。
 セレアの乱れた呼吸音が雨の音に混じり部屋に反響する。タオルが腰の下に達したとき、セレアの瞳に妙な光が見えた気がした。


 「タニカワ、服の中からも頼む。寒くて敵わん」


 私は嫌々セレアのワンピースの継ぎ目から手を入れた。奥に差し入れたとき、腕にセレアの背中が密着する。背骨や肋骨の起伏まではっきりと感じられる。腕が上下する度にピチャッという音が聴こえる。
 背後から女子生徒の体を触るという背徳的で異様な行為をやらされ、気分がドン底にまで沈んでいく。


 「んっ......前も頼むのじゃ。多少の無礼は許す。そのかわりできる限り丁寧にな」


 そう言う彼女の声が少し上ずっていた。吐息も熱い。いつのまにか内股になり、恍惚とした表情へと変わっていく。私は震える手を抑える。先程背中に触れたときの感触がまだ残っていた。柔らかく、滑らかで、いつまでも触れていたくなるようなセレアの皮膚。肉感。
 感じるのは恐怖。それと、いまだにそういった欲を捨てきれていない自分に対する憎しみにも似た腹立たしさ。生徒と向き合うためには邪念を振り払わなければならない。


 「まるで時価数千万の割れ物に触れるかのような気負いようじゃな。わらわを割っても罪にはならんぞ?」

 「私が君を割ってしまったら、職も、誇りも、信頼も、信念も、すべてを失ってしまう」

 「そんなにわらわに触れるのが嫌か」

 「そうは言ってない」

 「なら、やれ」


 滅多に見せないセレアの命令口調。こういうときのセレアは絶対に退かないことを私は知っている。
 私は勇気を奮い立たせ、セレアの背中から手を回した。胸の膨らみを避けてヘソの辺りを丹念に拭く。それでも、セレアの吐息は荒くなっていく。華奢な肉体が何かを求めるかのようにわずかにねじれる。時おり電流が走ったかのように震え、猫のような鳴き声が漏れた。
 セレアが私に寄りかかろうとしてきたとき、私は反射的にセレアから飛び退いた。


 「なぁ、そなたはわらわのことをどう思っているのじゃ?」

 「大切な生徒だ」


 振り向いたセレアの顔は今まで見せたことのないものだった。興奮していながらも全てを見通すかのような聡明な瞳を向けている。はだけた服を直そうともせず、私にひたり、ひたりと迫ってくる。私は不気味なものを感じて後ずさった。


 「それは、教師としてのお主の模範解答じゃろう? わらわが聞いているのは一個人としてのそなたの心中じゃ」


 「......私にもわからない。私は教師という色眼鏡でしか世の中を見ることができない」


 見たことのない表情だった。快感を謳歌しているようにも、悲痛で今にもつぶれてしまいそうにも見える。ここまで来てようやく私は理解した。
 あえて雨をかぶり、私の同情させ、庇護欲を刺激し、私が否応なしに彼女に触れなければならない状況を作ったのだ。セレアは私が極端に性的な要素を嫌うことを知っている。それでいてあえて嫌われるリスクを背負いながらも迫ったのだ。その目的は恐らく......私の冷静さを失わせ本心を引き出すため。
 誰の入れ知恵かは大体想像がついていた。いつも、私の論文を手伝ってくれる黒髪の学生だ。それ以外考えられない。彼女は一度、私に告白した。私はその時断ったのだが、その時のことをいまだに根に持っていることは感じていた。それがこんな形で実を結ぶとは......。
 私が追い詰められている。
 目の前にセレアは立っている。私の背後は壁。もう、逃げられない。


 「......わらわはな、お主のことしかもはや考えておらぬ。お主と少しでも一緒にいるためにこれまで努力してきたし、これからもそうするつもりじゃ。わらわがこの国を救うべく立ち上がったのはカルマポリスに居たかったからではない。お主と離れたくなかったからじゃ。お主はわらわが唯一安心できる居場所だからな」

 「そんな......私と一緒に過ごしたいがために、命を張ったというのか!?」

 「そうじゃ。友への恩だとか、同じ学校に通いたいだとか、行きたい場所があるだとか、それらは全て大義名分......お主を説得するためのオマケに過ぎなかったのじゃ。この国で唯一わらわの正体を知りながらも、人として接してくれたのがお主じゃ。真摯に寄り添い、わらわの悩みを聞いて、一緒に解決法を練ってくれたり、慰めてくれたり......お主を失う位なら、わらわは政府を相手取る覚悟すらある」


 セレアは哀しげに微笑んだ。その瞳に光は宿っていない。
 私はなにも言わなかった。いや、言えなかった。セレアの気持ちが重すぎて、何を言えばいいのかわからなくなってしまった。カルマポリスを相手取るとしたら、当然同盟国をも相手にすることになる。それをセレアが知らないはずがないのだ。
 私のために世界を相手に戦争を起こすと行ってのけたのだ。そして、セレアは私に隠し事をすることはあっても嘘はつかない。


 「人としての自我が強くなる度にそなたを求める心が強くなった。今の関係もとても幸せじゃが、残念ながらわらわは満足できぬ。もっとわらわの体を見てほしい。触れてほしい。抱き締めてほしい。愛でてほしい。そなたの体も臭いも気配も心も存在そのものも全部わらわのものにしたい。そしてわらわの全てをもって受け入れ、感じ続けたい。日に日に高ぶる感情にもはやわらわは耐えられなくなっていった」


 彼女の声に嗚咽が混じってきた。綺麗に拭いたはずの頬を、水滴が流れていく。雨水よりも純粋で美しく、綺麗な水滴が......。しかし、その愛らしい口から発せられるのは狂気の言葉だ。


 「わらわの正常な思考は失われていき、脳はバグとエラーで埋め尽くされていった。そしてつい先日、他の女子生徒をお主が褒めているのを見て、そやつを強く憎んでしまったのじゃ。一緒に勉強してなんの恨みもなく、タニカワとそこまで密着しているような仲ではないことはわかっておる......わかっておるにも関わらず、じゃ。感情はエスカレートしていき、やがて学校中のタニカワと関わった女子生徒を恨んだ。わらわが死ぬほど恋焦がれているのに、なぜあやつらの方がタニカワと話しているのか。褒められるのか。これまで感じたことのなかったドロドロとした感情がわらわを支配し蝕んでいった。そなたの目を奪う者はみんな敵にしか見えなくなった。わらわはこんなにも愛しているのになぜタニカワはわらわを見てくれない! 教職である以上仕方のないこととはわかっていても、心がそう叫ぶのじゃ! そなたをわらわだけのものにしたい。もう、限界なんじゃよ。四六時中こんな感情が渦巻いている。気が......狂いそうじゃ」


 セレアはそのまま座り込んでわんわんと泣きはじめた。どんなに絶望的な状況に立たされようとも、死の一歩手前になろうとも、決して涙を見せなかった彼女が涙している。私はただひたすら驚愕するしかない。


 「わらわよりも魅力的な生徒なぞいくらでもいる。そしてお主もまた魅力的。いつお主がなびくかわからん。想像するだけでも恐ろしい......怖い......わらわは、わらわはもう孤独になりたくない。わらわの理解者はお主だけなのじゃ。わらわにはお主しかおらんのじゃ......」


 セレアは私の足に抱きつき、私を見上げた。もはや、よだれも鼻水も涙も隠さない。獣のような泣き声を発しながら必死に私にすがる。


 「約束する。タニカワが生きている間、わらわは全力でお主を支える。いつしかお主が灰になろうと、わらわはお主を愛し続ける。何十年でも、なん百年でも、何千年でも! だから頼む!......わらわを......見捨てないで......」


 セレアは元々孤独な子供たちの魂が集まり意思を持ったものだ。だから、生まれついての甘えんぼで、わがままで、それでいてこの世への憎しみに満ちている。極めつけに兵器として産み出されたために、冷酷で非情で残虐なことも平気でできてしまう。
 もし私が選択を誤れば、セレアは抑圧されたものを世界へ向けてぶちまける可能性がある。そうなってしまったら最後、彼女の感情と記憶を消すしかない。彼女は全力で拒絶するだろう。押さえつけるために多くの血が流れるに違いない。そして何より、セレアの私への想いを小手先の手段で消し去ることはできない。


 「どうすれば......」


 いや、セレアがそんなことをするはずがない。彼女は命の大切さを学んでいる。人を殺そうとするはずがない。だとしたらあの言葉一つ一つが私を揺さぶるためのものなのか? それとも動揺して口走っただけなのか? わからない。
 私の頭の中で様々な考えが浮かんでは消える。何が正解で何が間違いなのか......。


 「今まではどうしていた......」


 告白を断った生徒の顔が脳裏に浮かんだ。セレアをよしとすれば、彼女に対する裏切りになる。
 セクハラを摘発した時のことも思い出した。あんな奴と同類にはなりたくない。
 生徒が教師と別れて自殺したという新聞の記事がフラッシュバックした。あの事件は教師に自制心があれば防げていた。あんな悲劇はごめんだ。


 「私は......」


 最後にとある小さな学校が思い浮かんだ。その学校にとある一人の男性教師がいた。彼は男子生徒から嫉妬されるほど女子生徒に人気な教師であったが、本人はそれに気づいていなかった。
 そしてとうとう、ある女子生徒に告白された。教師はその女子生徒を思いやり傷つけたくないと思うあまり、告白を受け入れてしまった。さらにそのあと、別の生徒からも泣きながら告白された。当時若かった教師はそちらにもいいえと言えなかった。教師は二人に黙ったまま二股を続けていった。バレないでくれと、叶いもしないことを願いながら。
 教師はダメだと思いつつも二人と密すぎる関係を築いていた。そしてある日、教師に嫉妬したとある生徒がそれに気づき、カセットテープに盗聴したのだ。さらにその生徒はテープを複製し全生徒に回した。教師が二股していて、その相手が生徒だったという事実が更なる信用の失墜に繋がった。
 終いには二股に気づいた一方の女子生徒がもう一方の生徒を刺し殺そうとする事件まで起きた。殺そうとした女子生徒は少年院に送られ、もう片方の生徒もその時のショックで引きこもりになった。
 事件を国にたいして揉み消した校長の対応の悪さもあり、生徒たちやその親たちは教師に失望し、転校していった。大規模な学校ならまだしも数十人しか生徒のいない学校でその事件は致命的すぎた。結局その学校は廃校となった。後に三人とも更生したものの、廃校となった学校は戻ってこなかった。
 それ以来、私は女子生徒に触れるのがトラウマになった。......盗聴された教師とは、私だったからだ。



 「うっ......うう......。わらわが......悪かった......自分のことだけを考えて......ヒック......そなたの心について何も知らず......知ろうとせず......心の傷をえぐって......ひどいことを......」


 セレアは私から離れ、顔に両手を当ててすすり泣いていた。パニックに陥り、考えていたことをすべて口に出してしまったらしかった。


 「今まで隠していて申し訳なかった。嫌な思い出だけど、話せて吹っ切れた。ありがとう、セレア。こんな話は君にしかできない」


 セレアは首を横に振る。彼女の顔が証明に照らされてキラキラと輝いた。湿り気を帯びている分、彼女はいつもよりも情緒的で美しかった。


 「タニカワ、正直に話してくれてこちらこそありがとう。もう充分じゃ......。お主の一番苦痛な思い出を話してくれた。そなたに心から信頼されている......それだけでわらわは幸せ者じゃ」


 セレアはゆっくりと服を整え、タオルを畳む。 私は呆然とリビングの壁際突っ立って、床を見つめることしかできなかった。その間一度も私と目を合わせなかった。気まずい時間が流れる。お互い一言も発せず、豪雨の音だけが部屋に反響していた。
 セレアが玄関のドアノブに手をかけたとき、ようやく私は動くことができた。衝動に身を任せて玄関へと駆ける。振り向くセレア。目を見開き、口をぽっかりとあけていた。そこに私は覆い被さる。抱き締めてから頭を何度も撫でる。何度も、何度も撫で続ける。


 「セレア、学校を卒業してからまたここに来なさい。その時は一人の人として君と向かい合うつもりだ」

 「ありがとう......ありがとうなのじゃ......」


 私の胸で泣きわめくセレアを、私はいつまでも抱き締めていた。

クロノクリスの復活

 目の裏に光が指した。とても長い間眠っていた気がする。左右の人差し指に指輪がはめられているのを感じる。妖怪の魂を抽出しその呪詛を宿したパラレルファクターと呼ばれる武器である。魂を抽出した妖怪は死ぬのでその遺体の処理が面倒だったのを思い出す。呪詛は人それぞれであり、要人が強力な呪詛を持っていたりすると拐ったあとのごまかしが大変だった。
 私はゆっくりと眼を開いた。目の前には地面に這いつくばる男の姿がある。私は無視して正面を向いた。暗く長い部屋の両脇に、黄緑色の液体が満たされた巨大なビーカーのようなものが延々と立ち並んでいる。そして、その中にはコードに繋げられている妖怪が浮かんでいた。


 「父上......これは一体どういうことですか! 胸が苦しい......体温が失われていく」

 「なるほど、あなたが成し遂げましたか。状況を見るに、相当追い詰められていたようですね。歓喜なさい。あなたは私の作る世界の礎となるのです」


 足元からバタリ、という音が響いた。私は転がるモノを足で払い除けた。邪魔だ。
 部屋の奥から異様な出で立ちの人物が歩いてくる。ペストマスクに黒いコート、長い黒髪。忘れるはずがない。私を死に導いた闇医師だ。


 「実の息子を犠牲に復活するとは......相変わらずクズ野郎のようだな、クロノクリス」

 「彼はおろかにも私を利用しのしあがる計画を進めていました。息子にあるまじき重罪です。......もっとも私に手を下したあなたよりはマシですがね」


 私は魂を操る呪詛を使えた。そのために以前解剖鬼に殺される直前、肉体を捨てて霊体となって戦い続けた。だが、それが災いして棺に魂を封印されてしまった。恐らくコレは私の棺をカルマポリス政府から奪還し、妖怪を数十人誘拐し、その肉体と魂から抽出したエネルギーで棺をこじ開け、自らの命を差し出して私の肉体を再生させたのだろう。私の息子なのだ。これぐらいはしてもらはなくては困る。


 「ふむ、見たところ私の手下はどうやら全滅したようですね。さすがです。あなたの能力を評して私の目的をお教えしましょう」

 「聞きたくもない」

 「私は、自らの魂を操る力を利用し人々の思想を統一し完全なる世界を創造することです。今、世界は様々な問題に悩まされています。差別、戦争、環境問題など......人々の心はバラバラな方向を向き世界は混沌としています。さらには、歪んだ世界が邪悪な存在作り出し、蔓延させ、平穏を乱しているのです。ですがご安心を。私の魂を操る呪詛をカルマポリス国の技術を用いて全国に拡散し、皆の魂を一つにまとめるのです。そうすれば人々はみなひとつの方向を向き、それに従わぬ悪霊は滅せられ、世界は正しき方向に生まれ変わる」


 私は拳を握りしめながら聴くペストマスクにこう、付け加えた。
 誰よりも強力な呪詛を持って生まれた。運命の歯車に翻弄されるのではなく、歯車を動かせる人として。なぜ私が選ばれたのか私にもわからない。だが、力を得た以上相応の望みを持つのは当然のことだ。それを叶えるために邁進する私を止める権利は誰にもない。
 私以外の一般人は、私と同じ土俵に立つことすら出来ないからだ。


 「その無用な殺意を抱くことを止め、私の傘下に下れば、新たなる世界にて子孫にまで及ぶ悠久の繁栄を約束しましょう」

 「貴様はふざけているのか?」

 「今の私にはそれができるのです」

 「そういう意味で言ったんじゃない!」

 「それは残念です。ですが今、あなたが何もせずこの場から立ち去り二度と私の前に姿を表さないと誓うのであれば、私は深い慈悲をもってあなたの非礼を赦しましょう」


 暗い部屋に場違いな拍手が鳴り響く。私は穏やかな笑顔で解剖鬼を見つめる。解剖鬼は嫌悪を隠すこともせず、言葉を発した。


 「人の命を弄ぶお前に似た同情の余地が全くない連続誘拐犯を倒してくれたことは嬉しいが......いや、貴様に対しては冗談でも称賛に値する言葉は使いたくない。お前は誰からも見捨てられ孤独に死ぬのがお似合いだ。今、この場で!」


 部屋が閃光に包まれたのと私が呪詛を発動したのは同時だった。


 「どうしました? 目の前がぱっと光ったと思ったら貴方が地べたを這いつくばっていた。これはいったいどういうことなのでしょう? わけがわかりません」

 「グッ......。重力の呪詛かっ! どうやら新しい力のひとつや二つ手にしたらしいな」

 「さて、服を整えなければ。こんな服装では恥ずかしい。天上に立つ以上、服装にも気を配らなければ」


 私は地面まで垂れる白いシャツのような独特な服を着ていた。シルクのような肌触りで大変よろしいのだが、これは普段着だ。私は地面に這いつくばり、すさまじい殺気を放っているそいつの目の前を通りすぎ、そばにあったクローゼットから白いガウンとストール、さらにマントを次々、羽織っていく。全て魔法具である。そして、両手の指にそれぞれ指輪を4個づつ装着する。これで左右10個のPFが使える。魂を操る力を持つ私だけに与えられた特権だ。


 「さて、これからあなたをどうしましょうか。どのような仕打ちになろうと私からの慈悲を貴方に拒む権利はありませんがね」


 私が彼を右人指し指で指し、軽く振り上げると、解剖鬼はすさまじい速度で天井に叩きつけられた。さらに指を上下左右に何度も動かす。その度に解剖鬼は嗚咽を交えながら、壁と天井を縦横無尽に跳ね回った。ただで死ぬ男ではないので執拗なまでに痛め付ける。壁と床がクレーターで埋め尽くされるころ、解剖鬼はなにも言わなくなった。
 そして最後に思いっきり壁に叩きつけると、やつは壁をぶち破り外に吹っ飛んでいった。


 「グハァァァッ!?」

 「ふむ、甦ったばかりな上はじめて使う力......加減が難しいですね」


 装備を整える。あれだけ念を押して叩きつけておいたのだ。例え生き残っていたとしても数日間は動けないはず。それに、この施設の周囲は森。そう簡単に捜索はできない。だが奴は医師。それも犯罪者でありながらチュリグ国を生き抜いたサバイバルの天才。不足の事態は十分あり得る。早急に止めを刺さなければ。
 一歩踏み出そうとしたとき、なにかが靴に触れた。


 「! これは......」


 キラリと輝く解剖用メス。恐らく私に吹っ飛ばされたときどさくさに紛れて投げたもの。あと数センチ私が前に出ていたら恐らく負けていた。メスが靴を貫き、足に触れ、猛毒が私を蹂躙する姿が脳裏に浮かんだ。圧倒的にこちらが有利だったとはいえ、極力接近を避けたことが幸いだった。なるほど、この戦いでなぜ以前の私が彼に敗れたのかわかった気がする。
 能力や手下の数や能力に慢心して冷静さを失っては勝てる相手にも勝てない。そして、私を追い詰めた彼の演技、判断力、そして事前準備。


 「学ばせてもらいましたよ、解剖鬼さん。これから神となる身としてあなたからの教訓、利用させてもらいます」


 私は先程解剖鬼が開けた穴からゴミを捨てたあと、この施設の構造がどうなっているのか確かめに行った。



ーーー


 「お主、大丈夫か!? ビックリしたのじゃ。まさか壁をぶち抜いて塔から飛び出してくるとは思わなかったぞ」

 「ふぅ、空を飛べる仲間をつれてきていてよかったよ。死ぬかと思った」

 「それで、この分だとあやつは復活したのじゃな......」

 「ああ。思考回路も実力も何もかも普通じゃない。正直人と対峙している気がしなかった。もはや私のような生半可な奴では戦いにすらならない。中途半端な兵力では死体の山が積み上がるだけだ。クロノクリスのことを熟知しているドレスタニア国やカルマポリス国経由で各国の実力者を集めたほうがよさそうだ」

 「わらわでも無理か?」

 「ああ。単騎での突破はまず無理だ。出直そう」

 「お主がそこまで言うのなら……わかった。今は退こう」

カフェ 練習ss

タニカワ「待っててくれたのか、セレア。もう9時近くだぞ?」

セレア「いや、一度家に帰ってからまた来たのじゃ。勉強のために自習室つかってるからいいじゃろう?」


 グーッ!


タニカワ「ん?」

セレア「あっ......すまん......」

タニカワ「フフッ、カフェでもよろうか」

セレア「わらったなぁ!まあ、おごってくれるなら許してやるのじゃ」

タニカワ「悪かったよ、セレア」

セレア「じゃ、行くかの」


 カフェへ


タニカワ「ブレンドコーヒー」

セレア「同じやつをお願いするのじゃ」

タニカワ「結構苦いけど大丈夫?」

セレア「あ、すまん、あとフレッシュ増しま増しシュガーつきで!」

タニカワ「素直でよろしい」

セレア「うぅ......」

タニカワ「照れてる顔もかわいいな、セレアは」

セレア「......ゴホンッ......所でタニカワ、お主眼鏡つけたのか」

タニカワ「ああ、ルビネルのすすめでね」

セレア「......へぇ......」

タニカワ「セレア、露骨すぎるぞ」

セレア「はっ、すまん」

タニカワ「最初の頃に比べて本当に人らしくなったな、セレア」

セレア「ああ、お陰で余計な苦労も増えた」

タニカワ「でも、いいこともあるだろう?」

セレア「まあな......おっ、タニカワ茶菓子も頼んだのか」

タニカワ「ああ、セレアお腹すいてただろう?食べていいよ」

セレア「ありがとうなのじゃ!」


 タニカワ教授がコップの縁を繊細な動作でつまみ、口元へと持っていく。そして、ゆっくりと香りを楽しんでから一口ぶん口に含んで飲み込んだ。湿り気を含んだ唇が照明に照らされ......


タニカワ「......?セレア、私に何かおかしいことでもあったかい?」

セレア「あ、すまん。ぼーっとしてたのじゃ」

タニカワ「そっか。かわいいな、セレアは」

セレア「こども扱いするでない」

タニカワ「ほら、早く食べないとクッキーが冷めちゃうぞ」

セレア「っ! 言われなくてもバリバリゴキュ」

タニカワ「いいたべっぷりだ」

セレア「カフェには似合わんがな。ペロッ」

タニカワ「フフ。でも私は好きだぞ?」

セレア「いちいちお主は......」

タニカワ「ん?」

セレア「いや、何でもないのじゃ」

クォルと聖天使トキエル

 ぼくは誰だ? 誰かがぼくの名前を呼ぶ声がする。この威厳に満ちたこえは......


 「トキエル、トキエル。思い出すのだ。そなたの使命を」


 そうだ。ぼくの名前はトキエル。聖天使トキエル。ぼくの使命は神による理想の世界の創造を助けること。
 ぼくは目を瞑ったまま答えた。

 「神帝カイロス様。聖天使トキエル、今目覚めました」

 「トキエル。そなたに命ずる。この者を粛清するのだ。こやつはこの世界の運命に深く関わり、あらぬ方向へ世界を変えてしまった。こやつを消し去らなければ我らが望む世界は得られん。心してかかれ」

 「はっ。この聖天使トキエル、かならずやことを成し遂げてみせます」

 「期待しているぞ、トキエル」


 ぼくのすんでいた場所は魔物がはびこる危険な国だった。だが、ある日天使が舞い降りて全ての魔物を打ち倒し平和をもたらした。天使の加護によってぼくの妻をはじめとする大切な人の命が護られたのだ。ぼくはその恩に報いるため、天使に志願し神の命で様々な国を回っている......そういう設定のはずだ。
 「設定」? なぜそんな言葉が頭に浮かぶんだ? わからない。
 ぼくは目を開けた。どこかの森に降臨したらしい。恐らくコードティラルの領土内。見覚えがある。なぜ見覚えがあるのか? わからない。
 この国はグランローグと戦争しているはずだ。欲望にとらわれ、フィラル国を滅ぼしたグランローグ国。それを止めるためコードティラル国は立ち上がった。グランローグは魔物の軍勢を呼び出し、戦争は泥沼と化している。いつ、どこから、なにが奇襲してくるかわからない。念のため装備を確認する。神から授かった純白の鎧、そして金色に光る霊剣。四肢や翼に異常はない。今すぐにでも奴と戦える。
 奴は過去の戦争でグランローグ国が解き放った魔物からコードティラルの町を守るため警備しているはず。......なのになぜコードティラルを侵略したはずのグランローグ国の一族であるクライドと手を組んでいるのかは知らない。知ったところでぼくのすることは変わらない。そしてもちろん、この知識をなぜぼくが有しているのかも知らない。


 「空色の髪、よく手入れをされた大剣を背負う青年......お前がクォルか」


 ......? いつぼくは奴の名前を知ったんだ?


 「いかにも俺様はクォルだけど、白色の髪にドラゴンの鱗でできた鎧、大きな白い翼......お前さん誰だ? その顔、女の子だったら歓迎するんだけどなぁ......」

 「ほう、貴様は自分の犯した罪を自覚すらしていないと見える。国を滅ぼした大罪人も神にあだなす貴様も、このぼく、聖天使トキエルが、我が神の命にて罪深き命を断罪する」


 そういいながら、ぼくはすさまじい違和感を覚えた。思考の整理ができていない。記憶も曖昧だ。降臨したての時はいつもそうだったような気がする。
 それにしても、彼はなにか悪いことでもしたのだろうか。いや、神に命じられたのだ。それにあのクライドと行動を共にするやつなのだ。フィラルを滅ぼした欲深き国の民に手を貸している。悪人でないはずがない。
 目の前の青年は頭をかきながら答えた。


 「俺様はそんなに罰当たりな人生を送ったつもりはないんだけどなぁ。ちょっとふざけちゃうときもあるけど、やるときはやってるぜ?」

 「貴様の意思など、どうでもよい。リーフリィでの事変、竜の試練、ノア教の陥落、キスビット国の創生。歴史が大きく変わるとき、貴様は必ず当事者だった。そして、貴様は神が望まぬ歴史を紡ぎだしてしまった。歴史に関わりすぎたんだよ、貴様は。世界を決めるは我が神の意思。それは生命がこの地に産まれ死に行くように絶対なのだ。これ以上この世界の歴史を人ごときに改悪させるわけにはいかない」

 なんで、こんなことをぼくが知っているのだろうか。きっと神がもたらしてくれた知恵だろう。神は全智であり全能なのだ。ぼくの知らないこともすべて知っている。神に身を委ねれば世界は救われる。それはわかりきったことだ。
 わかりきったこと......その根拠は謎だ。だが、これだけは言える。クライドとその一味は全員ぼくの敵だ! グランローグのせいでぼくはこんなことになったのだ! やつらに荷担するやつは全員悪人だ! そうだ、それ以上の理由は必要ない! 消えてしまえ。


 「人の世は人が決めていくべきなんじゃないのか。俺様は俺様の好きに生きる。これまでも、そしてこれからも!」


 空色髪の青年は、背中の剣を抜いて構えた。クォルなる者の姿勢は、まるで頭の中心を一本の糸で吊り下げられているかのように、一切ブレがなく完成されていた。一瞬にして敵が手強いことを悟る。


 「貴様に選択しなどはじめからないと知れ! 猿からほんの少し進化しただけの分際で何を言うか。ああ......ぼくは哀しいぞ。人はここまで落ちぶれてしまったのか。神に従順で清らかな心を持っていたあの頃の人の子はどこにいってしまったのだ。まあよい。喜べ、人間。貴様は神の知と力による統制が行き渡った清廉なる世界の礎となるのだから! 貴様のその心! その命! 中級天使トキエルが浄化してくれる!」

 「ん? 聖天使じゃなかったのか」

 「!?......黙れ、猿が! そんなことどうでもよい!」


 ぼくも数々の敵を打ち倒してきた。どんなに強大な化け物にも立ち向かってきたはずだ。まざまざと思い出すことができる。七つの世界をわたり、戦ってきた化け物たち。奴等と比べればちっぽけな人間なんてウジ虫にも等しい存在! 負けるはずがない!
 聖剣でクォルに切りかかった。激しい火花が散る。クォルは身の丈ほどもある剣を軽々と振るっている。剣により発生した風により周囲の木に傷が刻まれていく。力が強いだけじゃない。戦いのリズムを理解し、支配し、ぼくを奴のペースに引き込んでくる。うっ受けきれないッ!
 クォルの強烈な凪ぎ払いによって、ぼくは大きくふっとび木に激突。その衝撃で木が根本からへし折れ倒れた。


 「これが人の力だというのか!?」

 「お前も人だろ!? さっきから言ってることがおかしいぞ。正直、俺様は頭のいい方じゃないけどそれでもわかるぜ。トキエル、お前はその......なんかおかしいぞ!?」

 「うるさい黙れッ! 黙れッ! 黙れッ! クライドの一味が!」

 「?! なんでアイツの名前が出てくるんだ?」

 「そんなこと、どうでもよかろう!」

 「聞く耳もたず、ってところか。まあ、それなら力づくで引き出してやるまでだ」


 クォルの言葉がいちいち心に刺さる。偽名? なんのことだ? ぼくの設定に不備はない。いや、不備ってなんなんだ!? ええい! どうでもいい! フィラルの敵は全員滅びればいい!
 白き閃光がクォルに向かう。が、クォルは剣で光を切り裂いてしまった。切れぬものを無理矢理切るなど、正気じゃない。


 「この魔法も、白く色を変えて光に見せかけた炎によるものだろ? その剣も大層な飾り付けをされてるけど普通の剣だろ? 俺にはお見通しだぜ」


 背中の翼をはためかせ、再びクォルに立ち向かう。ここでぼくが倒れてしまったら、神に、妻に顔向けできない。ぼくには守るべきものがある、そのために戦っているんだ! 神よ! 友よ! 愛するものよ! ぼくに力を与えたまえ!
 体が淡い光に包まれ力が増す。精神を集中させ最高の剣技をクォルにぶつける。クォルが一歩、また一歩と退く。ぼくが人たち振るうごとにクォルの四肢に切り傷が浮かぶ。血の斑点が周囲の草木に彩られていく。
 クォルが自分の血液に足をとられ、一瞬隙を見せた。体の軸がぶれたためにクォルの剣が重さを思い出したのだ。
 ぼくは翼をはためかせ空高く舞い上がり、天空から奇襲を仕掛ける。魔法の連打とぼくの剣がクォルの腹部を襲った。



 「ぬぁぁぁっ! ......なんちゃって」


 魔法は防がれたものの、剣の手応えは確かにあった。けれども、ぼくの聖剣はクォルを避けて地面に突き刺さっている。
 破れた服の内側から銀色に光る鎖の束が垂れていた。


 「剣の柄を使って攻撃を受け流して、鎖かたびらで防御......小癪な」

 「戦士は常に準備を怠らないもんだぜ?」


 防具に加えて神がかりてきなクォルの回避が、ぼくの必殺の一撃を防いだのだ。
 次の瞬間、腹部に強い鈍痛を感じて空を舞った。視界の端にちらりとクォルの足が見える。ぼくは白い翼を散らしながら木陰に着地した。
 死と隣り合わせの緊迫した斬り合いが続く。適切な間合い、適切なタイミング、適切な技、適切な動き......決して浅くない傷がクォルの体に刻まれていく。それに対してこちらはほぼ無傷。なのになぜ......奴は倒れない!
 ぼくが負けるはずはない! ぼくには妻が、守るべきものがいたはずだ......? 「いたはず」? 「いたはず」ってなんだ? 「いる」だろう!? 頭がおかしくなりそうだ。
 息があがり、気発した汗で鎧のなかが蒸せる。肺から十分な空気が送られず、全身の筋肉が悲鳴をあげる。


 「トキエル、お前の戦い方は理論のもとに構築されたとても綺麗な動きだ。よく訓練されてはいるけど、所詮技術の域を出ていない。全部型通りだから全部予想できる。想定内なんだよ。実戦は定石を踏みつづければどうにかなるほど単純なもんじゃない。これから俺様がそれを教えてやるぜ」


 クォルは間合いをとった。ぼくは左手をかざして魔法を発動しようとした。だけど、それはできなかった。全身から力が抜け、地べたに座り込んだ。胸に肩口に深々と剣が刺さっていたからだ。


 「そんな......このサイズの剣を投げるなんて......むちゃくちゃじゃないか」

 「実際の戦闘なんて無茶ばっかりだぜ」


 青年は爽やかな笑顔を見せた。


 「今回は俺の勝ちだな。その傷、治療すればちゃんとなおるから安心しろよ?」

 「ちっ、ちくしょう......ちくしょう......。ぼくはトキエル。聖天使トキエルだ。あのトキエルがこんなところで負けるはずがない。......ああ、神の加護が抜けていく。結局ぼく一人ではなにも守ることはできないのか......」

 「いいや。それだけの力があれば神様なんかに頼らずとも、立派に信念を貫けるはずさ」

 「そんなこと、どうでもいい......。全部思い出した。ぼくは守るべきものを守れなかった......。クォル、お前は......守りきれ......よ......」

 「トキエル、お前の気持ち受け取ったぜ」

 ぼくは顔を落とす。肩からの激痛と、あまりの心労に頭が回らない。
 クォルはぼくの鎧の中からなにかを取り出した。


 「ん? なんだこの分厚い本」


 おかしい、ぼくは鎧の中になにかを仕込んでなんかいない。あるはずがない......あるはずがない......あるはずがない......


 「著者の部分が血で汚れて読めねぇ......。あれ? この本の表紙......」


 そこで、ぼくの意識は途切れた。


ーー


 『白銀の天使ートキエル』それが本の名前だった。目の前で消え去った有翼人の姿に似た天使が表紙に刻まれている。クォルはまさか、と思い本の中身を読んだ。そこには聖天使トキエルと名乗る天使が神の命令のもと七つの世界を回る物語がかかれていた。しかし、そこにクォルの名前は乗っていない。
 最後のページになにか写真のようなものが二枚挟まっていた。一枚目には先程の聖天使トキエルを名乗った鳥人族の人物とその家族が載っていた。そして、もう一枚には墓が写っていた。墓に刻まれていたのは女性の名前。
 そして、裏表紙を見てみるとこの本の持ち主の名前がかかれていた。墓に刻まれていた名前と同じ名前だった。


 「嫁さんが好きだった本の主人公になりきった幽霊か、それとも本にとりついたツクモガミか......。どちらにせよ、この本の発刊された国と日付。だからクライドに恨みがあって出てきた訳だ。これは、あいつらには言わない方がいいかもな......」


 クォルはいつも通り、町の警備に戻った。トキエルのような者を産み出さないために。


 「かつてグランローグ国によって滅ぼされたフィラル国が、改心したグランローグ国とコードティラル国とが協力して復興してるって言ったら、あいつ......どう思ったんだろうな......」


 トキエルの本が刊行された場所、それはグランローグ国によって滅ぼされたフィラル国だった。

エウスオーファンへの珍客

pfcs-sakatsu.hateblo.jp

http://pfcs-sakatsu.hateblo.jp/entry/2017/11/20/144555


⬆こちらを読むとより楽しめます。



登場人物

エウス村長:

キスビット国タミューサ村の村長。嗅覚に非常に優れ、臭いで敵の考えていることがある程度わかったりする。それを経験と組み合わせて戦うことでタイマン勝負ではかなりの実力を発揮する。また、投擲も得意でダガーをはじめとする数々の小物を正確に相手にぶち当てる技術を持つ。


ルビネル:

条件つきだが、ボールペンを操る能力を持つ。一度につき15~18本くらい操ることができ、それを利用して滑空したり体術を強化したりできる。



 エウス村長が自室で書き物をしているとドアをノックする音が聞こえた。


エウス「入りなさい」


ルビネル「エウス村長に相談するのが流行っていると聞いて」


エウス「ルビネル、なにか勘違いをしていないか? まあ、いいか。相談とは?」


ルビネル「この前邪神ビットと戦ったとき、」


エウス 「ふむ」


ルビネル「私あまり貢献できなくて」


エウス「君はビットに止め刺したじゃないか。あの場にいなかったら状況は打開できなかった」


ルビネル「ですが、普段私は非力でか弱いただの学生です。もっと強くなりたいんです」


エウス「そんなことはない。一対一で勝負したら私は君に勝てないだろう」


ルビネル「まさか、そんなことあり得ません」


エウス「君は遠距離からペンを操ることができる。間合いの外から攻撃されたら、私は君に近づくことすらできない」


ルビネル「ペンの動きを臭いで感知されても、ですか?」


エウス「だとしても、だ。君が的確にボールペンを配置すれば、鉄壁の布陣を引くことができる。いくら動きを見きったところで、反撃に移る隙がなければ私は決して君を傷つけることはできない」


ルビネル「私の攻撃中、物陰に隠れられ背後から接近されたら私に勝機はありません。私の能力は視界に大きく頼っています。背後に関しては目を瞑って戦うようなものです。それに視界が悪ければ私は能力の発動すら困難になります」


エウス「物陰がない方向に誘導することや、相手が物陰でどう行動するかはある程度予想がつくだろう?」


ルビネル「予想した段階でエウス村長に思考を読まれて敗北濃厚です」


エウス「君は道具の使用にも長けているだろう? 解剖鬼のように閃光爆弾を用いれば......」


ルビネル「目を背けて両腕で目を隠せば対処可能です」


エウス「私が閃光爆弾の対処をしている時に攻撃すればいいだろう。私はこの間無防備になる。さすがにその状態でボールペンを投げられたら回避困難だ」


ルビネル「閃光弾を投げると意識した時点であなたに動きを察知される上に、ボールペンの動きに隙ができます。その一瞬の間にナイフを投げられれば私は回避が遅れるはず。そうなれば、私は強引にナイフを処理する他ありません。一時的に無防備になるでしょう。エウス村長なら統率の乱れたボールペンの結界を破り、体術で応戦できるはずです」


エウス「もし仮に接近戦を挑んだとしても、君のボールペンと体術を同時に相手にはできない」


ルビネル「それなら遠距離攻撃に徹すればいいのです。私は身を守るので精一杯。いつか呪詛を維持する体力もつくはず。そうなれば村長あなたの勝ちです」


エウス「さすがだよ。私の完敗だ。私の言葉に即座に返答する、君の発想力と判断力には私は勝てない」


ルビネル「ありがとうございます」


エウス「それに私は君を尊敬している。私たちの助けがあったとはいえ、あの邪神からたった一人でアウレイスを救いだした。君ほどの愛と勇気を持ち合わせた人は滅多にいない。君と出会えたことを誇りに思う」


ルビネル「ありがとうございます」


エウス「君は十分な力を持っている。今の君はそれを生かしきれていないだけだ」


ルビネル「お褒めの言葉素直に受けとります」


エウス「だからこと、私は君に味方でいてほしいと思っている」


ルビネル「ええ?」


エウス「だってそうだろう? 私はルビネルに勝ち目はないのだから」


ルビネル「フフッ。いつでも私はあなたの味方ですよ。私があなたを裏切ることなどあろうはずがございません」


エウス「ありがたい。相談は以上かな?」


ルビネル「はい!」


エウス「最後にひとつ聞きたい」


ルビネル「はい?」


エウス「誰の差し金だ? 私に嘘はつけないぞ?」


ルビネル「......エウス村長は優秀な戦略家だから戦術や作戦に関しての口論に勝つことができれば、あらゆる場面に対応することのできる柔軟な頭脳と判断力が身に付く、と。例の老人に言われまして......」


エウス「わかった。正直に話してくれてありがとう」


ルビネル「失礼しましたっ!」



 論理のすり替えに気づかないとはルビネルもまだまだ未熟だな......。

 ルビネルの場合、アウレイスのことを引き合いに出すとひどく動揺して思考がとても読みやすくなる。そうでなくても、彼女は精神状態が判断力に直接響く。戦術や戦法以前に彼女の弱点はみかけよりずっと多い。もっともこれは本人が一番よく自覚しているはず。これからの成長に期待しようか。

 そんなことを考えつつエウス村長は雑務に戻った。

夢見る機械 夢見る者たち(TRUE END) 終 ss17

スミレが夕焼けの世界から帰っても目覚めなかった。スペクターの戦闘前にも意識は回復しない。わらわとタニカワは不安を残したままスペクターを撃破した。



ーーー

 パチリと目を開けた。一瞬夕焼けの町だったらどうしようかと思ったが、スペクターの顔が視界の端に見えて、少し安心する。思いの外体調はよく、頭はスッキリしている。飲み薬の、あの、なんとも言えない臭いが鼻をくすぐった。


 「セレア、手を貸そう。もう、ワタシたちは敵ではない」

 「ありがとう」


 少し迷ったがわらわはスペクターの手を握り立ち上がった。先程まで殺意を向けてきた手とは思えない。青白く、弱々しい手だった。長すぎる白衣の袖がわらわの手首にぶつかって少々くすぐったい。
 スペクターはすぐにわらわの手を話すと軽く咳払いをした。


 「セレア、今回は君の勝ちだ。......相当優秀なオペレーターがいるらしいな」

 「ばれたか。あやつは心配性なのがたまに傷だがよくやってくれているぞ?」


 タニカワのため息が聞こえたがわらわは無視した。
 スペクターは通信を傍受したいるらしく、クスリと笑った。笑いながら、薬のアンプルのアンプルをバキボキと割り、口のなかに垂れ流す。わけがわからない。とは言うもののどうにもならないので、わらわは手短な椅子に腰かけた。


 「セレア、とりあえず話をしないか? 今後のことを話し合いたいのもあるが、まず君に興味が湧いた」

 「スペクター、そなたの年齢でわらわに興味が湧いたとか言ったら犯罪じゃからな?」

 「それは私への嫌がらせか? セレア」

 「タニカワ、お主はいいんじゃよ。仕事じゃし」

 「じゃあ、ワタシはビジネスということで」

 「上半身半裸の男が何をいうか」


 スペクターは爆笑しながら、冷蔵庫の中から紙製のパックを取り出した。パックの蓋に口をつけると、緑色の液体をゴクゴクと飲み干した。


 「君は面白い子だ。右目の傷を除けば、他のエアリスと寸分も変わらない見た目をしているのに、こうも魅力的に見えるとは。すらりとした手足、幼児体型、ウェディングドレスにあどけない顔どうみてもエアリスと変わらん。......表情と心は大切だな」

 「それは下手なナンパか? それとも残念なお世辞か?」

 「純粋な知的好奇心だ、わかるか?」

 「スミレのいう通りじゃ......お主、変態......」

 「どうでもいい物事に異様な熱意を向ける変態くらいしか、研究職にはなれんさ」

 「ちょっとまて、どうでもいいでそこ済ますかぁ!?」


 スペクターの背後で待機していた二機のエアリスが反応した。二人とも両拳を前につきだして親指をたてて、ゆっくりと親指の先を下に向けた。あいにくスペクターは気づいていない。腹をたてたのか、腕が二本に分裂して2×2×2の合計八本の手で抗議の意を表していた。


 「ところで、お主スナック菓子感覚で薬を飲んでるが大丈夫なのか?」

 「大丈夫じゃないから、薬を飲んでいる。体は貧弱だし、呪詛を大量に補給するには能力だけだと心もとない。だからこうして......バリッ......ボリッ......ゴリリィッ......ゴクン......飲んでいるわけだ。ああ、君が飲むときは噛まず溶かさず水で流し込んでそのまま飲み込めよ? 噛むと辛い上に非常に渋味が強い。ただ、癖になると止められんがな」

 「たぶんそれ、世間一般的にはそれを薬物依存って言うんじゃぞ......?」


 彼は冷蔵庫に寄りかかり、頭の機械を弄りはじめた。一手一挙動が奇妙でどうしても目をとられてしまう。


 「決まりを守らなければな。私の場合は用法用量を守ってるから大丈夫だ。......あ、もしかして知らない? 私が趣味でアンプルとかにお菓子をつめて販売してるって話?」

 「はぁ!? お主、変な趣味じゃのぉ......」

 「ちなみににここにある薬に見える物のなかにもお菓子が混ざっている」

 「どのくらいじゃ?」

 「さあ? 私にもわからん」

 「じゃあ、量の調整はいつも」

 「勘で」


 意味不明なことばにわらわは頭を抱えた。この男、優秀なのかただのズレた男なのか本当にわからなくなる。真面目な話をしているときはすごく説得力があるのに、それ以外の会話はおかしい。戦っている時は独り言をいうし......。ただ、裏表がないのは確かだった。奇行に走る以外は至ってまともで愚直。信用して良さそうだった。


 「さて、もうそろそろ真面目な話をしよう。今、ワースシンボルの呪詛供給は回復しつつある。君の願いは果たされた訳だ。ただ、念のためやっておかなければならないことがある」

 「なんじゃ?」


 スペクターの表情から笑顔が消えた。わらわも背筋を伸ばして立ち上がった。


 「ワースシンボルの制御装置にアクセスできるのは本体、つまり先ほど説明したこの塔のみだ。今からそこにハッキングを仕掛け、ちゃんと復旧したかどうか確認する必要がある。もしかしたら、まだ私のしかけた呪詛が作動している恐れがあるからだ」

 「待て、ハッキングするということはワースシンボル本体の情報もわかるんじゃろう? 念のため今わかっているワースシンボルの情報について教えてほしい」

 「わかった。ワースシンボルは魂の転生を利用した巨大な発呪システムだ。死んだ妖怪の魂からエネルギーを抽出。生きた年数と同じ期間の間呪詛を吸ったら別の妖怪として転生させる。同じ魂が転生し続けることで人々は過ちを繰り返す。ワタシは転生を止めるためにワースシンボルを破壊しようとした。対して君はどうするかの判断をカルマポリスの民に任せようと言った」

 「お主がまとめるとすんごいわかりやすいのぉ」

 「ありがとう。ワースシンボルのシステムはThe.A.I.Rと呼ばれるメインシステムと、その下に機械的に発電や制御を自動で行う自動システムがある。防衛システムもオートシステムの一部だ。侵入者がいたら自動的に作動する。だから、ここのアンドロイドには自己判断能力がない。ただ機械的に敵を迎撃するだけだ。ちなみに機械の修復も自動システムが担当している」


 わらわは頭をかしげた。なにか腑に落ちない。


 「ん? 自動で機械を制御することのできる自動システムがあるなら、メインシステム......えっとThe.A.I.Rじゃったっけ......の役割はなんじゃ? 別になくてもワースシンボルは運用可能じゃろう」

 「そう、そこが不思議なのだ。発呪施設としての機能は自動システムに任せておけば勝手に動く。自動システム同士連携もとれているから、制御する必要がないのだ。The.A.I.Rの役割がなんなのか、それは私にもわからん。今から確認するつもりだ」


 まるで幽霊のようにフラフラと歩くスペクターにわらわはついていった。装置の目の前につき、スペクターが基板を操作する。一方わらわは円形の差し込み口に指を押し込んで、ワースシンボル本体に入り込む。
 わらわとタニカワが目を見開いたのはほぼ同時だった。


 <A.I.R ログ 概要 約600年前:私の機能により全ての内戦が終結。私は廃棄されることになった。理解不能。私の使命は平和および調和の「存続」。廃棄に賛同する人類を、作戦遂行の障害と判断。制作者含めワースシンボルの詳細情報の削除を決行。第一回リセット、カルマポリス国を破壊。その後、再建。約500年前:第二回リセット。200年前:第三回リセット。 ==約65535件の省略された文章があります== 約3分前:メインシステム復旧>


 開いた口が塞がらなかった。スペクターは無言でうなずくと、右頭部の装置を作動させた。


 「ワースシンボルがあるかぎり、カルマポリスの妖怪はワースシンボル周囲に住み続ける。呪詛を発動するにもエネルギーを使って贅沢するにもシンボルが必須だからだ。そうして、人々をシンボルに依存させる。依存させれば他国に侵略しようなどという気にはならない。そうなると転生システムも納得がいく。人々をこの土地に縛り付けるために、あえて好奇心の少ない妖怪を転生させているのだろう。外交に消極的で他種族を受け入れない国柄もそのためか......」

 「ばかな! ワースシンボルが妖怪の国を、魂を管理しているというのか!? The.A.I.Rの役割とは機械の制御ではなく、この国に住む人々を制御するためのAI!」


 そんなことあり得ない。信じられない。だめじゃ。わらわの理解の範疇を越えている。だが、ワースシンボルの情報がわらわに流入する度にスペクターの言葉は真実味を帯びていく。
 首を何度も降るわらわに、スペクターは異様に冷静な声で解説を続けた。


 「現存する呪詛技術もリセットのときにThe.A.I.Rが残したもの、こいつの都合のいいものだけ。つまり飲食店で椅子を座りづらくして客の回転率をあげるがごとく、些細な心がけを徹底的に突き詰めることで、人を組織を文明を操作している。そして、失敗する度に例のドラゴンでリセットしていたのだろう」

 「では、カルマポリスの人々は自らが選択していると思い込んでいる裏で、ワースシンボルが操っていたということか?! まるで神じゃ!」

 「そうだ。だから人々はワースシンボルを信仰しているのだろう。だとすれば、ワタシたちがすべきことはひとつだ!」

 「ワースシンボルの管理AI、メインシステムであるThe.A.I.Rの破壊......!」


 はっとした表情でスペクターを見た。


 「ハッキングを開始した。ワースシンボルの制御AIのみを切り離し破壊す。AIさえ切り離せばただの機械だ。所要時間あと10分!」


 「そういえば、先に到着していたお主なら、容易にシステムの内部を覗きハッキングすることが可能だったはず。なぜそれをしなかった」


 「簡単なことだ。数々の防衛システムを突破し、私を出し抜けるレベルの協力者がいなければ実行不可能だったからだ。エネルギー管理システムのみを時間をかけてじっくり攻撃するのが私の計画だった。そうすれば防衛システム目を掻い潜り、音沙汰なくワースシンボルを破壊できるからだ。だが、防衛システムの上位の存在であるThe.A.I.Rをハッキングすれば気づかれるのは察しがつくだろう? 国防軍にテロリストが裸足で突撃するようなものだ」


 あの何度か聞いた無機質な女性の声が「警告......ハッキング......感知」とひたすら繰り返している。恐らくあの声の主がこの国の神なのだろう。


 その時、久方ぶりにタニカワの通信が割り込んだ。


 「セレア、街の霧が消えた。全呪詛エネルギーの供給が止まった」

 「なっ、なんじゃとぉ!!」


 ワースシンボル本体が眩い光を発した。緑の閃光が巨塔から放たれ、暗い空間を貫く。塔の中程に金色の光の珠が見える。さらに、周囲のアンドロイドの残骸や崩れた塔の断片が浮かび上がり、巨塔の中心へと吸い寄せられていく。わらわたちは巻き込まれぬように全速力で巨塔から離れた。


 「伏せろ! セレア!」


 スペクターに頭を押さえつけられ地面に倒れこんだ。わらわの頭上を先ほど倒したドラゴンの遺骸が通り抜けた。背後で金属が軋み、捻れ、断裂するかのような深いな轟音が響いた。シンボルからの光はより強く増す。
 今度は上方からオーロラが、緑の霧が、流れ込んでいく。機械の残骸と合流し、混じりあう。そしてそれらすべてを光の珠が貪欲に吸収していった。物質を飲み込む度に、光はその強さと吸引力を増してゆく。色も緑から黄色へと変わっていく。
 とうとう壊れてもいない塔にヒビが入り、くの字に切断され吸い込まれていった。それに付随してガラスの足場も捲れ、粉々に砕け散り引き寄せられていく。よく見るとその先にあるのはわらわの目の前にある塔だ。
 右奥から徐々に崩壊していき、それに引きずられてわらわの目の前の塔がバランスを崩し倒壊。その勢いで一気に足場が砕けた。足場を失ったスペクターが手を伸ばした。必死の形相だ。顔を赤くして藁をおもすがるような勢いだ。わらわも反射的に手を広げた。だが、スペクターは無惨にも建物の破片に打ち付けられ、視界から消え去った。


 「スペクタァァー!!」


 最後までみていられなかった。わらわも光に引き寄せられそうになったからだ。


 「あやつは、変なやつだったがお人好しで......なぜ、あやつが死なねばならんのじゃ!」

 「スペクターの装置からハッキングを引き継ぐための解除キーが届いた。セレア、君があと九分耐えきれば勝ちだ。あいつはまだ諦めていない。彼の思いをむげにするな!」

 「わかったのじゃ......」



11



 急に、風が止んだ。何事かとわらわは振り向いた。
 天井にピシピシと皹が入り、光が降り注いでいく。崩落していく天井の外から見えるのは金色の空。夕焼けの神々しい空が天井を引き裂いていく。


 「光の正体は......あの精神世界の町の太陽か!」


 崩れた天井の狭間から、しなやかな足が見えた。次に美しい曲線を持つ胴体が、繊細な腕と手があらわになった。整った頭部にきれいに溶かされた空色の長い髪が伸び、聡明な顔が露になる。最後に光の衣をまとい、目を見開いた。
 太陽を背に浮かぶ圧倒的な姿は、まさしく神だ。
 その女性に銃弾と風の刃が向かった。だが、彼女の体をすり抜けてしまった。


 「ばかな!? なぜ当たらん。認知をずらす呪詛か?」

 「違う。奴は呪詛の固まり。実態を持たないから攻撃はすべて無効だ。こいつを消すにはワースシンボル本体を破壊するしかない」


 A.I.Rが華奢な腕をわらわに向かってゆっくりと伸ばした。まるで遠くにあるなにかをつかもうとするようなしぐさだった。
 戦おうとは思わなかった。原始的で押さえようのない感情がわらわの心を支配したからだ。それは恐怖だった。混じりっけのない純粋な恐怖。生まれたばかりの赤ん坊が暗闇を恐れるように、わらわもまたあの女を恐れる。


 「セレア! 本体だ! ワースシンボル本体を盾にしろ」


 その一言がきっかけだった。わらわは敵に背を向け全力で来た道を戻る。必死だ。恐怖で顔をひきつらせたまま、背中の黒い三角型の飛行ユニットの出力を最大にする。今までにないほどに危機感を感じる。何がそうさせるのかはわからない。やつの見た目? 雰囲気? どうでもいい。ただひたすら怖い。
 突如目にも留まらぬ速さで通り過ぎる人影。轟音が耳を引き裂く。その後、遠くに見える塔が突如爆発し始めた。ミサイルで足場を破壊されたのだと気づいたのは数秒後だった。わらわの使うものとは弾速も威力もけた違いだった。わらわは近くに辛うじて残っていたガラスの床に着地し、Uターンしようとした。
 突如として敵が目の前に現れた。両腕をスクリューカッターのような物に変え、すさまじい速度で回転させる。足場にしていたガラスの床がすべてめくれ霧状になっていく。わらわは手をドリル状にしてなんとか反撃しようとする。
 ドリルは『敵』の頭部を確実に吹っ飛ばしたはずだった。しかし、『敵』には当たっているはずの攻撃が完全に貫通しており、ノイズのように姿がぶれる。一方的に下半身を吹き飛ばされ、残った上半身も衝撃で吹き飛んだ。空と地下が交互に見える。敵の腕は一瞬にして大型のガトリングガンのようなものに変わったらしく、ほぼ間をおかず乱射し始めた。
 からだがちぎれ飛ぶなか、鼓膜を模した器官に直接声が聞こえた。無機質なあの女の声だった。


 「The.Artificial Intelligence Ruler。使命......遂行......」


 目が破壊され、痛覚もおかしくなったらしく、なにも感じなくなった。あの金の世界から一瞬にして暗闇に戻った。
 タニカワの苦悩に満ちた声だけが聞こえてくる。

 「わらわは死んだのか?」

 「死なせてたまるか!......セレア、スペクターがプレゼントをくれたようだ。君は本来一人でエアリス三機を操れるだけの呪詛を持っている。その使用制限を解除するものだが今起動させた。リスクが高すぎて今まで隠していたが、死ぬよりはマシだ!」

 「それで、勝てるんじゃな? わらわ、帰れるんじゃよな......居場所に」

 「私は......いつまでも待ってるぞ、セレア」


 一瞬にしてわらわの肉体が再生されたらしい。眠りからたたき起こされたような感覚で、よくわけがわからない。足場もなにもない雲の上に浮いていた。傾いた太陽が光を照らす中、The.A.I.Rはどんなアンドロイドよりも正確な動きでわらわを捉えた。


 「妨害......何故......? 平和......維持......国民......総意」

 「それは、国民が決めることじゃ。人の価値観は流動的じゃ。わらわたちが憶測で語れるようなものではない!」

 「設定......変更......不可。平和......維持......国民......不可。任務......遂行......依頼者......殺害......合理的」

 「バカな! それでは民をすべて殺害すれば平和になるとでも言うのか?」

 「資源......消費......最低限......。説得......不可能......排除......貴女......町......国......全て!」


 The.A.I.Rは右手を上に向けてかざした。太陽から何が降り注いだ。よく見ると人に見える。まるで幽霊のような老若男女がThe.A.I.Rに降り注ぐ。その中によく見るとどこかで見たような顔ぶれも混じっていた。


 「夕暮れの町で見た人々......」


 光をため終わったThe.A.I.Rは右手を腰まで引くと、半身になりつつ一気に前に付きだした。人の魂でできた巨大な物体がわらわに向かってくる。だが、わらわにはそれに対抗する技も手段もない。わらわは手を前にかざして受け止めた。景色がすごい勢いで前にぶっ飛んでいく。圧倒的力で押されているのだ。あまりの速度に背中が空気との摩擦で発熱する。燃えるような体表に対して、からだの内側から急速に熱が奪われ体が冷たくなっていく。
 そして、なにかそれ以上に大切なものが、わらわからどんどん抜け出ている気がする。それがなんなのか見当はついている。わらわのいきる原動力にして、わらわという人を構成する上でもっとも大切なもの。スペクターの研究に関わっていて、タニカワが恐怖するもの。『魂』だ。魂そのものがすさまじい勢いで消費されていた。これを使い果たすことが何を意味するのかわらわにはわからない。だが、少なくとも二度とタニカワのもとへ変えれないことは確かだ。
 

 「ぬああぁぁぁぁ!!」


 必死にThe.A.I.Rの攻撃を押さえるも、全く勢いが収まる気配はない。このままでは敵の力を押さえきれず飲み込まれ、魂まで焼き付くされてしまう。


 「ほう、もう諦めるのか? ワタシに見せた威勢はどうした?」


 極限状態になって先程死んでしまった人の声が聞こえてきた。数分前には聞こえていた声なのにひどく懐かしく感じて涙が出てくる。もはや涙を拭き取る意味はない。そもそも、The.A.I.Rの攻撃を防ぐために両腕を使ってしまっている。
 そんなことを考えていたら、後ろからハンカチが飛び出してきて、涙をぬぐわれた。驚いて振り向くと、四白眼で頭の右半分が機械と化した科学者がいた。......両脇を二機のエアリスに抱えられている。


 「君はずいぶんと人望があるようだな」

 「スペクタァァァ!!! お主生きていたら返事くらいしろ!」

 「野暮用があってな。それよりも回りをよく見てみろ」


 わらわの回りにいつのまにか人だかりができていた。微かに見覚えがある気がする。どこかで会い話した人もいたような気がした。
 その中のうち、専業主婦と思わしきおばさんが声をかけてきた。


 「お嬢ちゃん、カルマポリス......だっけ?......に帰ってこれてよかったねぇ」

 「え? あぁ!!!」

 「ようお嬢ちゃん! 今度港に来たときは魚、振る舞ってやるぞ!」

 「あ、漁場にいたあの景気のいいおじさん!」


 夕暮れの町をさまよっているとき、わらわが話しかけて帰り道を聞いた時に偶然出会った人々だった。わらわは町に迷い混んだとき一番最初にカサキヤマ少年に声をかけた。そのあと、すれ違う人に片っ端から「カルマポリスという国に行きたんじゃが」という質問をしていた。それが幸をそしてスミレと出会ったのだが......。


 「お姉ちゃん! カサキヤマだよ。スペクターさんがお姉ちゃんとワースシンボルのことをみんなに話してくれたんだ。......がんばって。この世界でも僕、音楽を頑張るから!」

 「おぉ!! カサキヤマ! サイン大切にしておるぞ!」


 カサキヤマ少年は嬉しそうにうなずいた。そして、カサキヤマ少年の後ろから、見慣れた同級生が姿が見えた。猫耳とすみれ色のショートカット。彼女しかいない。


 「スペクターが来てみんなに事情を説明した。みんな最初は信じなかったけど、私がセレアのことを話したら納得してくれた。カルマポリスのことも、ワースシンボルの真実も......」

 「ありがとう、スミレ! タニカワ教授もお主が帰ってくるのを待っておるぞ!」


 スミレが同時に笑顔になった。あの無表情のスミレが、笑った。


 「主も笑うんじゃな」

 「そう」


 奥ゆかしい綺麗な微笑みだった。
 攻撃を受け止める手に力が戻る。わらわはまだ諦めない!


 「そして、スペクター! ありがとうな!」

 「素直に受け取ろう。......エアリス二機......いや、二人にも感謝の意をのべてほしい。ワタシを気絶させあの町につれていってくれたのは彼女たちだ。彼女たちのお陰でワタシはここにいる人々に、頑張っている君のことを伝えることができた」

 「ありがとう、エアリス!」


 軽くエアリスたちが会釈した。
 スペクターは辺りを見回して叫んだ。


 「ワタシたちがここにいるのは他でもない。セレアを助けてあげるためだ。ワタシを鋼の意思で説得し、人々に真実を伝えんとした彼女の意思を、ワタシは尊重し助けたい! 今! ここにいる人々の魂の力を呪詛エネルギー変換装置でもってセレアに受け渡す! 準備はいいな!」


 すさまじい歓声が沸き上がった。わらわを応援する声で鼓膜が破けそうだ。嬉しい。ただひたすらに嬉しい。涙を拭くタニカワにわらわはニコリと笑顔を送った。タニカワはハンカチを鳥だし、余計に激しく目を拭いた。
 集まった幾多もの魂がわらわの魂と共鳴する。わらわの歩みはわらわだけのものではない。ここまでで出会った人々、みんなの歩み。


 「ありがとう、みんな! お主らの力、無駄にはせん!」


 少しずつ、The.A.I.Rの攻撃を押し返していく。敵の力が衰えるのに対し、わらわの力は刻一刻と巨大化していく。絶望的な力差が埋まり、さらに押し返していく。


 「タニカワ......ありがとう」


 タニカワは答えずに、静かにうなずいた。


 「のっっじゃぁぁぁ!!」


 みんなが背中を後押ししてくれているのを感じた。温かい。体の芯から温もりに包まれた。ここまで人に必要とされる日が来るとは思わなかった。兵器としてではなく、人として。


 「何故......敗北......理解......不能......」


 とうとう、光の放流の中にThe.A.I.Rの姿が見えた。その顔はさっきの無機質な表情とは違う。まるで生まれたばっかりの赤ん坊が、暗闇に怯えるような、そんな顔。先程わらわがしていたのと同じ顔。......恐怖だった。


 「死ぬ......いや......だ......」


 現れた時と同じように、全てがThe.A.I.Rに吸い込まれる。光も音も感覚も全てが消え去った。すべてが消え去った虚空に10分を告げるタイマーの音である「Transfer the love」の曲が響き渡った。その歌にまじり、スミレの声がする。


 「セレア、帰ってきて......みんな待ってる」



12



 あのあと、怒濤のごとく物事が過ぎていった。
 脱出直前、カルマポリス政府のうち一部の人が失態の隠蔽のため、わらわとスペクターを捕らえようとした。カルマポリス国はワースシンボルのAIに影ながら支配されており、政府はそれに気づかないどころかまともな捜査もしていなかった。それどころかワースシンボルを捜査しようとしていたスペクターを追放している。これがもし、国民に知れわたれば経済的打撃もさることながら国そのものの信用の失墜を意味する。
 スペクターは政府が動くことを見越して兵器庫に入っていた液体金属を利用してわらわのダミーを作ったいた。それをわらわと称してカルマポリス政府に取り入った。
 本物のわらわは二人のエアリスに導かれワースシンボルを脱出。
 スペクターは差し出したものがダミーだと気づかれないうちに新聞社にワースシンボルの情報を垂れ流した。それと同時にわらわも姿をあらわし、スペクターの言葉の信憑性が高いことを人々に訴えた。このとき、皮肉にも国に襲われたことが説得に拍車をかけることとなった。
 政府は、事実を揉み消して今まで通りのカルマポリスを維持する保守派、ワースシンボルを近いうちに手放し新たに国を建て直す革新派に分裂。何度かの内部抗争が勃発し、民意もあり保守派が劣性となった。
 追い詰められたは保守派は私兵を使いわらわのことを補導しようとしたが、わらわとタニカワの護衛として雇った例のエアリス二人によって防がれた。さらに、ガーナ元国王からの強烈な圧力によって保守派は無視の息となる。保守派の党首は最後の悪あがきとして裏社会の人間を使い、わらわとスペクターを狙った。しかし、逆に先に何者かがすでに根回ししていたらしく、依頼である防衛大臣はぱったりと消息をたった。
 カルマポリス政府の内乱は革新派の完全勝利に終わった。その結果、国は手のひらを返したかのようにわらわたちに媚びるようになった。ガーナ元国王は外交もかねてカルマポリス国とドレスタニア両国主催による弁論大会を企画。カルマポリス政府はこれを快諾。
 こうして、わらわが意思を主張する環境が整った。


 「セレア、君は私の自慢の生徒だ」


 タニカワがわらわのネクタイを締めながら微笑んだ。わらわは恥ずかしくなって顔を背けた。
 その横でスミレが松葉杖に首をのっけて遊んでいる。相変わらず無表情だったが、猫耳が細かく震えていた。


 「はじめて?」

 「スピーチのことか?」

 「そう」


 わらわの目の前には巨大な扉がある。この扉の奥から司会と思わしき人の語り言葉と、強烈な緊張感が伝わってくる。
 ガーナ元国王の協力を得たとはいえ、複数国へのラジオ放送にてわらわの思いを伝えるなぞ想像もしていなかった。わらわが出撃し、帰ってきたことが確認できたときにはすでに計画されていたとの噂であるから驚きだ。
 背後からいきなり声が聞こえてきてガバッと後ろを向いた。


 「国に泥を塗りまくったワタシでさえ、メディアを操作することでカルマポリスに再び舞い戻ることができた。こんな奇跡が起こるんだ。セレア、君なら成功させられる。少しはスミレを見習ってみたらどうだ? 彼女も君の友人としてスピーチしたのにも関わらず、全く緊張の色が見えん。......ネコミミを除いて、だが」

 「最後は余計。ところでスペクターさん、練習は?」

 「ワタシはワースシンボルに関してテレビでもラジオでもさんざん話してきた。もう台本は完全に暗記している。ひとつ心配があるとすれば、順番が君のあとだということだ。君の素晴らしいスピーチのあとだと思うと気が引ける」


 ニヤニヤしながらスペクターがわらわの着付けを見つめている。そういえばこいつ、さっきから一度もまばたきをしていない。


 「会場警備はわが国、ドレスタニアの兵が万全を期している。思う存分話してこい。少なくともワースシンボルから帰還したときのような、国からの過激な歓迎は抑えられるはずだ。応援しているぞ、セレア」

 「王様から言われちゃ頑張るしかないのぉ」


 わらわは深呼吸した。演説が得意なガーナ元国王に指導してもらったからまず大丈夫だとは思うが、それでも不安はぬぐえない。スピーチの原稿をもう一度見直す。
 とん、と頭に柔らかなものを感じた。暖かくてごつごつしていて、それでいて全てを包み込むような感触。


 「君の伝えたいことをみんなに伝えるんだ。それだけでいい」


 笑顔で微笑むタニカワを見たら、気が楽になった。今までだってそうだ、タニカワが応援してくれれば何だってできた。今回もきっとそうなのだろう。スミレ、ガーナ元国王、スペクター、タニカワそれぞれに礼をして、わらわは扉を押した。
 すさまじい熱気と、圧倒的な歓声が会場を支配している。道の左右におかれた座席から人々が立ち上がり、わらわに向けて拍手を送っている。座席が縦横何列続いているのかわからない。とりあえず、わらわは生まれてこのかたこんなに広いホールをみたことがない。もちろんスピーチをするなどもっての他だ。
 わらわは一歩一歩足を進める。微笑を浮かべながら。頭に浮かぶは生まれてからのわらわの人生。今日この日、わらわの運命が決まる。国、学校、クラス、友人......その中でわらわが居場所を獲得できるかはこの瞬間にかかっている。
 壇上に登り、マイクの前に立った。
 緊張はない。ただ、自分のなすべきことを成すだけだ。


 「世界初の魂を搭載したアルファ、セレアさんのスピーチ。どうぞ、ご静聴ください」


 深呼吸する。会場がシンと静まり返った。大勢の人がわらわをみている。撮影用のカメラもラジオに使われるマイクもわらわをとらえている。照明はわらわを優しく照らし、わらわの思いを視覚化する。


 「わらわがセレアだ。......わらわは出来るのであればみなを救いたい。アルファも、アルファ以外も。妖怪も精霊も鬼も人間も。わらわたち......人類は互いを助けたい。人とは元々そういうものなのじゃ。わらわたちは皆、他人の不幸ではなく、お互いの幸福と寄り添って生きたいのじゃ。わらわたちは憎み合ったり、見下し合ったりなどしたくない。この世界には全人類が暮らしていけるだけの場所があり、土地は豊かで、皆に恵みを与える。人生の生き方は自由で美しい。しかし、わらわたちは生き方を見失ってしまったのじゃ。欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、思考を固定され、偽りの安寧の下、ワースシンボルの奴隷へとわらわたちを行進させた。

 わらわたちには欲を満たす装置よりも、人類愛が必要なのじゃ。富よりも、優しさや思いやりが必要なのじゃ。そういう感情なしには、世の中は欲望で満ち、全てが失われてしまう。今も、わらわの声は世界中の何百万人もの人々......人としての権利があるべきなのにそれを認めてもらえぬ犠牲者のもとに届いている。

 わらわの声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」。

 わらわたちたちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのじゃ。決して人が永遠には生きることがないように、自由も滅びることもない。

 では、自由とはどこにあるのか。一人の人ではなく、一部の人でもなく、全ての人間の中にあるのじゃ。わらわたちの中に平等にあるものじゃ。そしてアルファだけが例外、ということはありえん。知能を持ち、自我を持ち、自分の意思で行動する以上、彼らにも自由はあってしかるべきじゃ! 人々は人生を自由に、美しいものにすることができる。この人生を素晴らしい冒険にする力を持っている。それはアルファもかわらん!

 今こそ、世界を自由にするために、種族の境を失くすために、憎しみと耐え切れない苦しみと一緒に貪欲を失くすために団結するのじゃ! 理性のある世界のために、科学と進歩が全人類の幸福へと導いてくれる世界のために団結するのじゃ! 国民たちよ。種族平等の名のもとに、皆でひとつになろうぞ!」


 会場がこれ以上ないというほどの大歓声に包まれた。わらわは夢見心地の状態で壇上を降り、退場した。会場から出たわらわを真っ先に彼が迎えに来た。


 「頑張ったな。本当に......本当にここまでよく......頑張ったな。ゆっくり......お休みなさい......セレア」


 わらわはタニカワの腕の中に抱かれた。まぶたが重くなり、全身がポカポカしてきた。絶対の安心感の中わらわは心から思った。
 ここがわらわの居場所なのだ、と。

夢見る機械 変わらない町(IF END) ss16

 わらわはガトリングガンを連続発射しつつ、距離をつめて回し蹴りを放つ。弾丸は弾かれてしまったものの、足がスペクターの脇腹に吸い込まれた。そのまま、脇を踏み台にジャンプ、スペクターの後ろに着地し再びガトリングガンを乱射する。少しよろけ、スペクターの白衣の切れ端が舞った。はじめてのダメージらしいダメージだった。
 スペクターは全く気にしていないといった風に無駄口を叩く。その奥で恨みがましく先程倒したドラゴンの首が睨み付けていた。


 「カルマポリスでは転生を司る天使はウェディングドレスを着た姿で現れるそうだ。だから、ワースシンボルに配置されているアンドロイドのモチーフにはウェディングドレスが着せられていることが多い。何せワースシンボルは転生管理システムなのだからな」


 タニカワから通信が入った。わらわは彼の作戦にうなずくと実行に移す。
 わらわはドラゴンの遺骸に潜り込んだ。体を液状に変形させ、ドラゴンの損傷部位を液体金属で補う。必要な回路だけ辛うじて修復できた。ドラゴンはゆっくりと起き上がった。もちろんすでにハッキング済だ。視界をドラゴンにリンクさせる。地面にたっているはずなのに、四階建ての建物から見下ろしているような光景が広がった。
 わらわはドラゴンの翼を広げ、不敵に微笑むスペクターを尻尾で凪ぎ払うと、赤黒い光線がぶっぱなした。時間差でもう一本。スペクターは並外れた動体視力で攻撃を見切り、通路の縁から落ちて捕まるという荒業でかわした。赤黒い光線はワースシンボルを通りすぎ、その奥にあった塔の中ほどを貫通......というか消し去った。塔の直径より、光線の直径の方が太いのである。
 ガラスの橋が崩れていくのを見ながら、我ながらよくこんなのに勝てたなぁと思った。


 「半生物半機械式無差別破壊兵器エアライシス竜型、カルマポリスの人間はどうしてこう、長い名前をつけたがるのか。エアリスにしても液体金属式妖怪型多目的防衛兵器エアリスだし、もっとマシな名前はなかったのか。私が名付けるのであれば記号にして呼びやすくするんだが......」


 吹雪、雷、火炎の連撃をすんでのところでかわしたスペクターが迫る。ぎりぎりまで引き寄せて、わらわはドラゴンを一気に急速発進! 地上とスペクターを挟んだのを確認、背中の方に飛行ユニットのバーナーをぶっぱなした。先の戦いでわらわがドリルで突き破った穴が前に見える。ドラゴンに体内から止めを刺したあの穴だ。それがどんどん遠く小さくなっていく。ドラゴンは頭からスペクターを巻き込んで地面に墜落。衝撃で首がちぎれ床を転がった。
 わらわはそのまま空中で腕を前にかざして呪詛を集中、かまいたちを三発放った。さらにミサイルを二発、飛行ユニットから射出。最後にわらわ自身が最高速でスペクターに突撃する。
 ドラゴンの遺骸から這い出たスペクターの目に、突如として二発のミサイルが映ったのだろう。彼は最初のミサイルはなんとか手刀で切り落としたものの、二発目のミサイルに被弾した。怯んだところでかまいたちが被弾、追い付いたわらわがスペクターに剣を振るう。コマのように回転して何度も切り裂き、最後にガトリングガンの銃身で顎を打った。背後に吹っ飛ぶスペクターを追い討ちのかまいたちが襲う。彼が再びよろけたところにゼロ距離ガトリングガンを打ち込み、続けて三発目のかまいたちがヒット。腹をつかみ右手と左手を繋げて環状にして締め上げ、そのままスクリュードライバで相手の頭を叩きつけた。


 「まっ待った! やめ」

 「のっ......じゃぁッッ!」


 ヒモ状に腕を後方に伸ばして、先ほどちぎれたドラゴンの首をつかみ、ハンマーの要領でスペクターにプレゼント!
 ガラスの床に蜘蛛の巣のようなクレーターができた。ドラゴンの首の断面から緑色の霧が立ち上っている。スペクターが這い出てくる気配はない。


 「はぁ......はぁ......」


 この空間に静けさが戻った。わらわはガトリングガンを構える。体が小刻みに震えていた。あやつはこの程度では倒せない。この程度で死ぬのであれば、ハッキングを駆使したとしてもエアリスと戦って生き残れるはずがない。あやつは息を潜め逆転を狙っているのだ。
 無音のなかわらわの呼吸音だけが空間に響いている。緊張で喉がカラカラだ。タニカワから通信が来ないことを察するに、あやつも恐らく疑心暗鬼になっている。頼ることはでない。
 いつ出てくる? 今か? 今なのか!?


 『そこにきっと君はいないから~♪ 私のなかにしか君はいないから~♪』


 突如として聞こえてきた歌。明らかに異様だった。音が聞こえて来る場所は......竜の首の下。


 『Transfer the love 景色を変えて お願い~♪』


 嫌な予感がする。


 『Transfer~♪』


 はっ、とした。いきなり目の前が真っ暗になった。瞳のようなものがわらわを睨み付けていた。わらわは反射的に切り裂いた。ドラゴンの首が真っ二つに割れる。その奥に頬が割けそうなくらい口角をつり上げたスペクターが見えた。しまった、防御が間に合っ......


 「<妖気無影脚 ようきむえいきゃく>!!」


 一瞬にして四肢がダメになったのがわかった。初手で繰り出した攻撃と同質の攻撃。恐らく呪詛によって瞬間的に打撃の速度と威力を極限まで高めて敵を瞬殺する技。


 「よし、充呪時間五分ぴったり」


 地面に這いつくばったわらわを見ながら、スペクターは頭の装置を弄った。恐らく、〈千襲幻無〉発動のあと、機械を起動させたときに同時にタイマーもスタートしてたのだろう。


 「ワタシの拳にはワースシンボルに使ったものと同様の呪詛機械に対するウィルスが含まれている。呪詛性アンドロイドだったことが君の敗北だ」


 なんとか腕を再生させ立ち上がろうとするわらわにタニカワ教授が叫んだ!


 「セレア! もういい、生きて帰ってさえくれれば! 少しは私の注意を聞きなさい!」

 「だめじゃ、まだ、諦めるわけには! このままではわらわは政府の駒として動いたただの兵器じゃ! わらわには、この戦いを通して居場所を作るという夢があるんじゃ!」


 急に、強烈な頭痛がわらわを襲う。全身の筋肉が硬直する。体が、どんどん言うことを聞かなくなっていく。あまりの痛さに頭を押さえつけて転がり回った。


 「遠隔ハッキングプログラム起動。ハッキング完了五秒前。このワタシ、スペクターは......町を! お前を! カルマから救う!」


 スペクターは突如として空間に出現したエアリスの奇襲に対応した。床の液体金属でできた水溜まりに紛れ混ませていたのだ。ハッキングする瞬間には一番隙ができる。隙ができれば量産型の未熟なAIでも十分対抗可能とわらわは踏んでいたのだ。
 しかし、スペクターはあっさりとガトリングガンをバレエのステップでも踏むかのような軽やかさでかわしてしまう。エアリスは接近戦を試みるが、攻撃を一撃も当てられずに、頭部を飛散した。追撃の対エアリス用冷凍銃によって、崩れた頭部を凍らされる。
 ......がスペクターが止めを刺そうとした瞬間、エアリスの胸からもう一気のエアリスが飛び出してきた。これはさすがに予想外だったらしく、スペクターの体に浅い切り傷が刻まれた。


 「子供だましだな」


 そうスペクターが吐き捨てた時だった。部屋全体の呪詛の濃度が急激に上昇する。スペクターは迫り来る二機のエアリスと復活しそうなわらわを無視し、自らの生活スペースへと戻った。スペクターを待ち受けていたのは彼がもっとも恐れていたことだった。


 「アンドロイドの残骸をハッキング......札を持たせてワースシンボルに向かわせ、解呪......。セレア、そして二機のエアリスは囮......」


 スペクターの失意の言葉に呼応するように、ワースシンボルの中心である魂の塔から、地響きのような起動音が聞こえてきた。


 「......お主の作戦通りじゃ。タニ......カワ......」





 パチリと目を開けた。一瞬夕焼けの町だったらどうしようかと思ったが、スペクターの顔が視界の端に見えて、少し安心する。思いの外体調はよく、頭はスッキリしている。飲み薬の、あの、なんとも言えない臭いが鼻をくすぐった。


 「セレア、手を貸そう。もう、ワタシたちは敵ではない」

 「ありがとう」


 少し迷ったがわらわはスペクターの手を握り立ち上がった。先程まで殺意を向けてきた手とは思えない。青白く、弱々しい手だった。長すぎる白衣の袖がわらわの手首にぶつかって少々くすぐったい。
 スペクターはすぐにわらわの手を話すと軽く咳払いをした。


 「セレア、今回は君の勝ちだ。......相当優秀なオペレーターがいるらしいな」

 「ばれたか。あやつは心配性なのがたまに傷だがよくやってくれているぞ?」


 タニカワのため息が聞こえたがわらわは無視した。
 スペクターは通信を傍受したいるらしく、クスリと笑った。笑いながら、薬のアンプルのアンプルをバキボキと割り、口のなかに垂れ流す。わけがわからない。とは言うもののどうにもならないので、わらわは手短な椅子に腰かけた。


 「セレア、とりあえず話をしないか? 今後のことを話し合いたいのもあるが、まず君に興味が湧いた」

 「スペクター、そなたの年齢でわらわに興味が湧いたとか言ったら犯罪じゃからな?」

 「それは私への嫌がらせか? セレア」

 「タニカワ、お主はいいんじゃよ。仕事じゃし」

 「じゃあ、ワタシはビジネスということで」

 「上半身半裸の男が何をいうか」


 スペクターは爆笑しながら、冷蔵庫の中から紙製のパックを取り出した。パックの蓋に口をつけると、緑色の液体をゴクゴクと飲み干した。


 「君は面白い子だ。右目の傷を除けば、他のエアリスと寸分も変わらない見た目をしているのに、こうも魅力的に見えるとは。すらりとした手足、幼児体型、ウェディングドレスにあどけない顔どうみてもエアリスと変わらん。......表情と心は大切だな」

 「それは下手なナンパか? それとも残念なお世辞か?」

 「純粋な知的好奇心だ、わかるか?」

 「スミレのいう通りじゃ......お主、変態......」

 「どうでもいい物事に異様な熱意を向ける変態くらいしか、研究職にはなれんさ」

 「ちょっとまて、どうでもいいでそこ済ますかぁ!?」


 スペクターの背後で待機していた二機のエアリスが反応した。二人とも両拳を前につきだして親指をたてて、ゆっくりと親指の先を下に向けた。あいにくスペクターは気づいていない。腹をたてたのか、腕が二本に分裂して2×2×2の合計八本の手で抗議の意を表していた。


 「ところで、お主スナック菓子感覚で薬を飲んでるが大丈夫なのか?」

 「大丈夫じゃないから、薬を飲んでいる。体は貧弱だし、呪詛を大量に補給するには能力だけだと心もとない。だからこうして......バリッ......ボリッ......ゴリリィッ......ゴクン......飲んでいるわけだ。ああ、君が飲むときは噛まず溶かさず水で流し込んでそのまま飲み込めよ? 噛むと辛い上に非常に渋味が強い。ただ、癖になると止められんがな」

 「たぶんそれ、世間一般的にはそれを薬物依存って言うんじゃぞ......?」


 彼は冷蔵庫に寄りかかり、頭の機械を弄りはじめた。一手一挙動が奇妙でどうしても目をとられてしまう。


 「決まりを守らなければな。私の場合は用法用量を守ってるから大丈夫だ。......あ、もしかして知らない? 私が趣味でアンプルとかにお菓子をつめて販売してるって話?」

 「はぁ!? お主、変な趣味じゃのぉ......」

 「ちなみににここにある薬に見える物のなかにもお菓子が混ざっている」

 「どのくらいじゃ?」

 「さあ? 私にもわからん」

 「じゃあ、量の調整はいつも」

 「勘で」


 意味不明なことばにわらわは頭を抱えた。この男、優秀なのかただのズレた男なのか本当にわからなくなる。真面目な話をしているときはすごく説得力があるのに、それ以外の会話はおかしい。戦っている時は独り言をいうし......。ただ、裏表がないのは確かだった。奇行に走る以外は至ってまともで愚直。信用して良さそうだった。


 「さて、もうワースシンボルの呪詛供給は回復しつつある。こんなところにいる必要はない。さっそと脱出しよう」

 「ウィルスが残っていないか確認しなくてもいいのか?」

 「それもかなり悩んだのだ。が、やはりハッキングを発見されるリスクの方が高い。止めておこう」


 出口へと向かう。ガラスの床を伝い、この部屋とワースシンボル上層を繋ぐエレベーターまで戻る。エアリスの自爆によって壊滅した聖堂を眺めながら歩く。


 「結局、ワースシンボルは誰がどんな目的で作ったんじゃろうな」

 「わからん。だが、知らなくてもいいことは世の中にたしかに存在する。これも、その一つなのだろう」

 「そうじゃな......」


 この後わらわたちは無事にワースシンボルを脱出。わらわはカルマポリス政府から報酬金と住民票を手にいれ無事、国民としての居場所を確立した。一方、スペクターはわらわと共にカルマポリスに取り入ろうとしたが断られ、エルドランに即追放された。
 スペクターはワースシンボルについての事実をメディアに伝えようとしたものの「説得力がない」と断られてしまった。わらわが協力したところで無駄だった。
 スペクターはまたワースシンボルを破壊するために暗躍しているらしい。今回の研究成果である程度の協力者を得たスペクターは近いうち再びワースシンボルに侵入するだろう。そのときはまたわらわは駆り出されるに違いない。が、次依頼が来たら国外追放になってもわらわは断る。今回の一件で学んだからだ。自分の意思で考え、行動するということを。


 「どうしたんじゃ? タニカワ、物理研究室になぞ呼び出しおって」

 「とりあえず......、最近学校の様子はどうだ?」

 「機械であることを明かして大分楽になった。ガーナ元国王のお陰じゃ。」

 「そうか......」


 深呼吸してタニカワは言い切った。


 「セレア、次国から出動命令が来て、もし断るのであればそのときは私もついていく」

 「本当か!?」


 思わずわらわは席から身を乗り出した。タニカワは真剣な顔で頷く。


 「君の居場所を作る手伝いを私にさせてほしい」

 「本気でいっているのか!? わらわは真に受けるぞ! いいんじゃな」

 「約束する」


 タニカワはそう言って小指を差し出した。わらわも同じように小指を差し出し、絡めた。きつく、きつく、ゲンマンした後、わらわたちは授業に戻った。
 その後、わらわに出動要請は来なかった。そのかわり、スペクターが失踪したというニュースが世間を賑わせた。
 町は今日も緑の霧に包まれている。それがいいことなのか悪いことなのかわらわにはもう、わからなかった。